表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第三章 彼の後悔、彼女の決意

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/82

12

 仕度ができたとの知らせに、私は主の許に向かった。

 早く無事な姿を確かめたい、その一心で扉を開けた私は、束の間、声を失った。

 ソファに姿勢良く座った主は、深いワイン色のドレスに、金と翡翠の首飾りと耳飾をつけ、髪には赤い石を使った豪華な簪を差していた。

 こちらに向けられたまなざしは親しげな笑みを含んでおり、唇が夢のように美しい弧を描きだす。

 見惚れている先で、その唇が開き、声を発した。

「エディアルド」

 甘い呼び声に、心臓が震えるような心地を覚える。

 息を止め、これは本当に、我が主なのだろうか、と考えた。

 主の姿は、妖艶と言ってさしつかえないものだった。まさか、彼女にこんな一面があるとは、今まで、思ってもみなかった。

 ただ、その瞳を見れば、妖艶につきものの退廃さや堕落は少しも感じられず、凛とした知性が貫かれている。

 ああ、これは我が主だ。

 ほっとし、ようやくいくばくか心拍も平常にもどってきた。

 それにしても、騎士団時代に王宮で目にしてきた貴婦人たちの中にも、これほどの方は、そうはいなかった。なんと見事な貴婦人ぶりであることか。

「……よくお似合いでいらっしゃいます」

 私は心からの賞賛を捧げた。朝にも同じことを言ったが、他にうまい言い回しの持ち合わせがない。まさか、一日に二度も着飾った主を見る機会がめぐってこようとは、思い及ばなかったのだ。

 女性を褒め称えるのは、男として心得ておかなければならない当然の礼儀だ。なのだが、そういった状況から遠い場所に身を置いていたため、どうも苦手なのである。

 幼い頃に、父は母をどう褒めていただろうかと思い出そうとしてみたが、ごく短く、きれいだ、と言って抱き寄せてキスしていたくらいしか覚えがない。

 いくらなんでも主相手にその手が通用するとは思わないし、今度、メディナリーあたりに褒め言葉をレクチャーしてもらおうか、いや、ハリスンの方が案外真っ当そうだと、頭の隅の方で考えるともなしに考える。

 主は苦笑して、次いで照れくさそうに、小さな声で言った。

「いつもありがとう。そんなことを言ってくれるのは、あなたたちくらいよ」

 あなたたち、というのは、私も含めた城の者たちのことだろう。主は褒め言葉を社交辞令ととるきらいがある。今回もそう思っているのが見てとれた。

 確かに、主は美人というには、少し足りない。だが、じゅうぶんに人を魅了する魅力を持っている。こんなふうに装えば、宮中でも噂の麗人となるだろうほどに。

 だから私は、言葉を重ねた。……父を真似て。

「本当に、とてもお綺麗です」

「え? きれい……?」

 主は、思いがけないという様子で、鸚鵡返しに聞き返してきた。

「ええ、とても」

 思ったよりも気恥ずかしさでいっぱいになって、言うのではなかったという後悔にみまわれていたが、ここで退いたら元の木阿弥である。私は自分の感情に蓋をして、しっかりと請合った。

 すると主は、かあっと頬に朱をのぼらせて、その熱を冷まそうとするように、目をつぶって頬に右手を当てた。

「ありがとう。あなたにそう言ってもらえて、とても嬉しいわ」

 その恥らう仕草もまた、初々しくも艶かしい。

 そんな主の姿を見る予定なのが、祖父くらいですむことに、私は密かに胸をなでおろした。

 主に不本意な結婚はしてもらいたくない。そのためには、このような主の姿を、飢えた獣の群れに見せてやるには、まだ早すぎる。

 ただし、領地でうまくいかなかった時は、ぜひともこのメイドの手を借りたいものだと思い、私は視線だけを動かして、壁際に控えるメイドの顔を確かめた。

 確か、名はエセルといったか。いい腕をしている。

 視線に応えて一礼した彼女に、私も頷き返したのだった。

 

 主の手をとり、食堂に入ると、祖父はもうテーブルについていた。

 用意された椅子は三つ。彼のものだけ背もたれ部分が違っている。それで、どうやら車椅子のようだと気がついた。

 祖父は私たちを目にすると、好々爺然として微笑んだ。グレンに案内され、座ったままの祖父の前まで行く。主は私から手を引き、優雅に淑女の礼をした。

「はじめまして。サリーナ・ライエルバッハでございます。突然の訪問を快くお許しくださり、ありがとうございます」

「はじめまして。ようこそおいでくださいました。このようなありさまで礼を欠くこと、どうかおゆるしください」

「いいえ。わたくしこそアルリード公のご迷惑も考えず押しかけましたこと、心苦しく思っております。……お体がお辛くはいらっしゃいませんか? どうかご無理はなさらないでくださいませ」

「ご心配かたじけなく思います。無理はしておりません。食事だけは、体を立てていないと、どこに入ったのか、食べた気がしませんもので。それに、ライエルバッハ公のような美しい方との食事ならば、むしろ食欲がわくというものです」

「まあ。おじょうずですこと」

「いいえ。我が孫が身を尽くして仕えたいと願う気持ちが、よくわかります」

 その一言で、しんと静まり返り、二人の目が私に向いた。主は確かめるように、祖父は面白そうにして。

 それはそのとおりなのだが、第三者に、それも祖父から言われたい事柄ではない。私は取り澄まして二人を見返した。

 三人の中で、一番先に視線をそらしたのは、祖父だった。

「ああ、これはいけませんでした。ご婦人を立たせたままなど、紳士の風上にも置けません。どうぞお掛けください。ささやかではございますが、晩餐を用意いたしましたので」

 そうして、ようやく食事がはじまった。

 話は終始なごやかだった。天気の話題から国中の作柄の見込み、そこから近隣諸国との物流の動向へといき、最後に昨年うちで出版した旅行記の内容へと移る。

 それら全部に、祖父は情報を出し惜しみすることはなかった。それにさりげなく主も答えている。……ただの市井の人間なら、答えようのないことであっても。

 大商人である祖父が情報通なのは当然のことだが、ライエルバッハもまた、実はそれに劣らぬ情報網を持っている。

 情報源は、主に芸術家や吟遊詩人たちだ。情報を仕入れてくる者の特殊性から、表に出ることが少ない、とんでもない情報が集まるのが、ライエルバッハの特徴かもしれなかった。

 主はそれらをひけらかすことこそしなかったが、祖父に小娘と侮られぬくらいには返し、対する祖父も、所々に主を試すような質問をはさみ、反応を確かめている。

 ……確かに、約束どおり、祖父は礼を失していない。けっして攻撃的でもない。祖父のそういった話術は、会話を盛り上げるエッセンスにもなっている。

 が、おもしろくなかった。

 そんな会話であるにもかかわらず、主が時々本物の笑みを祖父に向けるのも、祖父が主を気に入った様子で、さらに笑顔を誘う話題を振るのも、すべてが気にくわない。

 ありていに言えば、自分のこれは、嫉妬だとわかっている。だが、他の誰よりもこの祖父に主の気を引かれるのは、心底腹が立ってしかたなかった。

 私は自分の狭量さを切り分けて飲み込むつもりで、手元の肉を、ことさら細かく切り分けた。

 そして、食後。

「エディアルド、おじい様に、父にしていた手のマッサージをしてさしあげたいの。時間がかかるから、あなたは先に戻っていて?」

 暖炉の前のカウチにおさまった祖父の横に、まるで本物の孫娘のように座った主に、にこりと微笑みながら言われ。

「そうだ。ラスティを呼び戻しておいた。おまえたちはしばらくぶりだろう。久しぶりに飲み明かせばいい。グレン、酒を出してやってくれ。とっておきのをな」

 などと、いらぬお節介を焼かれ。

 私は一人、部屋から追い出されたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ