第59話 ホテルの世界 その3
「あれ……ここは?」
気がつくと、瞬は知らない場所にいた。
いや、見覚えが無いだけで知識としては知っている。
小便器がいくつか並び、個室のドアが三つ並ぶ。一番手前のドアは閉まっていて、誰かが入っているようだ。
「……いや公衆トイレじゃねえか!!なんで俺こんなとこにいんだ!?」
するとジャーと水が流れる音が聞こえ、ドアが開いて城田が出て来た。
「ふう。すっきりしたぞ」
「入ってたのお前だったのかよ!ていうか城田、ここどこなんだ?俺たちホテルにいたはずじゃ……」
瞬が尋ねると、城田は何食わぬ顔で答える。
「ここは我の夢の中。我々はいつの間にか眠ってしまっていたらしいぞ」
「夢の中!?なんで俺が城田の夢の中に……。てかお前なんで夢でトイレにいんだよ!!起きたら十中八九漏らしてるだろ!!」
「心配はいらぬぞ。我の排泄物は白い」
「だったら何なんだよ!!漏らしてることには変わりねえわ!!」
城田は手を洗いながら話を続ける。
「どうやらこのホテルのミッションは、この夢から脱出することのようだ。我々は今それぞれ夢の中に閉じ込められているらしいぞ」
「あれ部屋のドアのロックを解除して脱出するとかじゃなかった!?」
「ああ、あれは我のジョークだ。神リカンジョークだ」
「アメリカンジョークみたいに言うな!!お前適当に喋んなよ!?」
手を洗い終わった城田は、コートの裾で手を拭きながら話す。
「おいハンカチ使えよ汚ねえな!!」
「とにかく、まずは我の夢から脱出するのだ。恐らく真美は今一人で閉じ込められている」
「いやちょっと待て!ずっと気になってたけど、なんで俺は最初からお前の夢の中にいるんだ?その説明なら俺も自分で夢を見てると思うんだけど……」
「それはお前がツッコミ役だからだ。分かるであろう?」
「話の都合だった!!ほんと適当だなこの作品!!」
城田と瞬が公衆トイレから出ると、そこは新たな公衆トイレ。小便器の数が若干増え、個室のドアが全て閉まっている。
「え、お前の夢ってトイレしかねえの!?」
「うむ。我の信条は『我慢しない』だからな。今も我慢せず木を齧っている」
「ビーバーか!!投げ捨てろそんなもん!!」
「とにかく我の夢を脱出するぞ。準備は良いか?」
城田は真顔のまま瞬に尋ねる。
「え?準備も何も、脱出方法分かってんのか?」
「うむ。便器の中に飛び込めば脱出できるぞ。ついでにさっき我が木を齧っていたことも無かったことになる」
「おい全部水に流そうとすんな!!なんだその雑な脱出方法は!?」
「つべこべ言うでない。えい☆」
「うわあああ夢でも便器に入るのは嫌だああああ!!」
城田と瞬はそのまま水に流され、城田の夢の中から脱出した。
そして二人は水の流れに乗ってまた見知らぬ場所へ降り立つ。
瞬は両足で着地し、城田は頭から地面に突き刺さった。
「えええ!?何してんのお前!?」
「見ての通り、刺さっている」
「分かってるわ!!着地失敗し過ぎだろ!!」
「そんなことより、あれを見るが良い」
城田は右足で瞬の前方を指す。そこには小学生くらいの小さな女の子を連れた母親が、ニコニコと笑顔を浮かべながら歩いていた。
「あれは……?」
「うむ。恐らくだが真美の母親、そしてあの子どもが真美であろう。ところで今度青森県に行くのだがおすすめの観光スポットを知らぬか?」
「知らねえよ!!てめえで調べろ!!……しかしあれが先輩かあ。確かにちょっと面影あるな」
女の子は長い黒髪をポニーテールにまとめ、大きな目はキラキラと輝いている。天真爛漫そうな雰囲気は、まさに真美そのものだ。
小さな真美は、母親と話しながら歩いている。
「ねえママ?今日の晩ごはんはなあに?」
「うふふ、今夜は真美の大好きなものを作る予定熊本。楽しみにしてて熊本?」
「先輩のお母さん語尾熊本なの!?クセえぐいな!!」
瞬が想定外の語尾に驚愕していると、地面から頭を引っこ抜いた城田が瞬に声をかける。
「瞬よ。真美を現実の世界に連れ戻すには、この夢から目覚めさせる必要がある。どうにかして真美を目覚めさせるのだ」
「どうにかしてって……。具体的にどうすりゃいいんだ?」
「夢の中での真美は精神も子どもに戻っている。目覚めさせるには、高校生の真美を思い出させる必要があるぞ」
「そう言われてもなあ……」
真美と母親はスタスタと歩いて行ってしまう。そんな様子を見て、瞬は決めた。
「よし、もうちょっと様子を見よう」
「何故だ?もしかして誘拐目的か?」
「連れ戻すから結果的にそうかもしれねえけど!!ややこしいな状況が!!」
「もどかしいぞ。早く理由を言え」
城田が瞬を急かすと、瞬は少しバツが悪そうに口を開いた。
「いや、こんな時に言うのもあれだけど……。真美先輩がなんであんな性格になったのか知りたいんだよ。普段からボケ倒してるけど、普通に育ったらああはならねえだろ?」
「なるほど、確かに吉田という苗字の人間はあだ名がよっちゃんになりがちだな」
「話聞いてた!?」
騒ぐ城田と瞬に気づくこと無く、前を歩く野崎母娘はにこやかに会話を続けている。
「ママ聞いて!私今日学校で歴史を習ったんだよ!邪馬台国の女王織田信長が黒船でやって来たペリーとフランシスコ・ザビエったって!」
「あらあら真美ったら違うで熊本?ペリーが乗ってきたのはカヌー熊本よ?」
「ダメだこの母娘!!悪い意味でそっくりだ!!あと語尾の熊本が気になって仕方ねえな!?」
後ろからツッコミを入れる瞬に、城田が耳元でそっと話しかける。
「どうだ瞬よ?まだ様子を見るか?」
「お前耳元で囁くなよ気持ち悪い!!いや分かったよ。真美先輩のアレはなるべくしてなったんだな。なんならあのお母さんの方がよっぽどクセ強いわ」
「うむ。では早速真美を連れ戻すぞ」
城田と瞬はダッシュで母娘の前に回り込み、小さい真美に声をかける。
「真美先輩!そろそろ目覚めてください!」
「おにーさんはだあれ?親に買って貰ったお菓子で子どもを釣るタイプの誘拐犯?」
「そんな情けねえ誘拐犯じゃねえわ!!ちょ、先輩早く思い出してくださいよ!」
「仕方ない。我の出番のようだな」
城田がスっと前に出て、真美に向かって右手を上げる。
すると真美の頭の中に、今までの冒険の記憶が蘇って来た。
『相撲を摂取しないと力尽きちゃうから!』
『肝臓の肝太郎だよ!』
『それは精神疾患の可能性があるね!良い病院を紹介してあげる!』
『最後にレストランでチーズフォンデュだけ食べても良い?』
『太陽の光に反射して、まるでゴキブリの背中みたい!』
『わーい!私ハーレーで行くー!』
『私ベッドを見るとハンバーグに入れたくなっちゃうんだよねー!』
「おいロクなセリフがねえな!!ずっとボケてんじゃねえか!!」
瞬のツッコミを待たずして、真美の体が光り始め、みるみる高校生の真美に戻っていく。
「真美ちゃんふっかーつ!鮮やかだったね!まるで藻のように!」
「藻のこと鮮やかだと思ってたんですか!?」
「よし、真美も戻って来たことだ。早くホテルの世界を脱出するぞ」
城田が右手を上げると、いつもの白いドアが現れる。三人がそこを潜ると、なんと元来たフロントのところへ戻って来ていた。
「おはようございます。チェックアウトでよろしいですか?」
「えー!あと3日延泊できますか?」
「なんで自ら戻ろうとするんですか!!早くでますよ!!」
瞬は真美を引きずってチェックアウトを済ませ、朝食会場からチーズナンを持ち帰って来た城田と合流する。
「よふぃ、ふふぃのふぇふぁいひひふほ」
「食ってから喋れ!?ていうかパクって来んなよ!!」
「さあ、次は美術館の世界だ。真っ白な絵はあるのだろうか」
「あったらサボってんだろ!!いいから行くぞ!!」
相変わらずの城田に瞬が呆れていると、真美が小声で瞬に話しかける。
「瞬くん、助けてくれてありがと!かっこよかったよ!まるで芋虫のように!」
「相変わらず例え酷いですね!?」
「ふふっ!嬉しかったよ!」
真美は瞬に何かを手渡す。瞬が手を開くと、そこにはハンドジェルの容器があった。
「なんですかこれ!?」
「感染症予防には気をつけてねー!」
「さてはホテルで何か病気貰って来たな!?」
こうして三人は、ホテルの世界を後にしたのだった。




