第八十九話 貴方に有ったのはきっと、心の怪我
公園で二人と別れた俺は一路自宅へ。桐生と二人で暮らすマンションの最寄り駅に降りた俺は、自宅までの道を歩く。
「……ただいま」
「お帰り。思ったより早かったわね?」
家に帰り着き玄関のドアを開けるとスリッパをパタパタと鳴らしながら桐生が出迎えてくれた。よっ、とばかりに手を挙げると、少しだけ驚いた表情を見せた後に桐生が小さく笑みを浮かべる。
「……少しだけ元気が出たかしら?」
「どうだろうな? 元気が出たって言うより、悩んでも仕方ないかって感じか?」
「あら? 投げやり?」
「そうじゃねーよ。とりあえず、俺に出来る事をやろうかって話」
「そう」
そう言って嬉しそうに笑って桐生は俺の分のスリッパを出してくれる。礼を言ってそのスリッパをはき、リビングに着いた俺はソファに腰を降ろした。
「それで? 何処に行ってたの?」
「あれ? 言って無かったっけ?」
「聞いて無いわよ。『ちょっと出て来る』としか」
コーヒーで良い? という桐生に礼を言って、俺はずるずるとソファに体を埋める。しばしその態勢のままで体と頭を休めていると、コーヒーの良い香りが漂って来た。
「ここ、置いておく? それともそっちに持って行った方が良いかしら?」
「あー……いいや、俺がそっちに行くわ」
ソファから体を起こして桐生の座るリビングのテーブルの前に腰を降ろす。『はい』と渡されたコーヒーに口を付けて一息。
「……それで? 何処で、何をしてたか教えてくれるの?」
「隠す事でもないけど……ちょっと後輩に呼ばれてな。昨日会っただろ? 瑞穂の同級生の藤原と……もう一人、有森って云うヤツ。今日、瑞穂のお見舞いに行ったらしい」
「……そう」
「そこで瑞穂、バスケ止めるって言ったらしくてな。それで、まあ……その相談だよ」
ズズズとコーヒーを啜る。そんな俺を見つめ、桐生は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「……仕方ないわね」
「……お前もそう思うか?」
「高校生に与えられた時間は三年間だけど、部活の時間は夏に引退と考えれば二年と少ししか無いわ」
「……まあな」
強豪校なら三年生はウインターカップという冬の全国大会まで残る事はままあるが……ウチのレベルじゃ夏のインターハイ予選、物凄く上手く行ってもインターハイ本番で引退だろう。
「川北さんの怪我は靭帯でしょ? リハビリして、練習に参加して……それで、ようやく試合に出れる頃には引退が近いんじゃない?」
「……だな」
「……私も経験がある訳じゃないけど……リハビリは辛いって聞くわ。肉体的にも勿論、精神的にも。そんな厳しいリハビリに耐えても、報われるものが無いなら……」
きっと、私も努力は出来ない、と。
「……努力至上主義のお前でもか」
「努力至上主義ってワケじゃないけど……でも、そうね。人より努力している自負はあるわ。でも、それは報われるって信じているからよ? 報われない努力は……そうね、とてもじゃないけど出来ないわ」
「……なるほどな」
「……軽蔑した? 実りが無いなら努力しないなんて考え方は……見返りが無いと頑張らない姿は」
「いんや。そんな事はねーよ。俺だって同じだ。でも……瑞穂は報われなくても努力するって言ってたんだよ。努力が裏切っても、それは努力を裏切る理由にならないって」
「……強いわね、川北さん」
「そうだな」
「……でも、そこまで強い川北さんでも、バスケを止めたいと、そう思ったんでしょう? それは……」
「そうなんだよな~」
瑞穂の場合、努力をし続けて来たから今の自分があると思っているフシがある。まあ、間違いでは無いが……だからこそ、努力が出来ない今の現状は随分参っているハズだ。
「……それで? その後輩さんはなんて? 止めるのを止めてくれ、って?」
「……いや。止めるなら止めても良いって。ウチの高校、実力は拮抗してるから、リハビリに耐えて試合に出れるまで回復してもレギュラーは難しいかもって」
「そうなの?」
「どうだろう? 瑞穂はあの中では上手い方じゃないかって思うが……まあ、チームメイトのアイツらが言うんなら間違いないんじゃないか?」
上手いのは上手いが、頭一つ抜けているという訳じゃ無いんだろう。身長の問題もあるし……なにより、怪我ってのは一遍やると癖になる。靭帯がどうかは知らんが、俺のチームにも脱臼癖がある奴も居たし。俺が監督なら、そんな爆弾抱えたヤツを試合で使いたいとは思わない。無茶苦茶上手いならともかく。
「……まあ、だから止めるか止めないかは瑞穂に任せるってさ。ただ、後悔のしない様に話をしてくれって云うのと……後は、止めた後のケアだな」
「ケア……ああ」
「経験者だしな、俺」
「そうね。ケアに関してはお手のモノじゃないの?」
「まあ、俺のは智美のお陰もあるけどな」
「それじゃ、鈴木さんみたいに付きっ切りで面倒を見てあげる?」
「……」
それは……なんかちょっと違う気もする。上手くは言えんが。
「いやなの?」
「イヤって言うか……まあ、最終的には瑞穂が決める事だからな。ただ……まあ、俺も止めて全然後悔して無いかって言うと……」
少しだけ、恥ずかしい。
「……まあ、やっぱり嘘になるんだよな。こないだの試合だって、興奮したし、バスケってやっぱ楽しいと……まあ、そう思うんだよ」
「……そう」
「勿論、俺と瑞穂のケースは違う。俺は勝手に逃げただけで、アイツは強制的に奪われるんだから、そりゃ、全然違うんだけど……それでもな?」
上手くは言えない。上手くは言えないが……
「……良いわよ。上手く言おうとしないで。なんとなく……本当になんとなくだけど、気持ちは分かるもの」
そう言って俺の手を優しく包む桐生。不意打ちのそれに、驚いた様に視線を桐生に向けるとそこには微笑みながら、それでも不満そうに頬を膨らます桐生の姿があった。
「……なに?」
「……貴方は別に逃げたワケじゃないわ」
「……逃げただろ?」
「逃げた訳じゃないわよ。貴方は確かに体の怪我はしていないかも知れない。でもね?」
きっと『心』の怪我は有ったのよ、と。
「……」
「だから、貴方は別に逃げたワケじゃないのよ。だから、そんな事言わないで?」
「……分かった。それと……ありがとう」
少しだけ照れ臭い。そう思い、そっぽを向く俺だが、それでも桐生が優しく微笑んだのは分かった。
「ふふふ。良いわよ。言ったでしょ? 私は貴方の味方だって」
「……言ったの俺だけどな?」
「良いの! ともかく、一人で考えないでも良いのよ? 困った事があったら、私にも相談して欲しい。何が出来るか分からないけど、私だって手伝うから」
「……さんきゅ」
……くそ。物凄く照れ臭いぞ、おい。でもまあ、そう言って貰えるのは――
――ん?
「……おい」
「なに?」
「あれ、なに?」
そう言って俺は机の上のそれに視線を固定する。
「あれ? あれって……ああ、あれ? なんか広報誌らしいわよ。私も気付かなかったんだけど、あんなの配ってるのね、この辺り」
桐生の話が右から左に抜ける。その広報誌の一面に載る、その記事に目を奪われて。
「……なあ、桐生?」
「なに?」
「お前……俺がアイデア閃いたって言ったら、付き合ってくれるか?」
「川北さんの件? そりゃ付き合うけど……どうしたのよ? なにか閃いたの?」
「……正直、どうなるかわかんねーけど……」
そう言って俺は机の上の広報誌を手に取って。
「……取り敢えず、明日の放課後ちょっと時間貰えるか?」
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