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第93話 サチの苦手なもの

「ねえ、ちょっと聞いてよ! 出たのよ! アレが!」


 今日は休憩時間が合ったため、アンと食堂に来ている。

 食事を終えて食器を片付け、食後の一服とコーヒーを飲んでいた時、アンが興奮気味に身を乗り出した。


「アレ?」


 カップを傾けて、アンが言う『アレ』とやらが何なのか考える。


 出たというと、黒くてテカテカした……アレ?

 一人暮らし中に稀に遭遇し、幾度となく激戦を繰り広げたアレに困っているのなら、退治しに行ってもいいけど……アンの家にはオーウェンさんがいるしすぐに仕留めてくれそうだけどなあ。

 去年の夏に魔物解体カウンターにも現れて、ナイルさんが「キャーッ!」と悲鳴をあげていた。あの時は私とローランさんの連携プレーで撃退した。


「そう、アレ! 人魂よ!」


「……………………え?」


 懐かしいなあと夏の日の思い出に浸っていると、想像と全く異なるワードが出てきた。

 目をキラキラさせて興奮冷めやらぬ様子のアンに対し、サッと全身の血の気が引いていく。

 ヒトダマって、人魂? あの、ヒュードロドロって、アレ?


 顔面蒼白だろう私には気づかず、アンは鼻息荒く話し続ける。


「この間のお休みの日にね、ナイルさんのお家にお邪魔した帰りに――」


「ゴフッ」


 ちょ、ちょっ! 待って待って!! そっちの方が気になるんですけど!!!

 えっ!? いつの間にお宅訪問するまで仲良しになったの!? 聞いてないんだけど!! ビックリしすぎて思わずコーヒーを吹き出しそうになったわ。


「ピィ?」


 (すんで)のところでコーヒーを飲み込み、一人慌ただしく目を白黒させる私を心配そうに見上げてくれるピィちゃん。うう、君は優しい子だよ。


 ヒョイッとピィちゃんを膝に抱えてギュウッと抱きしめてアンの話の続きを待つ。

 色んな意味でドクドクと早鐘を打つ心臓の音がやけに耳に付く。


「ナイルさんの妹ちゃんたちと仲良くなってね、たまに遊びに行くのよ。夕飯前にはお暇したんだけど、ほら、冬だから日の入りが早いじゃない? 大通りまで送ってもらったんだけどねえ……その日の夜はママが私の好きなコカトリスのシチューを作ってくれるって言ってたから、ちょっと裏通りを使って近道をしたのよ」


 いやいや、せっかくナイルさんが人通りが多いところまで送ってくれたのに、夜分に人気のないところに入っちゃダメじゃない。話が終わったらしっかり注意しておかなきゃ。


「それでね、何年か前から空き家になっている家の前を通りかかったのよ。その家の前を通った時に、月に雲がかかって真っ暗になったの。ぐんと気温が下がって寒気がして……背筋もゾクっと震えちゃって、視線を感じたから、空き家の方を見たら――」


 ゴクリ。


「窓の向こうで何かが青白くぼんやりと光ってたのよ! ゆらゆら〜って。何かなって目を凝らしたら……その光が人の形を……」


「ぎゃあああっ!」


 アンの話を最後まで聞くことができず、悲鳴を上げて両耳を押さえた。

 アンとピィちゃんが驚いたように目をぱちくり瞬いている。


「やだ、サチったら、こういう話は苦手なの?」


 アンがニマニマとニヤけながら聞いてくる。そんな表情も可愛い。じゃなくて。


「う、べ、別にぃ? あれよ、雰囲気作り? 合いの手ってやつ?」


 激しく目を泳がせながら、我ながら下手な言い訳をする。アンは目を細めて「ふーん?」と疑いの眼差しを向けてくる。私はさりげなく、フイッと視線を逸らす。さりげなくね。さりげなく。


「ま、いいわ。で、その人影は瞬きの間に消えちゃったのよ。というわけで、もう一回空き家に様子を見に行ってみたいから、サチもついてきてちょうだい。今日の仕事終わりに迎えに行くわねえ。じゃ、私は仕事に戻るわ」


「ええっ!? なんで私も!? ちょ、アン!?」


 一足先にコーヒーを飲み終えたアンは、私が制止するも虚しくスキップしながら食堂を出ていってしまった。

 くっ、逃げられたわ……! アンってば、絶対面白がってるよね。どうにかして空き家に行かずに済む方法は……いや、アンから逃げられる気がしない! 逃げたら後から怖そうだし。え、どうすれば? 詰んでない?


「ピィ?」


「あ、ごめん。心配させちゃったよね……はあ、どうしよう」


 私はすっかり温くなったコーヒーを飲み干すと、重い足取りで魔物解体カウンターへと戻った。




 ◇◇◇



「サチ〜! 迎えに来たわよ!」


「……来たわね」


 終業時刻の二〇時過ぎ。ウキウキと楽しそうに魔物解体カウンターにやってきたアンに対し、げっそりと疲れ果てた私。この後のことが気がかりすぎて、注意力散漫になって今日は散々だった。


「あら? マリウッツ様にサブマスターまで、どうしてここに?」


 アンが不思議そうに顎に指を当てて首を傾げる。

 そう、なぜか今ここにはマリウッツさんとアルフレッドさんがいる。

 カウンター内にはまだ片付け途中のドルドさん、ナイルさん、ローランさんがいて、随分と賑やかなメンツである。


「今日はサチの様子がおかしかったからな。気になって見にきたまでだ」


「僕もです。随分とお疲れのご様子でしたので、その、食事でもどうかと……」


「マリウッツさん、アルフレッドさん……!」


 なんと優しいのか。誰かさんも見習ってほしいわ。ドルドさんも「調子が悪いなら、無理せず休めよ」って言ってくれたし、本当にみんな優しい。沁みる。感極まって思わず、よよよ、と涙ぐんでしまう。


「それで、何があった」


「よくぞ聞いてくれました! それが――」


 マリウッツさんに尋ねられ、待ってましたとばかりにアンがお昼に聞かせてくれた話をした。私は両耳に指を突っ込んで聞かないようにしている。


「はぁ、アンは昔からそういった類の話が好きだったよなあ」


 一緒になって話を聞いていたドルドさんが呆れ顔で言った。

 そうなの!? 心霊系が好きとか、正気の沙汰じゃないわ!


 ギョッと目を剥く私をよそに、マリウッツさんは神妙な顔をして考え込んでいる。

 アルフレッドさんの顔色は悪い。おや? もしかすると、お仲間かもしれない。


「ふむ、人魂か……そういうことなら俺も行くぞ」


「えっ!? で、では! ぼ、ぼぼ、僕も行きますよ!」


 え、待って。私はまだ一言も行くなんて言ってないんですけど。どうしてみんなで一緒に行く流れになっているんですか。


 私が二人を見ながら絶句する。

 もう色々とキャパオーバーで、アンがそろりそろりと背後に迫ってきていることには全く気が付かなかった。


「フッ!」


「うぎゃああっ!」


 耳元に息を吹きかけたれた私は、情けない悲鳴を上げて飛び上がった。


「ちょっと、もう! アン!」


「あはは、ごめんごめん。サチってばやっぱりお化けが怖いのね?」


 思わずへたり込んで、目尻に涙を浮かべつつキッとアンを睨むと、アンは悪びれる様子もなく私の頭を撫でながら、言った。 


「……そうなのか?」


 マリウッツさんにアルフレッドさん、それにドルドさん、ナイルさん、ローランさんまでが、「嘘でしょ?」という顔でこっちを見ている。


「うう……そうです。そうですよお! 子供の頃から心霊系だけはダメなんです!」


 観念して白状すると、みんな目を丸くして顔を見合わせた。


「こりゃ驚いた。幽霊よりよっぽど恐ろしい魔物を滅多切りにしているってえのに?」


「魔物相手に物怖じしないサチさんが?」


「ついこの間もミノタウロスに怯むことなく立ち向かったって聞いたっすよ?」


「はああ、意外な弱点ですねい」


「……ふっ」


 みんながそれぞれ驚きの声をあげる中、マリウッツさんだけが堪えきれなかったように笑みを漏らした。


「マリウッツさん!? 今、笑いました!? んもう、私は本気で……」


 へたり込んだまま涙目でマリウッツさんを見上げて睨みつけると、マリウッツさんは片手で口元を隠しながら、もう一方の手を前に出して首を振った。


「……いや、すまん。笑ったわけじゃない。可愛いなと、そう思っただけだ」


「……えっ」


 一呼吸置いて、ボンッと顔が熱くなった。


 ……いや、いやいや、ちょっと待って! 場所を考えてほしい。

 アンとナイルさんは顔を赤くしてキャーッと頬を押さえているし、ドルドさんも気まずそうに鼻を掻きながら目を逸らしてるし、ローランさんなんか目を細めて遠くを見ちゃってるし! アルフレッドさんの真顔の「分かります」はちょっとよく分からないけど。


 私はいたたまれなくて真っ赤に染まった顔を両手で覆って蹲った。


 だって……!!

 仕方ないじゃない! おじいちゃんが怪談の類の話がものすごく上手だったんだから! 小さい頃から夏になると寝かしつけの絵本代わりに怪談話をするんだよ? 余計眠れなくなるわ!


 それだけじゃなくて、心霊系の番組も大好きでよく付き合わされた。

 こうして幼い頃から刷り込まれた恐怖心により、私はすっかり心霊の類が苦手になってしまったのだ。


 座布団を頭に被ってビビりながらテレビを見る私を見て、『何を怖がっちょる。実体のない幽霊よりも、悪意ある人間の方がよっぽど恐ろしいわい』とよく言っていたっけ。確かにそうかもしれないけど、お化けも怖いもん!


 それに――


「魔物は【解体】できるけど、お化けは【解体】できないじゃないですかあっ!」

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