第2部 第4話
活動を始めて一週間が経った頃、ついに王城から動きがあった。
王城の使者が広場に現れ、民衆の前で大声で宣言した。
「国王陛下の御言葉である! アウレリア・フォン・ローゼンハイムは、他国の力を借りて民衆を扇動し、この国を乗っ取ろうとしている! 彼女の活動は、見せかけの善意に過ぎぬ! アイスフェルト王国の武装した騎士団が王都に駐留していることは、明白な侵略行為である! 直ちに撤退することを要求する!」
しかし、その言葉を聞いた民衆は、使者に怒りの視線を向けた。
「何を言っている! 聖女様がいなければ、俺たちは死んでいたんだぞ!」
「国王こそ、今まで何をしていた! 何もせず、城に引きこもっていただけじゃないか!」
怒号が飛び交う中、使者は蒼白になって逃げ出した。
オリヴァーが、私の隣で忌々しげに呟く。
「予想通り、妨害工作を始めたな」
「ええ。でも——」
私は、静かに微笑んだ。
「泳がせましょう」
「……何?」
「証拠を集めているんです。後で全て、民衆の前で暴露するために」
私は、オリヴァーを見上げた。
「彼らがどれだけ愚かで、無能で、そして邪悪なのか。それを、誰の目にも明らかにするんです。だから、今は泳がせる。もっと悪足掻きをさせる」
オリヴァーは、驚いたように私を見つめた後、苦笑した。
「……お前、本当に腹黒くなったな」
「あなたが教えてくれたんです。戦略の大切さを」
私は、彼の手を握った。
「感情だけで動いては、復讐は成し遂げられません。冷静に、確実に、彼らを追い詰める。それが、私の戦い方です」
その後も、王城からの妨害工作は続いた。
二日後、私たちが使っている井戸に毒を混ぜようとした者が捕まった。アイスフェルト騎士団の見張りが、夜中に不審な動きをする人影を発見したのだ。
「誰の指示だ」
オリヴァーが、捕らえた男を問い詰める。
「し、知らない……ただ、金貨を渡されて……」
「その金貨を見せろ」
差し出された金貨には、王家の刻印が押されていた。
「これは……証拠として保管しておけ」
オリヴァーが部下に指示を出す。
「殺さないの?」
私が静かに問うと、オリヴァーは首を横に振った。
「こいつは証人として必要だ。お前の言う通り、後で全て暴露するためにな」
「さすがです、オリヴァー様」
私は、満足げに微笑んだ。
三日後、今度は食料庫に火を放とうとした者が捕まった。またも、王家の金貨を持っていた。
五日後、診療所の薬草に毒草を混ぜようとした者が捕まった。やはり、王家の金貨。
そのたびに、私たちは証拠を集め、証人を確保した。
そして、その情報は意図的に民衆に流された。
「また王城の仕業だ!」
「聖女様を妨害しようとしている!」
「許せない!」
民衆の怒りは、日に日に高まっていった。
活動を始めて二週間が経った頃、ついにリリアナが直接的な行動に出た。
ある日の午後、私の天幕を一人のお婆さんが訪ねてきた。身なりは質素だが清潔で、その顔には深い感謝の色が浮かんでいる。
「アウレリア様……いいえ、聖女様でいらっしゃいますね?」
若い騎士が警戒する中、私はお婆さんを天幕の中へと招き入れた。
「ええ、私ですが、何かお困りごとでしょうか?」
「いえ、滅相もございません! お礼を申し上げに参りましたのです」
お婆さんはそう言うと、震える手で美しい装飾が施された小箱を差し出した。それは、王都で最も有名で高価な菓子店のものだった。
「先日、疫病で死にかけていた孫が、聖女様からいただいたお薬で、すっかり元気になりました。これは、私たち家族からの、ほんの気持ちでございます。どうか、お受け取りください」
お婆さんは目に涙を浮かべ、深々と頭を下げた。その姿に、私の心も温かくなる。民が元気になっていくことこそ、私の何よりの喜びだった。
「ありがとうございます。ですが、このような高価なものを……」
「どうか、どうか! これくらいしか、お礼のしようがないのです」
心からの感謝の言葉に、私は断ることができなかった。
「わかりました。ありがたく頂戴いたします。お孫さんがお元気になられて、本当に良かった」
お婆さんは何度も頭を下げると、安心したように天幕を後にして行った。
「良かったですね、アウレリア様。皆、本当に感謝しているのですね」
若い騎士が嬉しそうに言う。私も頷き、小箱を開けた。甘く芳醇な香りがふわりと広がる。しかし、その香りを吸い込んだ瞬間、私の心の片隅で、前世の薬剤師としての冷静な思考が警鐘を鳴らした。
(あまりに、話が出来過ぎている……?)
貧しい暮らしをしているであろうあのお婆さんが、これほど高価な菓子店の品を、どうやって手に入れたのだろうか。そして、これ見よがしなほど有名な店の菓子を選ぶだろうか。感謝の気持ちは本物かもしれない。だが、その善意を誰かに利用されている可能性は?
私は、その場にあった銀のナイフを手に取り、そっと菓子の断面に触れさせた。
——ナイフの先端が、微かに黒ずんだ。
私の表情が凍り付く。
「……オリヴァー様を呼んでください。急いで」
数分後、駆けつけたオリヴァーが私の顔色を見て事態を察した。私は彼に小箱と変色したナイフを見せる。
「……毒か」
オリヴァーは、慎重に菓子の一つを取り出し、別のナイフで切り、断面を観察する。
「……やはり。それも、かなり強力な遅効性の毒だ。気づかずに口にすれば、数時間後には心臓が止まる」
オリヴァーの表情が、険しくなった。
「ついに、暗殺ですか」
私の声は、深く、静かな怒りに満ちていた。
「民の純粋な感謝の気持ちを、暗殺の道具に利用するとは……。リリアナは、そこまで堕ちたのですね」
「アウレリア、もう危険だ。一旦、アイスフェルトに——」
「いいえ」
私は、オリヴァーの言葉を遮った。
「まだです。まだ、決定的な証拠が足りません」
「お前……!」
「この菓子も、証拠として保管してください。そして——」
私は、静かに、しかし氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「もっと泳がせましょう。善意の裏で毒牙を忍ばせるような卑劣な手を使うのなら、こちらもそれ相応のやり方で、本物の蛇を炙り出して差し上げますわ」
オリヴァーは、苦悩の表情を浮かべた。
「お前の身が危険に晒されるんだぞ!」
「大丈夫です。あなたが守ってくれるでしょう?」
私は、彼の手を取った。
「それに、ジルもいます。私は、そう簡単には殺されません。だから——もう少しだけ、待ってください」
オリヴァーは、しばらく私を見つめた後、深く息を吐いた。
「……わかった。だが、一歩も俺から離れるな」
「はい」
その夜、私が天幕で休んでいると、外から微かな足音が聞こえた。
(来た……!)
私は目を閉じたまま、眠っているふりをする。オリヴァーは天幕の外で見張っており、ジルも近くで警戒している。
足音が近づいてくる。そして、天幕の入り口がゆっくりと開かれた。
月明かりに照らされて、黒装束に身を包んだ人影が見える。その手には、短剣が握られていた。
刺客は、音を立てないように私に近づいてくる。
そして、短剣を振り上げた——まさにその瞬間。
「そこまでだ」
天幕の影から、オリヴァーが飛び出した。その剣が、刺客の短剣を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
刺客が呻き声を上げる。同時に、天幕の外からアイスフェルト騎士たちが駆け込んできた。
「動くな!」
騎士たちが刺客を取り押さえる。私は起き上がり、その刺客を見下ろした。
「顔を見せなさい」
オリヴァーが、刺客の覆面を剥ぎ取る。
そこには、見覚えのない、傷だらけの男の顔があった。
「誰の指示だ」
オリヴァーの剣が、男の喉元に突きつけられる。
「し、知らない……ただ、金貨を……」
「その金貨を出せ」
男のポケットから出てきたのは、またも王家の刻印が押された金貨だった。
しかし、今回はそれだけではなかった。金貨と一緒に、一枚の紙が入っていた。
オリヴァーがそれを開くと、そこには女性の筆跡で、こう書かれていた。
『アウレリアを始末せよ。成功すれば、さらに金貨百枚を与える。——L』
「L……リリアナか」
オリヴァーの声が、怒りに震える。
私は、その紙をじっと見つめた。
(ついに、決定的な証拠を……)
「この男と、この紙を厳重に保管してください」
私は、静かに命じた。
「そして、明日からは警備をさらに強化します。リリアナは、もっと焦るでしょう。もっと、証拠を残すでしょう」
「アウレリア……お前、本当に大丈夫なのか?」
オリヴァーが、心配そうに私の顔を覗き込む。
私は、彼に微笑みかけた。
「大丈夫です。むしろ、計画通りです」
しかし、その微笑みには、どこか冷たいものが混じっていた。
それから数日間、リリアナの暗殺未遂は続いた。
毒入りの手紙、仕掛けられた罠、さらなる刺客の派遣——。
しかし、そのすべては失敗し、そのたびに証拠が積み重なっていった。
そして、その情報は民衆に広まり、人々の怒りはさらに高まった。
「リリアナが、聖女様を殺そうとしている!」
「許せない!」
「あの女こそ、この国の癌だ!」
ある日の夕方、私は集めた証拠の全てを、天幕の中で並べた。
毒入りの菓子。暗殺者から押収した金貨と手紙。妨害工作の証人たち。
「これで……十分ですね」
私は、満足げに微笑んだ。
オリヴァーが、複雑な表情で私を見つめる。
「お前は……本当に変わったな」
「変わったのではありません。ただ、強くなっただけです」
私は、窓の外を見つめた。そこには、私を慕う民衆の姿が見える。
「もうすぐです。もうすぐ、全てが明らかになる。そして——」
私の瞳が、冷たく光る。
「リリアナとアルフォンスは、地獄を見ることになるでしょう」
その夜、月が雲に隠れ、王都は不気味な静けさに包まれていた。
しかし、その静けさは、嵐の前の静けさだった。
私は、窓から王城の方角を見つめながら、静かに呟いた。
「もっと悪足掻きをしてちょうだい、リリアナ。その一つ一つが、あなたの首を絞める縄になるのだから」
風が、冷たく吹き抜けていった。




