第28話 2つ並んだ寝袋
夕飯の後片付けを終え、私たちはそれぞれ持参していた魔道具のドライシャワーで身を清めた。
水魔法を含んだ風が足元からふわりと噴き上げて、土埃や髪のベタつきまで綺麗さっぱり落としてくれた。ドライシャワー初体験な私は感動に打ち震えた。これがあれば疲れた日にお風呂に入らなくてもいいじゃん! と思うものの、残念ながら、持ち運び式には回数制限があるらしい。
身体も綺麗になったことだし、私たちは明日に備えて早めに就寝することにした。
ちなみに、お腹が膨れたピィちゃんは、ケプゥと満足そうに息を吐きながら再び私のリュックに潜り込んだ。すでに規則的な寝息を立ててぐっすり夢の中だ。
で、なんだけど。
「あの、並んで寝るんですか?」
私は今、拳ほどの隙間を空けて綺麗に並べられた寝袋を前に立ち尽くしている。
すでに片方の寝袋の上に腰を下ろしているマリウッツさんが、首を傾げる。
「ああ。何か問題でもあるか?」
問題しかなくないですか!?
一応男と女なわけですし、ここは焚き火を挟んで離れて寝るんじゃないですか!?
頭の中で大絶叫しつつも言葉にならなくて口をぱくぱくして必死で訴える。
とりあえず説明を求めていることだけは伝わったようで、マリウッツさんが教えてくれた。
「焚き火に魔除けの魔草を入れているから魔物は近寄って来ないと思うが、万が一の襲撃を考えた場合、近くにいた方が守りやすい」
「あ、ああ……なるほど……えっと、交代で見張りとかは要らないのですか?」
「不要だ。魔物が近づけば気配で分かる。たとえ眠っていても、だ」
おお……さすがはSランク冒険者様。
頼りになりすぎて思わず平伏するところだった。
「俺はすぐに起き上がれるように寝袋の上に寝るが、お前はしっかりくるまって眠れ。野営は初めてだろう? 思っているよりも冷えるぞ」
「あ、ありがとうございます……」
マリウッツさんに促されるがまま、私はそそくさと寝袋に足を突っ込んだ。
ふんわりと身を包む柔らかさで、寝心地がとてもいい。保温効果も高いようで、しっかり寝袋に包まれていれば寝冷えすることはなさそう。
「最高の寝心地です。いつもこんなに素敵な寝袋を使っているのですか?」
寝袋にくるまってうっとりしている私を一瞥し、マリウッツさんは表情を変えずに答える。
「いや、今回のために用立てた。俺1人だったら寝袋は不要だ。樹木に背を預けて眠ることもあるが、女に無理はさせられんだろう」
この男は……サラリと私のために用意したと言う。
急に女扱いされてむず痒くて、もそもそと鼻上まで寝袋を被った。
寝袋に包まれているからか、いつもよりも自分の心音がよく聞こえる。
「……ありがとうございます」
「いや、俺から誘ったんだ。当然だろう」
マリウッツさんは顔色ひとつ変えずに、靴を履いたまま寝袋に横たわった。
私は慌てて傾けていた身体を仰向けに戻す。横になられると思ったよりも顔が近くてビックリした。とにかく、気を紛らわせるために星でも数えようかな。
遮るものが何もない夜空は、息を呑むほど美しい。元いた世界では、こんなに綺麗な夜空を仰ぐことはなかった。
落ちてきそうなほど大きな星々を100個ほど数えて、ようやく気持ちが落ち着いたので、「そういえば」と口を開く。
「今更ですけど、冒険者じゃない私がクエストに出れるんですね」
「本当に今更だな。クエストのランクにもよるが、鍛冶職人や商人が参加する例もある。もちろん同行するには冒険者が必要だし、同行人の安全も冒険者に一任される」
「なるほど……低ランクのクエストだったら冒険者じゃなくても出られるんですね」
「そういうことになる。だが、いくら腕の立つ冒険者とはいえ、力量の差があるパーティには危険が伴う。同行人の安全が確保されているとギルドが認めた場合のみ、クエストの参加が認められる」
今日のマリウッツさんは随分と饒舌だ。
こうして並んで夜空を見上げていると、何だか自然の一部に溶け込んだように錯覚してしまう。
「マリウッツさんは、どうしていつもソロで冒険しているのですか?」
気が大きくなっていた私は、これまで聞いてはいけないことだと蓋をしていた質問を持ち出していた。
しまった、と思った時には遅かった。
一度口から出た発言は、どう足掻いても無かったことにはできない。
これまで淡々と質問に答えてくれていたマリウッツさんが口を閉ざした。
やはり、聞いてはいけないことを聞いてしまったんだ。
取り下げようにも、それすら言えずにひたすらマリウッツさんの反応を待つことしかできなかった。
夜の闇に沈黙が溶け込み、木の葉の擦れる音や野鳥の鳴く声が嫌に耳についた。
ほんの少しの間だったのかもしれないけれど、随分と長い沈黙に感じられた。
そしてようやく、マリウッツさんが重い口を開いた。
「……さっきも言っただろう。力量の差があるパーティは危険だ、と。同程度のランクの冒険者同士だと、互いを補い合いながら戦闘が可能だ。だが、力の差がありすぎると連携が難しくなる。相手がどこまで対処可能かを見誤れば死に直結する。俺と同ランクの冒険者は存在しない。誰と組もうが、足手まといになる」
静かに、ただ事実を述べるように、マリウッツさんが言葉を紡ぐ。
ああ、そうか――
「仲間を、失いたくないから……1人でいるのですね」
「……は?」
ゆっくりと口にした言葉に、マリウッツさんが呆けた返事をする。
身体をマリウッツさんの方へと倒すと、同じくこちらを見ていた切長の瞳と視線が交わる。
「マリウッツさんは優しい人です」
「俺が、優しい?」
さっきの言葉だけで、分かってしまった。
きっと、マリウッツさんは少なからずパーティを組んだことがある。
そして、パーティが窮地に陥る経験も一度や二度ではないのだろう。
死地に陥った時、我が身を守る力があれば生き延びることはできる。
でも、そうではない仲間を守りながらだったら?
共に戦うべき仲間を、守るべき仲間を、救うことができなかったとしたら――きっと心優しいこの人は自分を責めるだろう。
責めて、後悔して、懺悔して、そして、1人で生きることを選んだのだとしたら――
これは全部私の想像でしかないけれど、クールでどこか冷たさすら感じさせる態度は、必要以上に他者と関わらないための防波堤なのではないかと、そう考えてしまう。
そんなマリウッツさんがほんのひと時とはいえ、冒険者でもない私とパーティを組んでくれている。何か心境の変化があったのかもしれないし、単に私を信頼してのことかもしれない。
けれど、この数日は、間違いなくマリウッツさんにとっても私にとっても、大切な日々となる。なぜかそんな気がしていた。
「私とクエストに出てくれて、ありがとうございます」
「なんだ、改まって……やはりお前は相当変な女だ」
精一杯の感謝を込めて微笑むと、マリウッツさんは柔らかな毒を吐きながら再び夜空を仰いだ。私も釣られて満天の星々を仰ぐ。
「あっ」
その時、一際大きな流星が視界の端から端まで白い軌跡を残して流れていった。




