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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第五章 誰がために 

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「ほんっとうに、久しぶりだなあ」

 客間に通し、アンが持ってきてくれた茶と菓子を供しているところをじろじろと見ていたアストルは、しみじみと言った。

 どうぞ、と手でうながすと、優雅にカップを取り上げ、上品に口をつける。

 筋肉質な体躯、鋭い容貌、左目の横の大きな切り傷のおかげで、かなり強面に見えるが、彼も貴族の子息だ。明朗な性格もあるだろうが、けっして粗忽な振る舞いはしない。その点では、主の前にひきすえても心配のない人物だと思っている。でなければ、門前払いで、けっして主にひき会わせたりしない。

「少し痩せたか。いや、違うな。筋肉が落ちたのか」

 カップから口を離すと、さらりと、厭なところを突いてきた。確かに意識して落としたのだが、改めて言われると、いい気分はしなかった。

 『暇があれば体を鍛えろ』。それを忠実に守っていた子供の頃は、割れた腹筋を自慢しつつ、お互いつつきあって数えたものだった。そうやって幼い頃から刷り込まれたものは、なかなか意識を変えるのが難しい。たとえそれが、日常生活にまったく必要なく、むしろ過剰なものであったとしても。

 それにしても、秋服の上から見抜くのだから、こいつも相変わらずだ。昔から抜け目ない奴で、ついでにデリカシーというものもない。そのかわり、率直で裏表がなく、だから嫌味には感じないのだが。……その分よけいに、時々、その口を縫い止めたくなる。

 私は無言で茶器を置き、おかわりを聞くのをやめた。

「そうしていると、王宮に出入りしている貴族の坊ちゃんや官僚たちとそっくりだぞ。気取って見える。……その腰の剣は本物か?」

 今度はからかい混じりだった。だから私もそれに相応しい答えを返した。

「飾りだ」

「その重み具合、本物だろう! まったく、人を食った物言いばかりして」

 彼は不機嫌に眉根をよせた。

「人は選んでいるつもりだ」

 こいつになど、この程度のあしらいで充分である。あんなぼんくらどもと一緒にするなど、失礼極まりない。先に喧嘩を仕掛けたのはそちらだろうと、暗に指摘してやったら、なぜかアストルは嬉しそうに笑った。

「わかってるさ。おまえが横柄なのは、心を許している証だって」

 ぞわりと全身に鳥肌がたった。なんだその、なにもかもわかってるといわんばかりの、親しげなまなざしは。

「……気持ち悪い奴だな」

「なんだよ、照れるなよ」

「私の間合いに入るなよ」

 無意識にぶちのめしてしまいそうだ。

「私は君のそういうところも好きだよ」

 ははは、と彼は声をあげて、上機嫌で笑った。私はすっかり苦々しい気分になった。


「あ、そうだ。本の依頼書を預かってきてたんだ」

 脈絡もなく彼はカップを置いて、手荷物をごそごそとあさりはじめた。手紙を差し出される。私は差出人だけ確認して、それをテーブルの隅に置いた。

 ここ何年か、王都では綺麗な装丁の恋愛小説を、想い人に贈るのが流行っている。そのための本を、元同僚たちが注文してくるのだ。

 奴ら、どいつもこいつも本どころか文字とも程遠い生活を送っているくせに、意中の女性を口説くのに、見栄を張ろうとしているのだ。

 当然自力でできるわけがない。どんな内容の本があるか、知りもしないのだから。

 その上、本当に難しいのはそこからで、その本の台詞や一節を模倣して、当意即妙で口説くのが、真の目的なのである。つまり、本はただの小道具で、流行り物を使って華麗に雅やかに口説くという、金も教養もかかった、紳士(・・)の高等テクニックなのだ。

 間違っても、頭の中身まで筋肉でできているような奴らがやれる芸当ではない。そこで奴らが何を考え出したかというと、傍迷惑な他力本願だった。……そう。奴らは、私がライエルバッハに行ったことを思い出したのだ。

 というか、そもそも、目の前にいるアストルが言い出したらしい。「ライエルバッハって言ったら、恋愛小説のお膝元だろう。エディアルドなら、なんとかしてくれるんじゃないのか。この前まで命を預けあっていた仲なんだから」などと、無責任なことを言ったわけだ。

 おかげで何通も助けを求める手紙が突然殺到し、私は大変に困惑したのだった。そんなもの、私の手に負える話ではない。無視しようかとも考えたが、一応、前御領主に相談したら、ロランを紹介されたのだった。

 それから、悪乗りした前御領主が音頭を取り、純粋に恋愛小説好きの女性に喜んでもらいたい主まで巻き込んで、素晴らしい熱意を持って新商品が開発された。

 単純な質問に答えるだけで女性向けの装丁を選べるようにしただけでなく、本のあらすじばかりか、簡単に効果的な演出ができるように台本(・・)と小道具まで付けたのだ。

 これが、売れた。口コミが口コミを呼び、密かな大流行となった。密かな、と付くのは、自力でできない男たちの金を使った奥の手だからである。

 この成功に気を良くして、小説にちなんだ小物の販売を拡大してみたら、今では小説事業の大きな柱となるほどまでに成長した。そこから派生した、挿絵画家の画集などというものも、異常に売れている。

 どうして女性たちが、女主人公のしていた髪留めだとか、男主人公からもらった指輪だとかを象っただけのまがい物を、そんなに欲しがるのか、まったくわからない。同様に架空の男女が寄り添った絵を眺めて、何が楽しいのかも理解できないが、売るからには、せめて質のいい物をと思い、提供している。

 客の満足が、次の投資を生み出すのだ。失望させたら、次には買ってもらえない。その点だけは、商売の基本として、常に心掛けておかなければならないと肝に銘じている。もっとも、凝り性なライエルバッハが、中途半端なものを世に出すわけもないのだが。

 まったくもって、何が金儲けのきっかけになるかわからないものである。それとも、これを、情けは人のためならずと言うのだろうか。

 おかげで、本を餌に、彼らの伝手を使って、欲しい情報が得られたり、場合によっては動いてもらうこともできる。……たとえば、主に近付こうとしたろくでなしの貴族の三男坊に別の女を紹介するとか、彼の悪事を公表して二度と顔を出せないようにするとか、である。

「そういえば、前に頼んだ、騎士団を退役したり死亡した騎士についてはどうなった?」

「ああ。遅くなっていてすまない。名簿はできたが、裏付けがまだなんだ」

「名簿は?」

「言うと思って持ってきた」

 アストルは薄い紙束をさし出してきた。受け取ってめくる。五十数人の名前が出ていた。

 病気、訓練中及び任務中の怪我、実家の事情、左遷に死亡。一番最後に元直属の上司と私の名前もあり、調査欄が空白なのが皮肉に感じて、喉の奥で低く笑った。

「で、君のところには、なんて書けばいい」

 視線から読んだのだろう。アストルが冗談めかして聞いてくる。

「なんとでも」

 肩をすくめてみせれば、エディアルド、と案外真剣な呼びかけが戻ってきた。

「いいかげん、そろそろ、何があったのか話せないのか。もう五年だ。これ以上間があいては、たとえ戻れたとしても、騎士としてやっていくのは難しくなるぞ」

 目線が雄弁に、その体では、と語る。

「戻るつもりはない」

「エディアルド。あの時、何があったんだ。どうか話してくれ。納得がいかないんだ。あの時まで、ブライス隊長は尊敬できる上司で、君は信頼できる仲間だった。それが、突然失われた。同じ隊にいた私には、知る権利がある」

「団長に申し上げたことを、私は撤回する気はない。どうしてもと言うならば話してもいいが、決闘の申し込みを受けてもらわなければならない」

 アストルは舌打ちを漏らし、忌々しげに息を吐き出した。私の手から、さっと紙束を奪っていく。

「腹立たしいったらない。愚かな頑固者め。どうせこれも、復讐の一環だろう。いくらでも手を貸してやるから、頼むから、私たちに君を捕らえさせるようなことだけはしないでくれ」

「何を不穏な妄想をしているんだ。復讐などする気はない。領内のことで手一杯で、私にそんな暇はない。それも、うちの恋愛小説家が、マルガレーテ王女の想い人を知りたがっていたから、調べただけだ。思ったより、面倒なことを頼んでしまったようだな。すまない」

 素直に謝ると、彼は驚いた顔で私を凝視して、まばたきを繰り返した。

「復讐しない? 頑固で不屈で妥協を知らないエディアルド・ハルシュタットが?」

「ライエルバッハの名を汚すことはできないからな」

「今度はそっちか! 義理堅い君らしいが」

 はあ、と彼は深い溜息をついた。

「どちらにしても、騎士には戻らないという選択か。……けれど、まあ、いい。犯罪者になるつもりがないなら。人生を投げ出しているわけでもなさそうだしな。なにより、如何ともしがたい忌々しさが全然変わっていない。ここは、君の肌に合っているようだな」

 背もたれに行儀悪くよりかかり、アストルは気の抜けた笑みを漏らした。

「ああ、よかった。君とやりあって無傷でいられる自信がなかったんだ。安心したら、腹が減ったよ。どれ、菓子でもいただくとするか」

 アストルは体を起こし、菓子を一つ口に放り込んだ。

「そろそろお呼びがかかる頃合だ。我が御領主様の前では、行儀良くするんだぞ。粗相をしたら、叩き出すからな」

 威厳の欠片もない仕草に、眉を顰めて注意する。

「我らが愛の女神、ライエルバッハ公に、粗相などはたらくものか。心の底から崇め奉っているとも」

 彼は、やはり真面目に見えない手付きで、髪を整えはじめたのだった。

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