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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第六章 想いの在り処(ありか)

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 吟遊詩人たちの挨拶も減ってきた日、私は時間をつくって台所に行った。この時間帯は、アンとダイナは城の各所の掃除にまわっており、ハンナが一人で食材の点検をしているはずだった。

 思ったとおり、彼女は台所横の食料庫の中にいた。私は開いている扉をノックし、彼女の注意を引いた。

「エディアルド様? いかがなさいました?」

「少し相談したいことがあるのだが、時間を取れないだろうか。……ああ、その仕事が終わってからでいい」

 なんでございましょうかと、すぐに出て来ようとした彼女を止める。

「そうでございますか? では、お言葉に甘えて。少しお待ちください」

 彼女が仕事に戻ったのを認め、私は台所で丁寧に茶を淹れて待った。

 ほどなくしてやってきた彼女に、向かい合った作業台の椅子をすすめた。その前に保温しておいた茶を置き、冷めないうちにと飲むようにうながす。彼女はありがとうございますと頭を下げてから、優雅で上品な仕草で口をつけ、ふわりと口元をほころばせた。

「おいしゅうございます」

「それはよかった」

 私たちの間の空気が、ようやくゆるんだ。彼女は、どうしたのだろうと落ち着かない様子だったし、私も緊張していた。……男として、少々話しにくい相談事だったので。

「実は、サリーナ様のことなのだが」

「またサリーナ様がどうかなさったのですか!?」

 ハンナは顔色を変えて腰を浮かせた。どうも言い方がまずくて、驚かせてしまったらしい。奥方様が亡くなってからは、彼女がサリーナ様の母親代わりのようなものだ。気遣わしくてならないのだろう。

 それにしても、また、とは痛い。彼女の中では、私はすっかり問題人物となってしまっているらしかった。

「いや、そうではなくて、……たいした話ではないんだ。落ち着いてくれ」

 座るようにと身振りをすると、彼女は疑わしそうに腰を下ろした。

「その……、なんというのか、サリーナ様は、男性に対して、無防備すぎる気がしてね」

「無防備、でございますか?」

 ハンナは思いがけないといったように、わずかに首を傾げた。

「うん。サリーナ様は、領内の誰とでも気軽に応じるだろう。他の領主には、あまり見られない姿だが、私はライエルバッハの良い面だと思っている。ただ、……あまりに、男女の差がない」

「男女の差、でございますか?」

「そうだ。わけへだてなくというのは素晴らしいが、サリーナ様は、妙齢の女性だ。それをもう少し自覚してもらえないかと思ってね」

「……そうでございましょうか。女性として、はしたない振る舞いはなさっていらっしゃらないと、私には思われるのですが」

「それはもちろんだ。そんなことを言っているのではない。その……、」

 私は言葉につかえて間を空けた。あの人は何とも思わずにしたことであっても、私には思い出すだけで、いまだに動揺する出来事だ。だが、これを話さねば、ハンナは納得しそうになかった。

「……主従の誓いに関する、ライエルバッハの流儀のことなのだが」

「ライエルバッハの流儀、でございますか?」

 ハンナは大きく首を傾げた。

「もしかして、知らないのだろうか」

「ええ。申し訳ございません。私は、元々奥方様に付いてこちらに参ったものですから。細かいこととなると」

「そうか」

 それはますます話しにくくなった。私はしばらく考え、遠まわしに話すことを選んだ。

「では、騎士と主従関係を結ぶ誓約では、最後に主となる者が、騎士がさし出した剣を、その首に当てるのは知っているだろうか」

「はい。実際に見たことはございませんが、騎士物語でも重要な場面でございますもの、存じております」

「それが、ライエルバッハでは、……口付けらしくてね。いくら信頼する相手とはいえ、躊躇いもなくするのは、いかがなものかと思ったのだよ」

 私の告白に、ハンナの相槌はなかった。彼女は瞬きを何度も繰り返し、黙ってじっと私を見るばかりだった。

 やましいことではないはずなのだが、なんとも気まずかった。それは、私の心がやましいからなのだろう。私はいたたまれなくなって、答えを急かした。

「ハンナの意見を聞かせてもらえないだろうか」

「……まさか、お嫌だったと仰るんじゃありませんよね?」

「それこそまさかだ。崇敬する主のお気持ちを嬉しく思いこそすれ、嫌だなどと思うはずもない。問題はそうではなくて、少しも迷う素振りも恥ずかしがる素振りも見せられなかったことなのだ。どの男にもそんな態度では、勘違いする者も出てきかねない。ライエルバッハの心ばえは大変に素晴らしいものだが、それが他でも通用するわけではないのだよ」

「はあ、まあ、そうでございましょうねえ……」

 ハンナの返事は、重要性がわかってないとしか思えない、気の抜けたものだった。私は焦れて、言葉を重ねた。

「ハンナ、勘違いした男がどんな手に出るか、考えてみてくれ。サリーナ様が傷つかれるような目に遭うのは、避けたいのだ」

「ご心配ございませんよ」

 彼女はゆったりと微笑んだ。

「そんな男は、いつもエディアルド様が傍においでになるのですから、近付くこともできやしません。そうでございましょう?」

「そう心掛けてはいるが、ひとときも離れずにいるのは、無理な話だ」

「たとえそうだとしても、エディアルド様もライエルバッハのやりようは、よくわかっておいでのはずです。身内には寛大ですが、それ以外には容赦ありません。サリーナ様も、誰にでも心を許すような方ではありませんよ。一番信頼し、心を寄せるエディアルド様だからこそ、サリーナ様は躊躇われなかったのです。誰にでも同じことをするとお思いなら、それこそ間違っていらっしゃいます」

 彼女はきっぱりと言い切った。その後、差し出口をお許しください、と頭を下げる。私は彼女の発言に戸惑い、すぐに言葉が出てこなかった。

 私が相手だったからこそ、と彼女は言った。あの人にとって、私はそれだけの思いを寄せられる人間なのだと。

 あの人本人からも言われており、分かっていたつもりだった。だが、第三者から指摘されると、それはそれで、違う感慨があった。

 私は、忙しなくなった鼓動がいくらか落ち着いたところで、ようやく口を開いた。

「いや、私が意見を求めたのだ。謝罪にはおよばない。顔を上げてくれ」

 彼女はゆっくりと顔を上げ、私と視線を合わせた。迷いのない目だった。

「……では、心配ないと言うのだな」

「はい」

 しっかりと頷いてくる。

「わかった。もうしばらく様子を見ようと思う」

「それがよろしゅうございます。それと、もう一つ、無礼を承知で申しあげたいことがございます」

「なんだろう。聞かせてくれ」

「はい。どうか、さきほど仰っていたことを、間違ってもサリーナ様に仰らないでくださいませ。エディアルド様になさることを、他の者にもするなどと疑われたと知ったら、どれほどお嘆きになることか」

 話しはじめてから一番真剣な顔で、ハンナは言った。しかし私は、どうもぴんと来なかった。確かに疑われればいい気持ちはしないものだが、怒りこそすれ、嘆くとは、また大袈裟な、としか思えなかった。ただし彼女は本気で危惧しているようで、それを軽々しく扱ってはいけない気がした。

「わかった。忠告は肝に銘じる」

 けれど、そこまで言ったというのに、それでも彼女の杞憂は晴れなかったらしい。それはそれは真摯なまなざしで、とどめの一言を放ってきた。

「どうか、二度とサリーナ様を泣かせないでくださいませね」

 私は、ぐ、と詰まった。あの大失態には、どんな言い訳もできない。

「……わかっている」

「ありがとうございます。重ね重ね無礼を申しあげ、申し訳ございませんでした」

「……いいんだ。貴重な意見をありがとう」

 私は居心地の悪さに、場を紛らわすためにカップを手に取り、それを呷って飲み干した。

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