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第66話 救援要請 ◆前半???視点

 先遣隊派遣前夜。


 カチャン、と思わずカップを置く際に音を立ててしまい、ビクリと肩が跳ねた。


 恐る恐る主人のリリウェル様を窺うも、随分とご機嫌なご様子で、音を立てたことを咎められずにホッとした。僅かに溢れた紅茶を素早く拭き取り壁際に下がる。


 王女付きメイドにあるまじきことであるが、つい、目の前で繰り広げられている会話に動揺してしまったのだ。


 ここはリリウェル様の私室。

 数日前までは隣国の凄腕冒険者様が毎日不機嫌そうに通い詰めていたけれど、先日リリウェル様を一喝して以来彼の足は途絶えている。


 リリウェル様に高慢な物言いをして、最悪の場合始末されるのでは、とあの場に控えていた私は生きた心地がしなかった。けれど、いい意味で期待を裏切られ、リリウェル様は不機嫌そうにしつつも彼に制裁を加えることはしなかった。ようやく彼がリリウェル様から解放されたことに、私は密かに安堵した。


 兄君であるヘンリー第一王子様が、小まめに訪れてリリウェル様に釘を刺していたのも幸いしたのかもしれない。

 これまでは「はいはい」「お兄様うるさいわ」「わたくしの勝手でしょう」と軽くあしらうばかりだったので、素直にヘンリー様の言うことを聞く様子に違和感を抱かずにはいられない。急に物分かりが良くなることなんてあるのだろうか。なぜか、ずっとザワザワと胸騒ぎがして落ち着かなかった。


 そして今、リリウェル様に呼び出された1人の騎士様は、冷や汗をダラダラとかきながら、顔面蒼白で扉の前に立ち尽くしている。きっと、私も同じような顔色をしていることだろう。


「あら、聞こえなかったのかしら? 明日、魔物の討伐に部隊が派遣されるのでしょう? いくらわたくしでも、それぐらいは把握しているのよ。そこに、あなたも参加するのでしょう?」


「は、はいっ」


 騎士様の声が震えている。壁際で空気になりながら見守る私の手も震えている。

 部屋の中で唯一、リリウェル様だけが楽しそうに笑い声を上げている。


「ふふ、これだけお父様もお兄様も忙しくされているのですもの、かなり厄介な魔物なのでしょう? そんなに簡単に片付くはずがないわ。きっと、すぐに援軍を投じることになるでしょう。いい? その時が来たら、さっき指示したことを忘れないで。さもなくば……ふふ、分かっているわよね?」


 白くきめ細やかな頬に手を添えながら、にんまりと真っ赤な紅を添えた唇が頬を割く。

 リリウェル様はとても美しい。それだけに、冷酷な表情をされると、物凄く恐ろしい形相になる。


 立ち尽くす騎士様も、足をすくませて益々顔色を悪くさせている。


「よく分かったようね。下がっていいわ。せいぜい死なないように頑張ってちょうだい」


 用件は済んだとばかりに、ひらりと手を振って騎士様に退室を促すリリウェル様。私はハッとして急いで扉を開けに走った。

 頭を深く下げて、焦点の合わない目でふらつきながら廊下を歩いていく騎士様の後ろ姿を見送った。


 そっと扉を閉めながら、先ほど聞かされてしまった恐ろしい企ての内容を頭の中で反芻する。どうしてそんなことを考えつくのだろう。人の血が通っているのかと、疑いたくなっても仕方がないと思う。


「お茶が冷めてしまったわ。淹れ直してちょうだい」


「はい」


 私は反射的に返事をすると、素早くリリウェル様の前から茶器を下げた。よくあることなので、熱々のお湯は多めに用意してある。ワゴンで新しい茶葉とお湯を注ごうとするが、どうしても手が震えてカチカチと茶器を鳴らしてしまう。


 リリウェル様の企てに巻き込まれようとしている人々の顔が頭に浮かんでは消えていく。冒険者様、魔物解体の手伝いに来てくれているという解体師様、そして、ドーラン王国ギルドのサブマスター様。

 私は無力だ。リリウェル様も私がどうすることもできないと分かって話を聞かせたに違いない。現にこうして誰かに助けを求めることすらできずに下を向いている。幼い頃からずっと変わらない臆病な性格に嫌気がさす。


 美しいものに目がないリリウェル様が、私のような平凡な小娘をメイドに迎えてくれているのには理由がある。それは、私が空気のように存在感がないからだ。そして、文句の一つも口にせず、従順であるからだ。

 私は過去の経験から、気配や自分の気持ちを押し殺す癖がついてしまっている。皮肉なことにそこを気に入られてしまったのだけれど。


 どうか、()に危害が及びませんように……まだ、声すらかけることができない臆病者で卑怯な私の願いを聞き届けてくれる神様がいるのなら、どうか。


 そう願いながら、ゆっくりと茶葉が開いていく様子をぼんやりと眺めていた。



 ◇◇◇


 先遣隊が【転移】で出立して丸1日が経った。

 今のところは何の知らせも届いていないらしく、私たちはいつものように解体作業に専念している。ソワソワと気持ちが浮き足立ってしまうけれど、心配したところで現地にいる皆さんの力になることはできない。


 ひたすらナイフを動かしながら、私はふとした疑問を口にする。


「もし、増員が必要になったらどうやって知らせが届くのでしょうか」


「ああ、それは【転移】のジェード殿が伝達役になってくれるのですよ」


 私の疑問に答えたのは、解体の様子を近くで見学していたアルフレッドさんだ。血を克服するためだというので、射程圏外にいることを条件に見学に応じている。


「本当に【転移】は便利ですねえ……羨ましい。色んなところに行きたい放題じゃないですか」


 【解体】の【天恵(ギフト)】のおかげで、こうして手に職を付けて、異世界でも食べていけてるけど、瞬間移動は夢がある。ぐにゃんと歪む感覚だけは苦手だけどね。


「そうでもありませんよ」


「え?」


 ほう、と息を吐く私に、アルフレッドさんは眉を下げながら教えてくれた。


「単身の【転移】でしたら、確かに続けて色んなところに行くことができます。けれど、【転移】できるのは一度訪れたことがある場所に限られます」


「そうなんですか!」


 なんと、流石に制約がありましたか。この世界のあちこち見放題じゃん、と思ったけれど、そううまくはいかない様子。うぬぬ、と唸る私に、アルフレッドさんはさらに詳しく教えてくれる。


「スキルレベルが上がるほどに連れて行ける人数も増えます。ですが、大人数となればなるほど、数時間程度のインターバルが必要となると聞きました。先遣隊に何かあったら、ジェード殿が単身で帰還する手筈となっています。それならば、すぐに後援隊を引き連れて再び【転移】することができますからね。対象の魔物がいる森はここからずっと南方に位置しています。彼の【天恵(ギフト)】があればこその討伐作戦なのです」


「なるほど……」


「20人程度が今の限界だと言っていたぞ」


 感心しながら話を聞いていた私の背後からマリウッツさんも会話に参戦してきた。


「だから先遣隊は12人構成だったんですね」


「そうだ。後援隊は俺を含めて8人が救援要請に備えてギルド内に待機しているからな。余り大人数で攻め入っても、もし戦線離脱する事態に陥った場合、一度に全員が帰還することはできない。殿(しんがり)を務める冒険者たちは、ジェードの気力が回復するまでの数時間、耐え凌ぐ必要がある」


 数で攻めるにもリスクがあるということね。

 普段、こうしてクエストに関する話を聞く機会がないので、とても興味深くて勉強になる。

 私が今後またクエストに出るとしても、素材収集ぐらいだから大人数でパーティを組む機会はないだろうけど。


 うんうん頷いていると、カゴの中で丸くなっていたピィちゃんが突然飛び上がって「ピィー!」と鳴いた。


「む、腹が減ったそうだぞ」


「ああ、もうお昼時ですね。ちょうどいいのでみんなで食堂へ向かいましょう」


 お昼ご飯にありつけるとご機嫌なピィちゃんを腕に抱いて、私たちは昼食のため、食堂に向かった。


 それはちょうど、ギルド中央の受付付近を通った時のことだった。


 カッと青白い光が弾け、ドサリと何かが崩れ落ちるような音がした。音がした方を一斉に振り返ると、傷だらけになったジェードさんが肘をついて起きあがろうとしているところだった。


「ジェードさん!」


 近くにいたギルドの受付嬢と思しき女性が血相を変えて駆け寄った。


「おい! ギルドマスターを呼んでこい!」


 途端に周囲がバタバタと慌ただしくなる。


 それもそのはずだ。

 ジェードさんが単身現れたということは、すなわち、先遣隊に何かがあったということ。そして、後援隊に応援を求めにやって来たということなのだから。

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