7.カルムの森②
「到着だな。この奥がカルムの森だ。」
「ここから先は全て森の主の管理下にあるということか…」
「森の主…?」
崇影が呟いた言葉に、首を傾げる。
森の奥に主がいるのか?
それって…怪物みたいな奴なんじゃないだろうな!?
俺の反応を見て、トーキスさんがため息を吐いた。
「カルムの森さえ知らなかったんだから知らなくて当然か…。カルムの森には森の主が住んでんだよ。んで、森に入ってきた奴が森に悪さをしねぇか見張ってる。」
「見張ってる、って、どこから?」
慌てて周囲を見渡すと、今度は失笑された。
「近くにいるわけじゃねぇよ。森の主にはこの森全てが見えてんだ。見えてるっつーより、感じられるっつー表現の方が分かりやすいかもな。」
「な、なんかすごいんですね…全然イメージわかないけど…」
改めて思うが、この島は俺の知る常識から外れたことばかりだ。
森の全てが見えている森の主なんて…正直、変な宗教か何かなんじゃないかと疑ってしまう。
本当にそんな存在がいるのか? 神様的な…抽象的な物とかじゃないのか?
いやいや、でもそんな疑いの気持ちを持っているせいで本当に追い出されるような事態になったら笑えない。
変に疑うのは止めよう……
そんなことを頭の中でぐるぐると考えながらトーキスさんに着いて森の中へと足を踏み入れる。
崇影も、無言で隣を歩いている。
森の中は、辛うじて歩くことは出来るものの、草やら蔦やら切り株やらで、進みにくいことこの上なかった。
トーキスさんは慣れているのか、ずんずん奥へ進んでいく。はぐれないよう着いていくのが精一杯だ。
「この中に、不思議な効力のある植物があるんですか?」
一体どれのことだろうか?
蜜が採れそうな大ぶりの花や、壺のような形の植物。上を見上げると、木の実や果実が実っている木もある。
どれもこれも、見慣れ無い物ばかりだ。
「知識もねぇのに下手に手ぇだすんじゃねぇぞ。毒を持つ植物もあるからな」
振り返ったトーキスさんにそう釘を刺され、近くの草に触れようとしていた手を慌てて引っ込めた。
「ど、毒!?」
「つっても、触れたら即命に関わるような猛毒はねぇから、必要以上に怖がる必要はねぇよ。せいぜい、痺れるとか、火傷するとか、そんな程度だ。」
トーキスさんは軽く言うけど…
「火傷も痺れも十分怖いっす…」
下手な行動は慎もう…
一歩間違えば無事にここから帰れなくなりそうだ。
俺は、この森に入ると決心したことをすでに後悔し始めていた。
チラリと隣を盗み見ると、崇影は相変わらず無表情のまま黙々と足を動かしている。
コイツは何とも思わないんだろうか…
俺の視線に気付いたのか、崇影がふとこちらへ顔を向けた。
「どうかしたのか、七戸。」
「ここってさ『聖なる森』って言ってなかったか?」
「それがどうした?」
「毒の植物があるとか、森の番人がいるとか…むしろ魔の森みたいじゃね…?」
崇影に向かって聞いたつもりだったのだが、トーキスさんがこちらを振り向いた。
「『番人』じゃなくて『森の主』な。こんだけ植物がありゃ、毒性があるやつも生えてて当然だろ」
耳が長いだけあって、聴力が優れているんだろうか…
正直、トーキスさんは口が悪いし当たりがキツイから、あまり話しかけないようにしようと思っていたんだけど……こうして話を聞いてちゃんと答えてくれるあたり、そこまで悪い人では無いのかもしれない。
丁寧な説明は期待できないけど…
「この森は…他の森に比べ、貴重な資源や鉱物、植物が豊富だと聞く。毒の植物や、場合によっては瘴気などで自衛をしなければこの状態は保てないのかもしれない」
トーキスさんの言葉を補足するように崇影が言葉を繋いだ。
「な、なるほど…」
「そんで、幸木の目的は薬草だったっけか?」
「薬草…というか、特異体質治療に効く植物が無いかを探しに来たんですけど…」
「まぁ、効力のほどは期待出来ねぇけど、とりあえず使えそうなやつ採ってくか…」
トーキスさんは少し考えるような仕草をした後、さらに森の奥へと視線を向けた。
「この先に薬草類の群生地がある。そこで採取するのが無難だろうな。はぐれねぇように着いてこいよ」
言うなり、さくさくと歩き出すトーキスさん。
奥に行けば行くほど足場は悪くなる。その分、当然歩きにくくなる。俺は慣れない山道に苦戦しながら、何とかトーキスさんの背中を追いかけるので精一杯だ。
「七戸、足元ばかりを見ていると怪我をするぞ」
隣から、崇影にそう声を掛けられて顔を上げると、目の前に太い木の枝が迫っていた。
「うわ!!」
あわや顔に直撃という目前で崇影に腕を引かれて何とか助かった。
「悪い、崇影…」
「こういった場所では、人間は不利だな」
そうかもしれない。そもそも、こんな山道に入る機会なんて今まで無かった。
整備された道しか知らない俺にとっては、歩くだけで試練もいいとこだ。
崇影は…本来なら鳥の姿になって飛んだ方が楽に移動出来るだろうに、俺に合わせて人の姿で付き合ってくれているのだろう…いい奴だ。
少し先を歩いていたトーキスさんがピタリと足を止め、こちらを振り返った。
「到着だ。」
やっとゴールか!!
ほっと安堵する。先の見えない試練ほど辛い物は無いからな…
少し歩を早めつつ、周囲と足元に気を配りながらトーキスさんの元へ急ぐ。
どこも似たような景色かと思っていたが、蔦の合間を抜けると少し拓けた空間が広がっていた。
背の低い草が生い茂り、その先に小さな湖のような物も見える。
湖は木の間から差し込む陽の光を受けてキラキラと反射し、何とも幻想的な雰囲気を醸し出していた。
おまけにその周囲を、アゲハ蝶のような大きな羽を持つ虫がひらひらと飛び回っている…綺麗だ。
なるほど、これは確かに『聖なる森』って感じだ!
「とりあえず、そうだな…分かりやすいやつだけ集めるか。」
そう言い、トーキスさんは屈んでプチプチと草を千切り、実の付いている枝を折った。
続いて木の皮を剥がし、花を摘み取る…躊躇いも遠慮も無い。
「勝手に採っていいんですか? 森の主ってのに怒られるんじゃ…?」
「生態系壊すほどめちゃくちゃに採りゃ怒られるかもしんねぇけど、数人で採取する程度、何の影響にもならねぇよ」
心配になって聞いた俺に、トーキスさんは平然と答えた。
森に慣れているトーキスさんがそう言うのだから、大丈夫なのだろう。
「そんで、これが日照草、こっちは白凪の実。あと雫花と、瑠璃蜜の皮だ。」
トーキスさんからそれらを受け取り、まじまじと観察してみる。
日照草…はよく見るイネ科の雑草に似ているが、色が独特だ。根元は緑なのに、中腹は白く、先端は黄色。中心に、赤いラインが入っているのが特徴で分かりやすい。
白凪の実は、山ぶどうのように小さな粒が密集して枝についている。白、という名の割に色はグレーに近く、枝が紫色をしていた。
雫花はその名の通り、丸い葉に囲まれた茎の先で、透き通る花弁が雫型に垂れている。
瑠璃蜜の皮は一見普通の木の皮だが、見る角度によって瑠璃色に輝く、不思議な色をしていた。
「他の使えそうな奴は俺がいくつか見繕っといてやるから、幸木は日照草と雫花、タカは白凪と瑠璃蜜を集めろ。間違えんなよ。」
「あと、あんまり俺から離れんな。草むらの中は足場が見えねぇからな、油断すると穴やら崖やらに真っ逆さまだ。」
「はい! わかりました!」
「承知した」
トーキスさんから指示を受け、俺と崇影は手分けしてそれぞれ2種類、合計4種類の植物素材を集めることになった。
分かりやすい物に限定し、かつ的確に役割分担を与えた上で、自身は別の物を探し、集めてくれている…
やっぱり、このトーキスさんという人は、人当たりと口は良くないが実は優しい人なのかもしれない。
そんなことを考えながら、指定された草花を次々に摘み取っていると、何だか楽しくなって来た。
探して、摘み取る。 探して、摘み取る。
ひたすら無心にその作業を続けていると…
「幸木、戻って来い! そっちは足場が悪い。」
遠くからそう声を掛けられた。
しまった、採取に夢中になりすぎて、気付けばトーキスさんから大分離れた場所に来てしまったらしい。
「すみません!!」
慌てて立ち上がり、一歩踏み出そうとしたところで…俺は盛大に足を滑らせた。
「うわぁぁぁ!?」
「七戸!!」
またしても、崇影がすぐに俺の腕を掴んでフォローに入ってくれたのだが…
滑った場所が悪かったらしい。俺の体は足場を無くし、生い茂る草の合間を抜けて、宙ぶらりんになっていた。
そうか、さっきのトーキスさんの「俺から離れんな」は完全にフラグだったな…
なんてことを考えている場合じゃない!!
草に隠れて地形が分からなかったため気付かなかったが、俺のいた場所は一歩先が崖になっていたようだ。
崇影が手を離したら俺は終わる。
何とかこの状況を打破しなければ。
俺は、何とか目の前の岩に足を掛けようと試みるが、苔生していて滑って上手く掛からない。
「七戸、このまま引き上げる。」
崇影の声。
掴まれた腕に力が入り、ぐっと上へ持ち上げられる。
崇影がいて良かった、マジで…と思った時。
ずしゃっ、と湿った土のえぐれる音が聞こえた。
「っ!!」
崇影が声にならない声を上げた。
まさか、崇影も足を滑らせたのか!?
ヤバい、このままだと2人揃って落ちる!
ここは高いのか? 落ちて助かる可能性は?
いや、崇影は鷹だから、あいつだけは助かるハズ…
そういや行く前に、トーキスさんに自分の身は自分で守れって言われたな…こういうことかよ……!
崇影の手が緩んだ。
落ちる―…!
「大丈夫だよ、目を開けて。」
へ?
女の子の声がした。
ふわり、と風に乗って花の良い香りがする。
そして感じる、妙な浮遊感。
恐る恐る目を開けると、目の前に小さな女の子が浮いていた。
小さな、と言っても単純に幼いのではなく…童話に出てくる妖精のような、掌に乗せられるサイズだ。
そして…俺も浮いている。
「えええええ!?」
状況が掴めず慌てて自分の体をよく見ると、俺は浮いているのではなく、周りの大きな木々が体に巻き付き、木に吊るされている状態だった。
……何だこれ。どういうことだ?
一体何が起きたのか、全く理解が出来ない。
「じっとしててね。今下ろすから!」
小さな少女はそう言って笑い、指揮を執るように両手でくるくるっと宙に円を描いた。
するとなんと、俺の体に巻き付いていた木の幹がするすると動き出して俺を持ち上げ、トーキスさんの側へとそっと下ろしてくれたではないか…
木を操っているのか?
そうだ、崇影は無事か!?
「崇影!!」
慌てて崇影がいたはずの場所へ視線を走らせると―…
崇影もまた同様に、伸びた幹に体を支えられ、危機を脱していた。
何なんだ、これは…?
木が動いて人を助けるなんて、聞いたことないぞ。
そこで、ハッと思い出した。
そうだ、森の主! 森の主には森の中の全てが分かるんだと、トーキスさんが言っていた。
ということは、助けてくれた妖精のような女の子が、森の主なのか…?
そう思い、妖精の少女のいる方へ視線を移し―…俺は息を飲んだ。




