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第69話 一閃

「うわぁぁぁぁぁ!!」


 ゆっくりと、音を立てないように道なき道を進むと、急に視界が開けた。それと同時に、ビリビリと鼓膜を震わせるような喧騒が押し寄せてくる。


 そこは小さな泉のある、かなり開けた場所だった。


 突然差し込んだ日の光が眩しくて目を眇めていたけれど、徐々に明るさに目が慣れてきた。

 そして、目の前に広がる光景に、絶句した。


 紫の渦巻き模様を有する2メートルはあろうかという巨大な黒い熊が5頭。そして威嚇するように蔦をうねらせる食卓よりも大きな蠢く花。先ほど聞こえた咆哮は、恐らく巨大な黒熊のものだろう。花は視認できるだけでも3株。横並びになって蔦を絡ませ合って上下左右に葉を広げていて、まるで何かを守る壁のようにも見える。


 先遣隊の冒険者たちは、足元を這うように迫る蔦を躱しながら黒熊の巨大な爪や牙を辛うじて剣で凌いでいる状況だった。誰かが足を取られたら、別の誰かがすかさず蔦を切る。間髪容れずに襲い来る黒熊の攻撃を紙一重で回避している。防戦一方で、どう見ても分が悪い。

 剣を取り戦う冒険者の背後には、怪我人だろうか、何名かの冒険者が横たわっていて、彼らを守るように1人が両手を前に突き出して必死に【結界】を張っている。


「あれは……ポイズングリズリーですね。なんてことだ、5頭も……Bランクの魔物で気性が荒く、その爪にも牙にも猛毒を有しているので、一筋縄ではいかない相手です。それに、奥の花は……きっとラフレディアが株分けをした子株たちでしょう」


 アルフレッドさんが丸眼鏡を押し上げながら囁くように教えてくれた。


「恐らく横たわっている彼らは毒に侵されているのだろう。解毒薬も尽きたのか……奴等の毒の回りは早い。支援物資として解毒薬を多めに持ってきてあるはずだ。どうにかして合流するにも、植物が煩わしいな」


 素早く視線を動かして戦況を把握するマリウッツさんは、ポイズングリズリーよりもまずは冒険者たちの戦闘を妨害しているラフレディアの子株をどうにかすべきと判断したらしい。


「氷雪系の【天恵(ギフト)】で一掃できないか?」


 マリウッツさんが後援隊に加わっている氷雪系の【天恵(ギフト)】持ちに問いかける。


「ここからだと、到底あの量を氷漬けにすることはできません。もっと近づかないと……」


「そうか……見たところ、先遣隊が花に攻撃を仕掛けようとしても、黒熊が妨害してくるようだ。恐らくだがあの花の壁の向こうにラフレディア本体が隠れているのではないか?」


 マリウッツさんの推測に同調するのはアルフレッドさんだ。


「ええ、そう考えるのが妥当でしょう。そして、ラフレディアが宿主の魔物を守っているのでしょうね。ですが、あくまでも憶測です。決めつけて行動しないように気をつけてください」


「ああ、分かっている。とにかく、先遣隊と合流するにもあの蔦が邪魔だ」


 マリウッツさんは顎に手を当てて逡巡している。このまま消耗戦が続けば、崩れるのは先遣隊側であることは素人の私にも分かる。けれど、ワッと戦いに参戦したところで、ますます混戦となって現場の混乱を助長しかねない。


「よし。あの花は俺が蹴散らす。お前たちは俺の攻撃の後、ひとまとまりになって怪我人を目指して走れ」


 そう言って顔を上げたマリウッツさんは、シャラリと背中の剣を抜いた。マリウッツさんの愛剣は、水面のように澄んだ色をしていて、思わず魅入ってしまいそうなほど美しい。


「俺の剣にスキルを使え」


「え?」


 マリウッツさんが氷雪系の冒険者の前に刀身を向ける。冒険者は戸惑ったようにしばし逡巡していたものの、すぐに覚悟を決めてマリウッツさんの剣に両手を向けた。


「い、行きますよ! 【凍結】!」


 途端に肌寒くなり、マリウッツさんの剣が淡い光で包まれる。ピキピキと、空気中の水分が凍っていく音がする。


「喰え」


 マリウッツさんが低く呟くと、剣にまとわりついていた冷気が渦を巻いて剣に吸い込まれていった。

 一同が驚いている間にも、マリウッツさんは青白い光を放つ剣を構えて足を大きく踏み込み、地面を蹴った。


「【一閃】――氷の太刀」


 ミシッと踏みしめていた地面が沈み、凄まじい風が吹き抜けた。まるで閃光のように残影を残して、マリウッツさんは真っ直ぐに花の壁に突進した。


 目にも止まらぬ速さであっという間に花の壁の前にたどり着いたマリウッツさんが、勢いよく剣を振り抜いた。

 キィン、と高く澄んだ音がした瞬間、バキン! とラフレディアの花が氷漬けになった。ピキピキと葉と蔦も凍っていき、やがて氷の壁となった。


「す、すご……」


「マリウッツ殿の剣は、サチさんのナイフと同じく能力を宿した武器なのです。能力を吸収して攻撃に転ずる。唯一無二の剣で、魔剣と呼ぶ人もいます。さあ今です、行きましょう!」


 マリウッツさんの強さに呆気に取られていた一同は、ハッと我に帰って一斉に怪我人が横たわる場所目がけて駆け出した。


 突然凍りついた花の壁に、ポイズングリズリーと対峙する先遣隊の冒険者たちが目を見開いている。次いで飛び出してきた私たちの姿を目にし、安堵の色を滲ませた。怪我人を守っていた【結界】を一瞬緩めてもらい、その隙に【結界】の中に転がり込む。


「後援隊、到着しました。解毒薬を持ってきていますので、すぐに怪我人の治療に移ります」


 治癒師の女性が素早く背負っていた荷物を下ろして解毒薬と回復薬を取り出す。私とアルフレッドさんも彼女を手伝って怪我人に薬を飲ませていく。他の冒険者は、態勢を整えてから続々とポイズングリズリーと戦う先遣隊のフォローに飛び出していく。【結界】は外からの侵入を阻むが、中からは自由に出ていけるみたい。


 一通り薬を飲ませたタイミングで、マリウッツさんの方へと視線を移した。


 氷漬けになった花の壁は粉々に砕かれ、キラキラと舞い散る氷の結晶の中にマリウッツさんは佇んでいた。


 そして、そのマリウッツさんが睨みつける先に、馬車よりも巨大な毒々しい花が禍々しく蠢いていた。

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