8話
私は現在、アルデルデ家の温室にやってきていた。何故そんなところにいるかと言えば、義理の母であるイリーナにとある“お願い”をされたからである。
「我が家で薬関連の事業をしようと思ってるの。それであちらこちらから珍しい植物を集めてみたのだけど、育成が上手くいかなくって……シルルさんの助言が欲しいのよ」
こんなお願いをされては協力しない訳にはいかない。イリーナの感情を見るに困っている様子はなく、むしろ私への好意と、私の反応を窺いながら伸びる半透明の橙色の線は私が喜ぶことを期待しているように見えた。……つまりこれは、協力を依頼すると見せかけた私に対する贈り物なのだろう。
(つまり珍しい薬草の……研究ができると……)
私がそわそわしたのが分かったのだろう、イリーナは嬉しそうに半透明だった橙色を染めていた。そんな彼女に案内された温室で、私はせっせと植物たちの種類を調べ、本でしか見たことのなかったそれらを目の当たりにして内心とても喜んでいた。
ちなみにエクトルとリリィも共にアルデルデの家を訪れており、二人は屋敷の中で過ごしているはずだ。
そうして私が現在覚えているだけの植物の育成方法を書き記した頃、ふと気づくと太陽が傾き始めていた。温室の小さなテーブルに食事や冷めたお茶が用意されていることに気づき、それをいただきながら休憩をする。
(いけない、つい夢中になってしまった……おかあさまは気を遣ってくださったようだし……少し休んだらリリィたちの様子も見に行こう)
こういう趣味に没頭したのはいつぶりだろうか。リリィがもう少し大きくなったら、いつかは親子三人で薬草の採集などにも行ってみたい。……父がそうしてくれたように、私も娘に採集の仕方を教えておきたいのだ。彼女はこちらの分野に興味があるようだし、きっと楽しく学んでくれるだろう。
(さて、この資料をおかあさまにお渡ししたら二人の様子を確認しにいこうかな)
温室を出て庭を通りかかった時、イリーナよりも先にリリィの姿が目に入り足を止めた。傍には従兄弟であるダリオンと、後ろ姿でも誰だか分かる高貴な黒髪の少年がおり、エクトルの他にユナンが護衛として待機している。……城からやんちゃな王子の護衛として派遣されてきたのだろう。感情の色からすると、少し胃が痛そうに見える。
「リリィ。わたしは今、たくさん学ぶことがあり……なかなかお前に会えないんだが、元気にしているか?」
「うん」
「わたしは良き王にならなければいけないが、お前のこともあきらめたくないのだ。……だから、できることを増やしている。たくさん学んで、なんでもできるようになるぞ」
ライニスはどうやら現在勉強熱心なようだ。薬師塔にいる間もその噂は時々聞こえてきた。まじめに取り組み、意欲的に学ぶ。歴史や法律なんて子供の嫌がりそうなことも真剣に話を聞くため、教育係が喜んでいるらしい。……まさか平民の少女への恋心からきている行動だとは思ってもいないだろう。
「……妃にはならないけど、がんばってね」
「うっ」
「でんか。……リリィに渡すものがあったんじゃない?」
「う、うむ……」
子供たちのやり取りを見守っているエクトルは落ち着かなさそうだが、同僚の手前かまだ飛び出すような様子はない。
ダリオンに促されてライニスが持っていた包みをリリィへと差し出した。実は彼がリリィへ贈り物をしようとするのは初めてではない。しかし宝石や子供用のドレスなど、平民であるリリィには必要も興味もなく、高価すぎる受け取るわけにはいかないと返してきたので、受け取ったことはなかった。
そんなライニスからの贈り物だからか、リリィは今回も受け取ろうとはしない。そんな彼女の前で緊張した様子の少年は包みを解き、中のものを見せた。
「お前は服や宝石は必要ない、と……でも、勉強は好きだと聞いた。珍しいものに興味がある、と言うから……外の国の、花のずかんを持ってきた。……これなら、受け取ってくれるか?」
「うん。……これは好き。ありがとう、でんか」
「! う、うむ! また面白いものを見つけたら、お前にやろう!」
高価なものに慣れ親しんだ王子にしては頑張って考えた贈り物ではないだろうか。微笑ましく初々しい二人を見て私は笑いが零れそうだったが、悔しそうな夫をどう宥めるべきかは考える必要がある。
「では、またな。……あまり抜けられぬのだ。今日は会えぬかと思ったのだが……会えてよかった」
「うん。王さまになる勉強、がんばってね」
「……うむ」
「じゃあリリィ、ぼくもでんかと一緒だから。またね」
「うん、またね」
本当に短時間のお忍びだったようで、ライニスとダリオンは護衛のユナンを伴って帰っていった。
二人の姿が見えなくなってから私も庭へと足を踏み入れる。私の存在に気づいていたエクトルは「おつかれさま」と笑顔で声を掛けてくれ、リリィも「お仕事終わったの?」と橙色を伸ばしつつ、図鑑を抱えてこちらに小走りで向かってきた。
「ええ、ひとまず今日はここまでです。おかあさまにこの資料を渡したら、帰りましょう。……いいものを貰ったみたいですね」
「うん。……これは嬉しかった」
「よかったですね。あとでゆっくりその本を見ましょうか」
可愛い娘の頭をそっと撫でて、なにやら複雑な感情を抱いているらしい夫に目を向けた。娘が喜ぶのは嬉しいが、娘に言い寄るのは歳近い子供であっても許せないらしい。まったく娘離れができなそうで困ったものだ。
「少し懐かしいことを思い出しましたよ」
「うん? 何を思い出したんだい?」
「エクトルさんがシュトウムの泉を探しに行こうと言ってくれた日のことです」
女性ならこれが好きだろうという定番の贈り物は、私も嫌いではない。しかしそれ以上に、個人を見てその人の好きなものに寄り添ってくれる提案や贈り物というのは特別嬉しいものだ。
存在するかも分からない花の群生地を探しにいくなんて、デートの行く先に選ぶにはふさわしくないだろう。けれど私はエクトルが肯定してくれたのが嬉しかったし、あの日はとても楽しみだったのを今でもよく覚えている。
「ああ、懐かしいなぁ……」
「あの日のエクトルさんの言葉、今でも覚えてますよ」
咳払いをして場の空気を変えようとしたエクトルもよく覚えているらしい。彼が初めて「結婚」という言葉を口にした日だ。あの時は恋人ですらなかったけれど、恋人になってから「結婚したい」とすぐ口にしていた姿を思い出せば本当に思ったことが口から出ただけだったのだろう。
「シュトウムのいずみって?」
「リリィにも話してあげましょう。いつか、貴女も探しに行きたくなるかもしれません。……まあ、シュトウムは裏庭にありますけどね。あれはお父さんとお母さんが一緒に見つけて、持ち帰ってきたものなんですよ」
「みんなには見えないヒミツの花だよね」
「そうです。……大冒険でした」
今なら父が私へ「シュトウムの泉」の話をした気持ちが分かる。親は子供へ、自分の経験を伝えたいのだ。楽しかったこと、大変だったこと――そういう自分の経験を話して、伝えて、子供がより良い未来に進んでいけるように願う。自分の経験を、役立ててほしいのである。
「さて、おかあさまへこの資料を渡して、帰りましょうか」
「うん」
「夕食ぐらい食べていって、って懇願されそうだなぁ」
私とエクトルはそれぞれリリィの手を握って歩き出す。リリィの持っていた図鑑はエクトルが預かっているけれど、さすがにそれを娘に返さないほど大人気のないことはしないはずだ。
そして私たちはエクトルの予想通りイリーナに懇願されて夕食を摂ってから帰ることになった。……私の喜ぶ贈り物をしてくれた彼女の願いに応えないという不義理はできない。
リリィは食事を待つ間とても楽しそうに図鑑のページをめくっていて、娘に構ってもらえず寂しそうなエクトルには、私がたくさん構うことにした。
エクトルの実家との関係も良好です。これからアルデルデ家は騎士としてだけでなく、薬にも精通した家になりそうですね。
本日はコミカライズ版の4巻の発売日です。
4巻からは王城編がはじまります。裕上先生がとても素晴らしく新キャラ達も描いてくださっているので、是非よろしくお願いします。
Twitterではシルルとエクトルのアクリルスタンドが当たるキャンペーン中ですので、そちらも是非ご応募お待ちしております。




