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第94話 街外れの空き家

「ガッハッハ! なるほどなあ! サチの基準だとそうなるわけか!」


 私の悲痛な叫びを、ドルドさんの豪快な笑いが吹き飛ばす。


「ま、大丈夫だ。幽霊なんてのは実在しねえよ。とにかくその目で確かめてくるといい。きっとアンの見間違いだろうしな。曖昧なまま恐怖心だけが残る方が辛いだろうよ。幸い、マリウッツとアルフレッドもついていくって言ってるんだ。苦手を克服するチャンスかもしれねえぜ?」


「えええ……」


「そういうこと。さ、行きましょう」


 渋る私の腕を引いて立ち上がらせたアン。そのままガッシと腕を絡め取られる。


「さ、街外れの空き家へレッツゴー!」


 かくして、ウキウキと楽しそうなアン、顔面蒼白な私とアルフレッドさん、そして澄まし顔のマリウッツさんの四人でアンの言う空き家へと向かうことになったのだった。




 ◇◇◇



「そ、そそ、それで、アンさんの話の空き家というのはどの辺りですか?」


「大通りの東の外れです」


 小さな物音にもビクゥッと肩を跳ねさせるアルフレッドさんと私。その度に、ガコッと腰につけたナイフのホルダーが揺れる。


「オリハルコンのナイフを持ってきたのか」


「はい、お守りがわりに……」


 お化けは実体がないのでナイフに意味はないと分かっていても、身を守るものがあるのとないのとだと精神衛生的にかなり変わってくる。

 ちなみにピィちゃんは眠そうだったので今晩はドルドさんのお家にお泊まりさせてもらうことになった。お礼は今日の土産話でいいって言ってたけど、土産話になるような事件は起こらないでほしい! 切実に!


 真冬の冷たい風にブルリと身震いをしつつ、なるべく身を寄せ合って夜道を進む。


 しばらくして、先頭を歩くアンが立ち止まった。


「確かこの辺りよ。えーっと、あ、あの家!」


 街灯の光が届かない薄暗い路地に入り、アンがキョロキョロと辺りを見回した。

 アンの指差す方に顔を向けようとした時、ヒヤリと何かが頬を撫でた気がした。


「ひいっ! な、なんですか!?」


「なんだ、何もしていないぞ」


 ゾワワっと背筋が粟立ち、私は隣にいたマリウッツさんに苦言を呈した。けれど、マリウッツさんは心当たりがないようで、不服そうに眉を顰めた。


「え、じゃあ誰が私の頬を……」


 ギギギ、と首を軋ませながら恐る恐る後ろを振り返ると――


 闇夜にぼんやりと浮かび上がる人影が、ニタァ、と私に笑いかけていた。


「ぎゃあああ! 出たあああっ!」

「うわあああっ!!」


 私は咄嗟にガバッと目の前の背中に飛びついた。

 そして、私に次いで少し野太い叫び声がして、「うっ」という呻き声と小さな衝撃。


「サチ、大丈夫か? 怖いのなら、そのまましがみついていろ」


 私が縋りついたのは、青白い人影を前にも動じないマリウッツさんだった。

 だって、隣にいたんだもの。こればかりは仕方がない。


「うう……お言葉に甘えます」


 今は恥じらってなどいられない。

 だって……! み、見えてしまった! 本当にお化けが出るなんて……!


 ガタガタ震えながらギュウッと腕の力を強めると、頭上でフッと吐息が漏れる音がして、続いて深い深いため息が聞こえた。


「………………アルフレッド、お前は離れろ。暑苦しい」


「そんなあっ! 殺生な!」


 マリウッツさんを挟んで私と反対側にいたアルフレッドさん。

 どうやらさっき聞こえた小さな呻き声の主はマリウッツさんで、私同様叫び声を上げたアルフレッドさんがしがみついた衝撃を受けてのものだったようだ。


 マリウッツさんがアルフレッドさんの腕を振り払おうとモゾモゾしている。でも、アルフレッドさんは断固として離れようとしない。分かる。怖いもん。マリウッツさんの安心感半端ない。


「大の男が幽霊が怖いとは、情けないと思わんのか」


「思います、思いますけど! 怖いものは怖いんですよ!」


 二人がやいやい言い争っている間、アンは興味深そうに人影の周りをクルクル回って観察している。正気なの!?


「うーん、まさか本当に出るとはねえ」


「おい、一応離れておけよ。そいつは恐らくレイスだ」


「え」


 レイスとは、この世の未練に束縛された悲しき霊の魂が魔物と化したもの。『魔物図鑑』にも登場するので名前は知っている。大抵、戦争の跡地とか、大きな墓地とかに出るはずなんだけど……


 レイスと聞いて、アンも慌ててマリウッツさんの後ろに隠れた。


 え、待って。レイス!?


「えっ、なんで王都に魔物が!? 城壁を囲むように結界が張られてるんですよね!?」


 王都は周囲を草原や森に囲まれている。もちろんそこにはたくさんの魔物が生息している。王都サルディンの街は、そうした魔物の脅威から住人を守る仕組みがしっかりと構築されているはずなのに。


「こいつは外から来たのではなく、この街に彷徨う魂が魔物化したものなのだろう」


 人の怨念や、激しい後悔がこの世に魂を縛り付ける。

 そうして長く実体を離れて彷徨った魂は、やがて消滅するか、魔物として尚も彷徨い続けるかのいずれかの道を辿る。


 今目の前で、「オォォ……」と低く唸って所在なさげに両手を前に出しているレイスも、元は王都で亡くなった人の魂だったということ?


「よほどの恨みか、あるいは未練か……見たところ周囲へ影響を及ぼすほどの力はなさそうですね。レイスは長くこの世に滞在するほどにその力も強くなります。きっと、この方はレイスとなって間もないのでしょうね」


 レイスと聞き、少し平静を取り戻したアルフレッドさんが傾いていた丸眼鏡を押し上げて解説をしてくれる。


「この人の魂が成仏することはできないのですか?」


 この人は好き好んでレイスになったわけではない。

 あの世に旅立てずにこの地に留まり続けるほど、気掛かりなことがあったのだろう。

 この地に縛られ、誰にも声が届かず、長い年月を孤独に過ごしたのだろう。

 もしかするともう、この世への未練さえ思い出せないほどに、長い時間が経過しているのかもしれない。


 そう思うと、無性に胸が苦しくて、切ない気持ちが溢れてくる。


「そうですね……レイスには物理攻撃は効かないので、魔法系の【天恵(ギフト)】で対処するしかありません。ですが、レイスを倒すということは、この世からの消滅を意味し、その魂が天に還ることはないのです」


 少し悲しげに、アルフレッドさんが答えてくれた。


「そんな……」


 改めて目の前で両手を前に出してゆらゆらと漂っているレイスに目をやる。

 その手は、助けを求めて何かに縋りつこうとしているようにさえ見える。

 それに、レイスからは私たちを害そうという悪意を感じない。


「とはいえ、このままにしておくことはできません。今は害意はなくとも、いずれ人を襲うようになってしまうでしょう。そうなるのはきっとこの人自身も望まぬこと。それなら、今のうちにクエストを発注して――」


「そんなっ、ダメです!」


「サチさん!?」


 私はマリウッツさんにしがみついていた手を離し、一歩前に出てレイスに向き合った。


「オォォ……」


 正直、まだ恐怖心を克服できているわけではない。

 足がブルブル震えているのも分かってる。


 でもやっぱり、こうして私を前にしても、このレイスが私を襲ってくることはない。


 どうにかして、この人の魂を解放することができないだろうか。

 そう強く願った時、お久しぶりの声が頭に響いた。


『固有スキル【遺恨解放】を獲得しました』

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