第80話 年越し祭り
「さ、今日は一八時で店じまいだ。年末最後までクエストに出てる冒険者も少ないしな、空いた時間にカウンター内を掃除してスッキリ新年を迎えるぜ」
「はいっ!」
そして迎えた年内最終日。
ギルドはいつもより少し早めに、一八時までで受付終了となる。ちなみに新年は三日間窓口を閉めて、ギルド職員は家族との時間をゆっくり過ごすのだという。
今日はドルドさんの言う通り、魔物の持ち込みは随分と少ない。一人でも回せる程なので、残る人手で作業台や床をきれいに拭き、予備のナイフの手入れや備品の整理に時間を費やした。一年間の感謝の気持ちを込めて、丁寧に磨き上げる。もちろん愛用しているオリハルコンのナイフも丹念に磨く。
お昼休みに入り、一息ついた私はピィちゃんを頭に乗せて食堂へと向かった。
「あれ、マリウッツさん?」
「ん、サチか」
するとそこに見知った人物を見つけたので、笑顔で駆け寄った。
「なんだか久しぶりですね! あまりクエストに出ていなかったんですか?」
ここ数日姿を見なかったので、本当に久しぶりだわ。ピィちゃんも「ピピィッ!」と嬉しそうに鳴いて、マリウッツさんの肩に飛び移った。あ、浮気者。
マリウッツさんはフッと微笑んでピィちゃんの喉元を撫でている。ピィちゃんったらとろんとした顔でゴロゴロ喉を鳴らしちゃって……ぐう、浮気者……! 私にはそんな顔しないくせに!
「クエストは受注していたのだが、魔物討伐ではなく護衛や希少な薬草の採取などを受けていた」
むむむ、と不貞腐れていると、マリウッツさんが先程の質問に答えてくれた。
「ああ、それで魔物解体カウンターにはあまりいらっしゃらなかったのですね」
とにかく年内最後に会えてよかった。
マリウッツさんにお断りを入れて同席させてもらい、みんなで昼食をいただく。
「マリウッツさん、今年はたくさんお世話になりました」
「なんだ急に改まって」
年の瀬のご挨拶をしようと思ったのに、ものすごく不可解な顔をされてしまった。
「え、いや。今日は年越し祭りの日でしょう? 明日には新年を迎えますし、今年のご恩は今年のうちにと思いまして」
今日の賄いはミートソースのパスタなので、くるくるとフォークでパスタを巻きながら答えると、マリウッツさんは僅かに目を見開いた。
「そうか。全く気にしていなかった」
どうやら今日が年内最終日ということを認識していなかったらしい。
「マリウッツさんは年越し祭り、行かないんですか?」
「いや、毎年寝ているな」
「ええっ!? なんで!」
誰か一緒に行く人がいるのかな、と少し気になって尋ねてみたところ、斜め上の回答が来た。
「一緒に回る相手もいないし、人混みは得意ではない」
マリウッツさんの言葉に、なぜか胸の奥でホッと安堵している自分がいる。
んん? と思って胸に手を当ててみるけれど、心音も普通だし、特に変わった様子はなさそう。
首を傾げている間に、少し逡巡した様子のマリウッツさんが躊躇いがちに口を開いた。
「……サチは誰かと行くのか?」
「はい。アンと約束しています!」
「そうか」
満面の笑みで答えると、マリウッツさんはとても優しい目で私を見た。アルフレッドさんやドルドさんもそうだけど、マリウッツさんも私がこの世界に溶け込んでいる様子を温かく見守ってくれている気がする。
「だから、もしお祭りに行かれるのなら会えるかもしれませんよ?」
「……そうだな」
あ、これは来ないな。
マリウッツさんの微妙な返事に苦笑する。
まあ、人混みが嫌いなら仕方がないよね。新年の挨拶はカウンターが再開してからになりそうだわ。
「カウンターまで送ろう」
「いいんですか?」
昼食を終え、そろそろお昼休みも終わる頃合いになった。よいしょ、と立ち上がってトレーを返すと、マリウッツさんは当たり前のようにカウンターまでついてきてくれた。
「ドルドにも挨拶しておこうと思ってな」
「ふふふ」
なんやかんやで義理堅いお人だ。私がニヤニヤしていたから、じとりとした目で「何を笑っている」と言われてしまった。ふふふ。来年もまたこうして、楽しく過ごせたらいいなあ。
魔物解体カウンターに到着すると、出迎えてくれたドルドさんと少し話をし、マリウッツさんは去っていってしまった。年内最後だというのに実にあっけない。まあ、会えてよかったと思おう。
「さて、もう一踏ん張り、やるぞ!」
「はいっ!」
ドルドさんの気合いの一言に応え、私は再びカウンター内の大掃除に邁進した。
◇◇◇
「お待たせ〜」
「大丈夫よ、時間ぴったり。ピィちゃんは寝てくれた?」
「うん、ぐっすり」
一八時にカウンターを閉めてから、ドルドさん、ナイルさん、ローランさんに年の瀬の挨拶をし、軽めの夕飯を済ませてから自室へと戻った。
しっかりお腹が満たされたピィちゃんは、すぐに睡魔が襲ってきた様子で、部屋に戻るや否や「クァァ」とあくびをしてベッドに潜り込んでしまった。
プピピ、と可愛い寝息を立てて熟睡していることを確認し、厚手のコートを羽織ってからアンの家へと向かった。
ちょうど二十一時に到着したのだけど、すでにご両親は年越し祭りに向かったあとらしく、出迎えてくれたのはアン一人だった。
「さ、私たちも行きましょう」
「うん!」
楽しそうなアンに手を引かれ、私も笑顔になってしまう。
大きな通りに出ると、途端に賑やかな喧騒に包まれた。
「うわぁ……すごいお店と人」
通りにびっしりと露店が並び、たくさんの人が往来している。あちこちから明るい笑い声が聞こえてきて、お祭り特有の雰囲気にワクワクする。
すでに陽は落ち、あちこちに吊るされたランタンがすっかり闇に覆われた街を暖かく照らしている。
「さて、とりあえず大通りを一通り見てみましょうか! 夕飯は控えめにしているから、目ぼしいものがあったらどんどん食べるわよお!」
「そうね! 今日は時間なんて気にしない!」
夜分遅くの飲み食いは乙女の敵だけど、今日ぐらいは目を瞑ってもいいでしょう。まあ、今日だけでなく、たまに業務後の遅い時間までアンやドルドさんたちと飲むことはあるんだけど。
露店は食べ歩きしやすい品が多く、どれも美味しそうで目移りしてしまう。食べ物だけでなく、ホットワインやココアといった温かい飲み物を提供する露店も目立つ。街の熱気は凄くとも、流石に真冬だから夜は冷える。温かい飲み物が欲しくなる。
私たちはラディッシュベリーのホットワインを片手に、いくつかの店舗をはしごして、お腹を満たした。
露店は飲食店だけでなく、輪投げや射的といったゲーム屋台から雑貨屋まで様々だ。子供が親にねだってゲームに励んでいる様子は、元の世界の夏祭りを彷彿とさせる。
「アンも子供の頃は家族で来ていたの?」
「ん? そうねえ。あの子たちみたいにゲームがしたいって駄々をこねてママを困らせてた記憶があるわ。パパが私と一緒になって、やりたいやりたい! って地団駄を踏むものだから、思い切り呆れられていたわね。ふふっ、懐かしいわあ」
アンが遠い日の記憶と重ねるように、目を細めて屋台で遊ぶ子供たちを見つめている。
……いいなあ。
私には両親とお祭りに来た記憶はない。
おじいちゃんに連れて来てもらったことはあるけど、定食屋が休業日の時とお祭りの日がうまく重なっていなければ行けなかった。定食屋の営業日は、花火の音を遠くに聞きながら、寂しさを紛らわせるように店の手伝いに励んだものだ。
……いけないいけない。年の瀬はどうしても家族を強く意識してしまう。
「サチ、あっちに面白そうな露店があるわよ! 行ってみましょう」
「わっ、アンったら……走ったら危ないよ」
少し感傷に浸っていると、少し遠くに行っていた意識を引き戻すかのように、私の腕をアンがグイッと引っ張った。頬を紅潮させて元気に笑うアンを見ていると、僅かに感じていた寂しさがフッと消えていくのが分かった。
――うん、今の私には気落ちした時に引き上げてくれる大切な人たちがいる。楽しい思い出はきっと、この先もたくさん増えていくはずだ。
「早く早く!」と急かすアンの後を追うように、私も軽やかに地面を蹴った。




