第89話 ラーナの森
レイラさんからクエストのお誘いをいただいた五日後、私は以前の冒険者スタイルの上から防寒用のマントを羽織り、ギルドの前にいた。
マリウッツさんにもらった小型ナイフをホルダーと共に腰に巻いていて、愛刀のオリハルコンのナイフも装備している。
今回は現地で【解体】を求められているため、オリハルコンのナイフは必需品。いわば出張解体といったところね。
ちなみに、今回は狙いの魔物が低ランクとあり、アルフレッドさんにいただいた魔除けの腕輪はつけていない。レイラさんのターゲットが姿をくらましてしまうことを防ぐためである。
「ピィッ、ピィッ!」
「ふふっ、外に出るのが楽しみなの? 頼りにしてるね」
「ピピィッ!」
今回もピィちゃんにクエストの同行をしてもらう。
万一、魔物の強襲にあっても、ピィちゃんの結界があればきっと大丈夫。ピィちゃんも、「僕が守るから任せて!」とでも言いたげに気合十分に鼻息を吹かしている。
ちなみに、ピィちゃんはすでにレイラさんと挨拶を済ませていて、あれから何度かカウンターにやって来ていたレイラさんとはすっかり見知った仲になっている。相変わらずピィちゃんのコミュ力が高い。
「サチ、お待たせ。早速出発しようか」
「レイラさん! よろしくお願いします!」
ギルド前にやってきたレイラさんは、いつもの若草色のつなぎではなく、冒険者の出で立ちをしていた。全体的に淡い水色で統一されていて、膝上までのロングブーツがレイラさんの足の長さを際立たせている。
早速、私たちは西の城門へと向かう。
目的地のラーナの森は、王都の西の門から出て一時間ほど歩いた先にある。冒険者になりたての人たちが最初に訪れる先の一つでもあり、比較的大人しい魔物が多く生息している。
「ラーナの森は湧水がとても綺麗でね。水源近くに生い茂る薬草はとても品質が高いんだ。今回はグラスシープのツノ、トゲトカゲの尻尾、沼ガエルの毒袋あたりを狙いたい」
私は頭の中で『魔物図鑑』のページを捲りながら、力強く頷いた。
レイラさんがあげた魔物はどれもFランクやEランクの魔物。魔物解体カウンターに持ち込まれる頻度こそ少ない魔物だけれど、討伐の難度は低いとされている。
今回は私がその場で素材を切り出すため、眠り薬や麻痺薬を使って魔物を捕獲し、身動きが取れない間にツノや尻尾を頂戴する予定になっている。持ち帰る必要がないので、不要な殺生はしない。素材だけをありがたく頂戴する。
クエストの目的や手筈を確認しながら西の城門にたどり着いた私たちは、門番にクエストの概要と目的地を伝え、城壁に守られない草原へと足を踏み出した。
「サチ、これを」
「なんですか、これ」
門から出てすぐ、レイラさんに手渡されたのはゴルフボールサイズの玉だった。
「魔除けの魔草を煙玉にしたものさ。効果が一時間程度で切れるように作ってある。こうやって、足下に投げつけて」
そう言うと、レイラさんは魔除けの煙玉を足下に投げつけた。
地面に触れると同時に、ボフン、と濃い緑色の煙がレイラさんを包み、ピィちゃんが「ギャッ」と小さな悲鳴をあげて毛を逆立てた。
なるほど、これで道中は不要な魔物との遭遇を防ぎ、森に到着する頃にはその効果が切れるから目的の魔物探しに影響はないってことね。
効能や効果の持続時間をそこまで正確に作るのはとても難しいことではないだろうか、と思いながら、私もレイラさんに倣って煙玉を地面に投げつけた。
その効果は抜群で、ラーナの森に到着するまで、魔物との戦闘は発生しなかった。王都周辺を彷徨く魔物は定期的に冒険者たちが討伐してくれるのでそのおかげでもあるのかもしれないけど、レイラさんの煙玉の効力の凄さがよく分かった。
◇◇◇
「いやあ、本当にすごいね。サチの【解体】は」
「えへへ、いえ、それほどでも」
ラーナの森に入った私たちは、順調に目的の魔物を発見していた。
何度も森を訪れているレイラさんは、慣れた様子で罠を仕掛け、どんどんと魔物を捕獲していく。
すでにグラスシープを三頭、トゲトカゲを五匹、沼ガエルを二匹仕留めていた。
仕留めるといっても、基本的には眠らせているので、魔物たちは無傷だ。
お休みのところを失礼し、必要な部位に狙いを定めて【解体】で切り出させてもらう。能力レベルが上がったこともあり、より正確に狙った素材を【解体】できるようになっていたので、手際良く済ませることができた。
一度ワイルドブルと遭遇し、戦闘を余儀なくされたけれど、レイラさんが危なげなく道具を駆使して倒してくれた。私は邪魔にならないようにピィちゃんと木の陰に隠れていた。
一通り採取を終え、ちょうど昼食の頃合いになったため、小川のほとりのひらけた場所で軽食を摂ることになった。
メニューは持参したサンドイッチ。小川で手を洗ってから豪快にかぶりつく。
「ん〜、おいひい!」
「ピャー!」
小川のせせらぎと、冬の乾いた風に揺れる木の葉の擦れる音を聞いていると、ピクニック気分になってくる。真冬で寒いはずだけど、防寒マントがしっかりと外気を遮断してくれるので、全く寒さを感じない。冬の森も悪くない。
ピィちゃんとサンドイッチを分け合いながら笑っていると、レイラさんがジッとこちらを見ていることに気がついた。
「ハッ、もしかして口元汚れてました!?」
慌ててハンカチを取り出してゴシゴシと口元を拭う。お恥ずかしいところを見せてしまった。
「ははっ、違うよ。サチの無垢な笑顔が眩しくてね……あんたの事情は聞いているよ。突然知らない世界に呼び寄せられて、魔物の解体なんて過酷な仕事にも弱音を吐かずに取り組んでいる……あんたはどうして、そんなに頑張れるんだい?」
真剣な薄橙色の瞳に射抜かれて、私はしばし逡巡する。
「どうして……うーん、あまり深く考えたことはありませんでしたが、『ありがとう』と言ってもらえるからですかね」
魔物を持ち込む冒険者の皆さん、精肉店や武具店の皆さん、それに魔物解体カウンターの皆さん。
この世界では、みんなが真っ直ぐに感謝の気持ちを伝えてくれる。
私の頑張りに、笑顔を返してくれる。
頑張る理由なんて、それだけで十分だもの。
「私、元いた世界では毎日毎日降りかかる仕事を処理するのに追われて、やらなきゃ終わらないからやるって感じで、やりがいよりも生きるために必要だからやむを得ず働いていました。あのまま働き通していたら、体か心かを壊してしまっていたかもしれません。でも、今は違うんです。努力すればするほど技術やレベルが上がるし、私の仕事を喜んでくれる人がいる。私の頑張りが、巡り巡って誰かの幸せにつながっている。そう実感することができるから、きっと頑張れるんだと思います。へへへ、私結構単純なので」
少し照れくさくて、頬を掻く。
私の言葉の意味を理解しているのだろう。ピィちゃんもどこか嬉しそうにキュイキュイ鳴きながら鼻先を擦り寄せてくる。くすぐったい。
「そうか……そうだね。簡単なことなのに、どうして見失っちまってたんだろうね」
私の答えを受けて、レイラさんはフッと笑みを漏らして顔を上げた。どこかすっきりとした表情をしている。
「ありがとね。実はさ、最近スランプでね……冒険者の資格を取って、危険を冒してまで素材を採取して夢中で薬を作る日々をもう何年も過ごしてきた。不意に、私は冒険者としても、薬師としても未熟でどちらも半端になっているんじゃないかって、不安になっちまってね……はは、自分で選んだ道なのに、おかしいだろう?」
レイラさんは自嘲気味に笑う。
私はただジッとレイラさんの話に耳を傾ける。
「まあ、薬の品質を落とすことはしないけどさ。たまに私は何のために薬を作るんだろうって、足元を絡め取られるような不安な気持ちに陥ることがあるんだ。でも、そうだね。簡単なことだ。私の薬で治る怪我や病気がある。助かる命がある。私は薬師だ。薬を作るのが好きだ。喜んでくれる客の顔を見るのが好きだ。これからも研究を重ねて、もっと効果の高い薬を作る。そのためには自分で素材を集めにもいく。実にやりがいのある仕事じゃないか」
「はい。とても、素晴らしいお仕事だと思います」
互いに笑みを深め、穏やかな空気が流れる。
レイラさんみたいになんでも完璧にこなしそうな人も、悩むことがあるんだなあ。頼れる姉御って感じだけど、もっとずっと等身大な人なのかもしれない。
これからもっとレイラさんと関わりを持って、もっともっとレイラさんのことを知っていけたらいいなあ。
そう思ってレイラさんを見つめていると、突然、ズウン! と視界が揺れるほどの地響きがした。




