えくすとら! その二百二 幼馴染の罠と可哀想な悪役令嬢
「ただいま~」
「ただいま帰りました」
二人で家に帰り、お互いに挨拶をしたことに顔を見合わせ少しだけ苦笑を浮かべる俺ら。なんか変な感じだな~と思いながら靴を脱ごうとしていると、不意に桐生が後ろからぎゅっと抱き着いて来た。へ?
「……へ? え? き、桐生? 桐生さん? 何をしてらっしゃるのでしょうか?」
「……ひがしくじょー成分の補給」
「ひ、ひがしくじょー成分?」
なに、その頭悪そうな成分。そう思い、首だけ捻った状態の俺に桐生は上目遣いを向けてくる。
「その……さっきぃ」
「さっき?」
「さっきの、その……す、凄く嬉しかったから……」
さっきのって……
「一粒で無茶苦茶美味しいってやつか?」
「うん。あ、あのね、あのね? あれ言われて……こう、心の中がふわぁとしたって云うか……ひ、浩之の彼女で、本当に幸せだな~って」
「……彩音」
「本当は、あの時も直ぐに『ぎゅ』ってしたかったんだよ? でもね、でもね? 流石にお外じゃ恥ずかしいから、ずっと我慢してて」
「あ、彩音! ちょ、ちょっと――」
上目遣いで――潤んだ、瞳で。
「……もう、此処まで来たら我慢しなくて良いって、そう思ったら……た、堪らなくなって。早く浩之をぎゅってしたいって、早く浩之にぎゅってして貰いたいって……」
「ストップ、彩音! そ、それ以上は――」
頬を赤らめ、それでも何かを期待する様な顔で。
「――一粒で、無茶苦茶美味しいんでしょ? それじゃ……味見、してみてくれないかなぁ」
そう言って潤んだ瞳をそっと閉じる桐生。可愛い、愛しい彼女。そんな彼女に此処まで言われて、此処までされて、何にも感じないのは正常な男じゃないよね、うん! それが桐生の――彩音の望みなら、叶えて上げるのが彼氏の役目だ。
……役目、なんだけどな~。
「うわぁ……聞いた、涼子? 彩音のあのセリフ。『あじみぃ~、してくれないかなぁ~』だってさ! なにさ、味見って! 唇にぶちゅってしろって意味?」
「と、智美ちゃん! だ、ダメだよ! 覗き見は! ほら、早く帰るよ!!」
「……そんな事言いながら涼子先輩、がっつり見てません? 両手で顔を覆っていますけど、目の所、隙間がありますよ?」
「あら? 瑞穂さんはそんなこと言って興味ないのですか? 『あの』桐生彩音様の完全なメス顔ですよ? 私は可愛らしい令嬢としか思っていませんが、彩音様の学校での評判は『悪役令嬢』なのでしょう?」
「そりゃ、私も興味がある……というより、ちょっと脳みそバグってますかね? 誰ですか、あの変態みたいな迫り方を浩之先輩にしている人」
「み、瑞穂ちゃん! 変態みたいとか言っちゃ駄目! その……ち、痴女とか、言い方あるじゃん!」
「それも言い方に問題がある件。あ、分かった! あれ、彩音の偽物だ! 返せ! 色ボケてない、綺麗な悪役令嬢の桐生彩音を返せ!」
往年の公共放送で流れただんごの兄弟の様に、串にささった状態でドアの隙間から顔を覗かせる幼馴染四人組。ちなみに順番は智美、明美、涼子、瑞穂だ。完全に背の順なんだろう。
「……何してんだよ、お前ら」
俺の方に顎を上げた状態で『ピシリ』と固まってしまった彩音――桐生を背中に隠すように後ろに回し、即席だんご四姉妹にジト目を向ける。そんな俺の視線に、だんご四姉妹の三女、涼子が慌てた様に口を開いた。
「こ、これは違うんだよ、浩之ちゃん! ほ、ほら! ちょっと買い物に行こうとしてたんだよ! 今日もお泊り会だし、お菓子でも買ってこようかって!」
「……それがなんで人様の家を覗き見することになるんだよ?」
ジト目を向ける俺に、今度は明美が口を開く。
「ちょっとしたドッキリです。浩之さんと彩音様が帰って来られたので、皆で隠れて脅かそうかなと思ったんですよ。鍵を掛ける音もしなかったですし、後ろから『わっ!』と」
「子供か。つうかだな? 幾ら鍵が開いてるからって勝手に――」
「なに言ってんのよ、ヒロ。今更でしょうが」
「――確かに」
『おーす、ヒロ。漫画読ませて~』とか『浩之ちゃん、お菓子作ったから食べよう~』とか『浩之先輩! バスケ行きましょう!』とかこいつら勝手に俺の実家に上がり込んでたし。まあ、親父もお袋もこの幼馴染ズなら『あら、来てたのね?』『涼子ちゃん、おじさんの分もあるかな~?』くらいで済ますから良いっちゃ良いんだけど。
……明美? 明美は流石に物理的に気軽に来ることはなかったけど……でもまあ、こいつは俺の家に泊まったら必ず毎朝、俺を起こしに来るからな。昔は『暇なやっちゃな~』と思っていたけど……今は絶対、鍵かけて寝るぞ、流石に。
「というかですね、浩之先輩? ちょっとした可愛いイタズラしようとしてたのに、気付いたら濃厚な濡れ場見せられた私たちのこの感情、ちょっとどうにかして貰えません? っていうか、何考えてんですか、彩音先輩も。普通、鍵も掛けずにいきなりあんなのぶっ放しますかね? もうちょっと危機意識、必要ですよ? 幾らこのフロアが明美ちゃんとお二人しか住んでいないとはいえ……もうちょっと、危機意識を感じても良いんじゃないですかね?」
瑞穂の正論と言えば正論――いや、『勝手に覗いてたお前が言うな』ではあるのだが、その正論に、石化していた桐生がピクリと動いて。
「……で」
「……」
「――なんで! 気付いてたら言ってくれてもいいじゃない!! もう、恥ずかしすぎるじゃないの、こんなの!?」
潤んだ瞳を涙目に変えて、桐生が俺の胸をポカポカと叩く。いや~……言おうとしてたんだよ? ストップ、とか、それ以上はとか言ってたんだけど……
「――まあ、完全に彩音様の暴走ですね。浩之さん、私達に気付いて止めてたのに……発情してたんですか?」
「……それはお嬢様の言葉じゃないし、桐生にキくからやめろください」
見て見ろ。桐生、顔を抑えてしゃがみこんじゃったじゃないか。人の心とかないんか、お前には。




