第86話 薬師のレイラ
翌日、たっぷり昼前まで熟睡した私は、身支度を整えるとギルドの入り口へと向かった。
服は町娘風の白と紺のワンピースに茶色のブーツ。外は寒いのでしっかりコートを羽織る。髪はハーフアップにして、マリウッツさんに頂いたバレッタでまとめている。
そして今日は、たっぷり荷物の入る大きめのカバンを肩から斜めにかけている。
ギルドの入り口では、すでにマリウッツさんが待っていた。
壁に寄りかかるようにして腕組みをしている。いつもの冒険者スタイルではなく、黒い厚手の長袖にタイトな長ズボンといったラフな服装で、なんだかオフって感じで緊張してきた。っていうかスタイル良すぎない?
「昼食は済ませたか?」
私に気づいたマリウッツさんの第一声。大変端的で分かりやすい。
一応おしゃれしたつもりなんだけど……女性の服装を褒めるなんて考えは微塵もないんでしょうね。へっ、別に期待してないもんね。
ほんの少しのがっかりした気持ちを隠しつつ、私はゆるりと首を振った。
「いえ、まだです」
「では、軽く済ませるか」
「はい。その前に……」
マリウッツさんが歩き出そうとした時、肩から下げたカバンがモゾモゾッと波打った。
「プハッ! キューッ!」
「あ、こら。大人しくしなさい」
カバンの中から、ポフッと顔を出したのはピィちゃんだ。
留守番ばかりだと可哀想なので、つい先日アルフレッドさんに相談してカバンから出ないことを条件に街への連れ出し許可が出たのだ。
ピィちゃん用に用意したカバンは、中から外の様子が確認できるように覗き穴がつけられている。
「なんだ、お前も来ていたのか。なるほど、カバンから出なければ外に出ても良くなったというわけか」
「おっしゃる通りです。連れていってもいいですか?」
「好きにするといい」
マリウッツさんの許可も得たので、今日はピィちゃんも連れて初めての街歩き。すでにカバンの中からはピィちゃんのウキウキの波動がヒシヒシと伝わってくる。ペチペチ聞こえるから多分めちゃくちゃ尻尾を振ってるのね。
ピィちゃんに頭を引っ込めてもらい、私はマリウッツさんと並んで歩き始めた。
そして、連れてきてもらったのは、マリウッツさんがよく訪れるという家庭的な飲食店。
昨晩たっぷり食べたので、野菜を中心に軽めのものを注文した。味が濃すぎず、とても親しみやすい味だわ。うん、これは個人的にもまた来たい。いいお店を紹介してもらった。
ピィちゃんには持ち出し用に料理を包んでもらい、店を出てから物陰で食べてもらう。流石に店内で姿を現すのはリスクが高すぎるからね。
申し訳ないけど、ピィちゃんもその点はよく理解してくれていて助かっている。本当に聡くていい子だわ。
それからは、武器店や冒険者御用達の装備品の店を回り、ナイフの専門店では少し時間をかけてじっくり見させてもらった。マリウッツさんも興味深そうに店内をくまなく観察していた。
そして、とりとめのない話をしながら通りかかったのは、以前軟膏を買った薬屋だった。
そういえば、そろそろ軟膏が無くなりそうなんだよね。
ちょうどいい機会だし、買い足しておきたいと思い、チラリと隣のマリウッツさんを窺い見る。
「あの、マリウッツさん。この薬屋に入ってもいいでしょうか? 買いたいものがありまして」
「ん? ああ、ここか。いいだろう」
マリウッツさんの反応から、見知った店であるらしい。冒険者だし、様々な効能の薬はクエストには必須だもんね。
私たちは、カランコロンと少し重たい鈴の音を鳴らしながら扉を開けた。
入った途端に鼻腔をくすぐるのは、薬特有の香り。ツンとした刺激的なものから、甘い香りまで、色々な香りが入り混じっている。
改めて店内を見ると、多種多様な薬が綺麗に陳列されていた。軟膏から回復薬、火傷薬に解毒薬まで幅広く取り揃えられている。高価だけど、灯籠草で作られた万能薬まである。
「俺たちが採取した灯籠草のほとんどがこの店に卸されたんだ」
「わあ、そうだったんですね!」
隣で私の視線を追っていたマリウッツさんが教えてくれた内容に、思わずパッと目を輝かせた。
灯籠草は、以前マリウッツさんと鉄鉱石採取のクエストに出た時の副産物として、ギルドに買い取ってもらった珍しい薬草。
灯籠草は万能薬の素になる。けれど、その取り扱いはとても難しく、効果を最大限に引き出すためには熟練の技がいると聞いた。それに、値段も普通の薬草と比べると倍以上も高く希少なもの。
私たちが洞窟で偶然見つけたものではあるものの、それが薬となって誰かの命を繋いでいる。
そう実感することができて胸が温かくなる。こうして巡り巡って必要な人の手に渡っていくのだろう。
「おや、あんた噂の解体師だね」
「ぎゃあっ!」
色々な繋がりを感じてしみじみしていると、後ろから突然声をかけられて思わず飛び上がってしまった。
慌てて振り返ると、スラリとした長身の綺麗な女性が立っていた。
少しくすんだ金色で、腰までの長い髪を低い位置で緩く結んでいる。切長の薄橙色の目は片方に長い前髪がかかっている。
「灯籠草はそう簡単に入手できるもんじゃないからね。あれだけの量を仕入れることができたのは僥倖だった。おかげで救えた命がたくさんあるよ。感謝している」
「い、いえ、そんな……ええっと」
突然お礼を言われてましても、この人は一体どちらさまなのでしょう?
若草色のつなぎを可憐に着こなしているところを見ると、薬を作っている人なのかな?
戸惑う私を前に、女性はフッと笑みを漏らした。
「私はレイラ。薬師で、この店の店主をしている」
店主さんでしたか! 私が前に軟膏を買ったときは初老の男性が接客をしてくれたから、てっきりあの人が店主さんだと思い込んでたわ。
えっと、レイラさんとは、初めまして……? いや、待てよ。どこかで会ったことがある? うーん?
「あっ! 私、サチっていいます。ギルドの魔物解体カウンターで勤務しています」
記憶の糸を辿りながらも、慌てて名乗って頭を下げる。
レイラさんはクスクスと笑いながら、緩やかに腕組みをして首をもたげた。所作の一つ一つが様になっていてついつい見惚れてしまう。
「噂は耳にしているよ。随分と腕が立つらしいじゃないか。うちに来る冒険者たちがよく話しているよ。それに、私も何度か世話になったことがある」
「え?」
何度かって、灯籠草のことだけじゃなくて? 私の仕事は魔物の解体だし、薬屋さんとは接点がないはずだけど……
混乱する私に答えを教えてくれたのは、隣で様子を見守ってくれていたマリウッツさんだった。
「こいつは薬師だが、薬の材料を自分で採取するために冒険者登録をしている」
「え?」
「マリウッツ氏の言う通りさ。私はCランク冒険者の資格を持っている。薬草や薬の材料になる魔物素材を自分で取りに行っているからね」
「ええっ!?」
Cランクって、結構すごいのでは?
知らないうちに、もう何度もレイラさんの持ち込んだ魔物の解体を担当していたらしい。
うう、流石に誰からどんな依頼があったかまでは把握しきれていない。それに、魔物の振り分けや受付は基本的にドルドさんがしてくれるから、レイラさんとは直接話したことはないはず。
私が困惑している間に、レイラさんはマリウッツさんに視線を向けた。
「ああ、そういえば、この間採ってきてもらった薬草のおかげで薬の出来は上々さ。きっと依頼者の病気も良くなるだろう」
「そうか。それはよかった」
マリウッツさんは、たまにレイラさんの依頼で入手難度の高い薬草を採取することがあり、それなりに面識があるご様子。
最近も何度かクエストを受注していたのだとか。まあ、それだけでなく店主と客としても見知った仲らしい。
私の知らない話を語る二人に、少し疎外感を抱いてしまう。むう。なんだかちょっと、つまらない。
「それで、今日の用件は? 何か入り用かい?」
「あっ、そうだ。その、手荒れに効く軟膏を買いにきました」
もやもやする胸の内を隠しながら、慌てて薬屋を訪ねた理由を話す。
「ふむ、なるほど。それなら、こっちの軟膏を使うといい。今は冬場で指先も冷える。血行が良くなる効果と保湿効果が高めに作られている」
それはなんとも魅力的な内容だわ。
「では、そちらをお願いします!」
「はいよ。ちょっと待ってな」
二つ返事でお願いすると、レイラさんは手際よく軟膏を包んで勘定を済ませてくれた。スマートなお人だ。
「私ね、ずっとあんたとゆっくり話してみたかったんだよ。サチって呼んでもいいかい?」
軟膏を手渡される際に、そっと包み込むように手を握られた。所作がいちいちイケメンなので、ドキッと不覚にもときめいてしまったじゃないの。
「は、はい、もちろん!」
「ふふ、ありがとう。また、近いうちに訪ねるとするよ。よろしくね」
「え? は、はい。お待ちしておりますね」
魔物解体カウンターに、ってことだよね。
にこやかに微笑むレイラさんに挨拶をして、ぽわぽわとレイラさんにあてられた余韻に浸る私と呆れ顔のマリウッツさんは薬屋を後にした。
あっ、新キャラだ!




