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女神さま おちた  作者: ふとん
番外編
13/19

ねぇ聞いて!

「良い子を紹介してくれたよ」

 何もしていないはずの小菊が女将に呼びとめられて、そんな言葉をもらった。

 きっとあの子は頭がいい。女官の仕事も覚えさせてみたらどうだろうとさえ。

 元々、世話焼きの気質なのだろう。女将に勧められて、小菊も彼女の言う通りにしてみるといいと思った。

 王宮で働くことが好きならここに居ればいいが、女官見習いなら他の貴族の家でもいい。


 けれど、マユは全てを断った。


「忘れたの?」

 そう、彼女は異世界から呼ばれた役立たずな女神さま。

 小菊に渡している金額から見れば、小鳥の涙ほどの給金を手にしたときの彼女といったら、まるで世界一の宝石でも手に入れたような顔をしていた。これで新しい服とくつが欲しいのだと言っていたのに、彼女は王宮の外へは出なかった。あんなに、出たいと言っていたのに。

 どんな素晴らしい着物もかんざしも、彼女を笑顔には出来なかったのに、彼女の給金で小菊が買ってきた粗末な古着を喜んだ。

 仕事の終わり、仕事の合間、小菊に話す彼女の話は楽しかった。

 女官という仕事柄、小菊も勉学はたしなんだほうだが、彼女についているのは宰相でもあり、国一番の学者でもある羅心さまが家庭教師だ。何を話しても、彼女が先輩女官の言うように、愚鈍で無知には見えなかった。

 彼女は普通の少女だ。けれど、女神の肩書で人々は彼女を笑い物にする。

 それが、小菊にとってはどうしようもなく悔しいことだった。

 それでも、マユは幸せそうに笑うのだ。

 泣きはらした目を一生懸命、化粧で隠して。


 そんなある日、マユが約束の日でもないのに金を持って小菊の元へと訪れた。


 この頃には、すでにマユのお陰で小菊の家は充分に潤っていた。屋敷の修繕も終わり、使用人たちに充分な給金を渡すことができ、弟妹たちに新しい服と本を買ってやることができ、両親も領地で安穏に暮らしている。だから、そろそろ小菊も領地に帰ってこいと言われていた。

 小菊が居なくなったら、マユはどこで笑えばいいのだ。

 ただ、それだけが心配で小菊は帰郷を先延ばしにしていた。


 数週間前に、マユは下女の仕事を辞めた。それは、急にマユに対する行儀作法の授業が増えたり、月に一度程度だったお嬢様たちとのお茶会(これをマユは非常に嫌がったが)に頻繁に誘われるようになったためだったり、理由はあったが、最終的にはマユが自分で決めて辞めた。

 小菊に対する金はこれからも欠かさず渡すというので、今までの半分ということで話をまとめた。

 きっと、マユは小菊に会いに来る理由が居ると思っている。

 そう感じたから、小菊はあえて断らなかったのだ。


 けれど、今渡されている包みの重さは半分の重さではない。

 マユを見遣れば、彼女はいつものように微笑みながら、けれどどこか弾んだ声で言った。

「あのね、私、南概に嫁ぐことになったの。今まで良くしてくれてありがとう。小菊」

 

 小菊は泣きだしたいのを我慢した。

 それが、何を意味するのか。

 彼女は本当に分かっているのだろうか。

 いや、きっと分かっているのだろう。

 王は、何も知らない彼女を、厄介払いしようとしている。

 いくら要らない女神さまとはいえ、マユは簡単に売り買いできる人形ではない。

 ちゃんと一生懸命に生きている、ただの女の子だ。

 悔しかった。

 泣きたくなった。

 小菊はもう、マユのことをただの女神さまと侮れない。

 もう、彼女とは友達だった。



 マユが売られるように南概へ行ってしまってから、しばらくして、小菊も王宮を辞めた。

 理由は簡単だった。南概が、小菊の故郷と近いのだ。


 突然女官を辞めて帰ってきた姉を弟妹たちは驚いて迎えたが、両親はよく帰ってきたと溜めこんでいたらしい見合い話をそそくさと勧めてきた。そんな家族をあしらって、小菊は南概の領主に、手紙を書いた。

 奥方と合わせて欲しい。それだけの手紙。

 しかし、返ってきたのは、意外な返事だった。



「ねぇ、聞いて!」

 王宮に居た時よりも、幾分動きやすそうな着物を着た、飾り気のない娘が小菊の前で大きく嘆いた。

 これでは、田舎貴族の娘の小菊の方がまだ小奇麗な格好だ。

 しかし、そんなことを気にした様子もなく、娘は目の前の、自分で作ったという焼き菓子を頬張りながら呻くのだ。

「もう、ホント勘弁してほしいわよ! あいつおかしいのよ! 仕事で忙しいくせに早く帰ってきては、私に可愛いだと奇麗だのって、意味の分からない小芝居繰り広げて、こちとらアンタの暇つぶし人形じゃないっての!」

 一度、夕食を口に詰めて黙らせたいと彼女はずずっと、手ずから入れたお茶を飲む。

「明即様は、お忙しい方とうかがっているわ。それでも夕食を必ずご一緒するなんて、とても楽しみなのね。マユと話すことが」

「楽しみなら、もっと私が楽しい話をすればいいと思う」

 むくれるマユを見ていると、王宮で小菊が見ていた彼女は半分以上人形だったのではないかと思う。

 ここに居る彼女は、実に感情豊かで、普通の、楽しい娘だった。

「ねぇ小菊。私の愚痴ばかり聞かせてごめんね。もっと楽しい話をしよう」

 微笑む彼女に、何でも聞かせたくなった。

 幸いにして、小菊に話題は尽きなかった。彼女は小菊の弟や妹の話をとても楽しそうに聞いてくれるし、小菊の両親がひっきりなしに持ってくる見合話にも年頃の娘らしく興味津津に聞いた。マユの異世界の話も面白いことが多くて、けれどマユの思い出と、小菊の思い出はどれも似たような、異世界だからといってほとんど違いがあるようなものではなく、ただ、一緒に懐かしく思った。

 けれど、そういうとき、マユはひどく落ち込んだ顔になる。それはそうだ。彼女はもう、自分の故郷には帰れないのだから。

 そういう時には、何を言っていいのかわからず、小菊まで黙りこんでしまうものだから、逆に彼女が小菊を慰める。もっと、気の利いた言葉を言えるようになれば。


 そうして話しこんでいると、いつも夕方になってしまう。

 だから、

「楽しそうですね。お嬢さんがた」

 いつの間にか客間に現われる彼の人に小菊はいつも驚いてしまう。

 すらりとした長身に、すっきりとした鼻梁に薄い唇、長い黒髪をゆるく結わえた姿はくだけた装いだが不思議と堂々としていて美しささえある。誰よりも今代陛下に似ているその人は、明即といい、賢君崇鵬の腹違いの兄君だ。早々に継承権を放って辺境のこの地の領主に治まったという、この人もまた、才物で知られている。

 マユの嫁いだ先が、そういわれる彼だと知ったから、小菊は正式な面会申し込みとして手紙を送ったのだ。

 奥さまの知己であるが、ほとんど挨拶も出来ずにそちらへ嫁いでしまったので一度会わせていただきたいと。

 手紙の返事は早かった。そして簡潔だった。

 私に未だ、妻はいない。

 私の手元にようやくやってきたのは、愛しい人だけ。

 あなたが本当に彼女の知人であるならば、彼女を説得してほしい。


 なんと、マユは未だこの素敵な南概の領主と結婚していないという。

 理由はといえば、


「久し振りです。繭」

 あっという間に警戒されている距離をつめて、マユの背中に流しただけの長い黒髪を指に絡めた明即は、恭しくそれを口づける。が、すぐにマユに叩き落とされてしまった。

「毎日毎日、それやらないで!」

 真っ赤になって叫ぶマユによると、明即とは王宮で出会ったらしい。だが、その時は本当に友達で(年上の男性を友人に出来る彼女はすごい)恋人などではなかったらしい。そして、マユが本当に王宮を出て行きたくなったら連れ出してくれるという約束(今となっては小菊には結婚の申し込みにも聞こえるが)をしてくれていたという。

 ただそれだけの関係だったというのに(マユにしてみれば)こちらに来てから方便だったはずの(そう思っているのはマユだけだ)結婚話を盾にして、毎日毎日マユに熱くて甘い愛の言葉をささやいてくるのだそうだ。

 小菊も女官として務めていたからそれなりに耳年増だ。嫌よ嫌よも好きのうち、でもうこの貴公子に身も心も預けてしまっているのではないかと勘繰っていたのだが、それを察したマユが真っ向から全否定してきた。それはもう、泣いて懇願するほどの否定ぶりだったので、本当なのだろう。それに、小菊が遊びに来ていても、まったく人目を気にしない愛の告白をしてみせる明即という男は、マユの嫌がるやりとりを心底楽しんでいる節もある。

 女官としても女としても、経験の浅い小菊でさえ、あきれるほど厄介な男だ。


「もうやめて! 事あるごとに頭撫でないで!」

「そんなつれないあなたも言うことを聞かない子猫ようで愛らしいですよ」


 それでも、マユがここを出ていこうとはしないのは、この厄介な男の言葉が嘘ではないと知っているからなのだろう。


「繭」


 彼女の名前を呼ぶ彼の声が、こんなにも甘いことも。


 一度、本当に嘘をつかないという約束をして、マユに尋ねてみたことがある。

 明即のことを本当に嫌っているのかと。

 彼女は悩んで悩んで、一言つぶやいた。


 あの男の思い通りになることが悔しい。


 近い将来、どんなに美しい花嫁になることだろう。

 きっとマユは微笑むだろう。それはそれは幸せそうに。


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