14話
薬師塔は三階建て構造の建物で、以前は三階を物置として使っていた。子供たちが生まれてから三階にある二部屋のうち一部屋が子供部屋、もう一部屋が本や道具をしまう物置きとしてきたのだが、子供たちも成長してきたし、ライルの部屋を作るためにこの物置きを片付けることにした。
新しく薬師塔の外に倉庫が建設されたため、そちらに物を移動する。人が増えて手狭だろう、というカイオスの計らいである。非常にありがたい。
大多数は薬に関する本であり、重たいので少しずつ運ぶしかない。家族全員でそれぞれ持てるだけ持ってせっせと移動させている。
そんな作業の中、数冊重ねた分厚い本を持ち上げた時、バランスを崩して一番上の本を落としてしまった私は小さく声を漏らした。
「あっ……」
「シルルさん、大丈夫?」
「大丈夫です……あれ?」
落としたのは鍵付きの本であり、その鍵がないために開けられないでいたものだ。しかし父の遺品であったので、中身を見られないにしても捨てられずに残していた。それが落とした拍子に鍵が壊れ、開いていたのである。
私の声に反応したエクトルが少し心配しながらこちらにやってきたので「心配ない」という意味を込めて頷き、持ち上げていた本を一度降ろした。
「これ、ずっと開かなかった本なんですが……」
鍵付きの本を拾い上げ中身をぱらりと確認した。秘伝のレシピでも隠されているのかと思っていたけれど、これはそういう類の物ではなかったらしい。……懐かしい、父の筆跡がそこにある。
(…………これは、日記だ。……お父さんの日記……)
故人とはいえ日記を読んでしまうことに罪悪感を覚え、閉じようとしたけれど、その前に開いているページの一文が目に飛び込んできてしまった。
『今日も姉を探しに森へ向かったが、何一つ痕跡が見つからなかった』というもの。父に姉が――私に伯母がいたなんて話は聞いたことがない。
「どうかした?」
「……いえ……少し気になることが書いてあって……でも、引っ越し作業が先ですね。終わってからまた話します」
「……うん、分かった。じゃあさっさと片付けてしまおう。シルルさん、ここに載っけてくれる? それならもっと運べるから」
すでにかなりの冊数を抱えていたエクトルだが、その上にさらに本を載せても軽々と運んでいった。途中ですれ違ったらしい子供たちの「お父さん力持ちだね」「僕だってもっと運べます」というような声が聞こえてくる。
子供は純粋で、とても心や思考が柔らかい。だからこそ「子供には言えない」情報もある。受け止めきれなかったり、大人になった時に歪みとなってしまったりする可能性があるからだ。
(……私がまだ小さかったから話せないことがあったのかもしれない)
もしかすると父が伝えようと思っていた言葉がそこに残っている可能性がある。
私は一度その日記を置き、夫や子供たちにばかり任せてられないと他の荷物を駆け足で運んだ。
ひとまずすべての物を倉庫に運び終え、部屋を空にして掃除をした。あとは二人で一緒に使っている子供部屋からライルの家具を運びだして部屋を整えれば終わりだが、姉離れをしたくないライルが今日まで同じ部屋で寝たいというので、それは翌日以降の作業に持ち越すこととなった。
さすがに今日は疲れたのか、夕食を終えると子供たちはすぐに部屋に戻っていき、静かにしているためもう休んでいるのだろう。
私とエクトルは一階の食卓でゆっくりお茶を飲んで休憩だ。……卓上には、例の日記を持ってきている。
「そういえば気になることが書いてあるって言ってたね、それ。何の本なんだい?」
「はい。……これは父の日記です」
「そっか……じゃあ、それを読んでいいのはシルルさんだけだね」
「そう、ですね。……罪悪感はありますが……知った方がいい気がするので、父には謝りながらちょっと読ませてもらおうと思います」
父の日記を捲る。この日記は、私が生まれた港町サムドラで暮らし始めてから書かれるようになったものらしい。
そもそも何故そこに、母と共に暮らし始めたのかという理由が一ページ目にあった。……森の中で行方不明になった姉を探すため、だと。
元々は"魔法使い"の姉と二人で、危険な魔法薬を回収しながら旅をしていた。そのうちの一つが、以前ユレルミという詐欺師が王城を騒がせたあの「催眠香」である。
我が家にもこの薬は残っていたし、それは魔法使いが生まれるまで代々保管していたと聞かされていた。しかし実際は、それは回収後に姉が行方不明になったために処分できず、家に残っていたものであると書かれている。
(考えてみればお父さんは……先祖からの言い伝えだけにしてはかなり魔法使いに詳しかった。……魔法使いの姉がいたから、それを見てきたから詳しかったのか)
色々と腑に落ちた。……そして魔法使いがいなければ生まれるはずのない魔物が、近年あの付近に現れた理由も察する。
(魔法使いを食べた獣は魔物になる。……伯母を食べた獣が、魔物になったんだ)
そしてその魔物はエクトルを襲い、彼は利き手に魔障を負った。それを私が治して、エクトル達騎士団が魔物を討伐した。……これを、因果と呼ばずしてなんと呼ぼう。なるべくしてなった、起こるべくして起きた出来事だったのだ。
「シルルさん、大丈夫? ……少し、暗い顔をしてる。悪いことが書いてあった?」
「大丈夫です。……エクトルさん、貴方を襲い、そして倒された魔物は……私の伯母を食べた物のようです。魔法使いを食べた獣が、魔物になりますから」
エクトルの頭上に驚きの色が伸びる。そして心配そうに水色の線も伸びていった。
「君の伯母は被害者だ。……自分を責めてない?」
「そう、ですね。……けれどエクトルさんの右手の責任は、少なからず私の親族にもあった。だから……私が治すことができて、本当に良かったと思っています」
「……俺はそれも君の責任だとは思わない。君に未来が見えたとしても、君が魔法使いだとしても、自分以外のすべてに君が責任を負うことはない。俺は君に出会えて、君に傷を治してもらって感謝しているし、その恩は一生変わらないよ」
真剣な声で紡がれた言葉に、以前も似たようなことを言われたと思い出した。私たちの関係性が変わっても、彼の本質は変わらない。
私が魔法使いであることを知ってもエクトルの態度は変わらなかった。……それが、どれだけ嬉しかったことか。
「ありがとうございます。……私こそ貴方に出会えてよかった。私に人を愛する幸福を教えてくれたのはエクトルさんですから。貴方がいなければ私は、誰かをこんなに愛せることはなかったでしょうし」
「…………うん……」
彼に出会わなければ、私はきっとまだあの町で薬屋をやっていた。……いや、商人に捕らえられて、監禁されたままだったかもしれない。
すべての過去が繋がって、現在がある。その要素は何一つ欠けてはならない。今の幸福は、幸も不幸も関係なく過去に起こったすべての出来事から成り立っているのだ。それらを否定することは現在を否定することになる。
(過去に起きた悲しいことをよかったとは思えない。……でも、間違いなく、この今を歩めていることは幸せだ)
急に落ち着かなくなったように前髪を耳にかけたら、よく見えるようになったその耳が赤い。そんな夫を眺めていられる。
過去に何があったのか。隠されていた真実を知っても、この幸福がくすむことはなさそうだ。
この辺りの話はコミカライズ巻末でちらちらと情報を出していましたね。
コミカライズがユレルミ編の終盤なので、ネタ明かしです。
ということで本日はコミカライズ配信日です、よろしくお願いします!




