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シド・ブライスは長居することなく帰っていった。
もとより、引き止めるつもりはない。たいしたことはされていなかったと聞かされても、私の男嫌いが治まったわけではない。あんな無駄筋肉だらけの男と、同席する気にはなれなかった。
ソファに座りなおして、グレンが出したお茶を飲む。おいしい。生き返る心地である。と、ふと浮かんでくるものがあった。
「お祖父様は、外ハルシュタットの存在を知っていたのですか」
だから、子ができるまでは顔を出すなと言っていたのだろうか。
「いや、私も直接は知らなかった。だが、ハルシュタットは結束が固く、家訓に忠実だ。いざまさかが起こった時に、外に出された者が家を再興するというなら、おそらく血筋の者は集まるのだろうと思っていた。しかし、生き延びさせ守り立てていかなければならないはずのおまえが、あんなことになっても、ろくな救いの手はなかった。ここ二代も埋もれるようにして亡くなっておる。だから、ただハルシュタット本家の濃い血を引くというだけでは、何かが足りないのだろうと推測したのだ。……まあ、実際は、半分以上、おまえの頑固さが招いた災厄だったわけだが」
最後にいらないことを祖父が付け加えたところで、サリーナが口を挿んだ。
「お祖父様、エディアルドは騎士の誇りを守っただけですわ」
「そうでございますな」
祖父はころりと言を変えて、彼女にニコリと笑いかけた。
「当時はこれも十八でしたからな。青二才の生意気盛りで、折れるとか控えるとかいうことが、ぜんぜんできませんでしたからな。若さとは、眩しくも危ういものと思わされましたな」
「お祖父様」
私は強く呼んで、話を遮った。まったくこの人は、いつもろくなことを言いださない。私だって、当時の自分の所業は、若気の至りすぎて恥ずかしいのだ。そっとしておいてほしかった。
「あら、だからこそ語り種になったのでしょう。騎士として品行方正、常に強さを求め、妥協せず、女性にもなびかない。まるで、銀月の騎士そのものだと」
サリーナは夢見るように反論した。褒めてくれていることはわかるのだが、あれはそんな良いものではない。祖父が言うとおりのものでしかなかったのだ。
私はいたたまれなくなって、強引に話題を変えることにした。
「ところで、アルリードの後継のことなのですが」
「うん。そのことについては、私も考えている」
私はソファから下り、その場で片膝をついた。頭を下げる。
「言を違えましたこと、誠に申し訳ございません」
「うん。まったくだ」
そう返され、私はそのままの姿勢で頭を下げ続けた。
「とは言え、私の轍を踏むなとけしかけたのも私だ。後継者としては失格だが、孫としては上出来だ。……顔を上げなさい」
私は祖父の許しに従った。
「サリーナ様をしっかりお守りせよ。泣かせるようなまねはするな。身命を賭して、彼女のために生きよ」
鋭く、深く、言い聞かされる。
「必ずや果たしてご覧にいれます」
「ならばよい。もう、座れ」
一つ頭を下げてから私が立ち上がると、サリーナもソファから立って私の横に並んだ。どうしたのかと思えば、優雅にスカートをつまみ、淑女の礼をする。
「私からも、サザール様にお礼申しあげます。ライエルバッハは、このたびのサザール様の恩義に応えたいと思っております。サザール様に何事がある時は、このライエルバッハ、必ずお力になるとお約束します。どうぞ我らを頼りにされますよう」
「ありがとうございます。ライエルバッハ公」
祖父も立ち上がった。テーブルをまわってきてサリーナの手を取り、座るようにうながす。
「そうですな。実は一つ頼みたいことがございましてな。……いや、たいしたことでなく、もう少し先のお話なのですが。その時は、遠慮なく頼みにまいりますので、どうかよろしくお願いいたします」
「もちろんですわ。お役に立てることがあるなら、嬉しいですわ」
祖父はにっこりと頷いて、席に戻った。私も祖父が腰をおろしてから座る。
「しかし、後継についてはどうなさるおつもりですか」
「うむ。まあ、私にとっては、アルリードなどどうでもよいものなのだ。もともと私のものでもなんでもない。当主印もおまえにくれてしまったことだしな」
「それもお返しせねばと思っているのですが、ご存知のとおり、ラスティに預けたままになっているのです。ラスティを呼んでいただけないでしょうか」
冬の間、次にラスティに会ったら渡してもらって、祖父に返すようにしなければと考えていた。しかし、祖父からの当家への遣いが別の者に変わってしまい、とうとう会えずじまいだったのだ。
「彼には用事を言いつけてあって、今、王都におらん」
「そうですか。……お祖父様。もし、ラスティが望むなら、私は彼を従騎士として、もう一度迎えたいと思っています。どうかお許し願えませんか」
私はラスティに報いたかった。従騎士は、官僚でいう準貴族と同じ扱いだ。その位があれば、身分的には彼がアルリードの後継となることすら可能となる。ただし、婚姻相手がアルリードの血を引く女性なら、という制約は付いてしまうのだが。それでもとにかく、彼の選択の幅を広げ、未来への可能性を与えてやりたかった。
それはサリーナも承知だ。従騎士の件を最初に持ち出してきたのは、彼女である。
冬の初め、二人の間だけの約束事だったものを口約束とせず、結婚の申請と一緒に、ライエルバッハが騎士を抱えることを王家に届け出た。それによって、私は正式なライエルバッハ家の騎士となり、従騎士も従えることができるようになった。
これまでライエルバッハは武力を持たず、知略で王家に仕えてきた家柄である。その範を変える行いは、私の一存でやれるものではない。彼女の意志あってこそのものだ。
もっともこれは、ラスティのためというよりも、本来は私の立場を固めるためだ。実際のところ、私にはトリストテニヤ領主の伴侶という肩書きしかない。それに、騎士という箔を与えるものなのだ。
騎士である、というだけで、地位的には、どこの家の騎士とも同列となる。それも、第一位の騎士は、主から軍事に関する権限の委譲をされているのが一般で、交渉相手として、あだやおろそかには扱えない人物として扱われる。ただの伴侶というより、よっぽど話の通りがよくなるのだ。
範を変え、王家に警戒心を起こさせるとしても、私の血筋や経歴を最大限に活かせる利点の方が、大きいと判断した。
「それは、私の口出しすることではなかろうよ。騎士と従騎士の絆は、余人の介入を許さぬこと。好きにしなさい。彼が帰ってきたら、必ずおまえの許へ行かせるようにしよう」
「ありがとうございます」
「実のところ、彼にはアルリードの後継の件で出てもらっておるのだ。すべては彼が帰ってきて、その結果を聞いてからと思っておる」
「そうでしたか。では、あてがあるのですね。安心しました」
祖父はサリーナへ顔を向けた。
「はっきりしましたら連絡いたします。アルリードの件は不確定ですが、シダネルは私の築いたもの、私の意志を継ぐ者に任せるつもりです。これから先も、ライエルバッハのお力になりましょう」
「ありがとうございます。ライエルバッハもシダネルに便宜を図るとお約束しましょう」
これで、当方は大きな財源を得たことになる。それをあてにする気はないが、それ以外の流通経路や情報についても、非常に有益なものをもたらすだろう。
一つ一つ、一歩一歩、彼女と共に地歩をかためていく。今は、これまでにない充実感があった。
私は隣に座るサリーナの手を、包むように握った。




