第87話 忙しない感情
「夕飯はどうする? 食べていくか?」
「そうですね……軽く食べましょうか」
薬屋を出た頃には、王都の街は茜色に染まっていた。
「そいつもずっとカバンの中だと息苦しいだろう。個室でゆっくり過ごせる場所を知っている」
「えっ、本当ですか! ありがとうございます!」
マリウッツさんがピィちゃんを気遣って紹介してくれたのは、王都の外れにある老舗の料理屋だった。店内はとても賑わっている。
恋人や家族と思われる人たちがやけに目に付く。
そういえば、今日は『愛と感謝の日』の当日なんだった。
今更ながら、そんな日にマリウッツさんと二人(と一匹)で過ごしていることを意識してそわそわしてしまう。
マリウッツさんの用件は無事に済んだのかな。結構私の買い物に付き合ってもらったような気が……
落ち着かない気持ちのまま案内された個室は、四人がけのテーブルが置かれたシンプルながらも洗練された部屋だった。
「ここの店主は顔馴染みでな。事情は話してあるから部屋の中なら自由に飛んでいいぞ」
「ピュアッ! ピピッ! ピーッ!」
マリウッツさんの言葉に、ピィちゃんは大歓喜でロケットのようにカバンから飛び出していった。
うーん、と羽を伸ばしたピィちゃんは、お礼を言うかのように椅子に座ってくつろぐマリウッツさんの周りを飛んでは諌められている。
「ふう、色んなお店を回りましたねえ。素敵な軟膏も買えてよかったです」
「そうだな。あいつの薦めならば間違いはないだろう」
微笑むマリウッツさんの瞳には、レイラさんへの信頼の色が見て取れる。マリウッツさんが普通に会話をする女性は珍しいので、やっぱり、少しモヤモヤする。
こう、唯一無二の親友だと思ってたのに、実は親友には他にも仲のいい友達がいました、的な? 分かんないけど。
「……レイラさんとは、その、仲良しなんですか?」
ワインの入ったグラスを両手で包むように持ち上げながら、何気なしに問おうとした。声が少し裏返ったので、マリウッツさんが怪訝な顔をする。
「薬師とか? 見知った仲ではあるが、あくまでも依頼者と冒険者の関係だ」
「へええ、そうですか」
それにしては、随分と打ち解けている様子でしたけど。
なんだか面白くなくて、ちょっと拗ねた物言いをしてしまった。
「ほう……」
そんな私を前に、どこか嬉しそうなマリウッツさん。両肘をつき、絡めた両手に顎を乗せて楽しそうにこちらを見てくる。
「な、なんですか」
ムッスリ答えるも、「なんでもない」と躱されてしまう。
「むー、なんですかっ」
食い下がって問い詰めると、マリウッツさんはククッと喉を鳴らしてわずかに眉を下げた。
これまで見たことがない表情に、どきりと胸が高鳴る。
「いや……少しずつでも、サチの中での俺の存在が大きくなればいいと、そう思ってな」
「えっ」
どういう意味ですか、と尋ねようとしたタイミングで料理が運ばれてきた。食欲をそそる香りが部屋に満ち、ピィちゃんが目をキラキラと輝かせながら空いている椅子に着席した。早く、早く、と言いたげにペチペチと机を叩いている。
料理は出来立てほかほかをいただくに限る。
私たちは顔を見合わせると、会話を切り上げて料理をじっくり堪能した。
◇◇◇
「はぁ、美味しかったです! 今日は素敵なお店に連れてきてくれて、ありがとうございます」
「プッキュウ」
「口に合ったようで何よりだ」
大満足で息を吐く私とピィちゃんに、マリウッツさんは優しい眼差しを向けている。
冬は日の入りが早い。
じっくりたっぷり料理を味わった私たちが退店する頃には、すっかり陽は落ち、冷たく澄んだ空には星が満ちていた。
はあ、と吐き出した白い息が夜空に吸い込まれていく。
「ギルドまで送ろう」
「では、お言葉に甘えます」
お店の所在地は普段あまり足を運ばない郊外ということもあり、私は素直にマリウッツさんの申し出を受けた。
食後の散歩も兼ねて、のんびりと街の様子を眺めながら並んで歩く。ピィちゃんはカバンに滑り込んで既に丸くなっている。食べた後すぐに寝たら太るわよ。
明るく穏やかな街灯が街並みを照らしている。
昼とはまた違った顔を見せる王都の街。あちらこちらの店から賑やかな笑い声が聞こえてくる。この辺りは飲食店や酒場が多いらしい。
「私、この街が好きです。明るくて、活気があって、生命力に溢れています。この街の一員になれたことは幸運だったと思っています」
「ああ、そうだな。いい街だと思う」
半分、呟くように溢した言葉だったけれど、マリウッツさんの穏やかな声が優しく肯定してくれた。
「マリウッツさんは、ドーラン王国のご出身なのですか?」
「……いや、違う。ずっと遠い国の生まれだ。冒険者を志し、各所を転々としてきた」
マリウッツさんはSランク冒険者だけど、どの国にも属さずに独立していると聞く。今はドーラン王国の王都サラディンを拠点に活動しているみたいだけど、いつかは他の国に行ってしまうのだろうか。
「だから、年越しもそうだが、こうした国を挙げての記念日に何かしたことはなかった。だが……たまには悪くないな」
街明かりに染まるマリウッツさんの横顔をそっと盗み見る。
その表情はとても穏やかで、どこか遠くを見ているようにも見えた。
「……私でよければ、いつでも付き合いますよ」
「それはありがたい」
控え目に申し出ると、マリウッツさんの笑みが深まった気がした。
そうしてゆったりとした時間を共にしながら、気づけばギルドの前に到着していた。
ああ、もう今日が終わっちゃったのか。楽しかったな……
ギルドの窓から漏れる光に目を眇めながら、しみじみと今日一日を振り返る。
……ん? 普通にお出かけを楽しんでしまったけど、よかったのだろうか。
「そういえば、マリウッツさん。何か用事があったのでは? 無事にお済みですか?」
てっきり買い物の手伝いをするのかと思っていたのに。食事をして、街歩きをして、買い物をして――私ばかりが楽しんでいたのでは?
そう思って尋ねると、盛大なため息をつかれた。何事。
「今日は楽しかったか?」
「え? はい。それはもう」
「そうか。ならばよかった」
え? どういうこと?
キョトンと目を瞬く私に、マリウッツさんは息をひとつ吐いてから向き合った。
「『愛と感謝の日』、なのだろう? サチには日頃世話になっている。肩書や経歴に臆さず、色眼鏡で見ることもせず、一人の人間として分け隔てなく接してくれることが、俺に大きな安らぎを与えてくれる。それに、昨日の準備も大変だっただろう。日頃の感謝も込めて、サチを労わりたかった……というのは建前で、俺が今日という日を、お前と共に過ごしたかっただけだ」
「え……」
「髪飾り、やはりよく似合っている。また付けてくれると嬉しい。今日の装いもいつもと違って新鮮でいい」
そう言って目を細めたマリウッツさんが、一歩私に歩み寄る。
厚手の服がカサリと擦れる音が、耳元で響く。
そっと伸びた意外と骨張った手が、愛でるようにバレッタに触れる。
ドキドキと、やけに胸が騒がしい。
落ち着かせるように服の上からギュッと心臓を押さえる。
真っ赤に染め上がった顔が、闇夜に隠れていればいいのだけど――
「あ、りがとうございます……お、おや、おやすみなさい」
「ああ、また」
私はマリウッツさんの顔が見れずに、俯いたままなんとか声を絞り出してギルドの中へと駆け込んだ。




