自分自身
セウジョウに帰ってきた蒼を出迎えたのはマックスと副司令、それとほんの少しの兵士だけだった。
もっと大きなセレモニー的なものを想像していたわけではなかったが、流石に侘しさを感じてしまう。
期待しておいて勝手に残念な気分になる蒼だったが致し方なし、と自分の中でケリをつける。
「なんといいますか……。
守ってあげた私に対する誠意とかないんですかね?
チョコレートを持ってやって来るとか。
せめてそれぐらいは――」
(あるわけが無いだろう。
私達は兵器だ。
そういうものなんだよ)
「なんか納得がいきませんが正論ですね……」
帰ってきた艦隊は安全を確認するとすぐにまた戦場へとトンボ返りしてしまった。
一応何隻かの駆逐艦と巡洋艦は残ってくれていたが……。
不安だ。
万が一を考えて信頼できる《ニヨ》も残ってはくれているものの《天端兵器級》が来ない保証はない。
相手はまだまだ未知数なのだ。
紫の《ウヅルキ》を破壊したからといって勢力図が塗り変わるわけでもないだろう。
「私の考えすぎでしょうか」
(いや、考えすぎではないだろう。
おそらくだがな)
「半径五百キロに敵艦影は無いと言っても……。
今回の《ウヅルキ》のような艦がもう無いとは言い切れないのに。
つくづくここの人間は危機管理能力に欠けているというか……。
学習しないというか……」
(そこが良くも悪い所だな)
「良くないです。
圧倒的にデメリットが大きすぎますよ。
言ってしまえばただ気が抜けているんですよねぇ。
だから潜水艦に二回も進入を許すんですよ」
(それはあるな)
ボロボロで今にも沈みそうな《ネメシエル》は味方艦三隻に曳航されつつ何とか第五乾ドックに辿り着く。
第五乾ドックの細くなっている入り口に船体を入れるだけで公共事業のように大掛かりになる。
自分で満足に動けないため、タグボートが五隻がかりで《ネメシエル》を船首で押して何度も何度も調整を行う。
まだ潰れていないサイドスラスターを《ネメシエル》も吹かして目視と機械誘導を交えながらゆっくりと船体を奥へと押し込んでいく。
無事に入渠出来た所で、一つで駆逐艦ほどの重量がある固定具がいくつも伸びてきて、全長三キロを超える船体を支える。
続いて床下の蓋が開き、そこからドロドロとした粘度の高い海水がポンプで排水される。
「一時間半も入渠にかかるなんて……。
最悪ですよほんと……」
やっと息抜きの時が訪れ、蒼は“レリエルシステム”から腕を引き抜くと大きくのびをした。
背骨周辺がぴんと張られ、凝り固まってきた血液が流れ出すような感覚と共に立ち上がる。
そのまま軽く腕を回したりして体操を行い、蒼は艦橋内部の台所へと向かった。
(むしろその短時間でよくもまぁ私ほどの巨体を入れられたもんだな)
「そりゃー《ネメシエル》は私の艦ですからね。
私が一番じゃなくて誰が貴女を一番上手く操作するっていうんですか」
(運命共同体ってやつだからな。
それもそうか)
「そういうことですよ」
台所の冷蔵庫の扉を開いてみるが、中に入れていたはずのプリンは戦闘の衝撃でぐちゃぐちゃになってしまっていて見るも無惨な姿になっていた。
「はー…………罠ですよこんなの…………」
急降下したテンションとほぼ同期するようにドック内の水位も下がっていく。
水位が下がったことにより《ネメシエル》の損害の状況が明らかになりはじめた。
船体のあちらこちらに大穴が口を開き、艦尾は殆んど潰れてしまっている。
開いた船体の穴の中から海水が流れ出し、滝のようにドック内へと降り注ぐ。
《ネメシエル》の喫水線上の構造物も艦橋付近が一番大きな被害を受けていた。
“パンソロジーレーダー”の為の設備は根こそぎもぎ取れ、測距儀の片方は根本から溶け落ちている。
一番分厚い装甲が張り巡らされている部分はまだ無傷だが、それ以外の場所はまだ炎が燻っている。
消火のために天井から二酸化炭素が吹き掛けられ、燻っていた炎が消えていく。
ドッグ内に溜まった煙と二酸化炭素を排出するためにファンが回り、窓が開く。
そんな《ネメシエル》の状況は最早損傷のない所を探す方が難しいぐらいに酷いものだった。
まぁ今回は相手が《ウヅルキ》だったのだ。
むしろあれだけの接戦をしておきながら艦首断裂や、機関損傷と言った他の艦ならば廃棄処分レベルの致命的な被害が片方の指で足りるのだから《ネメシエル》の防御力はバカに出来ないものがある。
二酸化炭素と煙の排出が終わり、ブザーと共に整備員達が扉から入ってきた。
天井からいくつものアームが伸び、損傷箇所のスキャンを始める。
いつもそれから修理が始まる。
「基地に降りてプリンでも食べましょうかね……。
《ネメシエル》お疲れ様です。
スタンバイモードでお願いしますね」
(了解。
お疲れ様、蒼副長)
艦橋の扉を開き、伸びてきた廊下から見下ろす。
基地襲撃を何とか生き残った整備員達も損害状況を見てしかめっ面をしていた。
しかし直せない、というような表情を浮かべるものは一人としていない。
忠地に作業に取りかかっていく整備員達に頼もしさを感じつつ廊下の先にある扉を開いた。
「蒼!」
「んぶっ!?」
扉を開けた蒼をいきなり包み込んだのは大きな副司令の脂肪の塊二つだった。
蒼の頭を弾き、物凄い勢いで体ごと撥ね飛ばされそうになる。
副司令にが蒼に飛び付いて抱き締めてきたのだ。
「生きててよかったっ~~!
もー本当にダメなんじゃないかって思ってた所だったんだからねぇ!」
「んー!
んー!んーーーんんんーー!」
思いっきり抱きつかれた側の蒼は顔が脂肪に覆われてしまい、息が出来ていない。
苦しみ、もがくものの副司令がそう簡単に離してくれるわけもなかった。
「いくらなんでも無茶すぎるのよあなたはぁ!
そんなん死んでしまってもおかしくなかったのよぉ!」
「んーん!!
んーんーんーー!!!」
「その苦しみがこの抱擁よ!
覚悟なさいな!!!」
「んー!!
んー……ん…………」
「お、おい!
いい加減に離してやらないと死ぬんじゃないか!?
詩聖、離してやれ!」
マックスがあわてて命令するまで副司令の胸で蒼は走馬灯を味わい続けていた。
「ぶはっ!!
はぁー……はぁー……あ、危ない……。
も、もう少しで…………副司令の胸に殺される所でした……」
「あらあらごめんなさいねぇ……。
でも本当に生きてくれていて良かったわぁ。
もしあなたが居なくなったらどうすればいいのか…………。
とっても大事に思いすぎて喪うのが怖いのよ~」
副司令はやっとこさ蒼を離し、口元に指を当てて謝る素振りを見せる。
そして、少しだけ屈んで蒼と同じ目線をとると今度は両手を合わせて頭と同時に下げた。
「殺されかけたのは……うん。
別にいいですけど……。
でも私は兵器ですから。
失うのが怖くて使われないのが一番嫌ですよ……?」
宝の持ち腐れとはよくいったもので、どんなに国力を投入して作り上げたものでも使われなければ意味がない。
その昔の大戦では国力を尽くして造り上げた戦艦を戦線に投入しないで温存した結果、宝の持ち腐れとなり、終戦間際になって慌てて投入。
その結果、様々な要因が重なりあっさりと沈めてしまった国がある。
ヒクセス大陸から付き出した半島の奥地に存在しているネブカ共和国の事だ。
この出来事は世界中でネブカ共和国の悲劇として今も兵器達の間で語り継がれている。
「分かってるわよ~。
そこら辺は抜かりないんだから任せておきなさいって。
ね?
私達は兵器運用のスペシャリストなんだから!」
その事を強く警戒している蒼だったが副司令はどこ吹く風といった態度だ。
「いや、かといっても明らかおかしい命令は無視することがありますよ。
敵のど真中に突撃しろ、とかですけど……」
「蒼なら生きて帰って来そうだから恐いよな……。
それだけの実力があるわけだしな」
「私なら大丈夫ですけど……そういうことではなくてですね……」
「立ち話も何だし続きは司令室で話しましょ」
促されるがまま三人は並んで司令室へと歩き出す。
十分ほどで三人は司令室に辿り着いた。
既に中には椅子が三つ既に並んでおり、真ん中のテーブルにはたんまりと甘味が盛り付けてあった。
「ぷりん!!」
冷蔵庫から出したてと思われるプリンまで用意されており、まさに天国とも言える空間に蒼は一瞬で撃沈された。
《ネメシエル》から我慢し続けていたプリン欲はもはや止まらない。
「食べていいですか?」
「当たり前だ。
そのために用意させたんだからな」
ほぼ飛び込むような勢いでプリンに吸い込まれた蒼はテーブルの上においてあるスプーンを握り締め、一心不乱にプリンを口の中にかき込み始めた。
「ん、おいしい!
自家製ですかこれ!」
ガツガツ食べる蒼を見て満足そうに笑みを浮かべながらマックスは蒼の対面に座る。
そしてプリンと別の皿に持ってあったチョコレートに手を伸ばした。
「その通りだ。
この戦争が終わったらベルカ軍全体に売り出すつもりだ」
マックス印のコグレチョコ。
正直売れるだろう。
「儲けは七対三なのよ」
副司令がそこに一枚噛んでいるようだ。
だが気になることがひとつ。
「……どっちが七なんですか?」
蒼の問いにマックスと副司令は目を合わせる。
そして笑ったのは副司令だった。
「……俺が三だ」
「うふふ、そういうこと」
「oh……」
搾取される現場を見た蒼はただただ言葉を無くす。
「ま、まぁそれはいいんだ。
ごほん。
食べながら聞いて欲しい。
敵の艦で“レリエルシステム”に接触されたよな?」
その質問にピタリ、と食べる手を止め蒼はマックスの顔を見つめた。
相手が蒼と《ネメシエル》にクラッキングしてきた時の事を言っているのだろう。
静かに頷き、肯定の意思を表す。
「それが?」
お口直しにクッキーを食べ、またプリンに戻る。
「実はその時の情報を《ネメシエル》の記録から抜き取りたいんだ。
おそらく情報の解析によって敵の本拠地を特定できる……かもだな。
センスウェムの本拠地は未だに見つかっていない。
世界が血眼になって探しているのにいくらなんでも見つからなすぎる」
「案外身近にあるのに見落としているだけじゃないんですか?」
「うーむ。
その可能性がないわけではないが……。
まだ前線で大きな戦い起こっている以上探索に回せる艦がないのが現状だ。
それならば……ということで……」
プリンの入っていた容器をどんどん空にして行きながら蒼はマックスにお好きにどうぞ、といった素振りをして見せた。
「別に私は構いませんよ。
修理の間どうせ《ネメシエル》は動けないですからね。
少しでも私の情報が役に立つなら本望ですよ」
新しいプリンの容器を手に取り、蒼はスプーンの先を壁にかかっている祖国の“ワープダイヤモンド”へと向けた。
「唯一センスウェムのボスと接触したのも私だけですしね。
祖国のためになるならばいくらでもって感じです」
「でもあなた……。
それで《ネメシエル》がいざって時に動かせないのは……」
「ここであなたはやめろ。
大丈夫だ、作業は二日の間に終わらせる。
どちらにせよ修復作業中だ。
《ネメシエル》は動かせない」
「でも……」
渋る副司令。
いざという時に《ネメシエル》の最高AIが動かなくて《ネメシエル》自体が動かないのでは洒落にならないからだ。
「これはもう命令なんだ。
いいな?
蒼、すまないな。
《ネメシエル》の修復は今出しうる最大のスピードで修理に当たらせる。
早くても二週間はかかるだろうが……どうか我慢してもらいたい」
「了解です。
では私はこれで。
基地の中を少し見てきたいと思います」
目の前にあったあれだけの量の甘味を全て食べつくし、蒼は立ち上がる。
「お、おう?
わかった……。
だが行かないほうが……いいとは思うが……」
「?
どうしてです?」
「行けば分かる、とだけ言っておくぞ」
「?
了解です?」
「じゃあまた分かったら言うわね~蒼。
とにかく貴女のお陰でこの基地は守られたんだから。
本当にありがとうねぇ」
「いえいえ。
使命を果たしたまでですよ」
※
セウジョウ基地の中は散々な事になってしまっていた。
戦死者が片手に銃を握ったままあちらこちらで事切れている。
体に空いている大きな穴は機械兵士の持つ兵器だ。
右手に直接取り付けられた杭を相手に叩きつける一撃必殺の兵器。
流れ出した血液が溝に溜まり真っ赤な水溜まりがあちらこちらに出来ていた。
「っくそー。
なんだってこんな……うっぷ…………」
回収作業を行う人も限界のような真っ青な表情を浮かべ、込み上げてくる吐き気を押さえつけているようだった。
「おい若いの。
失礼だぞ。
これは国を、基地を守って死んでいった英霊達なんだからな」
「そ、そんなこと言われてもっうっ…………
き、きついっすよぉぅ……」
若い作業員に歳をとったおじいさんが活を入れている。
しかしそんなことわかっていてもどうしようもないだろう。
「こんなに……グロいなんて……」
「仕方なかろうか!
これが戦争だ若いの」
穴が開いているだけならまだしも……。
上半身と下半身がちぎれてしまっていたり、頭が無くなってしまっていたりと……。
初めてこれを見たのなら若い作業員の気持ちも分からなくはない。
「おい、そっちスペース余ってないか?
もうこっちは乗らねぇんだ!」
「こっちもダメだ!
新しく来るのを待つしかねぇ!」
戦死者の遺体を一つ一つ丁寧に布の袋に入れ、埋葬する為にトラックに載せていく。
新しいトラックはすぐに満載になり、さっさと基地から墓地へと出発する。
「新しいのが来たぞ!
おい、スペースを開けろ!
何やってんだ新米!
吐いてる場合じゃねぇぞ!」
また新しいトラックが袋を積んで到着した。
その袋に遺体が入れられ、トラックの荷台に乗せられる。
真っ白だった布もすぐに赤く染まり、荷台からは血液が滴っていた。
その作業があちらこちらで行われていた。
作業員の間にいるのは今回の戦いを生き残った兵士達だ。
蒼を見つけて顔を上げる兵士もいたものの、大体は暗い表情に頬に煤をつけ疲れきっているようだった。
ましてや手を振ってくれる人などいない。
「おい!
遺体を跨ぐんじゃない!!
戦死者をもっといたわれ!!!」
「はー……。
一体いつになったら終わるんだよこんな戦争……」
「うっ……兄貴……。
何で……うっうぅぅ……」
怒涛や泣き声があちらこちらで聞こえる。
ここにいるのは作業員と兵士だけではない。
死体にすがり付いて泣いている貴婦人や子供。
恋人に花を持ってきた人。
それぞれ皆が悲しい表情を浮かべている。
「酷い……」
思わずそんな言葉が口から零れ落ちる。
とてもいたたまれない気持ちになり、早足でこの場から離れる。
しかし何処に行っても同じような光景が広がっていた。
セウジョウ基地にいる限り逃れることは出来ないだ。
一瞬で気が滅入り、自室へと足を向ける。
来るんじゃなかった、とまで思う。
呑気に「見てくる」等と言うものではない。
「おんやぁ、“部品”ちゃん。
えらい久しぶりじゃあないのよ」
ねっとりとした声に後ろから撫でられ、蒼は前進に鳥肌がたつのを感じた。
ますます来るんじゃなかったという思いを強くする。
振り向きたくない。
「はぁ、無視かよ。
やれやれ空月博士は礼儀を君にプログラムしなかったんだろうねぇ。
全く昔から抜けている人だったよ」
「………………」
無視して歩き出す。
変に絡むと面倒だ。
「おい。
ったく……そういうところまで空月博士にそっくりだな。
親と娘は切っても切れないってことだねぇ」
「……何が言いたいんですか?」
無視するのも楽ではない。
自分の産みの親を侮辱しようとしているのなら蒼はここでこの嫌味な男とケリをつける気で振り返った。
「何が言いたいかって?
貴様の《ネメシエル》の記憶を弄るのはこの私だってことだよ。
少しは敬意を持って私に当たったらどうだい?」
めがねの奥の瞳を光らせてブラドは身長を生かして蒼を上から見下ろす。
そこには“核”への侮蔑もと尊敬ともとれる二つの複雑な要素が入り混じっていた。
ふと蒼はコイツに対する態度を変えてみることにした。
前に空月兄妹の会で得た死ぬほどどうでもいい情報がここで生きるかも知れない。
「何とか言ったらどうなんだい?
ん?」
とっさの思いつきだが、いい加減こんな態度を取られ続けるのも正直疲れた。
「これは風の噂ですが……。
あなた私の親の空月博士が好きらしいじゃないですか?
だから空月博士の幼少期に似ている私にやたら絡んでくるんですか?
私だけじゃなく私の姉にも同じように絡んでいたらしいじゃないですか?
もしかして私達にやたら絡んでくるのってそういうことなんですか?」
「っ、は、はぁ?
き、急にな、何を言っているのか……」
「誤魔化すの下手すぎませんかね」
痛いところを突いていくと同時に、もはや正解としか言えないぐらいに動揺したブラドを観察する。
あの嫌味な言葉を精錬する脳内で今どのように誤魔化すのか必死に考えているに違いないのだから。
「う、うるさいな……。
だ、だから何だって言うんだい“部品”ちゃんが……」
図星からかブラドの放つ言葉に嫌味がこもっていない。
そればかりか照れや、恥ずかしさが前面に浮き出てしまっていた。
「あーそういうことだったんですね。
道理で私達に絡むわけですよ。
要するに空月博士に似ている私達に絡んで反応を見ることで――」
「あーあーあーあーあ!!
もう分かったやめよう“部品”ちゃんこの話は終わりだ!」
自分の前で手をパタパタさせて話題を霧散させようったってそうは行かない。
「やめて欲しかったら……分かっていますよね?
もう変に絡んでこないでくださいよ」
「……くっそ。
あーはいはい分かったよ分かったよ」
足早に遠くへと逃げていくブラドを見送って蒼はまた歩き出す。
戦場から少しだけ離れても肉や鉄が焼け焦げた匂いは自分の体に染み付いており、ちょっとやそっとでは取れそうもない。
「はー……。
行くんじゃなかったですよ、本当に」
マックスの言うとおりだった。
※
それから一日後、《ネメシエル》の作業を蒼は目の前で眺めていた。
外では修理が行われ、艦橋内部では記憶を取り出すための作業が始まる。
「そういえば実際にAI本体を私は見たことないですよ」
艦橋内部にいる三人の作業員の一人に蒼は話しかける。
初老に足を突っ込んでいる整備兵はニコニコしながら蒼の頭を撫でる。
「?」
「少し君には刺激がキツイかもしれないね」
「?
どういうことです?」
「見ていればわかるよ。
……よし、いいぞ。
スイッチを入れろ」
艦橋に並ぶ数多くのメーターの様子を見ながら初老整備兵が合図を送った。
ガコン、と何かが外れる音がして蒼がいつも座っている椅子が左にずれる。
ずれた椅子の下から縦横二メートルほどの菱形に床が浮き上がる。
「へー、ここってこんな風になるんですか」
「まぁ、知らないのも無理はないよ。
艦のAIは案外自分の近くに置かれているものなんだ。
連携に支障が出ちゃいけないからね」
菱形に浮き上がった床からさらに細かい部品や小さなパイプのようなものが大量についた箱が出てくる。
心臓のような小さな音がその箱からは流れ出しており、その鼓動に同調するようにバイナルパターンが光る。
そのバイナルパターンは血管のようにも見え、まるで人体のようだ。
箱の外壁にはメモのようなものがびっしりと貼り付けられており、それが逆に気持ち悪い。
そのうち一枚を蒼は手に取ってみる。
「…………。
なんですかこれびっしり数字が書いてありますね。
えーと……?」
「はは見て分かるものじゃあないだろうね。
これは《ネメシエル》のAIの裏コードだよ。
もっとも今は使えないものばかりだと思うがね。
空月博士の遊び心だろう。
このメモの数が多ければ多いほど技術者が苦労して作り上げたってことなんだ。
君は本当に空月博士にとって難産だったみたいだね」
「私が難産……。
なるほど……?」
そのメモには様々な愚痴のようなものまで書いてあった。
うまくプログラムが働かない、と言った仕事のことからビールが飲みたいといった欲望まで。
様々な愚痴と欲望の塊があちらこちらに貼り付けられていた。
「はは、相当苦労したみたいだね。
これなんてもはや日記みたいになっているよ」
初老整備兵が指を指した先には一番濃い密度でメモが貼り付けてあった。
大体四十枚ぐらいだろうか。
人格インプットでどうしても躓く、といった内容が毎日のように記載されている。
「八月八日。
すでにインプット作業は八ヶ月に及ぶ。
船体が出来てもこれが完成しなければ意味がない。
だが進まない。
流石に頭に来てビールを飲んだ……。
私の母は相当お酒が好きだったんですね」
初老整備兵は自分の手に持った紙と実際の《ネメシエル》の回路を見比べながら一つ一つ探っているようだ。
蒼の問いに頷き手を隙間から奥へとやる。
「そうさ。
ベルカ技術者の中で一番飲んだんじゃないか、ってぐらいの酒豪だったよ。
すぐにべろべろになる癖にガバガバ飲んでいたなぁ。
まぁ何千人といる会食の中でよくも悪くも一番目立っていたことは確かだよ。
詳しく知りたいならミスターブラドに聞くといい」
「えー……。
嫌ですよ私あの人嫌いですもん」
ブラドは艦橋から少し離れた外の管理制御室で指揮を取っている。
《ネメシエル》のAIが起動しない状態でサブAIの暴走を抑えるための代理AIを管理制御室の代替AIが引き受けるためだ。
《ネメシエル》ほどの大きさになると代替AIもどうやら苦労するらしくブラドが直接管理するらしい。
「はは、嫌いと言っても仕方がないだろう。
あの人は実際技術者の中でも五本の指に入る優秀な方だ」
「そんなにすごい人なんですか?
とてもそうは見えないですが」
奥にやった手を引き抜き、部下に命じて配線を次々と箱へと刺していく。
その配線を別の金具で固定し、持ってきていたキーボードを配線に繋ぐ。
「これでよし……と。
チーフブラド。
《ネメシエル》のAIを完全に停止させます。
代替AIの制御をよろしくお願いします」
『了解した。
準備はできている。
こちらからカウントするからあわせて主電源を落とせ。
三、二、一、今』
初老整備兵がエンターキーを押す。
箱の周りをに走っていたバイナルパターンが消え、心臓のような音も止まる。
「次の作業にかかるぞ。
時間は限られているんだ。
箱外壁を取り外せ」
蒼が見たこともないような器具を初老整備兵の部下が持ち出してくる。
それを箱の周りについている鍵穴のようなもののひとつに差込み、右へと捻る。
『バイナルパターン安定。
サブAIの暴走もないぞ。
こちらは問題ない』
「了解です。
やはりあなたが見てくれていると安心する」
『最後に一緒に仕事をしたのは何年前だ?
《ネメシエル》ができる前だから……』
「かれこれ十年ぐらい前ですかね。
あなたがコグレに飛ばされる前です」
『そうか……もうそんなに前になるのか』
「お互い歳をとりましたね。
いやなものだ」
『ん……、鼓動係数が少し上昇。
だが問題ない範囲だ続けてくれ。
外壁を取り外す作業に割ける時間は後三分だ』
「急がなければいけませんね。
おい、次の作業工程だボーっとするな。
右から二番目のロックを外せ」
自分の艦の中枢がこんな風になっているとは思いもよらなかった蒼は一言も発さずに作業をただただ見つめる。
あれだけ毎日会話している《ネメシエル》のまさに本体ともいえる部分。
その外壁が取り外され蒼は少しだけ困惑する。
「これって……」
「うーむ、だから少し刺激が強いかなと思ったんだが。
知らないよりかは知っていたほうがいい。
これが君の相棒の本体とも言える部分だからね」
初老整備兵はもはや見飽きたものだろうが蒼にとって初めて見るものだった。
外壁を取り外した中にあるのはガラスのように透明な水槽だった。
少し青みを帯びた液体が中には充填されており、その中には脳が浮かんでいた。
その脳にはさまざまな電極が差し込まれており、補強のためなのか鋼鉄の板で覆われている部分もある。
しかしそれは紛れもなく人間の脳そのものだった。
「…………はじめまして《ネメシエル》?」
「自分の艦の脳を見てそういう風に言える“核”には初めて会ったよ。
肝っ玉が据わってるんだね」
『そりゃ空月博士の娘だからねぇ。
据わっていなきゃおかしいってものだよ』
「それもそうですね、ハハハ!
いやはや噂は本当なんですね」
『よかったね、“部品”ちゃん。
誉められているんだからねぇ』
少しカチン、と頭に来た。
ボソッと呟く。
「ラブ……空月……」
『あーあー!
作業に戻る!』
「ふん。
はじめから余計なことは言わないで作業しておけばいいんですよ」
「そのコードは海馬に直接繋がる部分だ。
丁寧に扱えよ。
あー違う、そこはこっちだ。
何度間違えるんだ」
初老整備兵の指導にも熱が入る。
脳から直接伸びた電極の端をが差し出してきた機械へ差し込み、キーボードをいじる。
脳の表面にバイナルパターンが走り、気泡が水槽の中で揺れる。
『記憶の措置処理を開始する。
少し時間がかかるだろうが……セウジョウのAIがうまいことやってくれるだろう。
約十分程の作業になる。
厳重に様子には気を配ってくれよ?
作業開始五秒前……二、一、開始』
脳の表面を走っていたバイナルパターンが少し激しくなる。
ここで一息つけるのか初老整備兵はほっとした表情を浮かべ長く大きな息をひとつ吐いた。
二人の部下た達はそれぞれ目の前のモニターを忙しそうに眺め時折キーを押している。
「記憶の措置処理は一番難しいんだよ。
データベースを触らないようにしながらシグナルをたどって海馬部分を直接刺激しなければいけないからね」
「そういうものなんですね」
すっかり理解を諦めた蒼の返事は何とも間抜けなものだった。
初老整備兵もそれを知ってかあまり説明をしようとしない。
「そういうものなんだ」
「案外簡単なものかと思ったら結構複雑なんですねぇ。
んー私は使うだけの側で大丈夫です、はい」
「まぁ“核”はそれでいいんじゃあないかな。
仕組みを知ったところで……な感じはするしなぁ」
突如、アラートのようなものが鳴り響き、艦橋内部の照明が赤色に変わる。
敵の接近とともに戦闘中のような空気に蒼は身構え、焦る。
何か変な所を弄くり倒したんじゃないかと部下たちの画面を見に移動する。
『心配ないんだよ“部品”ちゃん。
これはいわゆる夢のようなものだからねぇ。
人間でたとえると……そうだな。
んーそうだな、寝相みたいなものさ』
「寝相……?
やけに人間みたいなんですね《ネメシエル》のAIは」
「《ネメシエル》だけじゃあない。
全ての艦はみんなそうなのさ。
“核”が出来上がる過程を考えれば自然とその理由も――。
“核”の君に言うのは少し……なんだ。
道徳に反するかな?」
初老整備兵はそういって少し気まずそうに顔を逸らしてしまう。
「道徳とかもう戦争において一番必要ないのでさくっと言ってくださいな。
別に私は“核”ですしそういうの気にしませんよ」
初老整備兵は蒼がそう言ったにも関わらずまだ気まずそうに顔を逸らしたまま顎にたっぷり蓄えた髭を撫でる。
そのままキーボードを叩く部下の後ろに周り様子を伺いつつ、目の前に浮かんでいる《ネメシエル》の脳を眺める。
「さあさあ。
気にはなってたんですよ。
早く教えてくださいな」
「んー……。
まぁ構わないか。
“核”の生成はまず遺伝情報の作成から入るだ。
二人、同じ遺伝子を持った人間を作り上げるわけですな」
『お前の母、空月博士が考案するよりももーっと前に考案されたシステムだ。
空月博士を恨むんじゃあないぞ?
道徳に反するっちゃあ反するわけだがなぁ』
蒼も初老整備兵と同じく、目の前に浮かぶ脳を見ながら話を聞く。
「二人まったく同じ人間を生成する過程で脳をいじる。
“レリエルシステム”を脳細胞に植えつけるわけだ。
その過程で“核”の生殖機能は失われる。
酷ければ感情も失われるパターンは多い」
「“核”の生成って結構リスキーなんですね。
そのまま触らずに放っておけば人間になるかもしれない生物を無理やり兵器にしてるってことです?」
初老整備兵は小さく頷くとポケットを漁る。
しかしお目当てのものが見つからなかったみたいでポケットから手を出すと近くにおいてあった作業台の上に座る。
「だから道徳に反するのさ。
一昔前はとても人権団体がうるさかったなぁ。
そして生成される固体のうち、片方は成長する過程で体を破棄される。
つまり脳だけにされるわけだなぁ。
あとは想像の通りさ。
片方は“核”としてそのまま成長する。
そしてもう片方はAIとして生きるために別の処置を施されていく。
そういうことなのさ」
記憶の置換作業は順調に進んでいるみたいで、初老整備兵は部下たちの画面を見て満足そうだ。
『まぁ“部品”なのはお前も変わらないんだがなぁ。
どちらにせよ《ネメシエル》というひとつの個体を作り上げるためにはお前たち双子が必要だってこったな』
「ユーラブそら……」
『悪かったって……。
頼むからもうやめてくれ』
「あなたがやめればいいんですよ。
まったく馬鹿なんじゃあないですか?」
そこまで言った所で電子音がいくつか鳴り響き、コンプリートの文字が画面に浮かび上がる。
「よし、完了。
特にトラブルがあったわけでも無く順調に終わったな」
初老整備兵はさっさと撤収の準備を始める。
今まで行っていた作業の逆の工程を淡々とこなしていく。
『こっちも問題ない。
順調に全て終わったなぁ。
何か面白いトラブルでも起きないかと思っていたんだがなぁ』
「起こってたまりますか」
軽く減らず口を叩きながら最後にもう一度水槽に近づく。
あのまま体を奪われずに成長していたら今頃は蒼と同じ“核”がもう一人ここにいたということになる。
それが適わず鋼鉄の体を与えられた彼女はこの事実を知ったらどう思うのだろうか。
「《ネメシエル》。
私は貴女で貴女は私。
お互いが自分自身だったんですね」
この記憶は《ネメシエル》に見せないようにしなければなりませんね。
「もういいかい?
閉じるよ」
「はいな、了解です。
もう大丈夫ですよ」
水槽が床に収納されていく。
気泡と液体と共にゆらりと揺れる脳を蒼は複雑な思いで消えるまで眺め続けていた。
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お待たせしました。
長い間かかってこんなに短くて申し訳ないです。
《ネメシエル》の本体のお話でした。
SFとかではよくある表現ですがいざ目の前にすると……うわぁってなりますよねぇ。
ではでは!
ありがとうございました!




