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77:うさんくさい

 郁美は頭の中に浮かんだ考えをつい、何気なく口にした。

「詳しいことは鑑定しないとわかりませんが、ワインかチーズか、どっちかに毒物が仕込まれていたんでしょう」


「……その言い方だと、平林さんは他殺だと考えているようですね?」

 そう言われて気がついた。

「だ、だってそれは……」


 とてもじゃないけれど岩淵が自殺だなんて信じられない。

 彼女のことをそれほど詳しく知っている訳ではないけれど、考えられない。

 根拠はないし、科学的ではないけれど。


 自殺を考えている人間にはそれなりに兆候があらわれるものだ。もちろん、朝、目が覚めた時に突発的にそんな気になることもないとは言い切れない。


 けれど人間は本能的に生きることを願う生き物である。


 それに。正直言ってあまり好きになれないタイプではあったけれど、どちらかと言えば生きていることを楽しんでいる様子に見えた。


 情報を与える代わりに高価な食事をおごらされたり、隙さえ見つければどうでもいい噂話に興じてみたり。どこにでもいる神経の太いオバさん。

 郁美の感覚としては岩淵と言う人はそういう人間だった。


 いずれにしろ、と室長は語る。

「……どうやって毒物を入手したのでしょうか?」

「今はネットで何でも買える時代ですよ……室長」

 言いながらふと郁美は気がついた。

「かくいうパソコンは……?」

「遺書が書かれていたので、押収されたようです。そのうち……」


 遺書?

 うさんくさいわね、と郁美は思った。


 直筆の書面なら本人が書いたものかどうか即座に判明する。

 パソコンで書いた文書など、いくらでも偽造できるのだから。


 郁美が必死で考えごとをしている横で上官が誰かと会話している。男の声だ。


「これから北署に向かって……」

「ちょっと、黙っててもらえませんか?! 今、必死でいろいろ考え……!!」


 振り返った郁美は絶句した。


 そこに立っていたのは。

 監察室長である聖と並んで話していたのは。


 なぜかの、まさかの、和泉だったからだ。


「な、な、なんでーっ?!」


 ※※※※※※※※※


 そう言えば以前に連絡先を交換したっけな。


 ディスプレイに【監察官】と表示されている。何も悪いことをした記憶はないのだが、和泉はとりあえず着信を押した。


 基町南口交番を後にし、友永と一緒に葛城陸に会えそうな場所を検索し、待っていようと準備を始めたばかりの時だった。


「和泉です」

『人事1課の聖です。和泉警部補に見ていただきたい現場があるのですが、これから臨場願えますか?』

「……はい?」

 なんで監察官が自分を名指して電話をかけてきた挙げ句に、現場に出向けだのなんだのと? そちらの方に気を取られて和泉は混乱を覚えた。


『先日お話しした件と、恐らく関連があると思われます。場所は西白鳥町1丁目……』

「ちょ、ちょっと待ってください。こちらにも都合と言うかいろいろと……」

『至急とは言いませんが、なるべく急いでいただけると助かります』

 マイペースな人だなぁ、と思ったが不思議と腹は立たない。


「どうした?」

「なんか、監察に呼ばれて……」

「何をやらかしたんだ、おい」

 友永は笑っている。本気にしていないようだ。

「たぶん……僕がどうこうというよりも、今調べているこの事件に関して何か、進展があったのではないかと思います」


 と言うことで。

 和泉は友永と一緒に西白鳥町の指定された現場へ向かった。


 2階建てのこじんまりとしたアパート。周辺にはパトカーが1台停まっており、同業者達がわらわらと動き回っているが、平日の午前中だからなのか、野次馬の姿は少ない。


 指定されたアパートの1階部分には自分を呼び出した監察官と、その助手のようにして郁美が立っていた。彼女は無言で必死に何か考えている様子だったので、声をかけるのはやめておいた。


「お待たせしました。あなたから直々にお呼びがかかるとは、どうももしかすると……」

 和泉が聖に声をかけると、

「ええ、そうです」

 彼は頷いて上を見上げる。


「先ほど、2階のとある部屋で自殺事件がありました。表向きは【自殺】となっています」

「……表向き?」

「遺書も用意されていました」


「と、言うことは……裏に何かあるとお考えなのですね?」

「我々は少なくともそう考えています。でも、残念ながらここは北署管内です。北署の刑事課は自殺で片付けるつもりのようですね」

 言葉の端々に様々な含みがある。


「……例の課長絡みですか?」

「あの人は地域課長ですよ」

「じゃあ、署長の方?」

 友永は何かいろいろ言いたそうな顔で黙っている。

「……とにかく、北署の方でお話ししませんか」


 北署に到着する。

 今日もこの署は大勢の人が行き交い、忙しそうに動き回っていた。


 ふと和泉は大人しく上官の後ろをついて歩いている郁美を見ていて、例えは悪いが、犬か馬みたいだなと思った。

 手綱を引かれて言われるまま動くしかない。

 絶対、本人には言えないが。


 ※※※


 北署の会議室。


『私は服務の規定に沿わず、県警職員として恥ずべき行動をしました。死んで償いお詫び申し上げます』


 岩淵という女性がのこした【遺書】とされる文面。

 和泉は何度もそれを読みこんだ。


「恥ずべき行動……」

 彼女は事務専門の職員だったことを和泉は聞いた。そうは言っても入庁時に必ず『服務の宣誓』は行う。


「そもそも、岩淵さんとはどういう女性だったのですか?」

「……正直言って、あまり評価できる方ではありませんでした。前の担当者がいた頃からのメンバーでして」


 前の担当者は給料泥棒だったと聞いた。

「その担当者がゴミ箱に投げ捨てた密書を拾い上げて読みこんでいた、そんなところですか?」

 はい、と端的な返事。


「どうしていつまでも手元に置いておいたんですか? それこそ懲戒免職なり諭旨なりいろいろと方法はあったと思いますが」

「上の方針ですよ。中にはれっきとした【事実】もありましたから。解雇された腹いせにマスコミへ情報を流されでもしたら、そんな恐れもあったのだと思います」

「飼い殺しみたいなものですか」

 監察官は苦笑する。


「……今の話からお察しするに。この岩淵さんと言う人は直近で、誰かに関する不祥事ネタをつかんでいた。そのことで強請を働こうとしたが返り討ちにあった。聖さんはそんなふうに考えている、と見て間違いありませんか?」

 和泉が問うと、

「……間違いありません」


「郁美ちゃんもそう思う?」

 何か考えごとをしていたらしい彼女は、急に話を振られたことにびっくりしたらしい。

「は、はい、あの……右に同じですっ!!」

 

 面白い。

「そうだとしたら、なぜ今、このタイミングだったのでしょうか?」

 和泉が誰にともなく問いかける。


 すると聖がなぜか、

「平林さん」

「は、はいっ?!」

「……上村君、上村柚季巡査をここに呼んでもらえませんか?」

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