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第2部 第6話

 ローゼンハイム公爵邸で父の葬儀が執り行われたのは、王都へ戻る前日のことだった。

 棺に眠る父の顔は、苦しみから解放されたかのように、ただ穏やかだった。

 私は黒い喪服に身を包み、棺の前に跪いて静かに手を合わせた。


「公爵様は、最期にアウレリア様をお守りになられました」


 傍らに立つ老執事セバスチャンが、涙を堪えながら言った。


「これこそが、公爵様がずっと望んでおられた、父親としての姿だったのかもしれませぬ」


 私は何も答えず、ただ静かに父の顔を見つめていた。


(お父様……あなたのしたことを、完全に許すことはできません)


(でも、最期に私を守ってくださったこと、それには……感謝しています)


 複雑な思いを胸に、私は立ち上がった。

 葬儀の後、セバスチャンから一冊の古い日記を手渡された。それは父が書斎の隠し金庫にしまっていたものだという。ページをめくると、そこには私を追放してからの父の後悔と、娘への変わらぬ愛情が、震える文字で綴られていた。

 私は、その日記を静かに閉じた。


(お父様、私があなたを許せたかどうか、わかりません)

(でも、あなたが最期に見せてくれた父としての愛は、決して忘れません)


 それだけで、十分だった。

 完全な和解ではない。でも、それでいい。

 私には、前を向くべき未来がある。そして、果たすべき復讐がある。


 王都に戻ると、私たちを待っていたのは、さらなる混乱だった。

 リリアナが、最後の賭けに出ていたのだ。

 私たちが不在の間に、王城から大量の金貨が民衆にばら撒かれ、扇動者たちが街中で叫び回っていた。


「アウレリアは魔女だ!」

「聖女を装って、国を乗っ取ろうとしている!」

「アイスフェルトの手先を、王都から追い出せ!」


 しかし、今回の扇動は、以前よりも悪質だった。

 金で雇われた暴徒たちが、私を支持する人々の家を襲撃し、火を放っていたのだ。

 中央広場に到着した私たちが見たのは、炎に包まれた建物と、混乱に陥った民衆の姿だった。


「アウレリア様!」


 私の治療を受けた老人が、血を流しながら駆け寄ってきた。


「暴徒たちが……私たちを襲撃して……!」

「誰が指示を?」

「わかりません……でも、みな王城の金貨を持っていました……!」


 私は、周囲を見渡した。

 広場には、松明を持った暴徒たちが溢れ、あちこちで建物に火が放たれている。悲鳴と怒号が入り混じり、まるで地獄絵図のようだった。

 アイスフェルトの騎士たちが、必死に民衆を守りながら、暴徒たちと対峙している。


「くそっ……!」


 オリヴァーが悪態をつく。


「リリアナの仕業ですね……最後の悪足掻きを」


 私の言葉に、オリヴァーは険しい顔で頷いた。

 その時、遠くから「聖女様を守れ!」という叫び声が聞こえた。見ると、私の治療を受けた人々が、暴徒たちに立ち向かっている。


「聖女様は魔女なんかじゃない!」

「俺たちの命を救ってくれたんだ!」

「嘘をつくな、誰に金をもらった!」


 民衆同士が衝突し、さらに混乱が広がっていく。


「このままでは、さらに犠牲者が……!」


 私が叫んだ瞬間、暴徒の一人が投げた松明が、近くの民家に飛んできた。その家からは、子供の泣き声が聞こえる。


「危ない!」


 オリヴァーが私を庇い、ジルが翼で炎を払った。しかし、火の粉は周囲に散り、複数の建物に燃え移り始めた。


「火を消せ! 水を持ってこい!」


 アイスフェルトの騎士たちが叫ぶ中、私は決意を固めた。


(もう、これ以上は許せない)


 私は、広場の中央に立った。


「オリヴァー! 民衆を、できるだけ広場の端に避難させて!」


「わかった! 全員、聖女様の指示に従え! 民衆を安全な場所へ!」


 オリヴァーの号令のもと、騎士たちが動き始める。

 私は両手を天に掲げ、目を閉じて祈りを捧げた。


(どうか、私の祈りよ、届いて)


 ポケットの中の王権の指輪が、輝き始めた。

 体の奥底から、温かな力が湧き上がってくる。それは、まるで春の日差しのように優しく、それでいて決して揺らがない、強固な意志を持った力だった。


 私の体から、眩い黄金色の光が放たれ始めた。

 それは波紋のように広がり、広場全体を包み込んでいく。光に触れた者たちは、まるで時が止まったかのように、動きを止めた。


「な、何だこれは……」

「体が……軽い……痛みが消えた……」

「この温かさは……」


 暴徒たちの手から、武器がぽろぽろと落ちていく。怒りに歪んでいた顔が、困惑の表情に変わる。

 聖女の力——それは、人の心の闇を照らし、正気を取り戻させる力。


「皆さん、目を覚ましてください!」


 私の声が、光と共に響き渡る。


「あなた方は、誰かに騙されているのです! 私は、この国を乗っ取ろうとするためにここへ来たのではありません! ただ、苦しむ人々を救いたい、その一心で戻ってきたのです!」


 光が、さらに強く輝く。その光に包まれた人々の目から、次々と正気の色が戻ってくる。


「俺は……何を……」

「そうだ、聖女様は……俺の息子を救ってくれた……」

「なぜ、俺は聖女様に刃を向けようとしていたんだ……!」


 暴徒たちが、次々と武器を捨て、地面に膝をついた。ある者は頭を抱え、ある者は泣き崩れる。


「ああ……俺は、なんてことを……」

「許してください、聖女様……!」


 その時、広場の一角で動揺が走った。


「あいつらだ! 金貨の入った袋を持って逃げようとしているぞ!」


 騎士の一人が叫ぶ。見ると、顔を布で隠した数人の男たちが、慌てて路地へと逃げ込もうとしていた。


「逃がすな!」


 オリヴァーが命じ、騎士たちが男たちを取り押さえた。布を剥ぎ取ると、そこには見覚えのない、傷だらけの荒くれ者たちの顔があった。


「て、てめえら、何しやがる! 俺たちは正当な……」


「正当な市民ではないようだな」


 オリヴァーが、男の腰から金貨の入った袋を引き抜いた。袋を開けると、中には王家の刻印が押された金貨が詰まっている。


「これは……王城から支払われた金か」


 オリヴァーの言葉に、周囲の民衆がざわめいた。


「やはり、扇動されていたのか……!」


「王城が、わざと暴動を起こさせたのか!」


 怒りの声が上がり始める。しかし、私はその怒りが再び暴力に変わることを恐れた。


「皆さん! お願いです、もう暴力は終わりにしましょう!」


 私の声に、人々が静まり返る。


「今、この国に必要なのは、怒りではありません。必要なのは、真実です。正義です。そして、それを明らかにする勇気です」


 私は、オリヴァーを見た。彼は頷き、捕らえた扇動者たちを引き立てる。


「これから、全ての真実を明らかにします。王城で何が起きていたのか。誰が、この国を滅亡の危機に陥れたのか。そして——」


 私の瞳が、冷たく光る。


「誰が、罰を受けるべきなのか」


 その時、遠くから馬蹄の音が響いてきた。王城の方角から、豪華な馬車が数台、護衛の兵士を従えてやってくる。

 馬車が広場に到着し、扉が開かれると、そこから降りてきたのは——アルフォンス国王と、リリアナだった。

 アルフォンスは蒼白な顔で広場を見回し、そして鎮圧された暴徒たちと、その中心に立つ私の姿を認めた。


「な……なぜ……こんなに早く鎮圧されて……」


 彼の隣で、リリアナも信じられないという顔をしている。

 私は、二人を冷たく見据えた。


「アルフォンス国王、リリアナ」


 私の声が、広場に響き渡る。


「よくぞ、いらっしゃいました。ちょうど良い。皆さんの前で、お二人に聞きたいことがあります」


「な、何を……」


「この暴動、お二人の仕業ですね」


 私の言葉に、広場がざわめく。


「な、何を言っている! これは民衆が自発的に……」


「では、これをどう説明されますか」


 オリヴァーが、金貨の袋と、捕らえられた扇動者たちを指し示す。


「こ、これは……」


 アルフォンスの顔から、さらに血の気が引いた。


 その時、広場の入り口から、白髪の老人が進み出てきた。かつて王城に仕えていた元宰相だった。


「陛下……」


 元宰相の声は、静かだが、確固たる意志に満ちていた。


「私は、もはや黙っているわけにはいきません」


「き、貴様……!」


「この暴動は、リリアナ様が画策し、陛下が承認されたものです。私は、その会議に同席させられました」


 元宰相の証言に、民衆がどよめく。


「それだけではありません」


 元宰相は、懐から一通の書類を取り出した。


「これは、王城の金庫から大量の金貨を引き出した記録です。その用途は『民衆扇動費用』と明記されています。そして、その承認者の署名は——」


 元宰相が書類を掲げる。


「アルフォンス国王と、リリアナ妃殿下のものです」

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