131.過去
夜、わたしは白澤のヴァジュラさんと二人きりで話してる。
湖の畔にて、わたしたちは倒木を椅子にして座っていた。
「エレソン様に……殺してくれって頼まれたですって……?」
「ああ」
ヴァジュラさんがうつむき加減に言う。
布面で素顔は見えずとも、彼女がとても辛いことを、打ち明けてくれてることがわかった。
多分、トラウマになってるのだろう。
そのときの出来事が。
そんな辛いことを、わたしに話そうと思ってくれた。
その勇気は、とてもすごい物だと感じた。
「エレソンは、人間じゃあない。魔族だった。半分だけ」
「前にそんなこと言ってたわね。半魔族だって」
「ああ……彼女はすごい力を持っていた。でも……一つ問題を抱えていた」
問題……?
「彼女は普通の人間と同じく、歳を取るんだよ」
「……でもそれって何も当たり前のことじゃあないかしら?」
「そうだね。当たり前だ。ところで、魔物は人より長生きなのは知ってるかい?」
「……いいえ、初耳だわ」
魔物は人間と同様、限りある命なのだわ。
でも……人間より長生きなのは初めて聞いた。
「高位の魔物であればあるほど、寿命は長くなる。マーテルやチャトゥラ、アニラが良い例だろう?」
……たしかに、エレソン様が生きていたいにしえの時代からずっと、彼らは生きてる。
高位の魔物は長生きだってのいうのは本当のことみたいだわ。
「エレソンは人間と同じくらいの寿命しかなかった。つまり……老いるのさ」
人である以上、老いることは当然のこと。
それのどこに問題が……。
あ。
そこで、わたしは一つのことに気づいてしまった。
「エレソン様の周りって……みんな……」
「そう、彼女の周りは魔物だけ。魔物たちはいつまでも変わらぬなかで、エレソンだけは老いていった」
彼女が何才で死んだのかわからない。
でも……周りが変わらないなか、自分だけが老いていくのは……とても、さみしかったんだと思う。
「エレソンは元々そんなに身体が丈夫じゃなかった。あるときから、自力じゃ立てなくなった。そのあたりから、彼女はあの地下室にこもるようになった」
……どうして、とは聞かなかった。
多分そんな弱い姿を、魔物のみんなに見せたくなかったのね。
エレソン様は優しい人だから。
弱い姿を見せれば、周りがきっと心配するって、そう思ったのだろう。
「引きこもったエレソンはどんどんと、しおれていった。物忘れも激しくなってきて……世話係の僕の顔を見て、一瞬名前が出なかったとき、彼女は泣きじゃくってたな」
……友達の名前を忘れちゃったことが、悲しかったのだろう。
人は死ぬし、老いれば記憶力が低下していく。
人として生まれた以上、どうしても、そうなってしまう。
「彼女はいつも言っていたよ。どうして自分は、魔物じゃあないんだろうって……」
ヴァジュラさんは平坦な口調でそういった。
多分、本当に辛いのだろう。感情を押し殺して、泣かないようにしてるのだ。
……わたしは彼女の手をぎゅっと握った。
少しでも辛い気持ちが和らげばと思って。
ヴァジュラさんは少し微笑んで、話を続けた。
「そんなある日……エレソンに異変が起きたんだ」
「異変……?」
「ああ、急に……エレソンが若返ったんだ」
……! そんなこと……ありえないわ。
人間は老いる。その変化は不可逆的なもののはず。
「エレソンは……見た目だけが若返っていたんだ。でもその代償として、彼女は呪われてしまった」
「どういうこと……?」
「……逢魔だよ」
……逢魔。
聞いたことのある、名前だわ。
サーティーンさん……ううん、今はマコラさんか。
彼にひどいことをした、魔王種がひとり。
「エレソンは、逢魔と契約したんだ。その血を大量に摂取することで、人間から魔物へと墜ちた」
「……人間の、魔物化?」
「そのとおり。こうして人間だったエレソンは……魔物になった。でも……暴走したんだ。……逢魔が仕組んだんだ」
つまり、エレソン様は逢魔の血を取り込んだことで、魔物になったけど、凶暴化した。
それは全部、逢魔の仕組んだことだった……と。
「どうして、そう言い切れるの?」
「……暴走するエレソンを、あいつは……見てやがったんだ。ニタニタと笑いながら……! そして言ったんだ。『実験は失敗か』って!」
……そういって、逢魔は消えて、暴走するエレソン様だけが残ったらしい。
ヴァジュラさんは必死に、エレソン様を止めようとした。
そして、一瞬だけ、エレソン様は意識を取り戻した。
「そのときに、頼まれたんだ。みんなを殺してしまう前に……自分を……」
そこまで言うヴァジュラの肩を、わたしは抱き寄せた。
あとは……わたしたちの知ってるとおりの、歴史をたどったのだろう。
エレソン様のために、ヴァジュラさんが彼女を殺した。
愛する友達たちを、エレソン様が殺してしまわないように。
「ヴァジュラさんにとって……エレソン様は大事な友達だったんだよね? ……事情はどうアレ、殺してしまったことを、今も……悔いてるのね?」
こくんこくん、とヴァジュラさんがうなずく。
……辛かっただろう。苦しかっただろう。
友達を殺して、ほかの友達からは裏切り者扱されて、森を追放されて……。
ひとりぼっちで、この世界をさ迷い歩いていたなんて。
「……ヴァジュラさん」
わたしは、彼女をぎゅっと、強く抱きしめる。
「よく……ひとりで頑張ったね」




