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第58話 2人で過ごす夜①

 マリウッツさんが今日二度目の呼び出しに応じて姿を消してしまった。行き先は間違いなくリリウェル様の元だ。


 昼間にヘンリー様に連れ出された時には、マリウッツさんにもアルフレッドさんにも、とても心配をかけてしまった。

 医務室から戻ってからはみんないつも通りに過ごしてはいたけれど、マリウッツさんとは最近一緒にお昼ご飯を食べれていないし、思い悩んだ表情が忘れられなくて、夕飯はどちらかの部屋で一緒に食べれたら……たまにはゆっくりお話しできたら……なんて、どうやって声をかけようかと内心考えていたのに。


 お昼だけでなく、夜にも呼び出すなんて、リリウェル様は身勝手にも程がある。

 プリプリと肩を怒らせて自室に戻り、今晩も豪勢な食事を前にして、大きく肩を落とした。


「何だか食欲ないな」


 マリウッツさんは今頃、リリウェル様と晩餐会でもしているのだろうか。はぁ。どうしてか、さっきからため息が止まらない。


「ピィ?」


 食べないのか? と不思議そうに膝に乗って来たピィちゃんの頭を撫でる。


「食べないと、明日の仕事に支障が出るよねえ」


 そう言いながらも、料理に手が伸びない。せっかくこんなに豪華な食事を用意してもらっているのだもの、食べないと。


 はぁ、と何度目か分からないため息をついた時、コンコン、と控えめに扉がノックされた。


「俺だ」


「え、マリウッツさん……!?」


 まさかの人物に、私は慌てて扉に駆け寄った。

 急いで扉を開けると、やっぱりマリウッツさんだった。少し疲れた様子のマリウッツさんは私の顔を見てホッと息を吐いたように見えた。


「どうしたんですか? もう、その……用事は済んだのですか?」


「ああ、もう大丈夫だ。かたを付けてきた」


 そう言って、マリウッツさんはゆっくりと頭を下げて――コツン、と私の肩に額を置いた。


「え、マ、マリウッツさん!?」


「悪い。少しだけ、ここで休ませてくれ」


 突然のことに、目を見開き硬直してしまう。

 耳元で囁かれた声は、どこか力がなくて、私は大人しくマリウッツさんに肩を貸すことにした。あのマリウッツさんが、随分と参っているようだ。


 他人に弱みを見せないマリウッツさんがこんなことをするなんて、余程のことだと思う。心配な気持ちと同時に、弱った姿を私に見せてくれるんだという淡い疼きがジワリと込み上げてくる。


「……すまん。サチは今まで何をしていた?」


「えっと……夕飯をいただこうとしていたところです」


 顔を上げたマリウッツさんに尋ねられ、私は室内の料理に視線を移す。

 まだ一口も食べてはいない。マリウッツさんはもう、食事は済ませたのだろうか。


「そうか。邪魔をしてすまなかった」


「あっ!」


 マリウッツさんがそう言って、一歩後ろに下がったので、咄嗟に服の裾を掴んでしまう。

 だって、ここで引き止めないと、きっとマリウッツさんは自室に戻ってしまうから。もう少し一緒にいたいと、そう思ってしまったから。


 裾を掴まれたマリウッツさんは驚いた顔をしているけれど、引き留めてしまったのだから、思い切って言ってしまえ。


「もしよかったら、一緒に食べませんか? ……あ、えっと、すみません。もう、お済みですよね」


 食事に誘ったものの、すぐにハッとする。今の今までリリウェル様と過ごしていたのだから、それはもう豪華な食事を堪能してきたに違いない。そう思い至ってシュンと肩を落とす。


「いや。実は昼も夜も食べていなくて腹が減っていたんだ。いいのか? その……入っても」


「え……? あっ」


 どこか気まずそうなマリウッツさんの問わんとしていることが分からないほど鈍感ではない。夜分に男女が2人。流石に外聞が悪い。


「ピィッ!」


「あ、ピィちゃん!?」


 どうしようかと逡巡していると、私の肩にピィちゃんが飛び乗った。


「ピィピィ!」


「え? ピィちゃんがいるから大丈夫、って言っているの?」


「そのようだな」


 ふふん、と胸を逸らすピィちゃんに、私たちは顔を見合わせて吹き出した。ピィちゃんのおかげで緊張も解れたし、「どうぞ」とマリウッツさんを部屋の中へと招き入れた。


「俺が何かしたら、頼むぞ」


「ピッ!」


「え? 何か言いましたか?」


 コソコソと、ピィちゃんと話しているらしいマリウッツさんに問いかけるも、「何でもない。男同士の話だ」と教えてもらえなかった。


 料理が並べられたテーブルを挟んで、それぞれソファに腰掛ける。

 ついさっきまで食欲がなかったはずなのに、急にお腹が減ってきた。


「では、いただきましょうか」


「ああ」


 2人で手を合わせて、自然の恵みと、作ってくれた料理人に感謝の気持ちを示してから、食べ始めた。何気ない会話を挟みながら、楽しく食事を進めていく。


 気がつけば、あっという間に綺麗に完食してしまっていた。


「あっ、そういえば!」


 このまま解散というには少し話し足りないな、と考えていると、とあるものの存在を思い出した。出立前にアンに貰ったもの。私は急いでカバンを収納しているクローゼットを開いた。カバンに手を突っ込むと、目的のものはすぐに見つかった。


「じゃん! ラディッシュベリーのワインです! よかったら少し飲みませんか?」


「いいな。いただこう」


 ワインの登場に僅かに目を見開いたマリウッツさんは、楽しそうに目を眇めた。

 部屋に備え付けられているグラスを手に取り、マリウッツさんの前に置く。料理の皿は室内に用意されているワゴンに運び、部屋の前に出しておくとメイドさんが回収しに来てくれる。


 食事の時と同様に、マリウッツさんの対面に腰掛けようと思っていたのだけれど、マリウッツさんがスッと端に寄って隣を空けてくれた。少し戸惑ったけれど、せっかく空けてくれたのだから……と、ちょこんと隣に腰を下ろした。ちなみにソファは2人掛けだ。


「で、では、乾杯!」


 チン、とグラスが重なる心地よい音が響く。少しワインを口に含むと、ラディッシュベリーの爽やかな甘みが口内に広がった。


「はぁ、沁みますねえ」


「そうだな」


 首元をくつろげ、足を組んでリラックスしている様子のマリウッツさん。この人はどんな体勢をしていても絵になる。


 ボーッとワイングラスを傾けていると、少しずつお酒が回ってきた。

 今なら、ずっと聞けなくてモヤモヤしていたことを聞けそうな気がする。


 よし、オブラートに包んで、それとなく聞いてみよう。


「……毎日、リリウェル様のところに呼び出されているんですよね? 何をしているんですか?」


 包めなかった。

 思いっきりド直球な質問をしてしまい、私はグラスを両手で握りしめて俯いてしまう。

 隣に座るマリウッツさんの表情は見えない。

 ドクンドクンと、心臓の音がやけに耳につく。


「……そうだ。あの王女に呼ばれていた。弱みを握られて仕方なくな。行けばいつも食事を勧められるが、あの女と仲を深めるつもりは毛頭ないからな。部屋に行って、扉の前で時間が来るまでずっと立っているだけだ。もちろん、あの女に触れたことも触れさせたこともない」


「え……!? ま、毎日、ですか?」


 しばしの沈黙の後、グラスを置いたマリウッツさんが応えてくれた。

 その答えに驚いて、思わずマリウッツさんを見上げてしまう。


「ああ、そうだ。聞きたくもないつまらん話を聞かされて、たったの1時間がとてつもなく長く感じた。だが、もう王女の呼びかけには応えないと、さっき宣言してきた。だからもう俺はサチを1人にはさせない」


「マリウッツさん……」


 マリウッツさんの視線が、私の手首に落ちる。

 すっかりあざは消えたけれど、護衛として付いてきてくれたマリウッツさんは人一倍責任を感じていたのかもしれない。


「ここしばらくは本当に地獄のようだった。ストレスで爆ぜてしまうかと思った。それに引き換え、サチの隣は癒される。余計なことを考えなくていい。そのままの俺でいられる」


「……私も、マリウッツさんの隣は居心地がいいです」


 噛み締めるように、真っ直ぐに目を見つめられて、私も思わず本音を溢していた。


「そうか」


 マリウッツさんは、どこか嬉しそうにグラスを傾けた。ほんのり耳が赤いのは、アルコールのせいなのだろうか。


「それで、サチはあのヘンリーとかいう王子と何をしていたんだ?」


 今度はマリウッツさんが問いかけてきた。少し唇を尖らせている。


「街を軽く案内してもらいました。息抜きにって。本当、強引な人ですよね。漁業が盛んだから市場が賑わっていましたよ。色々と美味しい食べ物をご馳走になって……」


「ほう、随分と楽しんでいたようだな」


「あっ」


 しまった。心配をかけていたのに、当の本人はそれなりにエンジョイしてましたなんて言えない。それに、落ち着いたらマリウッツさんとも街歩きをしてみたいな、なんて思っていただなんて、絶対に言えない。


「えーっと、その、ヘンリー様ってああ見えて国民の支持が厚いみたいで、街ゆく人にたくさん声をかけられていたんです。それに、意外と親切と言いますか……」


 いい機会なので、ヘンリー様の誤解を解いておこうと一生懸命説明するも、話せば話すほどマリウッツさんの眉間の皺は深くなっていく。ああ、なんでいつもこうなるの! 自分の説明力のなさを呪いたい!


「ほう……随分と絆されているようだな。ああいう軟派な男が好みなのか? そういえば、あの男に可愛いと言われて浮ついていただろう」


 ジトリとした目を向けられるけれど、身に覚えがありませんが!


「浮ついてなんかいませんよ! っていうか、可愛いとか言ってましたっけ……?」


 うーん、と記憶の糸を辿るが思い出せない。


「言っていた。『過保護になるのも頷けるぐらい、君は可愛らしい女性』だと」


「よく覚えていますね!? でも、あの時なら、マリウッツさんは私の後ろにいたから浮ついていたとかそんなこと分からないと思うのですが?」


「そんな気配がした」


「気配!?」


 言いがかりも甚だしいのでは!?

 なんかちょっと怒っているというか、拗ねてるように見えるし、なんなの……


「ま、まあ、異性に可愛いと言われたら、女の子は嬉しいと思うんじゃないでしょうか」


 とりあえず一般論で返しておこう。


「サチもそうなのか?」


「え? うーん、そりゃあ、まあ……」


 嬉しくないかと言われると、そりゃあ嬉しいでしょう。あまり言われ慣れた言葉でもありませんしねえ。

 へっ、と自嘲しながらコクリとワインで喉を潤す。


「俺はいつも思っている」


「何をですか」


 グラスから顔を上げて隣を見ると、思っていたよりも真剣な瞳に捉えられて、心臓が跳ねた。


「お前が可愛いと、そう思っていると言っている」

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