閑話 ピィちゃんの1日 前編
ピクシードラゴンのピィちゃんの1日は、サチを起こすところから始まる。
「ピィ! ピィ!」
「うーん……あと5分……」
ピィピィと可愛く鳴いてツンツンとサチの頬やら額を突きながら起床を促すが、なかなかどうして起き上がってこない。むしろ布団に深く潜り込み二度寝を決め込むサチを前に、ピィちゃんは大きく息を吸い込んだ。
「ピィィィィィッ!!!」
「ぎゃあ! 分かった分かった! 起きるから!」
惰眠を貪ることを許さないピィちゃんは、一際大きな鳴き声を上げると翼を思いっきり羽ばたかせてサチの布団を吹き飛ばす。これをすると家具や食器が倒れかねないので、サチは慌てて飛び起きるのだ。
ピィちゃんはサチの勤務状況を完璧に把握しており、出勤日にはこうして起床を手伝い、休日は一緒に布団に潜り込んで休息を取っている。今日はもちろん出勤日である。
「キュア!」
「ん、おはよう」
ようやく目覚めた主人に、可愛く小首を傾げて朝の挨拶をする。
その姿を見て、結局サチはふにゃりと頬を緩ませてしまうのである。
サチはのそりと起き上がると、シャッと勢いよくカーテンを開けた。
東向きの部屋には朝の日差しがよく差し込む。埃が光を反射してキラキラ輝いている様子を目で追いながら、ピィちゃんはグッと翼を広げて日光を浴びた。
その間に素早く着替えと洗顔を済ませたサチは、食堂に向かうべく扉へ向かう。
「ピィちゃん。行こうか」
「ピィ!」
サチの肩に飛び乗ったピィちゃんは、廊下ですれ違うギルド職員の「おはよー」「ピィちゃん、元気?」などの声かけに応えながらご機嫌に揺れている。
食堂に着くと、サチはカウンターに向かった。
カウンターにはパン、スープ、サラダ、果物がトレイに用意されていて、調理場に「おはようございます! いただきます」と声をかけてから手に取って空席を探す。
「サチ〜、おはよう」
「あ、アン! おはよう。隣いい?」
「もちろん。ピィちゃんもおはよう」
「ピッ!」
キョロキョロとどこに座ろうかと首を回していたサチに、一足先に食堂で朝食を取っていたアンが手を振りながら声を掛けた。まだ瞼が開ききっていないアンの対面にトレイを置き、ピィちゃんもテーブルに飛び乗る。「ちょっと見ててね」と一言アンに断りを入れてから、サチは再び調理場へと向かっていく。
「すみませーん、いつもの、お願いできますか?」
「あいよ! 用意できてるよ。持っていきな」
「ありがとうございます!」
サチが声をかけると、割烹着を身につけた恰幅のいい女性がにこやかに答え、ホーンラビットの肉で作ったソーセージを山盛りのせた皿を出してくれる。ピィちゃんの朝ごはんだ。
ピィちゃんの好物は魔物肉なので、毎朝こうして余った魔物肉を使った1品を出してくれる。
大皿に山盛りのソーセージを落とさないように席まで運ぶと、待ち侘びた様子のピィちゃんがピョンピョンと飛び跳ねていた。
「はいはい、あんまりがっつかないようにね」
「ピィッ!」
サチの「どうぞ」を合図にピィちゃんはモリモリとソーセージに齧り付く。その間、世間話をしながらサチとアンも食事を始める。
程なくして、全員の皿が綺麗に平らげられると、返却口にトレイごと食器を返してそれぞれの職場へと向かう。アンは受付カウンターへ、そしてサチとピィちゃんは魔物解体カウンターへ。
「おう、おはようさん」
「おはようございます。ドルドさん」
魔物解体カウンターには、すでにドルドが出勤してきており、今朝の仕事量を確認していた。
サチが作業着の上からエプロンを身につけている間に、ピィちゃんは特等席のカゴの中へと飛び込む。中にはふかふかのクッションが入れられていてとても気持ちがいい。ちょうど魔物解体カウンターの全体を見渡せる位置をドルドが用意してくれたので、ピィちゃんは解体の様子を観察するか、昼寝をして日中を過ごすのだ。
その日も午前中はパラパラと冒険者が魔物を持ち込み、その場で解体した素材を持って帰っていく。即時対応はたいていサチの仕事だ。【解体】のスキルを使ってほとんど待たせることなく素材にバラしていく。
合間に精肉店や武具店が素材の加工依頼にやってくることもあるが、極力予約を取るように業務調整されるようになった。これもドルドがひっきりなしにやってくる依頼を見かねて導入したものである。おかげでサチも事前に心積りができるし業務調整もしやすくなったと喜んでいる。
ピィちゃんはしばらくカゴの縁に顎を乗せてサチの様子を眺めていた。
今日は比較的落ち着いた日のようだ。
ピィちゃんは退屈になってきたのでカゴの中で翼を広げて伸びをしてからギルド内を散歩しに出かけた。
「あ、いってらっしゃい! みんなの迷惑にならないようにね」
「ピィ!」
サチに見送られて、まず向かったのは受付カウンター。サチと仲がいいアンにもすっかり懐いているピィちゃんは、アンの元へと降り立った。ちょうど客の切間のようで、アンはにこやかに歓迎してくれた。
「あ、これ。さっき貰ったの。ピィちゃん好きでしょう?」
そう言ってアンは魔物肉のジャーキーを取り出した。ピィちゃんは「ピィッ!?」と甲高い声を上げると、勢いよくジャーキーに食らいついた。アンは人懐っこい性格をしているので、よくこうしてお菓子やおつまみの差し入れを頂戴するようだ。
ギルドに差し入れ禁止のルールはないが、念の為危険物や毒物が持ち込まれていないかのチェックは必要だ。なので、差し入れはまず検査カウンターに持ち込んで、問題ないことが確認できたらその人の元へと戻ってくる。
アンの足元には紙袋いっぱいのお菓子が詰められている。単なる差し入れではなさそうな綺麗な包装のお菓子もあるようだが、それも無造作に紙袋に突っ込んでいる様子を見るに、アンもまた自身への好意には疎いらしい。
新規の冒険者が受付カウンターにやってきたところで、ピィちゃんはアンに頭をひと撫でしてもらってから飛び立った。
「ピ?」
さて、次は誰に遊んでもらおうか、とギルドの天井付近を旋回していたピィちゃんは、よく知る人物を見つけて急降下した。
「ピィ!」
「ん、なんだ、お前か」
目の前に急降下して現れたにも拘わらず、眉ひとつ動かさないその人は、Sランク冒険者のマリウッツ。何かにつけてサチを訪ねて来るのですっかり顔見知りである。それに、以前一緒にクエストに出た仲なので、ピィちゃんは一方的に仲間意識を抱いている。
「今日は何も持っていないぞ」
と言いつつも、マリウッツは左肘を曲げて腕を持ち上げ、ピィちゃんを腕に留まらせてやる。ピィちゃんはそっと腕に掴まりながらマリウッツに鼻を擦りつける。
「ふ、くすぐったい」
普段仏頂面のマリウッツも、ピィちゃんの前では警戒心を緩めて柔らかな表情を見せる。
「ピッ! ピッ!」
「ん? まあ、今日は特に予定がないが……またやるのか?」
ピィちゃんが何やらマリウッツに訴えかけると、マリウッツはひとつ頷いてギルドの裏手にある訓練場へと向かった。
ピィちゃんは街に勝手に出ることは許されておらず、その禁を破るとギルドに置いてもらえなくなることは理解しているので、しっかりと言いつけは守っている。唯一自由に出入りできる訓練場は、ピィちゃんが思い切り飛び回れる憩いの場所なのだ。
「いくぞ」
いつもサチとナイフの投擲訓練を行なっている的の前に立つと、マリウッツはピィちゃんを乗せた腕を勢いよく前に突き出した。
「ピィーッ!」
ピィちゃんはマリウッツの腕の勢いに乗り、ビュンと前方に飛び出した。翼を畳んでまっすぐに飛ぶ。そして的の直前で急上昇すると、そのまま上空を3度旋回してから翼を畳んで急降下する。
地面スレスレで翼を広げて着地をすると、マリウッツが歩み寄ってきた。
「上出来だ。前回より良くなっている」
「ピュアッ!」
「だが、まだ姿勢が悪いな。もっと風の抵抗を受けないように意識すれば、もう一段階速度が上がるだろう」
「ピィ……ピッ! ピッ!」
「何? もう一度だと? 仕方がない」
ピィちゃんはサチの投擲訓練を見ていて、自分もやりたいとマリウッツに訴えたのだ。それをきっかけに、たまにこうしてマリウッツに付き合ってもらっている。
結局あと3回飛び出す訓練をしてから、マリウッツに魔物解体カウンターへと送り届けられた。
「またマリウッツさんに遊んでもらったの?」
「ピィッ!」
満足げな顔をしてマリウッツの肩に乗って戻ってきたピィちゃんに、サチは苦笑いをしながら歩み寄る。
ピィちゃんは同意するようにひと鳴きすると、何かを訴えるようにサチに擦り寄った。
「んもう、お腹すいたの? ちょっと待ってね。ドルドさーん、お昼入ってもいいですか?」
「ん? もうそんな時間か? 今は落ち着いているから問題ないぞ。ゆっくりして来い」
「ありがとうございます! よし、じゃあ行こうか」
「ピッ」
手早くエプロンの紐を解いたサチがカウンターから外に出てくる。
ピィちゃんは当然のようにサチの肩に飛び移ると、ご機嫌そうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「いつもすみません。ありがとうございます」
「いや、いい暇つぶしになるから問題ない」
サチはマリウッツに頭を下げて食堂に向かう。ところが何故かマリウッツも後からついてくる。サチが不思議そうに首を傾げていると、それに気づいたマリウッツが答えた。
「食堂に行くのだろう? 俺も腹が減った」
「ああ、じゃあ一緒に食べましょう!」
「ピィッ!」
マリウッツも来ると知り、一層嬉しそうなピィちゃんにサチが微笑む。
「あ、サチさん! 今から昼食ですか?」
「アルフレッドさん! はい! マリウッツさんとピィちゃんと一緒です」
「ぐぅっ」
食堂に向かう途中、書類を抱えたアルフレッドと遭遇した。満面の笑みで答えたサチの言葉に、何故か数歩後ずさる。
アルフレッドは魔物への関心が人より強く、とりわけ希少なピクシードラゴンであるピィちゃんへも興味津々である。そのためよくキラキラした目で見られたり、観察されたりするので、その日の気分によってはちょっぴり煩わしく思っているピィちゃんである。基本的にはいい人間だと理解しているので、それなりに懐いてはいる。
「仕事中だろう。早く行け」
「くっ……この書類がなければ同席できたのに……!」
悔しそうに表情を歪めながら、アルフレッドは肩を落として執務室へと向かっていく。
「あのっ、また手が空いている時にご一緒しましょうね!」
「ほ、本当ですか! 約束ですよ!」
寂しそうな背中に見かねたサチが声をかけると、パァッと表情を華やがせて鼻歌を歌いながら去っていった。
「……あいつと食事をする時は俺も呼べ」
「え? マリウッツさんもアルフレッドさんと一緒に食べたいんですか? 分かりました!」
マリウッツがむっすりと不貞腐れていることには気づかずに、サチは(へぇ、仲悪いのかと思ってたけど違ったんだ。よかった〜)と呑気に考えている。
「ピィ〜」
「え、何その呆れた声! 私何かした!?」
色々と察しているピィちゃんにまで溜息をつかれ、サチは不服そうに唇を尖らせるのであった。




