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金の女領主と銀の騎士  作者: 伊簑木サイ
第三章 彼の後悔、彼女の決意

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「新しい小説には、目を通してくれたかしら」

 (かべ)(じゅう)、見本の紙が入った棚に囲まれた奥の部屋に通され、真ん中にある作業テーブルの椅子をすすめられたところで、すぐに主は本題に入った。

「はい、もちろんでございます」

 向かいに座ったロッドは頷いた。そして、並んで座っている主、私、主と順番に見て、心配げに尋ねてくる。

「でも、よろしいので?」

 誠実な態度であったが、いかんせん主語が抜け落ちていて、私には何が問題なのかがまったくわからなかった。

 しかし、私は質問をしなかった。これは主の楽しみにしている仕事であり、私が口を出すべきものではないからだ。

「ロランもマイクも優れた作家です。良い物語を紡いでくれるものと信じています。私も支援を惜しむつもりはありません。今回のこれは、必ず成功させます。なにも心配はいりません」

 すぐに毅然と言い切った主に、ロッドは頭を下げた。

「差し出たことを申しました。申し訳ございません」

「いいのよ。気にしていません。現場の声は貴重です。これからも忌憚なく意見を言ってもらえると、助かるわ」

「かしこまりました。それで今日は、どのようなご用件で?」

 主は小さな手提げから折りたたんだ紙を取り出すと、広げてテーブルの上に置いた。

 紙には様々な色でたくさんの丸が描かれて、いわゆる水玉模様になっていた。黄、橙、赤、青、紫、緑など、一列ごとに同系色がまとめられ、薄い色から濃い色へときれいに並んでいる。

「今回の本は、分冊になります。ですから、タイトルごとに、紙に色を付けたいのです。表紙などの色も、すべて統一します」

「なるほど。それは良い考えですね」

「それで、ロッドに聞きたいのです。あなたは、騎士の物語をどんな色に感じて?」

 騎士の物語というと、メディナリーの書いた方だろう。私は『騎士』というイメージから、近衛の赤や、男性的な濃い青や緑、灰を予想した。

 しかし、ロッドが指したのは、薄いピンクだった。

「もう少し濃くてもよいかもしれませんが、私はこの淡い感じが」

 そう言って目をあげたロッドと、何か通じ合ったかのように見つめあって、主も唇に微笑をのぼらせた。

「そうね。私も同じ色を選びました。他にも幾人か聞きましたけれど、やはりこの近辺の色を選んでいたわ。では、この三色で試し漉きをしてみてもらえるかしら」

 主は並びの三つを指し示して言った。

「かしこまりました」

「次に姫君の物語なのだけれど、ぜひ紫にしたいの。エディアルドの目と同じ色に」

「エディアルド様の」

 ロッドが顔をあげ、私の瞳を注視する。

「……少々難しいですね。この煌きをだすのは」

「そこをどうにかしてほしいの」

 引くことなく、さらりと重ねて要求した主に、ロッドは驚き、次いで頼もしい顔で笑った。

「これは腕の(ふる)いがいがございますな。承知いたしました。おまかせください」

「ありがとう。期待しています。どのくらいでできあがりそうかしら」

「そうですね……、今ある材料で試すのに二日、もし色がでなければ、新しい染料を探してとなりますので、十日ほどいただけると助かります」

「わかりました。では、十一日後に試作品を見に来ます」

「かしこまりました」

「あなたの方からは、何か質問があって?」

「そうですねえ……。そういえば、表紙は……」

 そこから主とロッドは、細々とした話に入っていった。

 小一時間の話し合いで決まったことを、最後に主は小さなメモ帳に書きとめた。

 この前までは、携帯用のインク瓶とペンを持ち歩いていたが、今日のは、この間献上された新しい筆記具だ。墨のようなものを細く焼き固めて、まわりを紙状の物でぐるぐると巻いてある。

 紙に擦りつけると、墨の部分が削れて線が書ける。芯が減って短くなったら、巻いてある物を少しずつ剥いでいけばいいらしい。

 書いたものを上から擦ると取れてしまうので、長期保管しなければいけない物には使えないが、インクみたいにこぼれる心配がなく、持ち歩くには実に重宝な代物だった。

 これも近々売り出す予定で、今、それ専用の工房を整え、職人を養成しているところだ。

 この筆記具のように変わった、最先端の技術を使った品が、トリストテニヤでは多く生みだされる。ライエルバッハが、芸術関連同様、こちらにも莫大な投資を行ってきたからだ。

 ただし、儲けてやろうとかそういうつもりだったのではない。ライエルバッハの方たちは、とにかくそういったもの(・・・・・・・)が大好きなだけなのだ。

 美しいもの、綺麗なもの、驚くもの、楽しいもの。心を揺すり、感動を与える何かに目がない。

 他所に持っていったら大金で売れるだろう、毎日持ち歩いているこの銃にしてもそうだ。

『ほら、サリーナ様、これなら弾を込めたり火種を切ったりしなくても、見つけた獲物をすぐに撃てますぞ。ちいと重いのが難点ですが、日々改良に精を出しておりますからな。もうしばらくお待ちくだされ。このマティーが、必ずや、サリーナ様でも気軽に猟を楽しめるようにいたしますからな』

『まあ、ありがとう、マティー。でも、無理はしないでね。どうか長生きして、面白いものを作って、また私を驚かせてちょうだい』

 そんな気の抜けた会話で、完成したら戦の戦術さえ変えてしまいそうな銃まで開発されてしまうのだから、眩暈を感じる。

 もっとも、これはまだ試作段階で、複雑な機構のせいで重く、反動も強く、扱える人間も手入れをする人間も選ぶ代物で、とても売り物にはならない。

 そうでなくても、ライエルバッハは武器を売りに出すつもりはないのだ。それは家名を得た時より変わらず代々保ち続けてきた主義に反する。

 ライエルバッハの愛するものは芸術だ。戦は芸術を破壊する。そんなものに与する行いなど、するわけがなかった。

 見てみるがいい。書き終えて、ぱたりとメモ帳を閉じた主の、なんと満足気なことか。この仕事が、本当に楽しくて楽しみでしかたないのだ。

「他の職人たちにも会っていきたいわ。案内してくれるかしら?」

「もちろんでございます。皆も喜びましょう」

 私たちはロッドの案内で、紙漉きの作業部屋へと移動した。


 主が職人たちの間に入っていくのを、私は途中で立ち止まって、ロッドと並んで見守った。

 主は、今年の紙の出来具合なんかを親しく聞き出している。漉き舟に近付き、職人がやるように指を入れて、舐め取ったりもしていた。

 主がとうとう、手提げを置いて、腕まくりをはじめた。久しぶりに紙を漉いてみるつもりなのだろう。若い職人が傍に寄り、何事か話しかけた。二人は華やかに笑い声をあげた。

 その姿に、内心、心穏やかではいられなかった。間に割って入って、相手の男を突き飛ばしてやりたかった。けれど、もちろんそんなことはできない。

 奥歯を噛み締め、見守るのに徹しようと己を叱咤する。が、主がうまく袖をまくれず、男が手伝おうと彼女の腕に触れた瞬間、私は思わず、嫉妬に息を止めた。

 静止の声が、口を突いて飛び出そうとした。その時、急にロッドが大声をあげた。

「セイン、退け! サリーナ様のご指導は、ヘイルと決まっている! おまえの腕でお教えするなど、おこがましいと思え!」

「ひでえな、親方」

 彼はぼやきながらこちらを向いた。自然と、ロッドの隣にいた私とも目が合う。そのとたん、はっとしたように手をひっこめ、会釈して、すぐに何歩も身を引いた。

 一方、同じように振り返った主は、私にニッコリと手を振って、セインの反対側にいたへイル爺さんと作業を始めた。

「申し訳ございません。教育が行き届いておらず」

 妙齢の主に、不用意に若い男を近づけたことを、ロッドが謝罪した。

「いいや。彼は仕事に熱心なだけだろう。彼が若いからといって、そこまで咎めたりはせんよ」

 他家では良家の子女が道ならぬ恋に落ちたりしないようにと、その姿を見せる相手さえ限定するものだが、我がライエルバッハは頓着しない。

 だったらそもそも、小説家たちと、徹夜で語り明かさせたりはしないだろう。

「寛大なお取り計らい、ありがとうございます」

 大仰な礼に、私は苦笑して彼を見遣った。

「そこまで堅苦しくしないでくれ。御領主様が嘆かれる」

 主は、子供の頃から前御領主にくっついて、領内を一緒にまわっていた。主にとっては、ここはかつての遊び場であり、職人たちはかまってくれる親しい大人、さっきのセインも、裏庭で共に遊んだ幼馴染だった。

 領主に就任した現在では一線を引き、それらしく振舞っているが、主の内面が変わったわけではない。過剰な上下関係を、主は淋しく感じるに違いない。

「……はばかりながら、私は、今日のサリーナ様のご様子に、たいへん安心いたしました」

 今までの会話とはどこかつながらないことを言って、ロッドは主へと視線を向けた。それは、父親が娘を見るような、温かいものだった。

「御領主になられてから無理をしておられるように見受けられて、心を痛めておりました。ですが、今日はとても柔らかく笑われて、あのように伸び伸びとしておられる。……エディアルド様のおかげでございましょう」

 私へと視線を帰して、彼は微笑んだ。

「私はなにも」

 私は首を振った。おかげどころか、私のせいで主に窮屈な思いをさせていたのだ。なんとも罪悪感のつのる指摘だった。

 やましさに目を逸らす。そこへ、ロッドの強い口調が、不意打ちで襲ってきた。

「エディアルド様、もう、ご遠慮なさいますな」

 私は何事かと、彼に目を戻した。

「私たちは、とうにあなた様を認めておりますよ。なにより、サリーナ様があなた様を求めておいでです。部外者の、人を貶めようとするだけのくだらぬ戯言などに、耳を貸す必要はありません。あなた様を失えば、どれほどサリーナ様が嘆かれましょう。絶対に身を退()いてはなりません」

 彼は非常に真摯な強いまなざしで言った。

 ……ああ、これは。

 思い遣ってくれたロッドには悪いと思ったが、私は束の間目をつぶって、溜息をついた。

 どうやら誤解はおかみさんたちばかりでなく、親仁さんたちにも及んでいたようだ。

「……ロッド、なにか誤解があるような気がする。私と御領主様はただの主従で、それ以外の何ものでもない」

「何をおっしゃいますか」

 ははは、とロッドは冗談を聞いたとばかりに笑った。

「あのかしましい女たちが、お二人を(はばか)って、壁の一部みたいになっていたじゃないですか。うっかり声をかけてしまった私も、申し訳なかったと思ったくらいで」

「何の話だ?」

 私は本気でわからず、聞き返した。

「何って、私が呼ばれて参りました時、見つめあっておられたではないですか」

「そんな覚えはないが」

「はあ。これはまた」

 ロッドは目を丸くしたかと思ったら、さっきよりさらに声を高くして笑った。

「わかりますよ。私もかみさんを口説こうと躍起になっていた頃は、そんな感じでした。あんなお多福でも、笑いかけられりゃあ、我を忘れて見惚れちまったもんです」

 私は、はっとした。確かにあの部屋で、主の微笑みに見惚れた。

 私はいたたまれなさに、今すぐこの場から逃げ出したくなった。だがそれ以上に、ごまかさなければという考えがはたらいた。この思いを、他の者に知られるわけにはいかない。

「御領主様は可愛らしい方だ。誰でもあの方に笑いかけられれば、見惚れもするだろう。さきほど、セインもそうだったように」

「ごもっともでございます」

 私の言い訳と揶揄に、にこにことロッドは頷いた。……つまりは、簡単にあしらわれた。

「本当に私たちは、主従の関係でしかないのだ。不用意な噂は、御領主様の体面を傷つける。どうかそれを理解して、おかみさんたちにも言い聞かせてほしい」

 重ねて、真剣さと深刻さを増して言ったら、ようやく彼は、はいはいという感じで頷いてくれた。そして、同情いっぱいに眉をハの字に開いた。

「……承知いたしました。エディアルド様がサリーナ様のためと言われるならば、そうなのでございましょう。私たちには、よくわかりませんが。お貴族様とは、気苦労の多いものですな」

 私の欲っした答えとはかなり違っていたが、これ以上を求めても無駄だろう。とりあえず、妙な噂は控えてくれそうだった。

 私は妥協して、それで良しとしておかなければならなかった。

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