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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第1章 モスコーでの暮らし
10/30

分かれ道

 



 ――――――




 工房を辞めてから半年ほど経ったある日のこと。


 私はニーナさんのところに厄介になりながら昼は武術の修行、夜は夜学に通うという生活を送っていた。辞めた経緯から工房の職人に会うのは気まずいので、彼らの行動パターンに被らないよう気をつけて生活している。修行には早朝に行き、工房が終業する前までに帰ってきて夜学へ行くという感じだ。


 朝。陽も昇らないような時間に家を出て訓練場に向かう。着いたときには師匠(ニーナさんの伯父さん)がひとり型の稽古をしていた。


「おはようございます、師匠」


「ようイワン。相変わらず早いな」


 挨拶すると、型を中断して返事をしてくれる。早くに来るのは迷惑かと思ったが、師匠は早朝に個人的な稽古をしているので問題なかった。曰く、日中は指導で忙しいので朝早くにしか時間を作れない、とのことで朝に個人的な稽古をしているのだそう。私は事情から早くに顔を出すため、それに付き合っている。


 二時間ほど組手をして汗を流す。最初は教えてもらうばかりだったが、半年も修行すればそれなりの腕は身についたようで、師匠の相手も務まるようになった。


 ここで教えてもらえるのは徒手格闘にはじまり剣、槍術に銃剣術に至るまで、様々な武術を教えていた。私はニーナさんの勧めで徒手格闘と槍術を習っている。どちらも手近なもので戦えるからだ。槍なんてないと思うかもしれないが、槍そのものでなくとも長い棒ならある。槍術というのはつまるところ突くと叩くという動作だから、槍でなく棒で十分というわけだ。まあ、これらはすべてニーナさんに言われたことなのだが。


 師匠との組手が終わる頃、他の弟子たちも訓練場に現れる。基礎的な動きの伝授、乱取りと見取り稽古。それがここでのスタイルだ。到達度別に分けられる。自分がどのクラスなのかは単純明快。乱取りへの参加を認められれば初心者卒業だ。


 通常、三ヶ月くらい基礎的な修練が必要とされるが、私は師匠の稽古に付き合っていたからか、一ヶ月ほどで基礎を固められた。後は乱取りによる経験を積むだけだ。それに加えて、ニーナさんの勧めでやることを絞っているのもあるだろう。曰く、徒手格闘は武器がなくとも抵抗でき、槍術は長物全般を扱うため応用範囲が広い。また、そうした特徴から現在の戦場で想定される銃剣での戦い(銃剣術)にも応用できる。だからこの二つを勧められた。


 戦争はここにきてさらに身近に感じられるようになった。なぜなら、軍に入る前に武術を教えてもらおうとする者が次々と入ってきたからだ。巷では兵士が不足しているのではないかと噂されていた。街角では兵士募集が呼びかけられ、この訓練場にも軍人が頻繁に勧誘に来ている。


 そんな光景を目にしている人々は、軍が深刻な兵士不足に陥っており、それを補うために新兵訓練もなしに前線へ送り込まれるのではないか、と考えた。祖国を守るのだ、という義侠心を刺激され、志願する者が増えている。


 また、モスコー周辺の集落では人攫い同然に軍が民衆を兵士として強制的に動員しているとの話もあり、万が一に備えて最低限の訓練は受けておこうと武術を習ったり、射撃を習ったりする人が増加していた。彼らは三ヶ月、基礎を教わると辞めていく。師匠から聞いた話では、そのまま軍に入る者もいるそうだ。


「シッ!」


「おっと!?」


 軍に入った門下生たちが何をしているのかということに意識をやっていると、目前に手刀が迫っていた。手を当てて咄嗟にいなす。ほっ、とひと息吐いたところに追撃が飛んでくる。それを躱し、踏み込んできた相手にカウンターの蹴りを入れた。しかし、相手はサッと距離をとり空振りに終わる。攻防がひと段落したところで、私はその相手を見やった。


「いきなりですねエレオノーラさん」


「イワンが気を抜いているようだったから、喝を入れるためよ」


 ふんっ、と鼻を鳴らしそっぽを向くエレオノーラさん。そんな彼女に、


「いや、当てる気だったでしょう……」


 と文句を溢す。


 稽古とはいえ本気ではあるが、怪我をさせないように手加減もする。当然、攻撃も寸止めだ。ところが、エレオノーラは完全に当てにきていた。今の手刀は身体を逸らして距離をとらなければ当たっている。


「ほらほら、よそ見をしてると危ないわよ」


 彼女が言い終わる前に私は動いた。背後から門下生が襲ってくる。


 ここで教えられている格闘術の基本は四つ。


 ・呼吸を続ける


 ・リラックスする


 ・姿勢を正して保つ


 ・足を止めない


 これに従い、私は前に踏み出し攻撃を躱す。すると、予想通りエレオノーラが突っ込んでくる。それをいなし、前方の安全確認をした上で振り返った。


「おおー、やるじゃねえかイワン」


 パチパチと手を叩きながら師匠が訓練場の端から中へ歩いてくる。乱取り終わりの合図だ。


「イワンといいエレオノーラといい、最近の門下には優秀な人間が多いな」


 鼻が高いぞ、と言って豪快に笑う師匠。


「エレオノーラさんを使嗾したのは師匠ですね」


「お前が心ここにあらずだったから喝を入れてもらったのさ」


「言葉通りということですか……なるほど」


「ちょっと。どういうことよ?」


 エレオノーラに睨まれる。彼女を見てうんうんと頷いたせいだろう。別に、地頭はいいくせに直情的で「喝を入れる」なんてもっともらしい理由をつけるのはおかしいなと思っただけだ。それを言うと起こらせるので口にはしないが。


「いや別に?」


 誤魔化そうとするが、


「そういうときのイワンは何か考えてるに決まってるわ」


 と詰められた。何だかんだで付き合いが長いため、どんなときにどういう行動をするのかはわかっている。なかなかに困った。


 そもそも、なぜエレオノーラがここにいるのか。彼女の家は「ボヤール」という家柄であった。もっとも、今は「ボヤール」といっても通じない。自分の先祖の話をするときに登場する程度だ。


「ボヤール」というのはルーブル帝国が統一される以前、諸侯が乱立していた時代から存在しており、諸侯に軍事的奉仕をする一方で、地主としての経済基盤を有した。皇帝や皇族に対して助言する政治的影響力を誇ったが、家来と併立する身分制は非効率であった。


 西方の先進国家との交流が深まると体裁を整える必要が生まれる。東方の遊牧民族国家が衰退したのを機に完全なる独立を志して領土を拡張。暴政や皇統の断絶、後継をめぐる動乱などを経て新帝が即位し、帝国が打ち建てられた。一連の騒擾は制度改革の好機であり、新帝はそれを捉えて貴族身分を公、伯、男へと再編。「ボヤール」は消滅する。


 エレオノーラの家はそんな「ボヤール」を祖先に持ち、代々武官として帝国に仕えてきた。しかし、今回の戦争で当主の父親が、さらに先日は後継者であった彼女の兄も相次いで戦死してしまう。これで後を継げるのはエレオノーラしかいなくなってしまった。婿をとるという話もあったそうだが、彼女はそれを拒絶して軍人になる道を選んだ。その準備として武術を学んでいるのである。


 彼女がここに入ってきたのは私より一ヶ月ほど遅かった。当然だが、稽古で顔を合わせる。そして、会ってびっくり何してんの!? となった。その過程でお互いの境遇を話すことになり、上記の話を聞くとともに、私が武術を学ぶことになったのかも話した。


『ふーん』


 と、反応は素っ気ない。まあそんなものだ。とはいえ、互いにやることがほぼ同じ(日中は稽古、夜はセラフィマさんのところで勉強)なので行動を共にすることが多く、周りからはセット扱いされている。私たちも生活リズムを合わせていて、最近では一時別れるのは面倒だとニーナさんところの食堂で夕飯を二人で済ませていた。


「「ありがとうございました」」


 稽古が終わり、師匠に挨拶をする。意図せず声が揃う。こういうところもセット扱いされる原因なのだろうが、偶然なんだから仕方ない。


「おう。気をつけて帰れよ」


 二人とも強いから心配はいらないがな、と言って笑う師匠。豪快に笑った後、エレオノーラは別嬪さんだからちゃんと守れよ、とも言われた。うーん、神速の矛盾。私はそれを気にしていたのだが、


「そんなことしなくていいから!」


 照れて顔を赤くしたエレオノーラが私に詰め寄る。勢いに押されて頷いた。


 そんなことがあったため、帰り道では気まずい雰囲気が流れる。いつもなら他愛もない話をしているのだが、とてもそんなことができる空気ではなかった。それでも足はニーナさんの食堂へ向く。気まずいから別れよう、とはならないのは不思議だ。


 今日も工房の終業時間より早く稽古を終えた。食堂で夕飯を食べ、すぐさま夜学へ行くいつものスケジュール。だが、今日は思わぬ邪魔が入った。


「よう兄ちゃん」


 以前、ドナートの依頼で私に暴力を振るい、ニーナさんに撃退されたチンピラたちである。工房のことばかり考えていて、彼らのことを忘れていた。もっとも、決まった時間に働いているわけではない彼らをどうやって避けられるのかはわからないが。


「お久しぶりですね。あれから商売は如何ですか?」


「お陰様で最悪だ。太客とはあの姉ちゃんのおかげで縁が切れちまったからな」


 どうやら依頼の失敗でドナートとの縁は切れたらしい。彼らからしたら最悪だろうが、私にとっては朗報である。私がまだモスコーにいることが、彼らを通してドナートに伝わらないのだから。


「それで、今回はどんな用で?」


「言う必要あるか? 御礼参りだよ」


 ですよねー。察しはついてたけど敢えて訊いてみた。一縷の望みを託して。まあ、粉砕されたが。


「イワン。こいつら誰?」


「昔、私に絡んできたチンピラさん」


 エレオノーラの問いに答える。事の顛末は話しているので、これだけで全て察したようだ。へえ、と薄っすら笑みを浮かべてチンピラたちを見る。あの肉食獣のようなリアクション、完全にやる気に火が点いたようだ。


「誰だこの姉ちゃん?」


「この前の奴じゃ!?」


 チンピラたちはエレオノーラをニーナさんと勘違いして浮き足立つ。が、チンピラリーダーが落ち着かせた。


「声が違う。別人だ」


 一回会っただけ(多分)の人間の声をよく覚えているなと思ったが、あのときのニーナさんはフードを被っていて容姿はわからない。だから声が識別する要素として覚えられたのだろう。


 要らぬリーダーシップを発揮したチンピラリーダーによってチンピラたちの動揺は収まる。そして、前も見た下衆な笑みを浮かべた。


「今回は可愛いじゃねえか」


「ああ。前は身体はよかったけどな」


 ニーナさんは顔も整っているのだが、フードを被っていたからわからなかったのだろう。さて、そんな風にチンピラたちがエレオノーラさんの品定めをしていると、そのなかのひとりが虎の尾を踏んだ。


「ちょっと胸がざんね――」


 そのチンピラは「ん」を言えなかった。エレオノーラさんが神速の踏み込みからの右ストレートを放ったからだ。脳震盪を起こしたか、件のチンピラは地面に倒れる。


「こ、こいつ!」


 チンピラたちは仲間がやられたことで、敵討ちとばかりに襲い掛かる。彼女だけにやらせないと私も前に出た。


「邪魔しないで。こいつらには教育が必要なのよ!」


「お気持ちはわかりますが、犯罪にならない程度でお願いしますよ。入隊できなくなるのは困るでしょう?」


 軍人になるためには犯罪歴の有無が関わってくる。あれば兵士になることはできない。そのように法律で定められていた。


「わかったわよ!」


 エレオノーラさんは一応、納得してくれたようだ。それから二人で協力してチンピラをやっつけていく。


「ま、参った!」


 最後、チンピラリーダーを転ばせた私は人差し指と中指を眼球の直前で止める。彼は目を見開きながら降参を申し出てきた。


「そう言う私を貴方たちは随分と痛ぶってくれましたね」


 にっこり笑う私。チンピラリーダーの顔は引き攣る。このままひと思いにやってしまいたいが、犯罪歴がつくのは私とて御免だ。


「二度と私に、あるいは私と関係する人に手を出さない、報復しないというなら特別に許します。……次はないですよ?」


「あ、ああ。わかった」


 チンピラリーダーはそう言うと、仲間を引き連れて逃げ去った。


「甘いんじゃないの?」


 横にきたエレオノーラさんはそう言う。


「そうかもしれません」


 そう肯定した後で私は首を振る。


「ですが、おかげで吹っ切れました」


 暴力というものを向けられ、どこかそれに萎縮している自分がいた。けれど今回、その象徴であったチンピラを返り討ちにしたことで、重い鎖から解放された気がする。


「……そう」


 私の言葉に、エレオノーラさんは優しい笑みを浮かべていた。


 そして時は少しばかり経ち、秋を迎える。まだ夏の気配が残る秋口、エレオノーラさんは私に告げた。


「陸軍士官学校の試験に合格したわ」


「そうなんだ。おめでとう」


 士官学校といえば最難関の学校だ。合格するのは純粋に凄い。それに伴い、訓練場は辞めるのだという。当然だ。驚きはない。


「じゃあ」


 エレオノーラさんはそう言うと颯爽と踵を返す。その姿はできる女という感じで、実に格好いい。夜学で見せる怠けた姿からはとても想像できなかった。


 こうして私たちの道はここで一旦別れることとなる……。







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