えくすとら! その九十九 あんぽんたんな御曹司
「ちょ、バカ! 何してんだよ、お前!!」
英知院の胸倉を掴み上げて右手の拳を握り込む茜に慌てて俺は物陰から飛び出して、茜を後ろから羽交い絞めをする。何考えてるんだ、お前!
「……おにぃ? え? なんで――って、明美ちゃんに彩音さん……と、あん? 北大路も? なんで?」
俺の後に続く様にわらわらと登場した明美、桐生、北大路に視線を飛ばして呆然と言葉を漏らす茜。体の力が一瞬、緩んだ事で慌てて茜を引き離そうとして。
「くぺぇ!」
あ、やば! 茜がネクタイ捻り上げてたから英知院の首が絞まっちゃった! 英知院の顔が土気色に変わる事に気付いた桐生が慌てて茜の手を英知院のネクタイから引き離す。
「けほ、けほっ! げほぉ!」
ようやく気道を確保した英知院が失った酸素を取り込もうと激しくせき込む。そんな英知院に、桐生が慌てた様に声を掛けた。
「お、お怪我はありませんか、英知院様! その、私の連れが失礼しました!!」
「けほ……え、ええっと……けほ……君は……」
「……ご無沙汰しています、えいちい――」
「ボクのファンか何かかな!」
「――んさ……はい?」
「はっははは! そうか、そうか! 君はアレだろう? ボクの様なイケメンを何処かのパーティーで見かけて、ずっとボクの事を想っていてくれたのかな? いや、ありがとう、綺麗なレディ。初対面の貴方にこの様な事を言うのもなんだけど、どうだろう? 連絡先の交換でも――」
「……覚えてないんですか?」
「――ん? どこかのパーティーで逢った事が有ったかな? いや、申し訳ない! なんせボクはたくさんの綺麗な女性にモテモテだからね! 沢山の浮名も流して来たし……ああでも、心配しないで? もう君の顔は忘れないよ? こんなに美しい女性、忘れる筈がないからね!」
親指を立てて歯をきらりと輝かせる英知院。そんな英知院からギギギと油の切れたブリキ人形の様な動きで首ごと視線を逸らして桐生はこちらに視線を向けて。
「――ねえ、東九条君? この人、ぶっても良いかな?」
「……やめて。バイオレンス二人は無理」
……まあ、気持ちは分からんでも無いが。別に桐生だって英知院に覚えて貰っても嬉しくもなんでも無いだろうが、さりとて手の甲にキスして口説いた相手をまるっと記憶から消されていたら、そら面白くは無いだろうし。
「取り敢えず桐生はこっちに……ああ、拳を握りしめない!」
桐生を庇う様に背中の後ろに回し、俺は英知院と対面する。うん、なんとなくコイツとは会話したくない気もするが……そうも言ってられんだろう。
「……その、英知院さん、ですよね?」
「うん? ボクは英知院だが……君は……?」
「申し遅れました。俺……じゃなくて僕は――」
「ボクのファンかな!?」
「――ちげーよ」
あかん、素が出た。
「そうなのかい? いや、ボクの魅力からかたまに男性の方にも声を掛けられるからね! それは申し訳無かった。では、一体誰なんだい?」
「その……妹がご迷惑をお掛けしました。僕は先ほど、その……貴方の胸倉を掴み上げてた東九条茜の兄で、東九条浩之と申します」
腰を折って頭を下げる俺。そんな俺に少しばかり驚いた様な表情を見せた後、英知院はポツリと。
「東九条……浩之……」
「はい」
「……」
「……」
頭を上げた俺と、英知院の視線があう。なんとなく、居心地が悪い空気を感じていると、英知院の口が静かに開かれて。
「……『お義兄さん』と、お呼びしても良いかな? ボクの愛しい茜さんの兄君」
「いいわけねーだろう!」
何言ってんだ、コイツ!? つうかだな!
「っていうかアンタ今、茜に思いっきり胸倉掴み上げられていたよな!? なんで? そこでなんで『ボクの愛しい』なんて単語が飛びだすの!? 可笑しくないか!?」
いや、そもそもいくつ年が離れているんだとか言いたいことは腐る程あるんだが! それ以上になんかもう、どういう化学変化で『そう』なるのかがさっぱり分からないんだが!
「胸倉を掴まれた? はっははは! あんなもの、元気があって宜しいではないですか、お義兄さん」
「お義兄さんって言うな!」
「いや、ほら? ボクって見た目通りにイケメンだろう? 大体の女の子はボクが甘い言葉を囁くと『コロッ』と行くんだけどね? 靡かず、胸倉を掴み上げられる行為は初めてだよ!」
興奮した表情でそういう英知院。いや、色々言いたいことはあるんだけど……
「……頬に一発貰ったってタレコミもあるんだけど?」
「頬に一発? あったかな、そんな事?」
心底不思議そうに首を捻る英知院……と、額に青筋を浮かべる桐生。し、静まりたまえ!!
「……まあ、ボクは過去を見ない主義なのさ! この英知院麗次、未来にのみ生きる人間だからね! はーっははは!!」
……ああ、なるほど。コイツ、都合が悪い事は忘れるタイプね。幸せな性格してんな~、こいつ。
「まあ、それは良いじゃないか。それよりお義兄さん。式の日取りは何時に致しましょうか?」
「だからお義兄さんじゃねーよ! つうかそもそも、アンタと茜、いくつ年が離れてると思ってんだよ!!」
「真実の愛の前に年の差なんて些細な事さ!」
いや、そりゃそうかも知れんが! 俺だって別に、茜が良いって言うなら……ああ、うん。無茶苦茶反対はする気がするが……まあ、認めるのは吝かでは無かったりするよ? コイツ、変な奴だし身内には絶対なって欲しくないタイプだけど!
「……絶対に嫌。政略結婚でコイツと結婚するぐらいなら、桂川でコンクリのブーツで水泳大会をする」
そんな英知院の言葉に、英知院を睨み付けながら茜が絞り出すように声を出す。
「……こう言ってるけど?」
「照れてるだけですよ、お義兄さん」
「あんた、本当にポジティブだな!」
ある意味すげーよ! 別に痺れも憧れもしねーけど!
「……っていうか、茜はなんで英知院さんの胸倉掴み上げてたんだよ?」
なんか色々あってすっかり忘れてたけど……そもそも、なんでコイツ英知院の胸倉掴み上げてたんだよ? そんな俺の言葉に、茜は親の仇を見る様な目で英知院を睨み。
「……こいつが……秀明を馬鹿にしたから」




