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第61話 アルフレッドの過去①

 倉庫に戻ってドサリと椅子に腰を下ろしたアルフレッドさんの隣に座り、そっとハンカチを差し出す。


「すみません。ありがとうございます」


 アルフレッドさんは力無く微笑みながら、じわりと額に滲んだ冷や汗をハンカチで拭う。


「魔物の血も苦手ですが、人の血はことさら苦手で……はは、サチさんには情けないところばかりお見せしていますね」


「……そんなことありません」


 心の傷は目には見えないし、その分簡単に癒えるものでもない。ハンカチを渡した時に僅かに触れた指先は、氷のように冷たかった。


 そっと温めるように手を握り締めると、アルフレッドさんは驚いた顔をしながらも受け入れてくれた。小さく震える手を安心させるようにゆっくりと撫でていると、少しずつ震えが収まってきた。

 アルフレッドさんは、私がこの世界に召喚されて途方に暮れていたところを救ってくれた人。少しでも支えになることができるなら、私は喜んで協力する。


「サチさん、ありがとうございます。落ち着いてきました」


「いえ、とんでもないです」


 アルフレッドさんの言う通り、少し顔色が良くなってきた。

 そっと手を離すと、黙って見守ってくれていたマリウッツさんが水の入ったコップを差し出した。


「いただきます」


 アルフレッドさんはゆっくりと水を飲み干し、深い息を吐いた。


「本当に、情けない。もう何年も前のことをずっと引きずっているんです。こんなことでは、いざという時に動けずにあなたを守ることができない」


 ギュッと空になったコップを握り締めるアルフレッドさんは悲痛な表情をしている。そして、作業台に置かれたまだ血抜きが済んでいない魔物に視線を移すと、意を決したように口を開いた。


「サチさん、予備の解体用ナイフはありますか?」


「え? はい、ありますけど……」


 一体何に使うつもりなのだろう。

 ……まさか、魔物の解体をしようとしているの?


「では、ナイフを貸して……」


「ダメです。この場でナイフを手にしていいのは魔物解体師の私だけです」


 やはり、思った通りアルフレッドさんはナイフを求めた。

 差し出された大きな手をグッと押し返し、そのまま両手で包み込んだ。


「ほら、また震えています。魔物を切って、血に慣れようとしたのでしょう?」


「あ、はは……お見通しでしたか」


 アルフレッドさんは肩を落としながら弱々しく微笑んだ。いつも大きな背中が、やけに小さく見える。


「本当に情けない。考えただけでも震えてしまうなんて」


「自分を責めないでください。心に深い傷があるんでしょう? 無理に乗りこえなくてもいいんですよ」


 どこまでも自分を責めるアルフレッドさんに、私はゆっくりと首を横に振る。


 誰にだって苦手なことや、嫌な記憶はあって当たり前だ。

 できないからと自分を責めて、追い込んで、抱え込んで。そうして心を病んでしまった人を社畜時代に何人も見てきた。


 1人でできないこともあって当然だ。人は補い合って生きていく生き物なのだから、苦手な領域は他者の手を借りてしまえばいい。


「自分が不得手とすることを理解するのは大切だ。乗り越えようと努力することは悪いことではない。だがな、無理強いするのは違うぞ。自分の身は自分で守れ。それが心であれ、だ。心の悲鳴を無視し続けては、いつか壊れてしまう」


 マリウッツさんも真剣な表情をしてアルフレッドさんに語りかけている。アルフレッドさんは、私とマリウッツさんの顔を交互に見て、小さく微笑んだ。


「そうですね……僕はずっとどこかで、自分に負い目を感じていたのでしょう。まずは自分自身と向き合わないといけないのに、過去の出来事を顧みようとせずに蓋をしてしまっていました」


 そしてアルフレッドさんは、意を決したように重い口を開いた。


「お二人がよろしければ……聞いてくれますか? かつて冒険者だった、情けない男の話を」




 ◇◇◇



「あれはまだ僕が冒険者だった頃……Aランク冒険者としての驕りがあった頃の話です」


 マリウッツさんも椅子を運んできて、3人で円を描くように座った。ポツリポツリと語られるアルフレッドさんの過去に耳を傾ける。


「当時、冒険者の頂とされていたAランクに到達した僕は、クエストに出るときはパーティのリーダーとして頼られる存在でした。パーティ1人1人を適材適所に配置して、自分の思った通りに討伐が進む快感に酔いしれていました。そんなある日、いつものように魔物討伐のクエストを受注しました」


 アルフレッドさんは、時折息をつきながら、ゆっくりと言葉を紡いでくれる。


「あれは確か……そうです。ドーラン王国とサルバトロス王国の国境付近に位置する辺境の村でした。その村が魔物に襲われているという連絡を受けての緊急クエストでした。その時、村から最寄りの拠点にいた何人かの冒険者を引き連れて即席パーティを組んだ僕たちは、急いでその村に向かいました。事前情報としては、Bランクの魔物が1頭、そしてCランク以下が複数頭いるということで、Bランクは僕が引き受け、残りをパーティメンバーで対応する手筈でした。元々魔物の多い地域に所在する村なので、強力な魔除けの結界も張られていましたが、万一結界が破られては村民に危険が及ぶという内容でした」


 そこで言葉を切ったアルフレッドさんは、頭を垂れるように俯き、それからゆっくりと顔を上げた。 


「村を守る結界は強固なものです。余程のことがなければ破られません。今回も、いつものように連携を組んで冷静に臨めば簡単に終わると、そう甘く見ていたのです」

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