第15話「Just One Victory」 Part1
十月最初の日曜日。秋晴れ。絶好の運動会日和。
ここ、蒼空学園でも体育祭が行われていた。
現在は二年女子による100メートル走。
そのスタートラインで走るのを待つ女子たち。
トップはV字のネック。そこと半袖のふちにえんじ色の彩がある。もちろん基本は白。
ボトムは近年の流れでハーフパンツ。エメラルドグリーンのものだ。
そんなスポーツウエアに身を包んだ、17歳の少女たち。スタート寸前での会話。
「ふっ。陸上は綾瀬。貴様の土俵の上だが望むところ。それを打ち破ってこそ価値がある」
「……もうちょっとさぁ……女の子らしく可愛く言えないかな? 芦谷」
そう言うなぎさも苗字を呼ぶあたり「可愛げはない」ほうだ。
その態度というより逆鱗に触れたということかもあり怒りだすあすか。
「うるさい。毎日店では男相手に愛想笑いをさせられているのだ。学校でくらい好きにさせろ」
そこであすかは、なぎさの足を見る。
ハーフパンツ同様のエメラルドグリーンのジャージのボトムだった。
相変わらず水着以外で生足の露出を嫌がっている。
「貴様こそまとわりつくジャージなどで走るとは、真剣勝負の場で失礼ではないのか? 」
まとわりつくはやや大げさだが、太ももに何もないほうが走りやすいのは確か。
「……スカートが嫌いなのはあんただけじゃないの」
コンプレックスを突かれてぶっきらぼうになるなぎさ。
「ふん。それで墓穴を掘らねばいいがな」
あすかの言うのは後二人の走者。
オリンピック級といわれるなぎさ相手に勝負を投げず、むしろそんな相手と走りたいと2年A組。B組の最速ランナーが名乗りを挙げた。
「いいじゃん。むしろ燃えるよ」
なぎさは不敵に笑う。別に相手を見下してない。
ただ本気で走っていいのなら存分に見せつける。そんな思いが笑みになる。
直前の走者がゴールインしてなぎさたちの出番だ。スタートラインに整列。
すっと腰を落とす。全員一斉にスタートの体勢になる。
「よーい」
スターターの教師がピストルを真上に向ける。全員の腰が上がる。
焦げ臭いにおいを残し合図が鳴らされると、まさに弾丸のようになぎさが飛び出した。
そして文字通りあっという間にゴールのテープを切っていた。
刺客として繰り出した俊足ランナーたちが赤子扱い。レベル。次元が違う。
あすかは四人中の最下位。彼女が遅いのではなく彼女以外が全員陸上畑だったのである。
「すごいすごいすごぉい。なきさちゃん」
帰ってきたなぎさに抱きついたのは美百合…ではなくその親友にして恭兵の姉。火野由美香。なぎさにとっては幼馴染でもある。
「あはは。由美香さん。くすぐったいですよ」
「そうよ。由美香。ひどいわ。抱き着くのは私の売りなのに」
妙なところで怒っている美百合である。
体育祭ということで、珍しく栗色の長い髪をアップにまとめている。
「ごめんごめん。でもやっぱりなぎさちゃんだと、こうなっちゃうのよね」
何しろ幼いころからの仲だ。
「それにさ。これでさらにD組にポイント追加だし」
蒼空学園の体育祭はクラス対抗である。
1年2年3年のABCD四クラスが対抗するのである。
なぎさは2-D。由美香。そして美百合は3-Dで味方というわけである。
一年ではアンナ。千尋。双葉が。
ちなみにA組が赤。B組が黄色。C組が青。D組が白という色分けである。
何組か進んでまりあの出番。そしてB組の走者は犬猿の仲の瑠美奈である。仕組んだとしか思えないマッチメイク。
「会長ーっ」「瑠美奈様ーっ」
瑠美奈をたたえる声がする。まんざらでもなさそうに手を上げて応える、澄ました表情の生徒会長。
対してまりあも学園のアイドルとまで言われた少女。
そのカリスマ性は下級生にも浸透していた。
一年の「女子」から黄色い声援が飛ぶ。
「「「「きゃーっっっっ。まり太せんぱぁい」」」」
その声に危うくずっこけるところだったまりあ。体勢を立て直し応援席にその甘い声を張り上げる。
「忘れて! あれはどうかしていたの。わたしも忘れたいのよ」
一週間程度だがまりあは女を捨てていた。男子生徒としてふるまったその時の名前が高嶺まり太。
「えーっ」「どうしてですかぁ」「下手な男子よりかっこよかったですよぉ」
一年女子から不満の声が上がる。男装の麗人は一年生には十分スター性を持っていた。
「だから一時の気の迷いなの!」
走る前から疲れ切っているまりあである。
「ふっふっふ。どうせ水木君には相手にされてないんだから、あなたも女の子相手に走ったら?」
ここぞとばかしにまぜっかえす瑠美奈。
「うるさいわねぇ。あなたこそわたしにちょっとときめいたくせに」
察したわけではない。ただの口から出まかせ。思ったことをすぐ口にしただけである。
しかしそれが正鵠を射ていたので瑠美奈としたらたまらない。
「そ、そ、そんなわけないでしょ。なんで私があんたなんかに。勘違いしないでよね」
男相手だと本当に勘違いを招くテンプレートである。
「ふん。そんなことをいうなら容赦なしよ。まずはこのレースであなたに勝つわ」
とにかくこの二人。顔を合わせればけんかである。
特に瑠美奈の敵視はひどい。同じ学園に「お嬢様」二人。衝突の理由はシンプルだ。
「勝てるかもね。そのオデコ。空気抵抗が格別なさそうだし」
瑠美奈は前髪が短く、額の広さが目立つ顔立ちだ。
本人はかなり気にしているが、まりあはそのあたり容赦なくついてくる。
「僅差になれば胸の差で私の勝ちよ」
反撃とばかしに瑠美奈はその立派な胸を張る。
まりあも別に小さいほうではないのだが、とにかく大きな胸の娘が多いので小さ目と錯覚を起こしている。
「コンプレックス」を刺激されカチンときた。
「だったらぶっちぎってあげるわよ」
売り言葉に買い言葉。もっとも本当に不仲なら互いに無視するというのが大方の見方である。
「ケンカするほど仲が良い」というものと見られていた。が…
「何? これ?」
「学園のアイドル」と評されるその可愛らしい顔をゆがめるまりあ。
夕日が目に刺さるというのはあるが、そんな時間ではない。
しかし何かがまぶしそうだ。
「何かあるのでしょうか?」
出走を控えた詩穂理がまりあの異変に気が付いた。
最初に考えたのが鏡などを用いての太陽光を反射させての妨害。
しかしそんな様子もない。すると
「ふふふ。ちょっと古い手だが有効だぜ」
ゴール地点のさらに向こう。
瑠美奈の取り巻きでも危ないほうに入る一年。辻がほくそ笑む。
彼の手にはレーザーポインター。
一時期のプロ野球で投手にあてての妨害が問題視された。
本来の用途はホワイトボードの文章などを指し示すものだが「射程距離」があるためこのような使い方をされてもいた。
「悪いな。お嬢様。うちのお嬢のためでね…あ痛ァッ!?」
突如として彼はポインターを落とす。
開封されていない缶ジュースが投げつけられ頭に当たった。
長身の彼は的が大きかった。
「ふん。小細工するからだよ」
投げつけたのはまりあのメイドである陽香。
エプロンをつければ即座にメイド服になるワンピースで来校していた。
この手の妨害工作を見越した雪乃が、彼女を先によこしていたのだ。
そしてまりあの異変から何かあると感じ取り、怪しそうだという理由だけで、裏もとらずにいきなり中身入りの缶を投げつけていたのだった。
どちらもどちらである。
「あっ!? なくなった」
まりあの言うのはもちろんその妨害のこと。
「ちっ」
聞こえないように舌打ちをする瑠美奈。彼女の指示だ。
(それなら実力で破るまでよ)
すっと低く構える。
合図で腰を高く上げる少女たち。
スターターピストルの音とともに弾丸の代わりに飛び出していく。
もともと運動のできるまりあだが、予想外に大きく引き離していく。
しょせん、小細工を弄して楽に勝とうとする瑠美奈は、毎日のように優介を追いかけまわして、走りにくい廊下を全力疾走しているまりあの敵ではなかった。
「ふう」
走りぬいてクールダウンさせるまりあ。そこにタオルが差し出される。
「お疲れ様です。まり太先輩」
胸の表示を見ると一年らしい少女。長い髪を体育ということで編みこんでいた。
やたらにキラキラした目でまりあを見上げていた。
「ありがとう。あら? あなた1-Aね」
クラス対抗である。一応は「敵」だ。
「はい。でもまり太先輩のためならクラスの壁なんて」
「あのね。わたしはもう高嶺まり太じゃないのよ。高嶺まりあ。女の子なの」
「でもでもっ。先輩ほどかっこいい『男の人』はいませんでしたっ」
迫ってくる。まりあとしては困ってしまった。
「あーっ。いた。だめだよ。サユリ。マリア先輩困っているよ」
助け舟は異国の少女が出してくれた。
アンナ・ホワイト。留学生だ。
明るい金髪と、明るい性格で誰とでも打ち解ける。
この少女もたぶんそんな一人だろう。
「ほらほら。自分のところに戻ろう」
「でも」
しかし強引にアンナに連れて行かれた。
「すみません。高嶺先輩。佐友里ったらあれほど言ったのに」
なぜか風見千尋が謝罪している。
「もう。いつまでわたし男の子扱いなのかしら?」
「あ。それはちょっとすぐには解けないと思いますよ」
おとなしい性格の大地双葉が珍しくきっぱりという。
「どうして?」
「だって一年女子の間じゃアイドルですもん」
「うーん。なんで狙ったのと違う方に影響が出るのよ」
脱力しそうなまりあであった。
なぎさにまりあ。チームには当然だがこんなポイントゲッターだけではない。
こと運動では詩穂理と美鈴はまるで戦力にならない。
得意の頭脳だが運動センスがないので、それすら生かせない詩穂理。
100メートル走も三位に10メートル離されての最下位だった。
「ごめんなさい。私の足じゃ」
謝る詩穂理。正直そちらは期待されてなく、想定の範囲内であったのでむしろ謝られると対処に困る。だが
「よくやったな。シホ」
次に走るのは二年男子。出番にもかかわらず裕生が2-Dの陣地に戻ってきていた。
「ヒロくん?」
怪訝な表情をする詩穂理。それを真正面から見据えた裕生が、いきなり抱きしめる。
「ヒ、ヒロくん? 何を?」
好きな男である。それがこうして抱きしめてくる。気分が悪いはずはない。
ただし二人きりならばだ。
こんな白昼堂々。クラスメイトの女子全員が見つめている中でというのは歓迎できない。
その白い肌があっというまに緋に染まる詩穂理。
「ガキの頃はさ、かけっことかそういうの絶対に走ろうとしなくてよ。オレも見ていて歯がゆかったんだぜ」
確かにそうだった。詩穂理はいつも他者の背中を追い、裕生はいつも背中を見せつけていた。
それが間接的に二人の関係のように思えて、走らないようになったのはロジカルな彼女らしからぬ心理。
「そんなお前がどん尻でも走りぬいた。感動したぜ。オレは」
「そ、それはいいから。早く離してください」
この瞬間にもクラスメイトどころか周辺の生徒の目が集まっている。恥ずかしくてたまらない。
空気を読んだ…というより時間が無くなったので離れる裕生。
「待ってろ。お前の代わりに一等になってやるからよ」
いうだけ言うと待機エリアに戻っていく。それを赤い頬とうるんだ瞳で見送る詩穂理。
「こら」
肘で詩穂理を小突く長身の少女。
「なーに見せつけてくれてんのよ。こんなところで」
他の女子は圧倒されてしまって逆に騒げない。
友人であるなぎさだから切り出せた。
「み、見せつけるわけじゃなくてですね。ヒロくんは空気読めないところがあるから」
「それじゃ二人きりだといつも抱きしめあっているの?」
美鈴の発言。詩穂理は失言を悟る。
「いいなぁ。優介じゃあんなことしてくれないし、言ってくれないだろうし」
心底羨ましそうにまりあが言う。
「そうだね。あたしも最下位になってもキョウくんが抱きしめてくれるかどうか…」
「恥ずかしいけどうらやましいよね」
「ものすごく恥ずかしいですっ」
怒っているような口調だが、とてもそうは見えない顔だった。
そして二年男子100メートル走。
当の裕生の番が回ってきた。
「よーい」と号令がかかる。
ほかの走者がクラウチングスタイルなのに対して、彼は立ったままだ。
彼は何を思ったか両手の手首を交差させ「バスターズ。レディー。ゴー」とつぶやいてピストルに合わせて走り出す。
当然だがスターティングで出遅れた。それにもかかわらずずば抜けた体力で走りぬき、最後は一位でゴールした。
演出で遅らせたというのは穿った見方というものか?
ゴールしたとたんに女子にアピールをする恭兵を見て頭痛を起こすなぎさ。
ゴールしたとたんに男子にアピールをする優介を見て頭痛を起こすまりあ。
大樹と一緒に走った面々が、彼から必死に逃げていたように見えたのは思い込みというものか?
「まりあ。僕の走りを見てくれたかい?」
もちろん愛しのお姫様。まりあに対するアピールを忘れない恭兵。
陣地に戻るなりこれである。
「さすがね。サッカーで鍛えたのかしら?」
「もちろん、あれだけ速く走れたのは君への愛のためさ」
「でもあなたの足の速さについていけるのは、わたしじゃなくてなぎささんじゃない?」
にっこり笑うと傍らにいたなぎさの背中に回り込み、ぐいっと押し付ける。
そう。文字通り押し付ける。
「ま。まりあ!?」
「い!?」
まりあの取った行動故なすがままになった二人。抱きしめあう形になる。
「きょ、キョウくん?」
「な、なぎさ」
「おふたりさん。お幸せに~~」
にっこりというより「にかっ」という感じの笑いを浮かべて立ち去るまりあ。残される二人。
なぜか邪険にしない恭兵。本心から嫌ってはいない?
しかし周辺が許さない。恭兵のファンの女子が一斉に人を殺せそうな視線をぶつける。
貫くといってもいい。
人目につくこともあり瞬時に離れる。途端に大多数の女子が恭兵に詰め寄る。女子に完全に無視されたなぎさ。いないものとされている。
(はは…やっぱあたしじゃ不釣り合いなんだ…)
アスリートである彼女の晴れ舞台のはずが、ひどくさみしげに見えた。
転校して来て間もない澤矢理子には、こんな風にふざけあう相手もいない。
一人だけデザインの違う体操着の彼女は、完全に浮き上がっていた。
そもそもこんなイベントに出たくもなかった。
「高校生活の思い出だ」と父親が強引に勧めるので、仕方なくサボらず参加した。
父だけではない。優介の存在も無視できない。
彼が見ていると思うと、クールな彼女らしからぬ熱い思いが募る。
思いを込めた走りでトップでゴールを駆け抜けた。
駆け抜けた瞬間、優介を探した。
彼が自分の走りで笑顔になっていてくれるといい。そんな思い。
しかしそれはやめた。
自分はこの時点でこそ少女の肉体であるが、本来は少年なのだ。
たとえ少女の肉体を有していても、男相手に特別な感情は抱けない。
そう思った。
それなのに「彼女」は「彼」の笑顔を求めた。
(どうしたの? 私。本気で彼のことを…)
さみしげな場所で密会の四人。
「すまねぇ。お嬢。しくじった」
不気味な印象のある痩身。長身なので「ひょろ長い」印象の辻が頭をかきつつ謝る。
「……いいわ。こうなったらB組を優勝させるわ。そうしてまりあたちの前で勝ち誇ってやる」
お嬢と呼ばれた少女は海老沢瑠美奈。彼女の指示で辻はまりあに妨害工作を仕掛けていた。
もっともそんなのでどうにかできるとは瑠美奈も思っていない。嫌がらせ程度だ。
「辻。土師。わかっているわね」
「はい。瑠美奈さん」
小柄な美少年が返事をする。彼が土師。
「とことん暴れてやる。そっちの方が俺様にあってる」
「ふたりとも~がんばってぇ」
とろんとした口調は高須奈保美。三人とも一年だが、中学時代からの瑠美奈と付き合いがある。
しかしこの「正々堂々」が逆に思わぬ妨害を招き、そして意外な窮地を優介に招くからわからないものである。
一年女子から男子。二年女子から男子。三年女子から男子という順番で全員参加の百メートル走は完了した。
続いて一年男子の組み体操。上半身裸での競技である。
まだ大人になりきれていない。華奢な男子たちが半裸である。
女子の一部が黄色い声を上げる。
「きゃーっ。可愛いーっ」
A組陣営の里見恵子もその一人。
彼女は別に二次元限定というわけでもない。きゅんとなれればいいのである。
「やぁん。可愛いんだにゃ。あっ。あの子なんて女の子みたいにゃ。女装させてみたいにゃあ」
いつもの猫耳やしっほを付けてないにもかかわらず、語尾がいつも通りというのが徹底している。
「ミケ。五月蝿い」
クラスメイトの女子にたしなめられるが暴走は止まらない。
(まったくもう。なんでこんなに騒ぐのかわからないわ。何よ。『萌え』って)
女子がみんな「可愛い少年」にときめくわけでもない。
逆の例がいた。男子がみんな半裸の少年に無関心なわけでもない。
「あっ。そんなっ。裸で四つん這いだなんてっ。ぼくがなりたいっ」
言わずと知れた水木優介である。
一年の時点では性癖をカミングアウトしてなかったので、組み体操中の衝動をひた隠しにしていたのだ。
「怪しげなことを口走るなっ」
クラスメイトの反町に怒鳴られる。
「好きなものは好きだから仕方ないんだよ。君もこっちの世界に来ない?」
「誰が行くかっ」
反町はノンケだった。
一年の男子たちも、よもや自分たちがそんな目で見られているとは思わなかったであろう。
次の競技の準備で二年生たちが移動する。
その競技は「借り物競争」であった。
そして言うまでもなく、借り物を示す封筒には、とんでもないものも仕込まれていた。




