79:悪趣味なオバさん
高校二年生の時。
進路について悩んでいたころだ。
姉が残した手紙と日記を持参して、家を訪ねてきた男。
「先日、殺害された……渡邊義男です」
上村はその場にいる全員の顔を見た。
もはや、何が真実なのかわからない。
ずっと仇だと信じていた相手は、違うかもしれない。頭が混乱してきた。
「……柚希?」
気がついたら勝手に身体が動いていた。
いたたまれない。
「待って、柚希!!」
上村は会議室を飛び出した。
※※※※※※※※※
彼の気持ちはわからなくもない。
恐らく上村は、聖の話が真実ではないかと考え始めている。
騙されたことに対する怒り、そして気まずい思い。だったら何が真実なのかという疑問。
橋場という男は、今、どこでどうしている?
頭の中がすっかり混乱しているに違いない。
しかし……。
なぜ、なんのために?
和泉は話を聞いていて不思議に思った。
ふと1つの可能性が浮かぶ。
橋場はかつて謀略の末に死に至らしめた男の息子を、手元に置いて監視したかったのではないか。
彼の父親の事件に関し、探りを入れていた彼の姉。
真実を知ろうと警察組織へ入ってくるであろう彼。
渡邊を遣わしたのは、そう仕向けるための演出だったのではないか。
予想に違わず彼は警察官になった。
ただ。
「渡邊は……いえ、彼を遣わした橋場という男は、父親の仇を聖さんだと信じじこませてどうするつもりだったのでしょう?」
和泉は疑問を口にした。
「恐らくは、自分から疑惑の目を逸らすため。それに」
「それに?」
「具体的に恨む対象がいた方が、モチベーションの維持につながるのではありませんか」
なるほど。
「その、上村皐月さんは、どの辺りまで真相をつかんでいたのか……」
「かなり肉薄していたのではないかと思います」
それを聞いて和泉は思った。
さすがに口に出しては言えないが、恐らく彼女は、もう生きていないだろう。
「で、今さらなんですが。上村君のお父さんの事件と、お姉さんの失踪。そこになんとかさん、という事務員女性の自殺事件と、何の関係性があるのでしょうか」
本当に今さらだ。
和泉は監察官の顔を見た。
「……岩淵さんは、上村皐月さんが調べていた内容を知っていた可能性があります」
「それは、自分にもしものことがあった時のための保険を受け取っていた、と?」
過去にそんな事件があった。
自分にもしものことがあった時のために、つかんだ重要な秘密を親しい相手に送っておく。
「そこまで親しい間柄ではありません。彼女がそういった保険を渡す相手なら。他にいます」
「それって……」
「私はこれから本人に確かめにいこうと思っています」
それから聖はいきなり立ち上がり、窓から外を見つめつつ独り言のように語る。
「ちなみに。岩淵さんは私よりも監察室には長くいて、そしてあまりよくない趣味の持ち主でした」
「趣味?」
「覗き見です。監察室に届いた投書、メール、機密書類。何でも首を突っ込んでは、自分のノートにメモをしていました」
「それって……」
ですから、と彼は振り返る。
「岩淵さんは自殺するような人ではない、と言うのですよ」
言ってみれば野次馬根性丸出しの、どこにでもいそうなオバちゃんということか。
「で、僕に真相を探れと?」
「今は探偵なのでしょう? 和泉さん」
返す言葉がない。
「おそらくすべての事件にはつながりがある……私の勘ですが」
監察官の勘に異論はない。
和泉も同じことを考えていたからだ。
さて。まずは葛城陸に会って話を聞くことにしよう。
和泉は本部に戻り、友永の姿を探したが。
「……悪ぃ、ジュニア。そろそろ班長の堪忍袋の緒が……」
提出するべき書類の期限が迫っているようだ。
今回の相棒は必死にキーボードを叩いている。
仕方ない。
1人で行動するか。
和泉は外に出た。
葛城陸の住所は抑えてある。
平日の昼間はどこにいるのだろう。甥っ子だというあの男の子が一緒なら、公園かショッピングモールだろうか。
まずは住居近くの公園を探ってみることにした。
今日は良い天気だからか、公園は大勢の子供と高齢者で賑わっている。
その中に和泉はエビ太……ではなく、野上瑛太の姿を探した。
幸いながらすぐに見つけることはできたが。
どこかで見たことのあるようなピンク色の縫いぐるみを手にはめた、小柄で怪しいおっさんが、幼児と一緒になって走り回っている。
「まてまてー!!」
「きゃー」
何をやっているんだ、あのゆるキャラ親父は。
和泉は回れ右をしかけて足を止めた。
葛城陸の姿を視界の端に捕らえたからだ。
「……葛城陸くん?」
慎重に近づいて行き声をかける。
こちらに気づいた彼は頬を引きつらせ、咄嗟に逃げ出そうとした。
「待って!!」
和泉は彼の腕をつかんだ。
「この間は……ごめんね。辛い思いをさせたね」
陸は驚きの表情で振り返る。
「詳しいことを教えてくれないかな、あの時のことを」
周によく似た顔に困惑の色が浮かぶ。
すると、
「その男は信用していいモミじー?」
唐突に長野が口を挟んできた。
「黙れ」
「怖いエビよ~」
「モミじーおじさんをいじめちゃダメっ!!」
「あのね……」
いつの間にこの親父、2人に接触していたのだろうか。
侮れない。
「……ここでは話したくないので、良かったら家に来ませんか? モミじーさんも一緒に」
迷子になりそうな巨大団地の中。
長野は幼い子供と手をつなぎ、謎の歌を歌っている。
陸がA-1004号室とプレートのかかった部屋の扉を開くと、中から猫が飛び出してきた。この公団はペット禁止だろうに……。この際、その点は黙っておこう。
古い団地ではあるが、近年改装したのであろう、中はなかなか近代的で綺麗だ。
「あの日……」
葛城陸は大人たちに緑茶と、幼児のためにココアを淹れてくれた。
「呼び出されて、あのプールバーに行きました」
「誰に?」
「……カレンさんです」
「カレン?」
誰だっただろうか。和泉は一瞬考えたが、思い出した。
「君が働いている……というか、手伝いで時々入っているって言うクラブのママだね?」
そうです、と彼は頷く。
「あの店はカレンさんがオーナーをしている系列店で、僕も人手が足りない時は時々、手伝いに行ったりしていましたが」
この子、働き過ぎじゃないか?
和泉は思ったが黙っておいた。
「あの日、店に忘れ物をしたから取りに行って欲しいって言われたんです。夜にクラブの方の手伝いをする約束をしていたから、その時に渡せばいいやと思ってプールバーに向かいました。そうしたら床にあの人……倒れていて……」
思い出すと恐ろしいのか、彼は身震いする。
「渡邊義男だね? CSVって呼ばれていた」
「知っているんですか!? そのこと」
陸は驚いた顔をする。
「いろいろな伝手があってね。それで、君はどうしたの?」
「どうもこうも、すっかりパニックになっていた所へ刑事さん達が入ってきたんです」
彼をあの現場に呼び出したのはカレン、滝本香蓮と言うあのクラブのママだった。
渡邊とは古い付き合いだと言っていた彼女は、何か葛城陸に恨みがあって、そんな手段を使ったのだろうか。
「その、カレンって人からの連絡は……電話?」
「いいえ、REINでした」
と言うことは。
何者かが香蓮になりすまし、彼を罠にはめた可能性も考えられる。
「……君から見て渡邊って、どういう人間だった?」
すると陸は頬を歪めて笑う。
「やっぱり僕が殺したって思ってるんですか? 確かに、大嫌いでしたよ。あんなやつ」
「……」
「生きてる価値もないクズだって、僕にそう言ったあいつこそそうじゃないかっていつも思っていました……」




