第七十三話 幕間。或いは東九条君と桐生さんの恋愛談義
「……ねえ」
「んあ?」
金曜日の夜。桐生特製ステーキ……桐生家からの差し入れである松坂牛に、桐生の得意技である『焼く』、有名ステーキ店お取り寄せソースに寄って作られたソレを堪能してお腹いっぱいになった俺がリビングのソファで寝転がっていると掛かる声がある。こんな時間に俺の――というか、俺らの家に居るのは桐生ぐらいなもんで、当然声の主は桐生である。
「どうした? なんかあったか?」
「いえ、なんかあったという訳ではないんだけど……」
そう言って少しだけ照れ臭そうに視線を逸らし、それでもチラチラとこちらを見やる桐生。なんだよ?
「……その、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「聞きたい事?」
「き、聞いても良い?」
「それだけ言い淀まられるとちょっと怖いけど……なんだよ?」
「その……東九条君、鈴木さんの事、好きだったのよね?」
「……なに? 傷口を抉るスタイル?」
「そ、そうじゃなくて! その……」
言い淀みながら……それでも、なんだかキラキラした瞳で。
「……東九条君の初恋っていつ?」
「……何言ってんの、お前?」
「そ、その! 今、この本を読み終わったんだけど!」
そう言って俺に本の背表紙を向けて見せる桐生。タイトルは――『この初恋は絶対に、実る』?
「……なにそれ?」
「初恋同士の幼馴染が、様々な苦難を乗り越えて結ばれる話なの。もう、凄い純愛ストーリーで!」
「……タイムリーと言うか、そうじゃないと言うべきか……好きだよな、純愛」
「大好き! もう、これが凄く良い話で! ずっと仲良しで育った幼馴染に色んな苦難が降りかかるんだけど、それを愛の力で乗り切るの! 最後は婚約をして……皆に心配されるのよね? 考えが甘いとか……でもね、でもね? 『俺達には愛があるから大丈夫! なんでも乗り越えられる!』って! もう、格好いいの!」
「……そうかい」
「……なによ? 不満?」
「いや……不満じゃないけど……」
なんだろう?
「『愛があるから大丈夫!』なんて自信満々に言い切るから、みんなに『考えが甘い』って心配されるんじゃね?」
「……」
「……」
「……これだから理系は」
「理系じゃねーよ! い、いや! でもな? よく考えて見ろよ? 愛があるから大丈夫なんだったら、恋愛結婚で結婚したら、離婚する夫婦なんて存在しないって事になんねーか?」
「……」
「それでも離婚する夫婦が居るって事は、愛が有っても大丈夫じゃなかったって事だろ?」
「……それは……まあ、そうだろうけど……でも、普通、そんな事言う? じゃあ、何があったら大丈夫なのよ!」
「そりゃ……お金とか、資格とかじゃね?」
「……ほんっとうに……貴方という人は! 貴方には人並みの感受性がないの!? そこは『良い話だね』で良いじゃない!! なによ、お金に資格って!!」
額に青筋を浮かべる桐生。い、いや、すまん! そう言う意味じゃなくて!
「と、ともかく! そ、それで? なんでそれが初恋の話になるんだよ?」
「はぁ、はぁ……コホン。そうね。ともかく、このお話で『初恋は絶対に実らない』って言われてるのよね?」
「あー……まあ、良く聞く話ではあるな」
初めての感情をどう扱って良いか分からず、そのまま暴走して想いを伝えて爆死、ってパターンが多いって聞く気はするが。
「それ見てちょっと気になって。東九条君の初恋っていつだったのかな~って。やっぱり鈴木さん?」
「……それを俺に聞くって、マジで傷口を抉った上に塩を塗るストロングスタイルだからな?」
「そ、そういうつもりじゃ無かったんだけど……」
でもまあ、確かに実ってはないが。暴走して智美に告白しようとして止められたからな。アレ、行ってたら確実に爆死のパターンだし。
「ただ……俺の場合、アレを初恋かって言われると若干違う気もするけど」
「…………へぇ」
「……いや、桐生さん? 声のトーンが低いんですけど?」
「そうかしら? それで? そんな惚れっぽい東九条君の初恋の相手は誰かしら? 言ってみなさい? なに? 賀茂さんとか言うんじゃないでしょうね?」
「……」
「……え? 本気で?」
「いや、その……」
……まあ、賀茂さんは賀茂さんなんだが……
「……凜さん」
「……誰?」
「賀茂凜さん。涼子のお母さん」
「……」
「……」
「……その……年が離れた女性が好きなの?」
「ちげーよ! その、好きって言うか……いや、まあ好きだったんだけど……なんだろう? 凜さんってスゲー楽しそうに仕事の話をしててな? 表情もコロコロ変わって……いっつも楽しそうで……優しかったから、涼子にいつも『涼子は良いな! 凜さんがお母さんで!』って言ってた記憶がある。美人だったしな、普通に」
まあ、その時は夫婦とかよく分からん子供だったからな。大きくなったら凜さんと結婚するって本気で思ってた気がする。
「……保育園の先生を好きになる感覚かしら?」
「あー……まあ、そうだな。それが近いかも知れん」
「……なるほど。それじゃ東九条君の初恋は実らなかったのね?」
「アレを初恋というのなら……まあ」
「そういえば貴方の好きなタイプ、大和撫子って言ってたもんね。賀茂さんのお母様なら、大和撫子みたいな人なのかしら?」
「よく覚えてんな。でも、違うぞ? 凜さん、大和撫子ってタイプではない」
「そうなの?」
「涼子と親子って言うより、智美と親子って言った方がみんなしっくり来ているって言えば、大体性格分かるか?」
「……ああ、なんとなく分かる。でも、それじゃなんで貴方のタイプは大和撫子なの?」
「なんでだろう? 小さい頃から……まあ、凜さんは別として大和撫子な子、タイプではあるんだよな」
「……悪かったわね。許嫁が悪役令嬢で」
「いや、別にそう言う意味じゃなくて!」
少しだけ拗ねた様な表情を見せる桐生に慌ててフォローを入れる。別にタイプってだけで、好きってワケじゃないし!
「それにホレ! その次、智美だぞ? 大和撫子からもっともかけ離れてるだろうが、アイツなんて!」
「それは鈴木さんに失礼な気もするけど……」
「……まあ、ともかく、好きになったらタイプなんて関係ないって事だよ」
「……そう」
「そうそう」
俺の言葉に、少しだけ『良かった』と言わんばかりの表情を浮かべる桐生。機嫌を直したか、ニコニコする桐生に俺も安堵の息を吐く。
「でも……なんで急にそんな事聞いて来たんだよ?」
「……」
俺の質問に、桐生は少しだけ言い淀み、視線を中空に向けて。
「……その、最近貴方、凄く……モテるでしょ?」
「……はい?」
「だ、だって! 賀茂さんと鈴木さんに告白されたんでしょ?」
「いや……まあ」
「それに、タイプは大和撫子って言ってたし……さっきも言ったけど、私はそのタイプから凄くかけ離れてるから……だから……その……」
今まで貴方が愛した子は、どんな子なのか。
「その……凄く、気になって」
「……」
「……タイプじゃない私が許嫁なら、どんな子が出てきたら靡くのかな~って」
「……靡くって」
いや、そんな事はないぞ?
「……さっきも言ったけど、好きになった子がタイプだから。大和撫子に漠然とした憧れはあったけど……そんなの関係ないさ」
少しだけしょんぼりと俯く桐生の頭をポンポンと撫でる。俺の行動にびっくりした様に顔を上げ、その後、桐生は頬を緩めて頭に置かれた俺の右手に自身の両手を重ねた。
「……貴方に撫でて貰うの、好き」
「……そうかい」
「……誰かにこれを盗られるのは……ちょっと、イヤかも」
「……しねーよ」
「私以外に?」
「……ああ」
「……ふふふ! ありがとう! 凄く……嬉しい」
そう言ってにこやかに微笑む桐生。そんな桐生に、俺も頬を緩ませて。
「……そう言えばお前の初恋っていつだったんだ?」
……あれ? 固まった?
「……」
「……あれ? もしかして、初恋、まだ?」
「いや……そういう訳じゃないけど……」
「?」
「……ま、まあ、良いじゃない、私の初恋の話は」
「……俺の話は散々聞いておいて、それはズルくね?」
「ず、ズルいかもしれないけど……い、いいの! 私のは別に! だ、だって……は、恥ずかしいし!」
「いや、俺だって恥ずかしかったんだが……」
結構な黒歴史だぞ? 未だに凜さんには『そういえば浩之、昔は私と結婚するとか言ってたのにな~』とか弄られるし。
「そ、そういう意味じゃないの! 私のは……そ、その……ともかく! もう良いでしょ!」
「ええー……」
すげー理不尽な気がするんですが。
「それに……大丈夫よ!」
「……なにが?」
「私が仇を取ってあげるから!」
「仇?」
「東九条君の初恋は実らなかったかもしれないけど……私が仇を取ってあげるわ!」
「……なんの話?」
「だ、だから、わ、私の初恋は……その……か、必ず……ああ、もう! 良い! 寝る! お休み!」
わちゃわちゃと手を振って、部屋を後にする桐生。そんな桐生の背中をぼんやり見送って。
「……なに慌ててんの、アイツ?」
ため息一つ。
俺は一人ソファに寝そべってテレビに視線を向けた。




