第82話 祭りでの遭遇 ◆アン視点
「ふう、さすがに少し混んでたわね。早くサチのところに戻らなくっちゃ」
お手洗いを済ませた私は、時計を確認した。
あと一〇分で年越しね。真っ直ぐ戻れば間に合うかしら。
さて、愛すべき親友のもとへと向かうとしますか、と人混みに足を踏み出そうとした時、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「え、あ、アンさん!?」
声の主は、サチと同じ魔物解体カウンターで働くナイルさんだった。
いつもの解体スタイルではなく、ゆったりとしたオーバーオールを着ていて、元が童顔なだけにあどけなさが滲んでいる。
「あら? ナイルさん…………と、え? 隠し子?」
そのナイルさんからススス、と視線を下げると、彼の両足に子供がしがみついていた。ツインテールの女の子と、少し癖毛の男の子。二人ともナイルさんにそっくり。
あらあら、ナイルさんって確か二五歳だったわよね? それにしては大きなお子さんだわ……六、七歳ぐらいかしら? 随分若いパパねえ。
そう思いながらニッコリと笑顔を向けると、ナイルさんは慌てた様子でブンブンと両手を振った。
「ち、ちちちちち違うっす!! 妹と弟で……うわっ、ちょ、別方向に行こうとするな!」
あらゆることに興味津々のお年頃らしく、おチビちゃんたちは目的のものしか目に入っていない。
「りんごのあめ食べるの!」
「お面欲しいのー!」
ナイルさんの右手と左手をそれぞれ掴んだまま引っ張るものだから、ナイルさんが「アイテテテッ」と涙目になっている。このままだとナイルさんが千切れちゃうわよ?
「まあまあ……はい、これ。よかったらどうぞ。ナイルさん、あげてもいいかしら?」
確か、カバンにさっき買ったクッキーを入れていたはず。ガサゴソ、とカバンを探って目的のものを取り出して腰を落とした。サチと露店を見て回っていた時に見つけたクッキーはちょうど二枚入り。
「えっ、いいんっすか? ありがとうございますっす!」
「なになに? わー! クッキーだ!」
「やったー!」
封を切ってクッキーを差し出すと、パァッと目を輝かせた子供たちがナイルさんを窺うように見上げた。
「ん、いいよ。ちゃんと礼を言うんだぞ」
「おねえちゃん、ありがとー!」
「ありがとっ!」
お兄ちゃんの許可を得て、クッキーを手に取った二人は、すぐにパクリとクッキーに齧り付いた。
「「おいしー!」」
「うふふ、よかったわ」
目をキラキラと輝かせてクッキーを頬張る子供たち。とっても可愛いわ。
モッモッとクッキーを食べる二人の様子をたっぷり堪能した私が立ち上がったところで、ナイルさんが頭を下げた。
「助かりましたっす。こいつら、年越し祭りに行くって聞かなくって……たっぷり昼寝をして体力満タンなんっす」
元気一杯の妹と弟に連れ回されたのだろう。ナイルさんはげっそりとして疲労困憊なご様子。
「あら、それは大変ね……ご両親は? 一緒に来ているのかしら?」
「いや、父ちゃんと母ちゃんは、もっと下のチビの面倒があるっすから……今日は兄ちゃんの俺が世話係ってわけっす」
ああ、そういえば。思い出したわ。ナイルさんは五人兄弟の長男で、歳の離れた妹弟がいるのよね。若くから過酷な魔物解体カウンターで働いているのだって、子供が小さくて手が離せない母親のためだって聞いたことがある。
普段は少し頼りなく見えるけど、家族思いの素敵なお兄さんなのねえ。
微笑ましい気持ちに包まれながら、サチがいるであろう方向に視線を向けた私は、目を見開いた。
あれは……うふふ。本当、サチってば隅に置けないんだから。
仕方がないから、少しお節介を焼いてあげようかしら。
「ねえ、ナイルさん。よかったら少しの間ご一緒してもいいかしら? この子たちを一人で見るのは大変でしょう?」
「えっ!? で、でも、サチさんと来てるんっすよね? サチさん、仕事中に話してくれたっすよ? すっごく楽しみだって言ってたっす」
サチがそんなに私との約束を楽しみにしていてくれたなんて。素直に嬉しいわね。サチってば人気者で引く手数多なんだもの。
「あら、嬉しい。でも、ちょうど彼が登場したようだし、少しの間なら大丈夫よ」
「え? ああー……なるほどっす」
ナイルさんもサチのもとに足早に向かう人物の姿を確認して、納得したように笑った。
「本当、どこまでも鈍い人っすよね」
「本当にねえ。なんで気付かないのかしら」
相手の気持ちにも――自分の中に芽生えつつある気持ちにも。無意識に目を背けているようにさえ見えるもの。
私はやれやれ、と息を吐くと、子供たちに声をかけた。
「ねえ、私も一緒にお空のお花、観てもいいかな?」
「え? おねえさんも? うんっ!」
「わあい! いっしょに見よう!」
はぁ、可愛い。天使だわ。
子供たちは私の両手をそれぞれ握って、ブンブンと腕を振っている。うん、なかなかの力ね。
ナイルさんに視線を向けるとパチッと目が合った。フフッと微笑みかけると、あわあわと目を泳がせてしまった。どこか顔が赤いように見えるけれど、きっとこの子達の相手をして暑くなっちゃったのね。これだけ元気なのだもの、お兄ちゃんも大変だわ。
なんて戯れている間にも、周囲がカウントダウンを開始した。
「ごーお! よーん! さーん! にーい! いーち……おめでとおー!」
「わーい!」
まごつきながらもきちんとカウントダウンをした子供たちは、周囲に合わせてキャッキャとはしゃいでいる。
私は一人っ子だから、歳の離れた兄弟がいたらこんな感じなのかなあ、と穏やかな気持ちになる。
楽しそうにピョンピョン飛び跳ねている彼らに癒されながら、ナイルさんに向き合った。せっかく一緒に年を越したのだから、新年の挨拶をしないとね。
「ナイルさん、今年もよろしくお願いします」
「は、はいっす! こちらこそ、よろしくっす! そ、その、まさかアンさんと一緒に年を越せるだなんて……」
ナイルさんはどこか気恥ずかしそうに頭を掻いて瞳を揺らしている。
「あら、お邪魔だったかしら?」
「いえっ! とんでもないっす! むしろその逆っす!」
「逆……? それってどういう……わ、ちょっと、引っ張りすぎよ!」
ナイルさんの言葉の意図が読めずに思考を巡らそうとしたところで、子供たちに両手をグイッと引っ張られた。花火に興奮しすぎているわね……腕が抜けそうだわ。
「はあ……鈍いのはアンさんもっすけどね……」
「え? ごめんなさい。何か言った?」
「いえ、なんでもないっす。忘れてくださいっす!」
子供たちの笑い声にかき消されて、ナイルさんの声が聞き取れなかった。
申し訳なくて眉を下げて聞き返したけれど、なぜかナイルさんは顔を赤くして激しく頭を左右に振った。
「ええ? 何、気になるじゃない」
「アンっ!」
私が食い下がろうと身を乗り出したタイミングで、サチの声が聞こえた。
あら、見つかっちゃったわね。
声の方に視線を向けると、手をブンブン振るサチと、澄まし顔のマリウッツ様がいた。さりげなく人混みからサチを守るように立っているわ。さすがね。
「ナイルさん、そろそろサチのところに戻りますね。また、この子たちと一緒に遊ばせてね!」
「え……また、えっ!? あっ、はいっす!」
「また遊んでくれるのー? やったあっ」
「うれしい! またね、おねえちゃんっ!」
ナイルさんたちと手を振り別れ、サチのもとへと向かった。
入れ替わりでマリウッツ様は颯爽と去っていってしまったけれど、目的はしかと果たせたのかしら。
サチとの年越しの権利を譲ったんだもの。高くつくわよ。
うーん、そうね……今度、在庫クエストの処理でも頼んでみようかしら。結構溜まってるのよねえ。
マリウッツ様の背中を見送りながら、私は密かに今日の貸しの取り立て方法に思いを巡らせた。




