第71話 ピィちゃんの結界
淡く清らかな光が、私たちを優しく包んでくれている。
「ピィちゃん、いつの間にこんなにすごい結界を……」
「ピュアッ」
ピィちゃんは肩越しに振り返って、得意げに鼻の穴を膨らませている。
そういえば、ピィちゃんと出会った時も結界を張っていたことを思い出す。そのおかげで、サラマンダーの腹の中でも消化されずに生き残れたのだとされていた。
でも、あの時の結界はせいぜいピィちゃんの身体を包むほどの小さいものだった。それに、それ以来ピィちゃんが結界を張るところを見たことがなかったのに……
もしかして、たまに姿をくらませていた間にこっそり練習をして……?
まさか、ね。
とにかく、ピィちゃんのおかげで助かったことには違いない。
「ピィちゃん、ありがとう」
「ピュィッ」
ピィちゃんと話している間にも、ポイズングリズリーがガシガシと結界に爪を立てている。けれど、ピィちゃんの結界は揺らぐことなく攻撃を無効化している。
「ピィちゃん、このままあの人に代わってみんなを守ってくれる?」
「ピィッ!」
私の頼みに、ピィちゃんは凛々しい表情で頷いてくれた。なんとも頼もしい。
「これは、すごいですね」
「アルフレッドさん!」
驚いた様子で私たちの後ろに立ったアルフレッドさんは、ピィちゃんに視線を向けると、覚悟を決めたように口を開いた。
「ピィちゃんさん。この結界は、内側から外側に干渉することはできますか?」
「ピィッ」
「できるみたいです」
ピィちゃんの答えを聞き、アルフレッドさんはキッとポイズングリズリーを睨みつけた。そして怪我人の傍に集められた彼らの武器の中から、大斧を選んで手に取った。
「サチさん、ピィちゃんさん、頭を下げてください!」
「えっ!? おわわっ!」
ブンッブンッとアルフレッドさんが大斧を回転させている。私たちが慌てて頭を抱えてしゃがみ込むと、頭上からヒュッと空を裂く音が聞こえた。続いて、ポイズングリズリーの断末魔の叫び声が響いた。
アルフレッドさんの大斧が、ポイズングリズリーの胴体を真っ二つに切っていた。
ブシャアッと鮮血が結界に降り注ぎ、アルフレッドさんは慌てて視線を背けた。
「だ、大丈夫ですか!?」
アルフレッドさんはまだまだ血を克服できていないのに、なんて無茶をするのだろう。慌てて顔色を窺うと、僅かに青くなってはいたものの、倒れるほどではないみたい。よかった……。
「サチさんやピィちゃんさん、それにマリウッツ殿が頑張っているのです。僕だけ何もしないわけにはいきません」
アルフレッドさんの視線の先で、マリウッツさんがマンティコアと激しい攻防を繰り広げている。
アルフレッドさんは小刻みに震える手で、ギュッと強く大斧を握った。
そして今度は、残るポイズングリズリー3頭と、未だに地面に臥したままの冒険者たちを見た。みんなどうにか立ち上がって攻撃に転じようとしているけれど、ポイズングリズリーの立ち直りの方が早い。
アルフレッドさんは深く息を吸って、吐いた。
「ああああああっ!」
止める間も無く力強く地面を蹴って、戦闘に加わっていく。ブランクなんて感じさせずに軽々と大斧を振り回してポイズングリズリーを威嚇し、冒険者たちと距離を取らせる。そして、彼らを鼓舞して的確に指示を飛ばしている。
アルフレッドさんが参戦したことで、統率が取れていなかった冒険者たちの動きが格段に良くなっていく。
ほんの少し観察しただけなのに、アルフレッドさんは彼らの特徴をよく把握して、鋭い指示を飛ばしていく。その姿は、つい先日語って聞かせてくれたAランク冒険者だった頃の面影を思わせた。
ラフレディアの妨害も無くなったことで、冒険者たちの動きも良くなっている。先ほどまで決定打に欠けていたのが嘘のように、1頭、また1頭とポイズングリズリーが地面に沈んでいく。
最後の1頭が倒されたことを確認して、私は控えていた治癒師と顔を見合わせた。そして怪我人に手を貸すべく、彼らのもとへと駆け寄った。ピィちゃんには引き続き結界を維持してもらうようにお願いした。
「アルフレッドさん!」
「サチさん!」
肩で息をするアルフレッドさんの頬は紅潮している。ポイズングリズリーの返り血を少し浴びているけれど、戦いの高揚感が血の恐怖を上回っているようだ。
とにかく、アルフレッドさんや冒険者の皆さんに大怪我がなくてホッとした。
「結界から出ては危険です。さあ、ここに居てはマリウッツ殿が全力を出せません。彼の足を引っ張らないように、我々は結界の後ろに下がりましょう」
アルフレッドさんに促されて冒険者の皆さんが続々とピィちゃんの張る結界のもとへと向かっていく。私も座り込んでいる怪我人に手を貸して、立たせては結界に誘導する。
「さあ、サチさんも――」
「はい」
彼らに続いて、ピィちゃんのもとに向かおうとした私の後ろから大きな影が差した。
「――え?」
振り返ると、どこから現れたのか、とびきり巨大なポイズングリズリーが鋭い爪を振り上げているところだった。
嘘っ、6頭目……!?
「危ないっ!」
咄嗟に動けずに固まる私に向かって、アルフレッドさんが飛び出してきた。
まるでコマ送りのように場面が展開していく。
振り下ろされる鋭く黒い爪。視界いっぱいに広がるアルフレッドさんの赤い髪。逞しい腕に強く抱きしめられ、飛び出してきた勢いをそのままに地面に転がった。
「くうっ」
「アルフレッドさんっ!」
私を庇ったアルフレッドさんは、肩を痛めたようで、キツく眉間に皺を寄せている。慌ててアルフレッドさんの腕から抜け出して、アルフレッドさんを楽な体勢にするべく横たえるけれど、再びポイズングリズリーがこちらに向かってくる。
先に結界に向かっていた冒険者の面々が急いでこちらに走ってきている。
でも、彼らを待っていたら、きっと間に合わない。
ドクンドクンと、血が沸騰するかのように熱く脈打っている。
私はアルフレッドさんを後ろに庇うように、ポイズングリズリーの前に立ちはだかった。




