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6  気づきたくなかった



「よし、髪型も化粧も完璧だし、服装もばっちりだわ」


 鏡の前で全身を確認して、うんうんとひとりで頷く。くるりと一回転すると、爽やかな色合いのグリーンのスカートがふわりと揺れて、とても可愛らしい。

 ふと時計を見上げると、目的の時刻まであと5分。


「いけないっ、急がないと……!」


 慌てて鞄を手に取り、宿舎にある自分の部屋をあとにした。



 宝飾店でエリックとカリーナに遭遇してから、もう3週間近く経つ。あんなことがあった後だが、私の生活に変化はない。


 秘書としての仕事はとても楽しくて、毎日充実した日々を過ごせている。あのとき思いきり泣いたのが幸いしたのか、私の中で踏ん切りがついたらしく、エリックのことは思いのほか引きずらなかった。

 恐らく彼に直接罵倒されたことで、残っていた未練も断ち切れたのだろう。


「ごめんなさいっ、遅くなりました!」


 宿舎の出入り口までやってくると、銀色の髪を揺らしてクリスさんが振り向く。


「いえ、僕もいま来たところです。ああその服、やはりあなたによく似合ってる」


 そう言って口元を綻ばせたので、少し気恥ずかしくなった。朝から見るには、このほほ笑みは眩しすぎる。

 彼が嬉しそうにする理由、それはこの服がクリスさんからいただいたものだからだ。


 あれから、宝飾店以外にもいろいろなお店に出向き、今どきのおしゃれな洋服を扱うお店で何着か買ってもらってしまった。

 当時の会話を思い出す。


『こんな高い服いただけません!』

『エルダ、こういってはなんですが、あまり外出用の服は持っていないでしょう? いずれ僕の秘書として、商談に同席してもらうことも増えてきます。服はいくつか持っていた方がいい』


 そう言われてしまっては、断ることなどできなかった。せめてお金は払うと言ったのだが、クリスさんはゆるゆると首を振る。


『これは先行投資です。お金は今後の働きぶりで返してください』


 丸め込まれた私はあれよあれよという間に試着室に連行され、気がついたら10着近くの服を購入して店をあとにしていた。あの時のことは、ある意味エリックとカリーナに遭遇したときよりも恐ろしい。


 何十着も試着させられたし、サイズも隅から隅まで測られた。全て終わったころには、大泣きした日よりも疲れていたことを覚えている。


 今日着てきたこの服はクリスさんが選んでくれたもので、ふわふわとしたスカートが特徴的だ。婚約を解消してからグリーンは避けていたが、ふっきれた今ではもう気にしていない。


「さて、そろそろ行きましょうか」

「はい」


 宿舎を出てふたり並んで歩く。今日は目的の場所まで近く、また天気もいいことから、徒歩で向かうことにした。他愛もない会話をしながらゆっくりとしたペースで15分ほど歩くと、クリスさんが足を止める。


「こちらですか?」

「ええ、お腹は空かせてきましたか?」

「もちろん、朝ご飯も抜いてきました!」

「ふふ。それじゃあ、エルダのお腹が鳴り出す前に入りましょうか」


 白いおしゃれな扉を開けると、店内から甘い香りが漂ってくる。ここは最近流行りのスイーツ店だ。

 今度バローナ商会でもスイーツ系統の店舗を展開するらしく、今日は市場調査という名目でやってきた。店内は可愛らしい装飾で統一されており、いかにも女性が好きそうな雰囲気に仕上がっている。


 中はそこそこ混んでいたが、予約をしていたようですぐに奥に通された。通路を進み壁際の座席までやって来たところで、唐突に女性の声が耳に届く。


「クリス?」


 名前を呼ばれた人はぴたりと足を止めて、声のした方を向く。つられてそちらに目を向けると、色素の薄い茶色の長い髪に琥珀色の瞳をした女性が、大きな瞳をさらに大きく見開いてクリスさんを見ていた。


「……ノアン?」


 その一言で、この女性が誰なのか分かってしまう。

 モントリス伯爵家のノアン嬢。クリスさんの想い人で、少し前に第一王子殿下と婚約を交わした人だ。ということは、いま彼女の隣に座っているのは……


「やあ。こんなところで会うなんて奇遇だね、バローナ商会の副会長さん。いや、クリスって言ったほうがよかったかな?」

「それで結構です、ライベル殿下」

「その名前はここでは使わないで。これでもお忍びで来てるんだ」


 クリスさんは小さく溜め息を吐いて、分かりましたと頷いた。


「クリス、せっかく久しぶりに会ったのだし、よかったら一緒にどうですか?」


 ノアン様が向かい側の座席を示したので、クリスさんは考えるようなそぶりを見せた後、もう一度ライベル殿下を見る。


「ノアンがそうしたいなら、俺は構わないよ。でも、そちらのお連れさんはどうかな?」


 よく晴れた青空と同じ色の瞳が私を見る。眩しい金髪に整った顔の造形は、市井で噂になっている第一王子殿下そのものだ。

 まさかこんなところで王族に出くわすとは思っていなくて、急に緊張が込み上げる。


「わっ私は……どちらでも、大丈夫、です」


 このお二人の申し出を断ることなんて、私にはできない。しどろもどろになりながらも答えると、クリスさんが返事をする。


「……では、ご一緒させていただきますね」


 店員さんに断りをいれて、クリスさんはライベル殿下の向かい側に座った。それに続いて、私はノアン様の正面に腰を下ろす。近くで見ると本当に可愛らしい方だ。クリスさんが慕うのも分かる。


「ノアンは甘いものが苦手ではありませんでしたか? 今日はどうしてここに?」

「それはですね……ほら、これを見てください。今このお店では、甘くないスイーツを集めた特別メニューを置いているのです。せっかくなのでこの機会に訪れてみました」


 ノアン様が手渡してくれたメニュー表には、甘くないスイーツ展の文字。ラスクやスコーンなどが並び、野菜を使った珍しいタルトもあった。


「こちらは多少甘みがありますが、これくらいであれば私は美味しくただけますね。ラウは苦手なようですが」


 机の上にはすでに注文した商品が置かれており、形からするとシフォンケーキのように見える。

 ラウというのは、恐らくライベル殿下の愛称だ。どうやらお二人とも甘いものが苦手らしく、殿下は苦笑を浮かべていた。


 じっとメニューを見ていたのだが、急に取り上げられ、代わりに別のメニュー表を渡される。


「エルダはこちらのほうが好きでしょう? どれでも食べたいものを選んでください」


 そこにはクリームやお砂糖たっぷりのスイーツがたくさん並んでいた。特にケーキの種類が豊富で、その中から白い生クリームがたっぷり乗った苺のケーキを選んだ。

 クリスさんはというと、私が最後まで悩んでいた苺のタルトに決めたようだ。


 ケーキが来るまでの間で、お二人に私のことを紹介してもらった。他人に彼の秘書だと紹介されるのは、なんだか少しだけ擽ったい。


 少しして運ばれてきた大きな苺の乗ったケーキを見て、ノアン様が口を開く。


「そういえばクリス、先日は美味しい苺を送っていただいて、ありがとうございました」

「喜んでもらえたようで何よりです。ノアンのためなら、いつでもお届けしますよ」

「まあ、それはとても嬉しいのだけれど、今度は私の方で正式に注文しますね」


 ふたりの会話を耳にして、数週間前にクリスさんが苺の買い付けをしていたことを思い出す。私も少しだけ分けてもらったのだが、あれはノアン様にプレゼントするために仕入れたものだったようだ。

 クリスさんは好きな人に尽くすタイプなのかもしれない。


 ノアン様とクリスさんは元々友人という間柄らしく、話も弾んでいる。たまにライベル殿下が口を挟むのだが、妙に的確につっこみを入れるものだからそれがまた面白い。


 そんな3人のやりとりを、黙々とケーキを頬張りながら聞いていた。話を振られれば相槌は打つが、その程度にとどめた。

 緊張からおかしなことを言ってしまいそうだったし、クリスさんがとても楽しそうだったので、邪魔をしてはいけない気がしたのだ。


 ケーキを食べ終えてふと隣を見ると、にこにこと上機嫌な様子でノアン様に話しかけるクリスさんが目に入る。仕事以外でこんなにも他人と話す彼を見るのは、初めてかもしれない。やっぱりまだ、彼女のことが好きなのだろう。


 そんな姿をずっと見ていたら、なんだか胸の奥がチクチクとしてきた。なんだろう、これ。もしかして――


「胸やけ……?」


 その言葉は自分にしか聞こえないくらい小さな声だったのに、隣に座る人はぱっと私に視線を向ける。目が合うと、今まで浮かべていた完璧な笑顔が崩れ、ふわりと花が咲いたようなとろけた微笑へと変わった。


「エルダ、どうかしましたか?」

「あ、えっと……その」


 胸がチクチクと変な感じがするなんて言えるはずもなく、言葉に詰まってしまう。クリスさんは空になったお皿を見つけて、「ああ」と呟きながら、いまだに手を付けていない苺のタルトを私の前に置いた。


「どうぞ?」

「え?」

「タルトも食べたかったのでしょう?」

「それは……そうですけど」


 口には出さなかったのに、どうやらお見通しだったらしい。もしかしたら、このタルトは私のために注文してくれたのかもしれない。だって……クリスさんはさっきからずっと、一緒に頼んだスコーンだけを口に運んでいたから。


「別のものがよかったですか?」

「そっそういうわけじゃないんです! いただきますっ」


 勢いでぶすりとフォークを突き刺し、大きめにタルトを掬い取って頬張る。始終ほほ笑ましげにこちらを見てくるので、おいしいはずのタルトの味が全く分からない。


「ふふ。そんなに焦って食べなくても大丈夫ですよ。飲み物も新しいものを頼みましょうか」


 必死にタルトを口に運んでいる間に、クリスさんは手際よく注文を終えてしまう。店員が去っていくと、向かい側から感嘆の声が上がった。


「まあ」

「へえ」


 ばっと顔を上げて前を見ると、驚いたような顔でこちらを見ているノアン様とライベル殿下がいた。どうしてか、ものすごく恥ずかしいところを見られたような気分になる。


「ノアン、俺たちはそろそろ出ようか」

「はい、この後の予定もありますしね」


 そのままお二人はさっと会計を済ませ立ち上がる。


「がんばってね、エルダちゃん」


 去り際に、ライベル殿下からよく分からないお言葉をいただいた。仕事のことだろうかと勝手に解釈していると、今度はクリスさんに小声で話しかける。眉を寄せてなにか嫌そうな顔をしながらも、クリスさんは小さく頷いていた。


 お二人が立ち去ると、隣から盛大な溜め息が聞こえてくる。


「はあ……やっとふたりになれた」


 小さすぎて上手く聞き取ることはできなかったが、クリスさんの声には疲れの色が滲んでいるように思えた。


「せっかくの休日なのに、邪魔が入るなんて……」


 邪魔? ……もしかして、私がいたことでノアン様と十分に話せず、怒らせてしまったのだろうか。消えかけていた胸のチクチクが再び襲い来る。それは徐々に変化していき、私の知っている重い痛みへと変わった。


「うそ……」


 そんなはず、ない。だってこの痛みは、エリックとお別れしたときと、同じ――


「エルダ?」


 紺色の瞳が不思議そうに私を見つめ、端正な顔が一歩近づく。とくとくと鳴り始めた鼓動は一気に加速して、耳元でうるさく響いた。


 この痛みに似た感情を、私は知っている。ついこの間、捨てたばかりだから――



ノアンとライベルについては、前作『幽霊殿下とわたしの秘密のおしゃべり』をご覧くださいませ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 前作を読んでいた事をすっかり忘れていたので今納得しました ノアン、いい子ですよねぇ 殿下もいい人でした!(納得)
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