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第2部 第3話

 翌朝、朝日がアイスフェルト王城の尖塔を金色に染める頃、私はオリヴァーと共に謁見の間へと向かっていた。

 昨夜、私の決意を聞いたオリヴァーは、すぐに国王陛下への謁見を申し出ていたのだ。


 謁見の間の扉が開かれると、そこには白髪を豊かに蓄えた、威厳ある姿のアイスフェルト国王が玉座に座っていた。彼の鋭い眼光は、けれど決して冷たくはない。この一年、私はこの国王の寛大さと公正さに何度も救われてきた。


「アウレリア殿、そしてオリヴァー。話は聞いておる」


 国王陛下の声が、静かに響く。オリヴァーと私は膝をつき、頭を垂れた。


「陛下、私はクライネルト王国へ赴き、疫病に苦しむ民を救いたいと願っております。これは私個人の願いであり、アイスフェルト王国に何の責任もございません。どうか、お許しを——」


「顔を上げよ、アウレリア殿」


 国王陛下の言葉に、私はゆっくりと顔を上げる。陛下は優しげな笑みを浮かべていた。


「そなたがそのような心優しき者であることは、この一年でよく承知しておる。だが、わしはそなた個人の行動として見過ごすつもりはない」


 私の胸に、一瞬、不安がよぎる。しかし、国王陛下の次の言葉は、予想外のものだった。


「これを、アイスフェルト王国の公式な人道支援活動として認める。そなたは我が国の『王室薬師』として、疫病と飢餓に苦しむ隣国の民を救うために派遣される。オリヴァー、そなたは護衛兼監督役として随行せよ」


「陛下……!」


 オリヴァーと私は、同時に驚きの声を上げた。国王陛下は、満足げに頷く。


「クライネルト王国は滅びかけているが、それでも国境を接する隣国。あの国が完全に崩壊し、魔物の巣窟と化せば、我が国も無傷ではすまぬ。それに何より——」


 国王陛下は、私を真っ直ぐに見つめた。


「そなたのような人材を失うわけにはいかぬ。だからこそ、必ずこの国に戻ってくると約束せよ。そなたの居場所は、ここにあるのだからな」


 その言葉に、私の目頭が熱くなる。


「……はい。必ず、戻ってまいります」


 こうして、私たちの祖国への旅が、正式に始まったのだった。



 出発の日、城門には見送りに来た竜騎士団の面々が集まっていた。皆、心配そうな顔をしながらも、私に笑顔を向けてくれる。


「アウレリア様、必ず無事に帰ってきてください!」


「団長、アウレリア様を絶対に守ってくださいよ!」


「お土産話、楽しみにしてますから!」


 口々に声をかけてくれる騎士たちに、私は何度も頷いた。彼らの温かさが、私の心を満たしてくれる。


「行くぞ、アウレリア」


 オリヴァーが手を差し伸べ、私は彼の手を取って黒竜ジルの背に乗った。私たちの後ろには、アイスフェルト王国の騎士たち二十名と、支援物資を積んだ馬車が連なっている。

 ジルが大きく羽ばたき、私たちは空へと舞い上がった。眼下に広がるアイスフェルトの美しい景色が、みるみる小さくなっていく。


「……必ず、戻ってこような」


 オリヴァーが、私の耳元で囁いた。彼の腕が、私の腰をしっかりと抱きしめる。


「ええ。必ず」


 私は彼の腕に、自分の手を重ねた。


 国境を越え、クライネルト王国の領内に入った瞬間、私は息を呑んだ。

 かつて豊かな緑に覆われていたはずの大地は、灰色に変色し、枯れ果てていた。川は濁り、かつて美しかった森は、黒い瘴気に包まれている。所々に、魔物に襲われたと思しき集落の残骸が、無残な姿を晒していた。


「……ひどい」


 私の呟きに、オリヴァーも沈痛な面持ちで頷く。


「これが、聖女を失った国の末路か……」


 やがて、王都の城壁が見えてきた。しかし、その光景は、私の記憶の中にあるものとはまるで違っていた。

 城壁は所々崩れ、修復されないまま放置されている。かつて花々で彩られていた街路は、雑草に覆われ、建物の多くは窓が割れ、扉が外れたまま。街を行き交う人々の姿はまばらで、皆、生気を失った死人のように俯いて歩いている。


「ここが……私の故郷……?」


 信じられない、という思いが胸を突く。ほんの一年前まで、ここは華やかで活気に満ちた王都だったのだ。それが今や、まるで終末を迎えた世界のようだった。

 しかし、私は心を鬼にした。


(これが、彼らが選んだ道。私を捨てた代償よ)


 ジルが城門の外の広場に降り立つと、通りかかった民衆がおびえたように逃げ出そうとする。しかし、すぐに一人の老人が立ち止まり、私たちを凝視した。


「あ……あれは……アイスフェルト王国の紋章……!」


 老人の声に、周囲の人々がざわめく。やがて、一人、また一人と人々が集まり始めた。

 オリヴァーが警戒する中、私は竜の背から降り、人々の前に立った。


「皆様、私はアウレリア・フォン・ローゼンハイム。アイスフェルト王国の王室薬師として、この国の民を救うために参りました」


 私の名を聞いた瞬間、広場がざわめきに包まれた。


「ローゼンハイム……? まさか、あの聖女様……?」

「本当に、本当にアウレリア様なのか……!?」


 人々の目に、希望の光が灯り始める。


「我々は、食料と医薬品を持参しております。今から王都の中央広場で炊き出しを行い、病を患う方々のための診療所を設置いたします。どうか、苦しんでいる方々に伝えてください」


 私の言葉に、老人が涙を流しながら叫んだ。


「聖女様だ! 本当の聖女様が戻ってきてくださった!!」


 その声は、瞬く間に広場中に、そして王都中に広がっていった。


 中央広場に到着した私たちは、すぐさま活動を開始した。アイスフェルト騎士団が手際よく大きな天幕を張り、私は持参した医療器具を並べ始める。


「こちらで炊き出しの準備を! 薬草はあちらの天幕に!」


 オリヴァーの指示のもと、騎士たちがてきぱきと動く。やがて、大鍋から立ち上る温かいスープの香りが広場に漂い始めた。

 それを嗅ぎつけた人々が、恐る恐る、しかし確実に集まってくる。最初は数人だったのが、十人、二十人、やがて百人を超える人々が広場を埋め尽くした。


「一人ずつ、順番に。焦らなくても、皆様に行き渡るだけの量がございます」


 私の声に、人々は涙を流しながら列を作り始めた。

 しかし、私の心の中では、冷静な計算が働いていた。


(この人たちの顔を、覚えておきましょう)


 スープの配給が始まると、人々は温かな食事に、声を上

 げて泣き出した。


「温かい……こんなもの、いつぶりだろう……」

「ありがとうございます、聖女様……ありがとうございます……!」


 私は微笑みながら、しかし心の片隅で、彼らの反応を観察していた。


(誰が心から感謝しているのか。誰が後ろめたさを感じているのか。誰が、あの日私を見捨てた者なのか)


 やがて、傷や病を患った人々が、診療所の天幕へと運ばれてくる。疫病による高熱、栄養失調、化膿した傷、衰弱しきった子供たち——。

 私は一人一人を丁寧に診察し、症状に合わせた薬を調合していく。重症の患者には、聖女の力を込めた特別なポーションを処方した。


「大丈夫、必ず良くなります。毎日、この薬を飲んでください」


 私が微笑みかけると、患者たちは信じられないという顔で、やがてぼろぼろと涙を流し始める。


「聖女様……本当に、聖女様が戻ってきてくださったんですね……」


 その言葉が、何度も何度も繰り返された。


 その夜、天幕の中でオリヴァーと二人きりになったとき、私は一冊の小さなノートを取り出した。


「これは……?」


「今日、救った人々の記録です」


 私は、ノートのページを開いて見せた。そこには、名前、症状、そして——その人物の「態度」が細かく記されていた。


『マルティン(50代・男性):心からの感謝。涙を流して何度も頭を下げた。善良な民衆と判断』

『エリザベート(30代・女性):感謝はしているが、どこか後ろめたそう。おそらく、あの日の追放劇を見ていた者』

『ゲルハルト(40代・男性):感謝よりも当然という態度。要注意人物』


 オリヴァーは、そのノートを見て目を見開いた。


「お前……これを全員分?」


「ええ。民を救うのは本心です。でも、同時に——」


 私は、オリヴァーの目を見つめた。


「誰が私を支持しているのか、誰が信頼できるのか。それを把握しておく必要があります。これから、この国で何かを成し遂げようとするなら」


「……お前、随分と腹黒くなったな」


 オリヴァーは、苦笑しながら言った。


「あなたが守ってくれるから、強くなれるんです」


 私は、彼の手をそっと握った。


「復讐は、感情だけでは成し遂げられません。冷静な戦略が必要です。民衆の支持を固め、証拠を集め、そして——確実に、彼らを追い詰める」


 オリヴァーは、しばらく私を見つめた後、ゆっくりと頷いた。


「わかった。俺も協力する。お前の望む復讐を、共に果たそう」


 彼は、私の額に優しく口づけた。


「でも、無理はするな。お前が壊れてしまっては、意味がない」


「大丈夫です。もう、私は一人じゃありませんから」


 活動を始めて三日が経った頃、王都中に私たちの噂が広まっていた。


「アウレリア様の薬で、瀕死だった父が歩けるようになった!」

「聖女様が触れてくださった水を飲んだら、熱が下がったんだ!」

「あの優しい笑顔……本当の聖女様は、アウレリア様だったんだ……」


 人々の口から口へと、希望の言葉が伝わっていく。やがて、王都の外からも、助けを求める人々が続々と訪れるようになった。

 ある日の夕方、私が診療所で休憩を取っていると、一人の中年女性が恐る恐る近づいてきた。


「あの……聖女様。私、王城で侍女をしておりました者です。あの日、あなた様が追放されるのを……何もできずに、見ているしかできなかった……」


 女性は震える声で続けた。


「本当に、本当に申し訳ございませんでした! 私たちは、リリアナ様の嘘を見抜けず、あなた様を……!」


 彼女はそう言って、地面に額をこすりつけた。その姿に、周囲にいた人々も次々と跪き始める。


「聖女様、お許しください!」

「私たちが愚かでした!」

「どうか、どうか……この国を、お見捨てにならないでください……!」


 広場中が、跪く人々で埋め尽くされた。

 私は立ち上がり、静かに彼らに向かって言った。


「顔を上げてください、皆様。私は誰かを恨むためにここへ来たのではありません。ただ、苦しむ方々を救うために来たのです」


 私の言葉に、人々は顔を上げ、涙を流した。


「聖女様……!」

「やはり、真の聖女様は、アウレリア様だった……!」


(そう、もっと私を慕いなさい。もっと私を支持しなさい)


 心の奥底で、冷たい声が囁く。


(それが全て、あの二人を追い詰める力になるのだから)


 その夜、王都の酒場という酒場で、人々は口々に語り合った。


「リリアナなど、聖女でも何でもなかったんだ!」

「あの女のせいで、本物の聖女様を失った!」

「王も、ローゼンハイム公爵も、何を考えていたんだ!」


 民衆の怒りの矛先は、アルフォンスとリリアナ、そして私を追放した者たちへと向けられ始めていた。

 私は、窓からその様子を見下ろしながら、静かに微笑んだ。


(計画通り)

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