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78 狂気


「君が言っているのはコレのことかな?」


 ドサリと地面に捨てるように投げられた騎士達。彼らの姿は全員が拷問を受け、奴隷狩り達の娯楽として弄ばれたのは誰からの目で見ても一目で分かった事だ。

 当然、最前列に近い位置で見ていた秋斗もその1人である。


(あ……?)


 秋斗が死亡した騎士と、未だに生きているが無残な姿となっている2人の騎士を視認すると秋斗の脳内には、昔に体験した出来事がフラッシュバックされる。


『にげ……ろ……アキ……』


『ああああああ!!!』


 真っ赤な炎。黒コゲになった友軍の死体。

 同じ隊の、共に将来を語り合った仲間が楽しそうな笑みを浮かべた敵兵によってバラバラにされていく光景。

 それはあの時、力の無かった自分には息を殺して見ている事しか出来なかった無力の象徴。そして、今の秋斗を形作った決定的な瞬間。


(ああ……。コイツは……)


「ハハハハ! ごめんね~! 僕の邪――」


 もはや秋斗の耳には何も届いていなかった。

 

(ルカ……。パーシィ……。ああ、そうか。わかっている。わかっているよ)


 秋斗は自らの底からゾワゾワと黒きモノが這い上がってくる感覚に冒される。

 それは前回の時ような、ゆっくりとした感覚ではない。這い上がって来る感覚は急速に、ダムが崩壊したかのような、己の理性や思考が全て飲み込まれていく。


 目の前の者達を全て殺せ。殺せ、殺せ、殺せ、と叫び続ける声が聞こえる。


(ああ、わかってる、わかってる。わかってる)


「僕は帝国最強の炎の――」


 相手が何者であろうとも関係ない。全てを殺せ、と叫ぶナニカの声。


(わかってる。わかってるよ。全てを殺す。ああ、全てを殺したい。殺したい。殺し――)



 横からグレンの叫びが聞こえたと思った瞬間、秋斗は自身の中で『プツリ』という音が聞こえた。



-----



「あーあ。逃げちゃった。いきなりだったらビックリして思わず逃がしちゃったけど……君は逃げないの?」


 炎の魔術師クリスは後方へ撤退していくグレン達を見送った後に、未だ目の前で棒立ちする秋斗を見やる。

 だが、秋斗は口元に笑みを浮かべるだけで反応は無い。


「無視? というか、ビビって精神イカレちゃったのかな?」


 ヤレヤレ、と両手を上げて首を振るクリス。その言葉とリアクションを見た奴隷狩り達も下品な笑い声を上げながら秋斗に指を差して馬鹿にする。

 そんな仕打ちを受けても秋斗は未だブツブツと何かを小声で言っているだけ。

 

「はぁ。ま、いいか。じゃあ、全員で追撃してきて。女は無傷で……いや、生きていれば腕ぐらいは無くていいや。どうせ使ったら殺すし」


 クリスの言葉を受け、野営地の奥からも武器の入った箱や首輪の入った箱を持った者達がぞろぞろと現れる。その数は50人以上だろう。


「ヒヒヒ……」


 自身の目の前に現れた多くの奴隷狩りを見ても、秋斗は笑いながらブツブツとナニカを呟く。彼の周りではパチパチ、という音が鳴っているがそれを誰も気にする様子はない。


「じゃ、君は邪魔だから死のうね。イカれているみたいだし」


 うわ言のようにナニカを呟く秋斗に目線を向け、クリスはイヤリングを弾く。

 すると、秋斗の足元が爆発して巨大な炎と黒煙が立ち上がる。


「はい。終わり。じゃあ追跡を――」


 ゴミ掃除をするかのように、目の前の男に向かって炎の魔法を撃ったクリスは相手の死を確認する事もなく背後へ振り向いて言葉を告げようとした。

 しかし――


「イヒヒ……ヒヒヒ……」


 爆発させ黒煙が上がる場所からは、男のうわ言が未だ聞こえてくる。ねっとりと耳に残るような、とても嫌な音のように耳に残る。

 まさか、と秋斗の方へ振り返る。


「あ、あがあああああ!!!」


 すると、振り返った先ではなくクリスの横から苦悶の声が上がり、そちらへ顔を向けると


「ヒヒヒ……」


 殺したはずの黒髪の男が部下の首を片手で掴み上げている光景だった。

 クリスは何が起こったのか理解できず、唖然としてそれを見たまま。

 

「グギッ!」


 バギン、と鈍い嫌な音が鳴ると首を掴まれていた部下の頭がだらんと垂れて体が痙攣していた。


「ハァァ……」


「ヒッ!」


 首をへし折った秋斗は口元に三日月を浮かべながら、右目を紅色に輝かせてクリスにぐりんと顔を向ける。

 ホラー映画のような光景にクリスは思わず悲鳴を上げるが、黒い影と紅色の軌跡が目の前に飛び込んできた瞬間、耳元に響くブチブチ、という音が聞こえると短い悲鳴は絶叫に変わった。


「ぎゃあああああ!!!」


 クリスは自身の耳――イヤリングをつけていた方の耳が燃えるような熱さを感じた後、激しい痛みに襲われる。耐え切れず尻餅をつき、痛みを感じる部分に手を当てればそこにあった耳は無くなっていた。

 その証拠に、目の前にいる黒髪の男の手にはイヤリングのついた耳が握られている。


「こいつを殺せええええええ!!!」


 目の前にいる男に耳を引きちぎられたのだ、と認識したクリスは耳から流れる血を手で押さえながら怒りに顔を染めて叫んだ。

 クリスの叫びに反応して数名の男達が武器を持って接近するが、全ては無駄に終わる。


「あガッ!!」


「ぎぁああ!!」


 剣を持って斬りかかって来た男は、恐るべき速さで腹を蹴られて吹き飛び、もう1人の男はパチンという音と共に顔が無くなり、秋斗へ最後に攻撃した男は斬撃を避けられた後に背中に衝撃を受けて地面に倒れこむ。


「ヒヒヒ……! イヒヒヒヒヒ!!」


「あがあああ!! ぐギ!! ギッ! ガッ!!」


 秋斗は足元に倒れこんだ男の背中を何度も何度も踏みつける。その度に踏まれる男の体からはバキバキと音がして動かなくなった。


「ば、バケモノォォォォォ!!!」


「ヤバイ! ヤバイイイイイ!!」


 奴隷狩り達は殺された仲間達から吹き出る血飛沫、惨たらしく地面に倒れる死体と仲間を絶命するまで踏みつけで殺す様を目の当たりして、一瞬で心と頭が恐怖に支配された。

 腕を振れば頭が吹き飛んで即死、蹴られれば腹が陥没して口から血を撒き散らして即死。そんな事が出来る人間などいるなど思ってもいなかった。確かに武器を持てば可能だろう。

 だが、目の前にいる男は素手。そんなものは、彼らの叫び通り『バケモノ』だ。

 そのバケモノが目の前にいるのだから、彼らが恐怖し逃げるのも頷ける。

 

 東側の住人を家畜と呼び、奴隷にしようと息巻いてきた奴隷狩り達は一目散に逃げ出す。先頭にいた者は後ろに並んでいる仲間達を掻き分けながら必死に逃げ出した。

 先頭にいた者達が逃げ出し、他の者達も秋斗の姿を目の当たりにすると先頭集団の恐怖が伝播するように染まって野営地は大混乱に陥る。


 しかし、この場を支配するバケモノはそれを許しはしない。

 嘗て死神と呼ばれ、敵国から恐れられた者の鎌は敵を等しく殺すのだから。

 それを顕すかのように空からは雲を切り裂きながら降下してくるモノが、彼らの頭上に迫っていた。


 空から降ってくるモノが空中で分解され、夕日が半分以上沈んで夜の姿が現れ始めている空には輝く星と月、そして多数の黒い点で埋め尽くされる。

 空に浮かぶ黒い点は、徐々に地上へと近づき逃げ惑う奴隷狩り達へ重力に従って襲い掛かる。


「にげ、にげろおおオゴッ!」


「へっ?」


 目の前にいるバケモノから逃げようとした男は頭に『杭』が突き刺さり、衝撃で頭を吹き飛ばすも頭の無くなった体は杭と一緒に地面に縫い付けられた。

 縫い付けられた男の後方を走っていた別の者は、突然の出来事に声を上げようとするが、彼の生もそこで終わった。

 

「な、なん……ぎゃあああ!!」


 また、その光景を見ていた別の者は肩に衝撃を感じた後、衝撃の方向に視線を向ければ自身の肩から先は消えている。視線を少し上げると、目の前にあったのは地面に突き刺さる金属製の大きな杭。 


「お、俺の足がああああ!!」


 頭に刺さった者は運が良かったと言えるだろう。


「だずげ! だずげで……」


 即死できなかった者の中には腹から下が無くなった者、足が吹き飛んだ者、腹に杭が突き刺さって地面に縫い付けられたまま生き苦しむ者。

 奴隷狩り達の頭上からは未だに杭が降り注ぎ、誰一人として逃げられず等しく命を刈り取られて行く。 


「あ、ああ……お前……何なんだ……お前は何なんだよオオオオオ!!!」


 部下達のように逃げ出さずその場で尻餅をついていたクリスは、その地獄のような光景を見て錯乱状態に陥り、地獄を演出した元凶に向かって叫び声を上げる。


 秋斗はクリスの問いに答えず、地獄を見ていた目線をクリスに向けて笑みを浮かべたままゆっくりと近づく。

 

「ああ、ちくしょう! ちくしょう!!」


 クリスは地獄を見た後、腰が抜けて動けなくなってしまうが「死にたくない」と力を振り絞って尻餅をついたまま後ろへ後ずさる。

 彼には秋斗を倒す手段が無い。耳につけていたマナデバイスを耳ごと引きちぎられてしまったから。

 例え耳にマナデバイスが残っていたとしても勝つのは難しいだろう。それどころか、生き残れるかも怪しい。

 

 過去の時代では学生(・・)であったクリス。この時代に目覚める前は非力で戦争など経験した事も無ければ人殺しも経験は無かった。

 だが、現代で魔法を撃てば非力だった自分が『最強』となった。


 実際、この時代の者によって目覚めさせられた(・・・・・・・・)後に帝国で自身の力に敵う者はいなかった。

 マナデバイスの力があれば、現代で言う無詠唱で魔法を撃てる。魔法補助装置の無い現代で無詠唱で魔法を使える者はいない。故に、相手に防御すらさせずに魔法を着弾させられる。

 賢者時代では学生の身分であったクリスが唯一行使できる「使えて当然、人が使っても兵器以下」と言われた4元素魔法であっても最強になれた。


 目覚めた後に行われた帝都の御前試合では一撃で対戦相手を倒して皇帝に認められ、帝国に従わない国の騎士団も1人で全滅させて一騎当千だと謳われた。

 帝国最強、自分よりも強い者などこの世にいないと思えた。自分が頂点だと思っていた。神のような強さを手に入れたと思っていた。

 権力すらも皇帝の次に強くなり、好きな食べ物を食べられ、好きな女を抱ける夢のような世界。

 気に入らない者は殺し、国すらも自分に跪く力。

 そんな絶対の力があったはずなのに。


 だが、帝国最強である炎の魔術師クリスは目の前にいる男に恐怖する。


 目の前の男は自分以上の力を持っている。むしろ、人間ではないとすら思える。

 笑いながら一瞬にして人を殺し、笑いながら逃げる者すらも殺す。

 まるで地獄からやって来た死神だ。神すらも殺せる悪魔なのではと。


 手を出してはいけないモノだった、とクリスは今更ながら後悔する。


 後悔しながらそのまま後ずさっていると、背中に何かが当たった。


 振り返ってみると、そこにはガタガタと震えながら座り込んで、視線の先にある地獄を見つめる自身の世話役と言われた女性であるターニャがいた。


「タ、ターニャ!! あいつを殺せ!!」


「ヒッ!」


 ターニャはクリスの声に短く悲鳴を上げてビクリと大きく肩を震わせ、体を震えながらクリスに顔を向ける。その次に、クリスの指差す方向を見れば地獄を作り出した張本人が口元に三日月を浮かべたまま、こちらを見ていた。

 彼女は地獄を作り上げた張本人である秋斗の顔を見るとさらに強くガクガクと体を揺らす。歯もガチガチと音を鳴らし始めて治まる気配は全く無い。


 戦闘―― 一方的な虐殺が始まった際、ターニャはテント内で備品をチェックしていた。人間性は最悪であるが帝国最強、炎の魔術師がいる。帝国軍人も奴隷狩人も80人以上いるのだ。

 いざ戦闘になったとしても負ける訳がないとターニャも思っていた。

 

 だが、外に鳴り響く爆音と無数の絶叫を聞いてテントから出てみれば、そこは地獄だった。

 なんだこれは、と原因を探れば杭に刺さって虫の息となっている友軍を見ながら笑う黒髪の男。ターニャは黒髪の男から滲み出る狂気と目の前に広がる地獄に思考が追いつかなくなる。

 その場でへたり込んで、見っともなく失禁しながら現実逃避をしていたら、クリスが『その男』を殺せなどと言うのだ。

 

 死神、悪魔、狂人、そのどれにでもも当て嵌まるような男を殺すなど無理にきまっている。馬鹿じゃないか、コイツは頭がおかしい、と心底クリスを恨んだ。

 見るからに敵視されているクリスからそんな事を言われれば、自分も敵だと認識されて殺されてしまう。


 ターニャは死にたくない、という考えで頭の中が埋め尽くされた。

 コイツに逆らってはいけない。この死神に抗ってはいけない。


「ああああ!!!」


 ターニャは絶叫を上げ、その場で土下座した。


「ごめんなさいごめんなさい!!! どうか許して下さい!! なんでもします!! いくらでも抱いて下さって構いません!! ですから命だけは!! 命だけはああああ!!」


「なっ!?」


 ターニャは泣き喚きながら命乞いを始める。

 必死に頭を下げ、地面に額を擦り付けて懇願した。

 どんなに惨めでもいい。プライドなど投げ捨てて、許しを得なければ生き残れないのだから。


 クリスは自身の世話役が命令を聞かず、命乞いを始める様子に驚愕する。

 しかし、クリスはそんな彼女の態度に希望を見出した。彼女が許されたのなら、彼女に自身を助けるよう言わせて助けてもらえるかもしれない。

 彼女が男の奴隷となって気に入られれば、生かされた後も悪い扱いはされないはずだ。そんな一筋の光に縋るように、自身の都合の良い考えを展開した。

 もはやクリスにまともな思考能力など残っていない。

 

 黒髪の男、秋斗はターニャの傍に近づき彼女を見下ろした。

 その行動を見たクリスの抱く希望の光は強くなった、とそう思った時――


「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめ――」


 グチャリ。


 秋斗は彼女の態度に対して何の考慮も見せる事無く、彼女の頭を踏み潰した。

 クリスの頬には彼女の血が飛び散り、頭を踏み潰された彼女の体は痙攣した後に止まる。

 

「ああああああ!!! おま、おまええええええ!!??」


 思い描いていた予想を大きく外したクリスは、ターニャの死体に目を向けながら絶叫する。

 もはや意味がわからない。何故彼女が殺されたのかも、自分が何故殺されなければいけないのかも、全てが理解できなくなっていた。

 とにかく、このままでは殺される。クリスは這うようにその場から離れようと動き始める。


「ヒヒヒ……」


 ズリズリ、と恐怖で言う事を聞かない腰を引き摺りながら匍匐前進するように手の力を使って這う。


「イヒヒヒヒ……」


 這っても這っても、離れても離れても死神の笑い声が耳に届く。


「なんでぼくが……たすけて……なんでぼくがああ……ガああ!!」


 足に強烈な痛みを感じ、顔を向ければ死神に足を潰されていた。


「ああ……。ああ……あぎぃぃぃぃ!!」


 踏み潰された足を見た後、また逃げようと前を向けば再度激痛で顔を歪める。

 痛みを感じながら、死にたくないという一心で体を動かそうとしても動けない。

 後ろを振り返れば死神はクリスのふとももを踏み潰し、腰に足を乗せていた。 


「ヒヒヒ……イヒヒ……」


 その様子を見たクリスは怯えて悲鳴を上げる。そして、死神はゆっくりと手を伸ばしクリスの腕を持ち上げた。


「たすけてえええ!!! だずげてえええ!! ぎゃああああ!!!」


 腕を持ち上げられ強く引っ張られるとブチブチ、と嫌な音がした後にクリスは腕を持ち上げられて浮いていた体が地面へと落ちる。


「ヒヒヒ!! イヒヒヒ!!」


 ブチリ、ブチリ、と音を聞きながら、もはや痛みすら感じなくなったクリスは死神へ眼球を動かす。

 爛々と輝く紅の瞳。返り血に染まる頬。口には三日月を浮かべて。


「ヒャハハハッ!! ヒャアハッハッハッアアアアア!!!」


 狂気に満ちた笑い声を上げていた。

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