第四十九話 疲れ切った東九条君に許嫁のご褒美を!
桐生さん分が足りない。
「……はぁ」
『また呼んでね?』とにっこりと笑顔を浮かべて涼子が帰った夜。なんだか色んな事が大挙して押し寄せた気がしてすっかり疲れ切った俺は、リビングのソファに座ってゆるゆると息を吐く。なんというか、物凄く疲れたぞ、おい。
「……東九条君?」
ガチャリと音を立ててリビングのドアが開く。視線をそちらに向けると、風呂上がりで濡れた髪をバスタオルで拭きながらこちらに歩いてくる桐生の姿が目に入り、俺は軽く片手をあげる。
「お風呂、お先に頂きました」
「ん……んじゃ、俺も入るかな~」
そう言いながら動く気が起きない。そんな俺に少しだけ苦笑を浮かべて、桐生は声を出した。
「まだ入る気ないの? それじゃ、コーヒーでも淹れましょうか?」
「……夜だぞ? 眠れなくならないか?」
「いいじゃない。今日は土曜日だし、明日は休みだもの。たまには夜更かししましょ?」
ね? と可愛らしく首を傾げる桐生に首を縦に振る。と、『やった』と少しだけ嬉しそうにその場で小さく飛び跳ねて、桐生はキッチンに向かう。待つことしばし、コーヒーを二杯淹れて俺の目の前に一つコップを置くと、そのまま俺の隣に腰を降ろした。
「……近くね?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど……シャンプーの良い香りがする」
「……なんかそれは変態っぽくてイヤ」
……うん、今のは俺もそう思った。そう思ったから、両手で体を抱いて後ずさるのやめて! 心が折れるから!
「……悪かった。悪かったから、そんな目で見るのはやめろ下さい」
「……もう。しかたないわね」
そう言って心持こちらに身を寄せる桐生。そうして、コーヒーカップに口を付けてコーヒーを一口。
「……お疲れ様だったわね、今日は」
「……あー……まあな。疲れたのは疲れた」
ふぅと口からため息が漏れる。そんな俺に苦笑を浮かべ、桐生は口を開いた。
「……どう? アレだけ愛されている気持ちは?」
「……まあ、嫌われているよりはマシだよ」
「あら? 随分と余裕の発言じゃないの。アレだけ……そうね、深い愛だったのに」
「……有り難い話ではあるが」
「イヤだった、と?」
「や、全然そうじゃないよ。イヤではない」
「へー……男の人って……その、『情』があまりにも深いと引くって聞くけど?」
「色々言葉を選んでくれてありがとよ」
でもまあ、確かに。そういう意見もあるし、俺自身もそれに関しちゃ賛成派だったんだが。
「……お前の前で言うのも若干どうかと思うが」
「良いわよ。話を振ったのは私だし」
「……正直、あそこまで言われてちょっと嬉しかった。智美も好きだったけど、別に涼子の事が嫌いだったワケじゃないし……ええっと……最低な事、言っても良いか?」
「どうぞ」
「……ぶっちゃけ、『あの時』の俺の精神状態で、優しくしてくれたのが涼子だったらきっと、俺は涼子の事を好きになってたと思う」
「堂々と二股宣言?」
「そう言われると辛いんだが……」
どっちでもいい、と言うと語弊があるかも知れないが、多分それが一番近いだろう。そもそも、選択肢なんてあの二人しか無かったんだから。
「……最低とは思わないわよ。それだけ、あの二人が大事って事でしょ?」
「まあな」
「……もしかしたら、賀茂さんはそれを見越して貴方に優しくしなかったのかも知れないわね」
「……どういう事?」
「だって貴方、鈴木さんの事を好きになって賀茂さんに相談したんでしょ?」
「……はい」
「なら、賀茂さんの事を好きになったらきっと、鈴木さんに相談したと思うもの」
「……全然有り得るな、それ」
正直、想像もしたくないが。今日の涼子の感じじゃ、修羅場の未来しか見えん。
「だから、賀茂さんは貴方に敢えて優しくしなかったのじゃないかしら? 今日の賀茂さんを見る限り……きっと、それぐらいの想像はしてそうだもの、賀茂さん」
「でも俺、殴られたぞ? 涼子がそこまで考えてたんなら、殴らないんじゃね?」
「それは相談した事に対して怒ったんでしょ? なんてデリカシーが無いんだって」
「……まあ、そうかもな」
「貴方が賀茂さんを好きになったとして、貴方、それを鈴木さんに隠し通せると思う?」
「……思わない」
今……はちょっとアレだけど、ついこないだまで殆ど毎日一緒に居たし、絶対直ぐにバレると思う。そもそも、そんなに隠し事得意じゃないし、俺。
「だから……賀茂さんはそこまで見越したんじゃないかしら。だから、貴方に優しくしなかった……違うか。分かりやすい優しさを見せなかった」
「……手のひらで踊らされてるな、俺」
「そうね。あの人、見掛けに寄らず『強い』のね」
「……だろ?」
「そして……想像以上に鈴木さんは『弱い』のかしら?」
「弱いって言うと語弊があるが……まあ、情が厚いヤツではある」
「……そうね」
コーヒーカップにもう一口、口を付けると桐生はカップをテーブルに置いて。
「ききききき桐生!?」
そのまま、俺の側まで近寄ると、コツンと俺の肩に頭を乗せた。
「ちょ、おまえ! な、なにを――」
「――ちょっとだけ、ヤケた」
「――……」
「私は所詮……その、親が決めた許嫁よ? でも、今では貴方の事を……そうね、大事に思っているわ」
「……俺もだよ、それは」
ありがと、と小さく微笑んで。
「だから……平気な顔をしてたけどね? 賀茂さんが貴方の事、本当に大好きなんだって分かって、そんな貴方が鈴木さんを良いなって思ってた事を知って……もし、貴方がそのどちらかとお付き合いする事になったら、私から離れて行くのかな? って、そう思うとね?」
寂しくなっちゃった、と。
「……」
「……なーんてね。冗談よ? アレよ、アレ。子供がおもちゃを盗られてダダこねるみたいなものよ」
独占欲強いのよ、私、と自嘲気味に薄く笑い。
「――あ」
笑っているのに、なんだかその目がちょっとだけ、泣きだしそうに見えて俺は桐生の頭にそっと手を乗せる。
「……その……なんだ? 別に今、涼子とか智美の事が好き……は好きだが、付き合いたい……と、思わないと言うと嘘になるが……」
「……なにが言いたいのよ?」
「……なにが言いたいんだろう、俺?」
俺、格好悪い。
「でも……たとえ、親が決めた許嫁だとしてもだな? 俺はお前の事を大事に思ってるし……その、なんだ? お前を置いて……という言い方が正しいかどうかは分からんのだが、ともかく! 俺の、俺だけの都合で」
――離れて行くことは、無いから。
「……うん」
「その……それだけは絶対だから」
「……うん、うん」
「……まあ……ええっと……そ、そういうこと!」
俺の言葉に、花が咲く様な笑顔を見せて。
「あのね、あのね……嬉しいよ、東九条君」
「……」
「……」
頬を上気させたまま、猫が匂いをつけるよう、俺の肩に頭をすりすりと擦り付ける桐生。いや、嬉しいんだよ? 嬉しいんだけど!
「お、俺! 風呂に入って来る!」
辛抱たまらん。そう思い、俺は椅子から立ち上がろうとして。
「ダメ」
その腕を、ぎゅっと掴まれる。
「き、桐生?」
「……今だけは」
今だけは、もう少しこのままで、と。
「……コーヒー飲み終わるまでな」
「うん……それでいい」
……コーヒー、ゆっくり飲むか。
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