第97話 ロスマン湖
「うわあ……これが湖? 広すぎない?」
宿場町で一泊挟んで馬車で丸一日。
私とローランさんは出発の翌朝、ロスマンの街に到着した。
「ピィィッ!」
「ピィちゃんも初めて見る? すっごいねえ」
今回の出張にはピィちゃんの同行を認めてもらった。せっかく王都以外の街に行くのだから、ピィちゃんにも色んな景色を見せたいと思ってお願いしたのだ。
サルバトロス王国に行く際に、ピィちゃんは私の従魔として登録している。それに、人に危害を加えたこともないということで、特別に同行を許可してもらえた。とはいえ、ドラゴンに違いはないので、極力目立たないように、という条件付き。
なので、ピィちゃんは街歩きのために用意したカバンに入ってもらっている。フンガーフンガーと興奮した鼻息が通気口から漏れ出ていて、思わず苦笑してしまう。
それも仕方がないよね。
ロスマン湖は私が想像していた以上に広い湖だった。
水平線の先に陸地は見えず、湖と知らなければ海だと勘違いしてしまうほどに大きい。
「ロスマン湖は、ドーラン王国で一番でかい湖ですからねい。水質も良くて、栄養源も豊富。ここで育った魚は本当に美味いんす。さ、早速漁業組合に行きやすぜ」
「はい!」
今回の依頼主は、ロスマン漁業組合。
ロスマン湖で採れる魔物を含めた魚介類を一元管理し、各地への流通も管理している組合らしい。とにかく広大な湖なので、そこで取れる魚の量も規格外。普段は漁獲量も定められているみたいだけど、今回のように魔物が暴れた影響で打ち上げられてしまったものは仕方がない。
漁業組合の建物は、ギルドと匹敵するほど大きかった。
ローランさんがアルフレッドさんから預かった手紙を受付係に渡し、間も無く組合長と思しき男性が駆けてきた。
「どうも! 遠いところをわざわざありがとうございます! わたくし、ロスマン漁業組合の組合長をやっておりますミックです。どうぞよろしくお願いします」
ミックさんは茶色い髪を後ろに撫で付け、綺麗に整えられた口髭が特徴的。ちょっぴりお腹が出ているけれど、ご愛嬌といったところね。とても人の良さそうなおじさまだ。
「ギルドの魔物解体カウンターから来やした、ローランと言いやす。こちらはサチさん。短い間ですが、よろしくお願いしやす。早速作業に取り掛かっても?」
ローランさんが代表して挨拶をしてくれたので、紹介してくれた際にペコリと頭を下げた。
「ええ、こちらへ」
ミックさんに案内してもらったのは、大きな倉庫だった。作業場所が倉庫となると、サルバトロス王国での日々を思い出す。
倉庫の中には、多種多様な魚型の魔物が綺麗に氷漬けにされて保管されていた。
「はあ、こりゃすげえや」
ローランさんが驚くのも無理はない。本当にすごい量だわ。
「とにかく鮮度を落とさないように【氷雪】系の【天恵】で凍らせています。如何せん量が多く、選別をする余裕がなかったもので……」
「選別?」
ミックさんの言葉が気になって、思わず聞き返した。
もしかすると作業時に注意する事項があるかもしれないし、聞いておくべきだよね。
ミックさんは、少し疲れた表情で困り果てたと言いたげに口を開いた。
「ええ……実は、今回湖に現れたシーサーペントの中に、瘴気を吐き出す個体がいたのです。一般的に食用として知られている魔物たちが、その瘴気から逃れるために陸に打ち上がったのです。それはもう、たくさん。ですが、中には瘴気を浴びてしまったものもいます。シーサーペントは、偶然居合わせた勇者パーティを中心に難なく討伐されたのですが、湖も一部汚染されてしまいましてね……聖女様が数日かけて浄化してくださったのです! おかげさまで湖は元の清らかさと平穏を取り戻したのですが、後処理に追われてギルドにご協力を仰いだ次第です」
「それは大変でしたね。湖が元通りになってよかった……って、え!? 勇者!? 聖女ォ!?」
えっ、勇者パーティって魔王討伐のために遥か北の地を目指しているんじゃないの!? なんで王都から馬車で一日の街にいるわけ!?
私が目を剥いて声を上げると、ミックさんは得意げに胸を反らした。
「ええ! それは見事でございましたとも。勇者であるブライアン王子が高く跳躍し、補助役の魔法使い様の見事なフォロー。それはもう華麗な戦いでした! 祈りを捧げる聖女様も大変神々しく……浄化のお力も素晴らしい! なにしろ広い湖ですから、かなりのお時間を要していらっしゃいましたが、こうして元通りになったのも聖女様のおかげです」
そうか。あの女子高生……梨里杏も頑張ってるのね。
召喚時の私を馬鹿にした表情は可愛げがなかったけど、同郷の彼女が息災と聞いて安心している自分がいる。
それにしても、ミックさんのうっとりした表情を見るに、随分と勇者や聖女に傾倒しているように見える。よっぽど聖女に対する信仰が厚いらしい。
うーん。正直勇者と言われる王子にも、梨里杏にもいい思い出はないので、できたら出会うことなく依頼を終わらせて撤収したい。
まあ、この街も王都ほどではないにしろ広くて活気がある。倉庫に篭っていれば、彼らとバッタリ遭遇することもないわよね。
私が心の中で両手を合わせている間にも、ミックさんのお話は続く。
「聖女様は膨大なお力を使われましたので、今は宿で休息を取っていらっしゃいます。叶うならば、瘴気に侵された魔物たちも浄化していただきたかったのですが……お疲れのところ、無理強いはできませんからね。残念ながら、瘴気に当てられたものは食べることができませんので、該当の魚型の魔物は廃棄を……」
ん……? 今、なんて言ったの?
廃、棄……?
「……捨ててしまうのですか?」
自分でも驚くほど低い声が出てしまった。
ミックさんは声の主が私だと一瞬理解できなかったようで、キョトンと目を瞬いた後に答えてくれた。
「え? ええ……だって仕方がないでしょう? 瘴気は毒に等しいものです。誤って口にしてしまえば、食べた者の体も蝕まれかねません。【浄化】できれば話は違いますが。作業いただく際、瘴気を浴びたものは体が黒く染め上がっておりますので、該当の個体はすぐに焼却処分をして……」
「ダメです!!!」
「えっ!? ですが……」
ミックさんは慌てた様子で額の汗を拭っている。隣のローランさんからも困惑した気配が伝わってくる。
「食べ物を粗末にしてはいけません!! 私がどうにかします!! まかせてください!!」
幸か不幸か、聖女がこの街にいた。
それなら、勝手に威光を借りることになって申し訳ないけど、ちょっとその名を利用させてもらうわよ。
私は気合十分に、フンッと鼻息を吐いた。




