19 魔石という新素材
「あー。そろそろ風呂入りたいな」
秋斗は自分の体を見下ろしながら小さく呟く。
「お風呂ですか? 王都に到着すれば入れますが……さすがに野営では入る事はできませんね」
対面に座るソフィアは、秋斗の呟きに対して申し訳無さそうに答えた。
「いや、解っているんだが……俺、臭くない?」
遺跡から出発し、夕方まで進んだ所で予定通り野営となった。秋斗、リリ、ソフィアの3人はソフィアの作る夕食を楽しんだ後の食後のコーヒータイム。アランとケビンは相変わらず馬車にある秋斗の試作品を弄繰り回している。
コーヒータイム中に何故こんな事を言い出したのか。それは、今の秋斗は人生の中で一番長く女性と共に過ごしている。目覚めてからテント生活をしていたので風呂に入る事は出来なかった。お湯で濡らしたタオルで体を拭いてはいたが、そんなものは応急処置みたいなモノだ。
女性との恋愛経験に乏しい秋斗であるが、彼女達が不快になっていたら、と思うぐらいの常識はあるのだ。もしも、彼女達に臭いと言われたら立ち直れない。でも聞いてしまう。恋愛経験ゼロである秋斗の苦肉の策。
「その匂いを洗ってしまうなんて、勿体無い」
秋斗の横からとんでもない回答が飛んできた。もちろん答えたのはリリである。彼女が匂いフェチであるのは、もはや確実。
「スゥー! ハァーァ!! スゥー! スゥー!!」
リリとソフィアは秋斗の対面に座っていたのだが、テーブルを回って秋斗の隣に座るやいなや秋斗の胸に顔を埋めて匂いを堪能し始める。
「あ! リリ!! ズルイわ!!」
ソフィアもテーブルを回って、秋斗の傍へやってくる。だが、テーブルに備えられた椅子は2つずつ。秋斗の隣はリリが座ってしまっていた。
うーうー! とリリを羨ましそうに見ていたソフィアは良い事を思いついた、といわんばかりの表情を浮かべて秋斗の背後から首元へ抱きつく。
「すんすん……。ふふふ。ふひへ。ふへへへ」
首元に抱きつき、秋斗の首元部分に顔を埋めたソフィア。秋斗からソフィアの表情を見る事は出来なかったが、彼女は目とろんとさせて一国の姫とは思えない程だらしない表情を浮かべていた。
匂いの元である秋斗自身はどうするべきなんだ、と悩みながらもされるがままになっている状態。3人を護衛をする騎士達も「ああ、エルフニアは安泰なんだなぁ」とイチャつく3人を朗らかな表情で見ていた。
そんな状況の中、1人の女性がテーブルへと歩み寄ってくる。
「何やってるんですか……」
歩み寄ってきたのはジェシカ。本来は彼女が3人の傍を離れず護衛するのであるが、今回の旅に繰り出された騎士団の中ではもっとも地位が高い。野営地の周辺に危険が無いか偵察役の騎士達から報告を受ける為に離れていたが、周囲に異常は無いと報告された。その後、他の騎士達へ細かい指示を出して本来の護衛者のもとへ戻って来た。
「秋斗の匂いを嗅いでる」
「ふへへ。ふへへ」
ジェシカは溜息をつき、2人の行動に呆れてしまう。特にエルフニアの姫だというのにだらしのない顔を騎士の前で晒してしまうソフィアに対して。
「ところで、周囲を警戒しているようだが何かあるのか? 王族がいるのだから当然なのかもしれんが、これが普通?」
未だ2人にされるがままの秋斗は、顔だけをジェシカに向けて問いかけた。
「確かに王家の方の護衛だからというのもありますね。ここは王都に近いですが街道から外れているので、魔獣が出る可能性もありますから」
ジェシカの答えを聞き、魔獣という単語に引かれる。
「魔獣ってのは、あの大きな二足歩行していたカバか?」
魔獣というくらいだから、動物的なモノなのだろうと推測し、リリと狩りをしていた時に出くわしたカバを思い出す。海を見ていた時に遭遇した虎とイカも魔獣と呼ばれる類のモノだろう。あんなものは過去の時代に存在しなかった。
「うん。あれが魔獣。人を捕食する危険な獣類は魔獣って呼ばれる」
リリは秋斗の胸元から顔を上げて答えると、すぐにまた顔を埋めてスーハーしだした。
「なるほど。リリと出会う前に大きな虎と遭遇して、その虎が海から現れたイカに捕食されていたんだが……」
もはやされるがままの状態に慣れてしまった秋斗は、リリの説明を受けて自身が出会った魔獣であろうモノの事を話すと、ジェシカが慌てて口を開く。
「大きな虎ってグレートタイガーですか!?」
「え? 名前はわからないが……。とにかくデカイ虎だったな」
「恐らくグレートタイガーと呼ばれる魔獣です。巨大な体を持ち、鋭い爪で人を容易に八つ裂きにしてしまう危険な魔獣です。海から現れたイカはクラーケンでしょうね。こちらも超危険です」
対峙したら死を覚悟する程です、と真剣な顔でジェシカは答える。
「そんなのがこの辺じゃ当たり前なのか? 過去の時代には、あんな生物存在していなかったんだが」
「王都周辺では稀でしょうね。秋斗様が居りました遺跡から先にある海周辺の森に生息しています。人が容易に近づけるのはあの遺跡までです。それ以上進むと危険な魔獣がいますので、人は近づきません」
「だからあの海には港が無かったのか」
隅々まで詳しく見たわけではないが、あの海岸周辺には人が暮らしている痕跡が無かった。港も無ければ漁師村のようなものも存在していなかった。
「はい。南の海は危険な海の魔獣がいるので船でも近づけません。陸にもグレートタイガーのような魔獣がいるので村や港が作れないんです。他国が船で侵攻して来ないというメリットも存在するのですがね」
「なるほどねぇ」
秋斗はジェシカの言葉に答えながら、いつかは、あの軌道エレベータや宇宙ステーションを調べたいと考える。あそこには、眠った後に起きた出来事のヒントが隠されている気がしてならない。
一通りやる事をやったら丈夫な船を作り、あの巨大なイカを倒せる武器を積んで近づいてみよう、と秋斗の脳内にある行動予定リストまた1行追加された。
「秋斗が眠る前は魔獣いなかったの?」
「いなかったな。確かに肉食で人を襲う動物もいたし、カバも存在していたけどあんなに大きくない。そもそも2足歩行してなかった……」
昔に2足歩行する巨大なカバなんて存在していたら、間違いなく未知の生物を追っかける番組に捕捉される。名前はカバオと命名されて、お昼のワイドショーで話題騒然。大人から子供まで注目の的だろう。
「カバってジャイアントヒポですよね。あれはヤバイですよ。グレートタイガーとタイマンできるんですよ。あの魔獣は目がヤバイです。ギラギラしてます」
ジェシカの説明通り、あのカバは目がヤバかったと見た当時の事を思い出す。今思い出しても目がヤバかった、と秋斗も同じ感想だった。
「でも、魔獣は凶暴で危険ですけど資源という側面もありますからね。お肉は美味しいし、毛皮や皮は洋服になりますし、防具にもなります。あと魔石は魔道具の材料になります。生息地が限定される魔獣の素材は他国との取引でも有力な商材です」
首に抱きつくソフィアが経済的な面での説明をしてくれる。声の方を振り向けばソフィアの美しくも可愛らしい顔があり、吐息を感じられる程に近い。
秋斗はソフィアに見蕩れてしまうが、すぐさま我を取り戻して気になった事を質問して照れ隠しを行う。
「魔石?」
「魔石は魔獣の心臓部から取れる鉱石ですね。宝石みたいに綺麗で、強い魔獣ほど魔石のサイズも大きくなるんですよ」
「各国で作られる魔道具には魔石が使われているんです。大きい魔石を使うほど魔道具の性能も上がるって技師は言ってましたね」
秋斗は、魔石と呼ばれる物について考察を始める。過去に魔石と呼ばれる物は存在しなかった。現在では名称が変わっている物なのか別物なのか。だが、魔獣という生き物から産出される物である事から、新素材だろうと推測した。
少しの間、考察しているとジェシカがどこかへ歩いて行き、秋斗達のいるテーブルへ再び戻って来た。
「これが魔石です。先ほどの周囲を偵察した者が倒したフォレストジャッカルの物ですので、小さいですけどね」
そう言って、ジェシカは小さな緑色の石を秋斗の前に置いた。
5cm くらいのサイズで濁った緑色をしている。形も歪でどこにでも落ちてそうな小石に色を付けたような物だった。
秋斗はテーブルに置かれた魔石を掌の上でコロコロと転がし、術式を使って分析を始める。
分析しながら掌で魔石を転がす事、数分。結果がAR上に表示されると秋斗は表示された結果を見て驚きの声を上げる。
「なんだこれ!?」
秋斗が突然上げた声に、抱きついていたリリとソフィアも秋斗の体から離れる。
「どうしたんですか?」
いきなり大声をあげた秋斗にソフィアは心配そうに声を掛けた。
「いや、この魔石……これは天然物の魔法宝石か!?」
秋斗の言葉に周りは ? マークを頭に浮かべてまるで理解できていなかったが、秋斗は周りの視線に気付かない程に興奮していた。
魔法宝石。これはリリの腕輪を作る時に使用した魔素を蓄える事が出来る宝石で、云わば補助電源のような役割を果たす。だが、魔法宝石を作る際に必要な設備や宝石本体、製作に掛かる時間を比べるとコストに見合った効果を持っていなかった。
そして、秋斗の掌にある魔石。
分析してみれば内部に魔素が溜まっていて、魔法宝石と同じ効果を持っている事が分析結果で明らかとなった。
掌に乗っている魔石は小さく、小石程度の大きさなので内部の魔素も少ない。しかし、明らかにサイズと内部に溜まっている魔素の量が、魔石と同じ大きさの魔法宝石よりも多い。
さらに、魔石の材質である構成物質がほとんど魔素だった。つまり、魔石とは魔素の結晶体であり、水溶液によって魔素を浸透させた宝石よりも純度が高い。
過去に魔法宝石の魔素純度を上げる為に魔素水溶液を結晶化させれば良いのでは、と技術院の錬金術科が実験を繰り返していたが水溶液を結晶化させると、凝固した際に何故か水溶液に含まれる魔素が全て消滅してしまうという結果に終わっていた。
出会ったばかりの魔石という物が魔獣の中でどう作られるのかはわからない。だが、これを使えば魔法宝石よりも高い貯蔵率と充填率を出せるのではないかと秋斗の興奮度は上がる一方だった。
「これはスゴイぞ! 過去になかった新素材だ!!」
普段の秋斗からは感じない程の興奮度に、3人は魔石の方よりも秋斗の新たな一面に驚いていた。
「大きな魔石は王都に行けばあるのか!?」
秋斗はグワッと勢いよくジェシカに顔へと向ける。
「は、はい。魔石を取り扱う商会もありますし、商人ギルドから仕入れの依頼もできます。傭兵ギルドでも買取と収集の依頼も出せますよ。王都の研究機関にも在庫はあるので、頼めば見せてくれるのではないでしょうか」
ジェシカは少々引き気味だったが、しっかりと魔石の情報を教えてくれた。
「いよおおおおおし!! 漲ってきたああああ!!」
ヒャッホウ! と小さな魔石を握り締めて高らかにガッツポーズする秋斗。
そんな秋斗を見て、2人の嫁は顔を見合わせる。
「秋斗様も、子供のように喜んだりする事があるのね」
「ふふ。かわいい。新たな秋斗の一面を知った」
「そうね。ふふ」
子供のように喜ぶ賢者を見つめながら、2人は笑顔を浮かべるのだった。




