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女神さま おちた  作者: ふとん
番外編
19/19

幸せにおなりなさい

 その戦の勝敗は、ほとんど絶望的だった。

 宣戦布告も行われたかどうかさえ怪しいほど、その戦は唐突に始まった。

 以前から領土争いに躍起だった隣国が、突然国境を越えたのだ。

 ここ数年、小競り合い程度の戦は続いていた。だが、名のある将軍が何人も軍を率いてくるような戦はここ数百年ないことだった。

 比較的温厚だった王から好戦的な王へと代替わりしてから、軍備に隣国が力を入れていたことは知られていて、他の国境よりも精鋭ばかり揃った幾つもの守備隊が置かれており、それを知っていたはずの隣国も目立った侵略行為は控えていたはずだった。

 それが、一つの砦が突然の奇襲に落されるという形で、その微妙な緊迫関係は一息に崩れ去る。

 ほとんどなし崩しに戦場は拡大し、付け焼き刃に他の地域の守備隊がかき集められたが、全てを整えたうえで攻め込んだ相手に対抗できるはずもなかった。

 援軍の要請を受け、この戦場よりも以西にある山麓の砦に配属されていた朋来が部隊を率いて到着した頃には、戦場は泥沼化の様相を呈していた。

 兵糧はろくに届かず、昼夜を問わず激化していく戦場に、兵だけでなく将軍までも離反する者や脱走者が相次いでいた。

 すっかりやつれた見知った顔もあったが、朋来の目の前で先立っていった。

 そんな最中、一人の司令官がやってきた。

 彼を知る者はあまり居なかったが、朋来は知っていた。

 しかし、彼のような者が前線にやってくることが不思議でならなかった。

 直系の王太子でありながら、継承権を早々と放棄し、南概の領主に収まった才物だ。荒れて貧しかったかの土地を当時、弱冠十七歳の領主はみるみるうちに再生させて、今や国内でも有数の都へと発展させたのだ。その政治的手腕は弟である現陛下にも信頼されていて、今の国にとって無くてはならない人物であったはずだった。

 そんな人物が、なぜ、このどうにもならない前線へ送られてきたのか。

 彼が王太子だと知った兵士たちは皆担ぎあげたが、朋来はそんな気にはなれなかった。もともと政治手腕を奮っていた人物だ。戦争と政治は似ているようでまるで違う。彼がどうして、左遷されるようにこの戦地へ送られてきたかということが気になった。

 しかし、彼が司令官に任官すると、恐ろしいほどの早さで戦況が変わった。厳しい戦況には変わりなかったが、滞りがちだった兵糧や衛生兵の配備が進んだ。次第に敗走ばかりだった戦況が攻勢に転じた。それでも兵士は足りないので、司令官自ら武器を手に戦うこともあった。その身辺警護に、朋来は駆り出されることとなった。

 その司令官は、この戦地にあって仁徳者と言われるほど温厚だと評判だったが、朋来は、彼と出会った瞬間に、鳥肌の立つ思いがした。

 部下となるはずの朋来に握手を求めてきた彼は、表面上はとても人当たりのいい人格者だった。だが、その静かな双眸は、

「よろしくお願いしますね」

 ひどく酷薄な色をしていた。



「御苦労。よく無事に連れてきてくれた」

 慶諾と共に席を勧められ、朋来は彼の前に座った。

 花嫁衣装がないことに気付いたあと、行程を一日早めて南概に入った。

 あれ以上、あの少女を痛ぶるような事実を探しだしたくなかった。

 彼女を歓迎したあと、慶諾と朋来も客人として城に招かれた。

 思ってもみなかった扱いに、朋来は目の前でゆったりと椅子に腰かけている男を見据える。

 南概領主、明即。黒髪の整った顔立ちで今も緩やかに微笑んでいるが、その瞳は相変わらず酷薄で、いつも何を考えているのか分からない光を湛えている。

「銀獅子将軍と青龍将軍に守ってもらえれば、このうえない安全な旅路だっただろうがね」

 真意の読めない言葉に、朋来も慶諾も答えなかった。

 彼はいつだって何を企んでいるかわからない。

 彼が、あの二年前の戦争を引き起こした張本人だ。

 侵略戦の最中に普段は関わりのないはずの文官の大臣たちの動きが不審だった。それに気付いた友人の一人が、朋来の伝手を頼って探りを入れるように言ってきたのがきっかけで、調べていくうちにそれが明即に繋がることを知ってしまった。

 慶諾もその一人で、戦場で兵士に交じって幾度も暗殺者に命を狙われる羽目になったのだ。しかし、戦争が終わる頃には、明即の方が朋来たちを重用するようになって、いつの間にか取り込まれるような形で戦争を終わらせることとなった。

 しばらくその後始末にも駆り出され、きっと誰よりも、もしかすると弟である現陛下よりもこの男の酷薄で非情な面を知っているかもしれない。

「―――なぜ、囮に使うような真似を?」

 尋ねたところでまともな答えは期待していなかった。

 だが、朋来は尋ねずにはいられず気付いたときには口にした。

「なぜ、自ら望んだ人を囮に?」

 尋ねてから、朋来は口を噤んだ。

 明即から微笑みが、消えた。

 まるで洗い流したように感情らしい表情がすっかりと失われ、酷薄な瞳がしっくりとそれに馴染んだ。

「―――呆れた愚弟だ」

 憎らしげに吐きだすと、息を吐きだして明即は珍しく口元を歪めた。

「大臣共にも我が愚弟にも、忠告はした。私の婚約者に手を出すような真似をすれば、二年前の程度では済まないとな」

 瞼の裏で忠告した者たちを打ち殺すように目を閉じると、明即は薄く笑う。

 いっそ、滅ぼしてしまおうか。

 歪んだ口がそう紡いだのを朋来は見た。

 

 やはり、連れてくるのではなかったのか。

 逃げるようにして彼女を連れてきたが、果たしてこんな猛獣のもとで良かったのだろうか。

 しかし、逆に言えば、この猛獣の足元こそが一番の安全な場所だとも言える。

 この冷酷な猛獣によって、一国の趨勢と秤にかけられる彼女だからこそ。


 夕食の席で会うことができた彼女は、戸惑いながらも笑っていた。

 何でも、明即がこの南概の領主だということも知らなかったようで、突然の結婚の申し込みに驚いているようだった。

 だが、ようやく居場所を得たような顔の彼女を見て朋来は少しだけ安堵した。

 きっと、彼女なら幸せになれるだろう。

 朋来の呪いを笑い飛ばしてくれたように、その優しさで誰かを救いながら。


 朋来たちが王都へ帰る時には、本当の家族と別れるような顔で少しだけ彼女は泣いた。

「マユさま」

「な、何?」

 ぐずぐずと涙を流す視線に合わせてすでに癖のように腰をかがめ、手巾を渡してやると彼女は素直に受け取って鼻を噛んだ。


「幸せにおなりなさい」


 きっと、養母と義妹はこんな気持ちだったのかもしれない。

 この先、彼女と再び会えるかどうかも分からない。

 だが、遠くからでも幸せを祈っている。

 そんな、温かな。



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