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女神さま おちた  作者: ふとん
番外編
18/19

失礼なお姫様ですね

 その日も朋来たちはいつもと変わらず馬車を走らせていた。

 今日も朋来が御者を務め、三人だけの花嫁一行は深い森へと差しかかっていた。

 淵の森と呼ばれるこの森は、南概へ向かうまで唯一の深い森だ。開拓を容易には許さない大木の並ぶ、この広大な森は馬車がやっと通るだけの道幅があるだけで、その道をそれれば慣れた者でも抜けることはかなわない。徒歩の旅では一日で通り抜けることはできないので、馬車を使う商隊や貴族が使う裏道として知られていた。しかし、彼らもよほどのことがない限りは使わない道だ。昼でも灯篭に明かりが必要なこの薄暗い道を抜けることは、決して安全とはいえない。

 本来なら、この危険な道を選ぶなど護衛としてはしないことだ。

 だが、この道だけは外すなと指示され、不本意ではあったが朋来は馬車を向かわせた。

 行程表を見た慶諾は今までの安全な道とは違う経路を訝しんだが、何も言わずに組み込まれたそれに従ってくれた。

「隊長」

 慶諾の短い呼びかけに朋来は馬車を止める。

 馬車と並行に馬の足を止めた慶諾は鋭く辺りを見回している。

 囲まれた。

 暗がりに何かが、何者かが幾人も潜んでいる。

 緊張をはらんだ空気に馬が震えてわななく。

 御者台を降りて馬首を撫でて宥めながら、朋来は箱馬車の車台を覗き込む。

 いつもより朝早くに出発したからか、お姫様は座席に寝転んで眠りこんでいる。

 朋来は座席の日除けを引こうと静かに車台の戸を開けた。

 起きる気配は無かったが、ふと彼女の手元を覗いて笑みがこぼれる。

 彼女は今日も飽きずに、朋来と慶諾が贈った髪飾りを眺めていたらしい。石を彫り込んだ細工物なのでそう簡単に摩耗しはしないだろうが、子供が気に入りのおもちゃを片時も手放さないように握りこんで赤ん坊のように眠っている。

 朋来は日除けを静かに引いて、音をたてずに車台に鍵をかけた。

 そうしてしまえば、馬車の中までよほどの音以外、外の音は漏れ聞こえない。

 そうして振り返った朋来は、笑みを湛えながらも凍えるような空気を纏った。

 慶諾はその朋来の様子をちらりと横目で見てから馬から降りて、手早く戒めを解いた二匹の馬首を叩く。

「行け!」

 馬は主の言う通りに薄暗い小道を駆け抜けていった。

 それが合図だった。

 その瞬間、慶諾の剣が甲高い音と共に瞬く。

 雷光のような軌跡を描くのは、投げるに特化した投刀。

 それが木々の隙間から狙い澄まして朋来達に飛来する。

 短い掛け声と共に慶諾は投刀を打ち払い、車台の前に立ち塞がる。

 投刀の手玉など限られている。

 すぐに現れた人影に、朋来は勢いつけて走りこむ。

 一瞬。

 ほとんど黒い装束の中から得物を抜くことすらさせず、朋来は剣を滑らせた。

 滑らかに、しかし胴のほとんどを叩き斬るほどの膂力で斬りあげられ、剣先から遅れて血飛沫が舞い上がる。

 数瞬で崩れる味方にわずかに躊躇った隣の黒装束も、朋来の剣が首を掻く。

 斬りかかる方が遅れをとるほどの早さで、いずれの得物も朋来と剣を合わせる間もなく地に伏す。 

 その様子に茂みがざっとざわめいたかと思うと、相手を確実に仕留めようと今まで様子を伺っていた者たちがほとんど全員で朋来と慶諾に斬りかかってくる

 囲む黒装束をほとんど一刀に斬り捨てて、朋来は返す刀で剣ごと腕を刈り、逆手に斬りかかる腹を蹴り飛ばす。

 その足を狙った投刀を無視して次の獲物にかかろうとして、朋来の兜が反動で宙を飛んだ。

「……銀獅子!」

 誰かの低いが、驚くような声が聞こえた。

 生臭い風に煽られて、朋来の短い銀の髪が揺れる。

 血に濡れた刃が声の主を屠るのに、そう長い時間はかからなかった。

 朋来の耳に合図が聞こえたのは絶命した体が力なく倒れる頃だった。

 黒装束達は仲間の死体をそのままに、潮が引くように再び暗い森へと消えた。

「隊長」

 短いが、先ほどよりも落ち着いた呼び声に朋来は血の滴った剣をそのままに振りかえる。

 足を切りつけられ、押さえつけられているので動けない黒装束を足の下に敷いた慶諾がいつもよりも感情のない顔で朋来を促した。

「必要ありません」

 朋来の応えに、慶諾は朋来と同じように血が滴り落ちる剣で黒装束にとどめを刺した。

 短い苦悶を聞き届けてから、朋来はざっと周囲を見渡す。

 すでに人の気配はない。

 よく訓練されている者たちだ。

 剣の血を払って鞘におさめると、同じように剣を収めた慶諾が物問いたげにこちらを見つめていた。

 その、訝るよりも責めるような視線から朋来は意識を逸らせて、死体の周りに転がった自分の兜を拾い上げた。

 貫通はしていないが投刀が兜に突き刺さり、土と血に薄汚れている。朋来が近衛に配属されてから使っていたものだが、もう使えまい。

 矢など射かけて来なかったところをみると、兵士や傭兵ではない。玄人の暗殺者の類だ。

 残された投刀の刃の部分は光に淡く光っていた。車台や御者台に突き刺さったはずのものは抜き去られていたが、傷痕はわずかに溶けている。毒が塗られているのだ。ああいう者たちは得物を残したがらないが、朋来の兜に刺さったものまで抜き取る余裕が無かったのだろう。

「隊長」

 多少の苛つきも含んだ再度の呼びかけに、朋来はようやく慶諾に向き直った。

「―――大臣たちの手の者です」

「大臣?」

 動かないはずの慶諾の眉がしかめられた。

 慶諾の不愉快さは朋来にも理解できた。そもそも彼女は、大臣たちの企みによってこの世界へと落されたのだ。

「私は、この道を通り、襲撃を返り討ちにせよと命を受けました」

「―――あんた、この護衛を任されること、辞令が出る前から知っていたな?」

 問いかけではあるが確信めいた慶諾の言葉に頷きもせず、朋来はもう役にはたたない兜に目を落とした。

 朋来が今回の護衛を命じられたのは、辞令よりも前に送られてきたとても個人的な手紙からだった。

 役立たずの女神を妻にと望んだ、南概の領主その人からの。

 彼は、明即といい、辺境の土地、南概の主で、今代陛下の腹違いの兄にあたる。

 腹違いといっても容姿は陛下とことごとく似ている。が、その気性はまるで正反対だ。

 弟の崇鵬は不正や不実を嫌う清廉潔白な性質だが、兄の明即という男は、毒すらも身のうちに呑みこんでしまうような、良い言葉を選べば治略の天才、悪い言葉で表せば、奸雄だ。

 表面上はとても穏やかで温厚な人格者に見えるので、彼の狂暴なほど清濁併せ呑む性質を見抜いている者は少ない。

 朋来も、幸か不幸かその一人だった。

 女神と呼ばれる少女を知った今となってみれば、正直なところ好き好んで猛獣の前に何も知らない小動物を置くような真似はしたくはない。

 だが、彼女の今後を守ることが出来るのは、王という絶対支配があるこの国で、王の他に明即しかいなかった。

 だから、不承不承ながらもこの危険な命令―――だからこそ朋来の腕を買ってわざわざ護衛につけたのだろうが―――を受けた。

「今回の襲撃をあえて退けさせたのは、恐らく大臣たちへの牽制でしょう」

 そもそも暗殺者に襲わせるということ自体を避けることなど、あの男ならば造作もない。それをわざわざ危険な道を通り、襲わせたのだ。彼は常人には理解しがたいほどの酔狂だが、意味もなく死体の山を築く間抜けではない。

 しかし、実際に血の海の中に立っている朋来たちにしてみれば、彼も狂人の類であることに違いはない。

 血など服や鎧についてはいないが、血の臭いは目立つものだ。

「―――マユさまが起きられる前に、すべて片付けてしまいましょう」

 納得のいかない顔をしている慶諾を尻目に、朋来は馬を呼びよせるべく、指笛を吹いた。

 馬が戻ってくるまでに、朋来たちは剣や剣帯など以外の衣服と死体を全て燃やし、森へと捨てた。傷ついた車台は次の街で変えることにして、辺りに未だ漂う血の臭いに怯える馬たちを宥めながら森を抜けた。

 朋来はいつもの兜を荷台に放り込んで、街へ行く時に身につける帽子をかぶることにした。

 太陽が中天を過ぎたほどに森を通り抜けると、ようやくいつものような野原へ続く道へと出る。

 爽やかな風を受けながら、しばらく馬車を走らせて、途中の林で休憩を取ることにした。

 少し遅いが、昼食がまだだ。

 朋来が馬車に呼びかけると少女が眠たそうに応えた。

「いい天気だし、あそこで食べようよ」

 昼食だと知った彼女が指したのは、草原が見える丘だった。

 こうした提案は初めてはない。林からもほど近いので、慶諾も肯く。

 朝、宿屋で包んでもらった昼食を荷台から出し、まだかまだかとこちらをうかがっている少女に朋来は釘を刺した。

「丘から降りてはいけませんよ」

 丘から向こうに広がる草原は見た目ほどたやすい場所ではない。

 風が通り過ぎるたびにざわざわと波のように鳴る草原の草は、実は人の背丈ほどもある。一度入り込んでしまうと、天然の迷路のように行き先を見失ってしまうのだ。

 三人で丘の崖に腰掛けると、昼食にと持たされた野菜と肉を包んだ面包の包みを開けた。

 少女の、次の街についての質問に答えながらあっという間に昼食を終えると、彼女は大きく伸びをした。

「ねぇ、朋来」

「はい」

「兜じゃないの、珍しいね」

 いつも旅路の時には兜だ。要人の警護の者だけが身につけているわけではなく、一般の貴族や豪商の護衛も兜は見につけるので珍しくはない。武人だと分かるだけでも、要らぬことを考える者たちへの牽制になる。

 そうしたことを察しているのではないだろうが、少女は事もなげに朋来の帽子を眺めた。

「帽子より涼しいでしょう」

「そうでもありませんよ」

「だったら脱げばいいのに」

 時々、答えにくいことを尋ねられることが多くなった。

 他愛もない知識ならば応えられるが、こうした因習めいたことを尋ねられると答えにくくなる。辞令の時に渡された、明らかに額の少ない金札の意味も朋来は教えられないままだった。

 知らないでいるといいと思う。

 けれど、彼女は知りたいと思うだろう。

 そういう少女だということぐらいは、知った。

「どうして脱がないの?」

 尋ねられると思っていた。

 真っすぐにこちらを見つめる黒い瞳に、朋来の禍々しい姿が映っている。

 黙ったままの慶諾が、朋来を伺っている。

 それでも、朋来は言えなかった。

 知らない世界に放り出された挙句に、命を狙われていることなど、知られたくもなかったし、朋来の口から告げたくもなかった。

 だから、別のことを教えてさしあげよう。

「銀色というものは、忌み嫌われる色なのですよ」

 不思議そうな黒い瞳が朋来を見上げている。

 その瞳に嫌悪が宿ることになるのだろうか。

 何も知らないからこそ、奇麗だと言ったその口で悲鳴を上げるのだろうか。

「謂れは私も知りません。虐殺した王族の末裔だとか、罪人の色だとか、色々なことが言われておりますが、銀色というものは、とにかく嫌われる色なのですよ」

 自嘲気味に朋来は帽子をとった。

 慶諾が軽く息を呑んでいる。しかし、目の前の少女は、

「ふぅん」

 頷いただけだった。

 そして、

「珍しいっていうなら、私にしてみたら慶諾の方が珍しいよ」

 大貴族の慶諾を指してそんなことを言った。

 これには、朋来も思わず黙った。

「私にしてみたら、それだけのことだけど」

 それだけ。

 朋来はそれだけのことでこの世に生を受けたときから疎まれた。

 朋来が化け物だというのなら、目の前の少女はいったい何なのだろう。

 物知らずな娘のことを、朋来は笑えない。

 彼女の言う通り、本当に朋来はただ銀色の髪と瞳を持ったというだけだ。

「朋来が嫌われるなら、私が嫌われても仕方ないね」

 彼女がじっと見ているのは、車台の刀傷だった。

 異世界から来た。

 たったそれだけのことで、彼女は殺されかけた。

「朋来の髪、奇麗だよ」

 再び黒い瞳が朋来を映した。

 笑うことに失敗したような、情けない顔だ。

「慶諾と私が居るところなら、帽子なんか脱いでおきなよ。将来禿げるよ」

 からかうように笑う。

 その笑顔を見ていると、朋来は悲しくなる。

「―――まったく、失礼なお姫様ですね」

 

 何の違いがある。

 養父がいつか朋来に言った言葉だ。

 本当に、何の違いがあるのだろう。



 目の前の少女は、ただ生きて、笑っているだけだというのに。


 

 あれから幾日か過ぎて、行程はあと一日を残すところとなっていた。

 初めのころに比べれば、大人しくなった我らが姫君さまを連れて旅をすることも残り僅かだ。この峠を越えれば、南概に至る。

 それは、本当に偶然だった。

 休憩に荷を確認していた朋来は、半開きになった箱を見つけた。

 彼女の衣装箪笥だ。

 やれやれと肩を竦めて閉じようとしたのがいけなかったのか。

 その中身を偶然目にして驚いた。

 何も無いのだ。

 彼女が王宮から持ち出して気に入っていた肩掛け、いつも着ている少年のような質素な着物が数枚、沓が二足、普段着用の着物が数枚に、王宮を出てきた時に来ていた衣装。

 これだけだ。

 王宮で身につけていたはずの豪華な着物も、宝石もないどころか。

(なぜ……)

 朋来は珍しく頭に自分の血の上る音を聞いた気がした。彼は怒りに任せて行動などしない。それは持って生まれた色のせいでもあったし、そういう性格のためでもあったが、今までそういった場面が巡ってきたことがないせいでもあった。

 怒鳴るように呼んだ。

 驚くように顔を出したのは慶諾だ。

 どうしたと尋ねられる前に、朋来はどうにか自分の感情が暴発しないように抑え込む。

「マユさまを連れてこい」

 いつもとは違う様子の朋来を見てとり、慶諾は無言で頷いてその場を離れていった。

 朋来は再び箪笥に目を落とす。

 なぜ。

 やり場のない怒りと共にその問いばかりが頭を駆け巡る。

 なぜ、あんな少女がこんな目に遭わなくてはならない。


 衣装箪笥の中には、花嫁には必ず持たされるはずの花嫁衣装が無かった。


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