第2部 第9話
エピローグ
それから三ヶ月後。
春の訪れを告げる温かな風が、王都の大聖堂を吹き抜けていく。
今日は、私の戴冠式だった。
大聖堂は、満員だった。国中から集まった貴族、騎士、民衆代表、そして隣国からの使節たちがずらりと並んでいる。
かつて私を追放したこの場所が、今は私を祝福している。
私は、純白のドレスに身を包み、ゆっくりと大聖堂の中央通路を歩いていく。
ドレスの裾には、ローゼンハイム家の薔薇の紋章と、古代王家の王冠の紋章が刺繍されている。
通路の両脇には、アイスフェルト王国の竜騎士たちが整列し、剣を掲げて道を作っている。
その先頭には、オリヴァーが立っていた。
彼は黒銀の正装に身を包み、その蒼氷色の瞳で私を見つめている。
私が彼の前を通り過ぎると、彼は深く頭を下げた。
玉座の前には、元宰相が厳かな表情で立っている。彼の手には、古代王家の王冠が捧げ持たれていた。
私は、玉座の前で膝をつく。
「アウレリア・フォン・ローゼンハイム」
元宰相の声が、大聖堂に響き渡る。
「あなたは、王家の血と、聖女の力、そして民衆の信頼を持つ者として、この国の女王となることを誓いますか」
「誓います」
私の声は、明確だった。
「あなたは、この国の民を守り、正義を貫き、国を繁栄に導くことを誓いますか」
「誓います」
「あなたは、慈悲と峻厳、その両方を持って国を治めることを誓いますか」
「誓います」
元宰相は、王冠を私の頭に載せた。
それは、ずっしりと重かった。しかし、その重さは、もう恐れるものではなかった。
「ここに、アウレリア・フォン・ローゼンハイム様を、クライネルト王国第四十二代女王として、正式に戴冠したことを宣言いたします!」
「「「女王陛下万歳!!」」」
大聖堂全体が、歓声に包まれた。
人々は立ち上がり、拍手を送り、私の名を叫んだ。
私は、玉座から立ち上がり、民衆に向かって微笑んだ。
(やっと……やっと、ここまで来られた)
かつて、この場所で追放された私が、今は女王として立っている。
なんという、劇的な逆転だろう。
戴冠式の後、私は宰相と共にバルコニーに出た。
眼下には、王都の大通りを埋め尽くす、無数の民衆の姿があった。
「女王陛下!」
「アウレリア様!」
「我らが聖女女王!」
人々の歓声が、空に響き渡る。
私は、手を振って応えた。
すると、さらに大きな歓声が上がる。
その時、後ろから温かな手が、私の肩に触れた。
振り返ると、そこにはオリヴァーが立っていた。
「オリヴァー様」
「少し、話がある」
彼は、私を人目につかない小部屋へと導いた。
「どうされましたか?」
私が問うと、オリヴァーは真剣な表情で私を見つめた。
「アウレリア。いや、女王陛下」
「何でしょう」
「俺は、アイスフェルト国王陛下に謁見してきた」
オリヴァーの声は、いつになく緊張していた。
「そして、お願いをした。俺を、クライネルト王国に留まらせてほしいと」
私の心臓が、大きく跳ねた。
「それは……」
「陛下は、快く承諾してくださった。そして、こう言われた。『お前が心から望むなら、俺は祝福しよう』と」
オリヴァーは、私の前に片膝をついた。
「アウレリア。俺は、お前の王配となることを望む」
私の目から、涙が溢れた。
「オリヴァー様……」
「俺は、もうお前と離れることはできない。お前が民を救うなら、俺はお前を守る。お前が国を治めるなら、俺はお前を支える。それが、俺の誓いだ」
彼は、私の手を取った。
「俺と、結婚してくれ」
私は、涙を拭いながら頷いた。
「はい……はい、喜んで……!」
オリヴァーは、立ち上がり、私を強く抱きしめた。
「ありがとう……」
彼の声が、震えていた。
「お前を失うことだけは、絶対に許せなかった」
「私も、あなたを失いたくありません」
私は、彼の胸に顔をうずめた。
「ずっと、一緒にいてください」
「ああ。ずっと、一緒だ」
それから一年後。
王城の謁見の間では、アイスフェルト王国との同盟条約が正式に締結されていた。
「これにより、クライネルト王国とアイスフェルト王国は、永遠の友好と相互援助を誓います」
私が宣言すると、アイスフェルト国王が満足げに頷いた。
「我が国の騎士団長が、貴国の王配となった今、我々はもはや一つの家族です」
国王陛下の言葉に、謁見の間が温かな笑いに包まれた。
オリヴァーは、私の隣で少し照れたように頬を赤らめている。
彼は、私の王配として、常に私の隣に立ってくれていた。
国の再建も、順調に進んでいた。
アイスフェルト王国からの支援を受け、荒廃した農地を回復させ、疫病を根絶し、魔物の侵入を防ぐ新たな結界を張った。
私の聖女の力と、前世の薬学知識、そしてオリヴァーの軍事的才能が組み合わさり、国は急速に復興していった。
民衆との対話を重視し、重税を廃止し、誰もが医療を受けられる制度を整えた。
街には、再び活気が戻ってきた。
子供たちの笑い声が、王都に響いている。
◇
ある日、私は王城の庭園を歩いていた。
春の花々が咲き誇り、蝶が舞っている。
その時、一人の侍女が駆けてきた。
「陛下! お体の具合はいかがですか?」
「ええ、問題ありませんわ」
私は、微笑みながら自分のお腹に手を当てた。
そこには、小さな命が宿っていた。
「もうすぐ、王家に新しい命が誕生します」
侍女の言葉に、私は幸せな気持ちで頷いた。
オリヴァーは、その知らせを聞いたとき、嬉しさのあまり言葉を失っていた。
そして、私を優しく抱きしめて、何度も「ありがとう」と囁いた。
それから数ヶ月後。
王城に、新しい命が誕生した。
金色の髪と、蒼氷色の瞳を持つ、美しい女の子。
「リリア」
私は、娘にそう名付けた。
「えっ……リリア、ですか?」
侍女が、驚いた顔をする。
「ええ。過去の苦しみを乗り越え、新しい希望を象徴する名前です」
私は、娘を優しく抱きしめた。
「この子には、愛と希望に満ちた人生を歩んでほしいから」
オリヴァーは、娘を抱いて、涙を流していた。
「ありがとう、アウレリア。お前が俺に、こんな幸せをくれるなんて」
「私も、あなたに出会えて本当に良かった」
私たちは、娘を囲んで微笑み合った。
◇
そして、三年後。
王城の中庭では、小さな女の子が、黒竜のジルと楽しそうに遊んでいた。
「ジル、もっと高く!」
少女の金色の髪が、風になびく。その蒼氷色の瞳は、父親譲りだった。
「リリア、あまり高く飛びすぎてはダメよ」
私が注意すると、少女は「はーい」と元気よく返事をした。
隣では、オリヴァーが穏やかな笑みを浮かべている。
「まったく、君に似て冒険好きだな」
「あなたに似て、頑固なところもありますけれど」
私たちは、娘を見守りながら微笑み合った。
国は、今や完全に復興を遂げていた。
緑豊かな大地、笑顔で働く人々、活気に満ちた街。
これが、私たちが築き上げた、新しいクライネルト王国。
「陛下、オリヴァー様」
老執事のセバスチャンが近づいてきた。彼は父の死後、私の計らいで王城に仕えている。
「東の街に建設中だった医療学校が、ついに完成いたしました」
「本当ですか、セバスチャン!」
私の目が輝いた。
「はい。陛下が提案された、誰でも医術を学べる学校です。きっと、ローゼンハイム公爵様もお喜びでしょう」
セバスチャンの笑顔を見て、私も微笑んだ。
「ありがとうございます、セバスチャン。あなたの働きは、この国の宝です」
「もったいないお言葉にございます」
セバスチャンは、優しく私の肩に手を置いた。
「あなたは、本当に素晴らしい女王になられました。そして、素晴らしい母親にも」
「あなたが支えてくれるおかげですわ」
私たちは、互いに微笑み合った。
◇
その時、執事が一通の報告書を持ってきた。
「陛下、辺境からの報告です」
私は、その報告書に目を通した。
「アルフォンス・フォン・クライネルトが、辺境の地で病死したとのことです」
「……そうですか」
私は、静かに報告書を閉じた。
かつての婚約者。私を追放した男。
彼は、自分が選んだ道の終わりに辿り着いた。
「後悔は、ありませんか?」
オリヴァーが、静かに問う。
私は、首を横に振った。
「いいえ。彼は自分で選んだ道を歩んだだけです。それが、彼の人生でした」
「リリアナは?」
「鉱山で今も労働中という報告が来ています。健康状態は良好だそうです」
私は、窓の外を見つめた。
「彼女も、自分の罪を償っているのでしょう。それで、いいのです」
オリヴァーは、私の肩を抱いた。
「お前は、本当に強くなったな」
「あなたがいてくれたからです」
私は、彼の手を握った。
「もう、私は前だけを見ます。過去に囚われることなく」
その夜、王城のバルコニーから、私とオリヴァーは王都の夜景を見つめていた。
無数の灯りが、街を優しく照らしている。
「綺麗ですね」
「ああ。この景色を、お前と一緒に見られて幸せだ」
オリヴァーが、私を抱き寄せた。
「お前が追放された後、この国は絶望に沈んでいた。でも、今は違う」
「ええ。希望に満ちています」
私は、オリヴァーの胸に寄りかかった。
「あの日、森で死にかけていた私を、あなたが救ってくれた。あれから、全てが変わりました」
「俺も、お前に命を救われた。そして、お前と出会えて人生が変わった」
オリヴァーは、私の髪に顔をうずめた。
「お前は、俺の全てだ」
「私も、あなたが全てです」
二人で、しばらく寄り添っていた。
空では、ジルが満足そうに一声、鳴いた。
まるで、全てを祝福するかのように。
「オリヴァー様」
「ん?」
「ありがとうございます。私を、ここまで導いてくれて」
「礼を言うのは、俺の方だ。お前が、俺に生きる意味をくれた」
オリヴァーは、私の額に優しく口づけた。
「これからも、ずっと一緒だ」
「はい。ずっと、一緒に」
数日後、王城の謁見の間に、ある訪問者が訪れた。
かつて私を慕っていた侍女長と、元騎士だった。
「陛下……!」
二人は、私の前に跪き、涙を流した。
「こうして、再びお目にかかれるとは……」
「お二人とも、顔を上げてください」
私は、優しく微笑んだ。
「あなた方のおかげで、私はこの国に戻ることができました。そして、多くの命を救うことができました」
「もったいないお言葉です……」
侍女長が、涙を拭う。
「これからも、この国のために尽くしていただけますか?」
私の言葉に、二人は力強く頷いた。
「はい! に代えても、陛下をお守りいたします!」
「ありがとうございます」
私は、二人に手を差し伸べた。
かつて、私を守れなかったと自分を責めていた彼ら。
でも、彼らは私を捨てなかった。私を探し、私に助けを求めた。
それが、今の幸せに繋がっている。
「過去は過去です。これからは、一緒に未来を築きましょう」
その日の夕方、私は王城の庭園で、一人静かに花を見つめていた。
薔薇の花。ローゼンハイム家の象徴。
その花が、美しく咲き誇っている。
「綺麗だな」
背後から、オリヴァーの声がした。
「ええ。この薔薇は、私が幼い頃に救った花の子孫なんです」
私は、薔薇に優しく触れた。
「あの頃は、まだ自分の力が何なのか、わかっていませんでした。ただ、枯れゆく命を救いたいという、純粋な願いだけがありました」
「今も、その想いは変わらないのか?」
「はい。変わりません」
私は、オリヴァーを見上げた。
「私は、人を救うために生きています。前世でも、この世界でも。それが、私の使命です」
「そして、その使命を果たすために、女王になった」
「ええ。でも、女王になったことで、もっと多くの人を救えるようになりました」
私は、王城を見上げた。
「これが、私の選んだ道です」
オリヴァーは、私を抱きしめた。
「お前は、本当に素晴らしい。そんなお前を、俺は心から愛している」
「私も、あなたを愛しています」
私は、彼の胸に顔をうずめた。
「あなたがいてくれるから、私は強くいられます」
「俺も、お前がいてくれるから、生きていける」
二人で、夕日を見つめた。
赤く染まる空は、まるで新しい夜明けを予感させるようだった。
◇
それから七年後。
王城の大広間では、盛大な祝宴が開かれていた。
クライネルト王国建国三百年祭。
そして、アウレリア女王即位十周年記念。
大広間には、国中から、そして隣国から、多くの賓客が集まっていた。
「陛下、本当におめでとうございます」
アイスフェルト国王が、杯を掲げる。
「あの時、私は正しい選択をしました。あなたとオリヴァーを送り出して」
「陛下のご支援なくして、今の私はありません」
私は、深々と頭を下げた。
「これからも、両国の友好を、よろしくお願いいたします」
「無論です。我々は、もはや家族ですから」
国王陛下の言葉に、会場が温かな笑いに包まれた。
その時、大広間の扉が開き、二人の子供たちが駆け込んできた。
一人は、十歳になったリリア。もう一人は、七歳になった弟のアレクサンダー。
「お母様!」
「どうしたの、リリア?」
「ジルが庭にいるの! 弟と一緒に遊びたいって!」
娘の興奮した声に、私は微笑んだ。
「それは素敵ね。でも、お客様がいらっしゃるから、後でね」
「えー」
娘が少し不満そうに頬を膨らませる。
その時、バルコニーの外から、ジルの低い鳴き声が聞こえた。
「あら、ジルも祝ってくれているのね」
オリヴァーが、微笑みながら言った。
私たちは、バルコニーへと出た。
すると、夜空に大きな影が現れた。
ジル、そしてその仲間の竜たちが、ゆっくりと王城の周りを旋回している。月明かりに照らされたその姿は、威厳に満ちていて、それでいて優雅だった。
竜たちは、一斉に咆哮を上げた。
その声は、まるで祝福の歌のように、夜空に響き渡る。
「わあ……!」
人々が、歓声を上げる。
「すごいですね、お母様」
娘が、私の手を握る。
「ええ。ジルたちが、お祝いしてくれているのよ」
私は、娘の頭を撫たた。
隣では、オリヴァーが息子を肩に乗せている。
「父上、僕も竜に乗りたい!」
「もう少し大きくなったらな」
オリヴァーが、優しく笑う。
少し離れた場所では、すっかり白髪になったセバスチャンが、穏やかな笑みを浮かべて私たちを見守っていた。
(これが、私が掴み取った幸せ)
あの時の私に、今のこの幸せを教えてあげたい。
あの絶望の森で凍え死にかけていた私に、「大丈夫、必ず幸せになれるから」と伝えてあげたい。
「おめでとう、アウレリア。お前は、本当に幸せになったな」
私は、オリヴァーの手を握り、子供たちを抱きしめた。
「はい。私は、本当に幸せです」
夜空に、無数の星が輝いている。
その光は、まるで未来への道を照らすようだった。
私たちの物語は、まだまだ続く。
幸福と希望に満ちた、新しい物語が。
――完――
【あとがき】
追放された令嬢アウレリアの物語は、ここで一つの結末を迎えました。
第一部では、理不尽な追放から新天地での幸せへ。
第二部では、慈悲と復讐、そして女王への道へ。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
アウレリアとオリヴァー、そしてリリアたち家族の幸せな日々が、これからも続きますように。
そして、いつか彼女の娘リリアの物語も、語られることがあるかもしれません。
それでは、また別の物語で。




