73:えらいこっちゃ
まさか。
「今の北署長?」
「長年、刑事畑一筋だった人だ。これもあくまで噂だが。何年か前の本部長の弱みを握って今の地位に就いたとかなんとか」
「……その信ぴょう性は?」
「本部長の弱み、そいつはどうしようもない女好きだったってことだ」
どこかで似たような話を聞いたな、と和泉は思った。
「そしてもう1人。その売春組織を牛耳っている奴がいる。北署長の腰巾着、次期副署長と言われてる……小野田だ」
「真っ黒けじゃないですか、小橋さんや周君の上司は」
あきれた。
それがすべて事実なら、とんでもない話だ。
実はな……と、小橋は再度、まわりに誰もいないことを確かめる。
「小野田の奴は以前、生安にいた。何度も大きな手柄をあげて、いろんな賞に輝いたのも知っている。けど、ヤラセじゃないかって言う疑惑が湧くぐらい……そう、例の都市伝説があるからな。奴は北署長の腰巾着だ。組織の末端の、自ら尻尾を切って、さも見事な手柄を挙げたかのように見せかける……」
「証拠は?」
「残念ながら、すべて推測だ」
面白い話を聞いた。
「だから俺は、藤江の奴が関わったJKどもの話を、小野田じゃなくてあんたに話すことにした。あの制服はウチの交番近くの私立学園で、毎朝通りかかる。本人たちに話が聞きたかったら明日の朝、来るといい。どうせ藤江を狙って声をかけてくるから」
「感謝します」
和泉は心から礼を言った。
それと同時に、周や彼の上司である小野田という人物について、もっと詳しく調べる必要があると考えた。
※※※※※※※※※
今日は本来なら休みのハズだが。
周も上村も署に来るよう呼び出された。
文句は言えない。新人の勤めと言うかなんというか。制服に着替えて、地域課長へまず到着の報告をしようとした時、何となくすぐ近くの会議室からざわめきのようなものが聞こえた。
怒鳴り合うような声も。
何があったのだろう。
「お前ら、ようやく来たのか」
声をかけてきたのは富岡嬢だった。
「すみません、遅くなりました」
決して遅くはなかったと思うのだが、周は素直にそう答えておく。しかしどうしたことかいつになく、彼女は焦ったような、青白い顔をしている。
「あの、何かあったんですか?」
「……」
「とりあえず、B会議室へ急げ!!」
言われた通りB会議室へ向かうと、北署の刑事達が文字通り右往左往している。全員が現場検証を行う鑑識員のように床の上を這いずりまわり、どうやら探し物をしているようだ。
一緒に走ってきた富岡嬢も同じように、机の上の書類の束を持ち上げてみたり、棚の後ろを覗き込んだりしている。
「どうしたんですか?」
ちょうど近くにいた、比較的歳の近そうな私服の男性をつかまえ、周は訊ねた。
彼は真っ青な顔をして答えてくれる。
「なくなったんだよ……」
「何がです?」
「証拠品だよ、証拠品!!」
「どんなものですか?」
「ブレスレット……いや、アンクレットだったっけ?」
まさか。
あのリクという青年が交番に届けてくれたものではないだろうか。蜂の巣をつついたような、という表現があるが、まさに今この場所はそう言う状態である。
会議室の壁際には長机が並んでおり、そこにはコーヒーサーバーや紙コップ、差し入れのお菓子などが積み上げられているのだが、それらも全てどかされていた。
証拠品の紛失。
大変なことだと聞いてはいたが、北署の刑事達は全員、まさにこの世の終わりのような顔をして動き回っている。
あの日のことを思い出してみる。
受け取ったアクセサリーは小野田課長が周から取り上げるような形で、署に持って行ったはずだ。刑事達がその存在を知っているということは、全員が一度は目にした、つまりこの捜査本部である会議室に持ち込まれたに違いない。
これだけ大勢の人が出入りするのだから、何かが紛失することだってあり得ない訳ではないだろう。
けど。
捜索は夜遅い時間まで行われた。
しかし結局、アンクレットは発見されずじまいのまま、一夜が明けた。
周は何度も欠伸を噛み殺しながら立番していた。
日付が変わる少し前、すっかり疲れ果てた北署の刑事がぽつり、と口にしたのが聞こえた。こりゃ誰かが今度の人事で交番勤務だな……と。
そのニュアンスはつまり【左遷】ということだろう。刑事になりたくていわば頑張った下積み時代と言うか、その立場に逆戻りなんて決して喜ばしくはない。
すると。それを聞き咎めた富岡嬢が呟いた刑事の横っ面をはたいたのだった。
北署では彼女だけは怒らせるな、と言う暗黙の了解があるらしい。誰よりも署の隅々までよく知っている署長クラスの事務員。
初めはただの怖い人だ、と周は思った。
でも何度か接している内に気づいたことがある。彼女が時々、上村を見る目が、母親が息子を見つめるような優しさに溢れていることに。
瓶底眼鏡越しだけど。口元は微笑んでいたから、間違いないと思う。
もしかして知り合いなのかな、と思ったことも一度や二度じゃない。
そもそも上村柚季は謎めいている。
ずっと以前、警察学校にいた頃、どうして警察に入ったのかと訊ねた時。
『どうしても許せない人間がいる』
そんなことを言っていたと記憶している。
どうしても捕まえたい犯罪者でもいるのだろうか。もしそれが彼の私怨なのだとしたら、あまり相応しいこととは言えないよな……。
自分に手伝えることがあるのなら、協力をしたいとは思うが。
それからふと思い出したことがあった。
昨日、北署の刑事達が総出で必死に会議室のあちこち、証拠品を探して右往左往していた時。部屋の隅で悠然とその様子を見守っていた男。
あれは確か、管理官と呼ばれる立場の人間だったはずだ。
少し前にも地域課の部屋で見かけたことがある。
朝の掃除の途中に突然入ってきて、何かひどく焦った様子を見せていた。小野田課長の知り合いのようだったが。
なんとなく。本当に微かにだけれど、良くない空気を感じた。
それこそ何かミスをやらかして、見つかったら大変なことになる、といった様子に周には見えたのである。
子供がどうしよう、と親を頼るそんな姿に思えた。
例えは悪いが、政治家の息子が、事故を起こして人を撥ねたからどうにかしてくれ、と父親に頼んだ……そんな様子に。
何を考えてるんだ、俺……。
周は首を左右に振った。
なんでこんなことを考えているのだろう。
すると。突然、クスクスと笑い声が聞こえた。
「……?」
「周っておもしろいね。見ていて飽きない、ってよく言われない?」
確かによく言われる。考えていることが思いっきり顔に出るから、コロコロ変わって面白いと。
そして、誰がそんなことを言うのかと思えば……。
関谷真帆と狩野葉月。管内の高校に通う女子高生2人組だ。
真帆の方はニヤニヤしているし、葉月の方は申し訳なさそうな顔をしている。
「……何か御用ですか?」
「何か、だってー!! きゃははっ」
「真帆、行こうよ……遅刻しちゃう」
「ねぇねぇ。自転車の後ろに乗っけて、学校まで送ってよ?」
無邪気に周の手を引っ張る真帆に、やめなよ、と彼女の袖を引っ張る葉月。
「自転車の二人乗りは禁止。早く学校行けよ、遅刻するだろ」
「だーいじょーぶっ!! だって始業は8時45分からだもん。今、まだ8時過ぎでしょ? ここから歩いたって5分ぐらいだもん」
余裕があるな。
周は不意に昨日のことを思い出した。
『たぶん、あの子……パパ活やってる子じゃないかと』
カフェのオーナーが言っていたことを。
「なぁ、訊きたいことがあるんだけど」
周は表情を引き締め、真帆に問いかけた。
「えー、何々? スリーサイズなら私と葉月はほぼ同じ、上から……」
「違うっ!!」
手を伸ばして彼女の肩をつかむ。ひどく驚かれた。
「もし、誤解ならごめん。気になることを聞いたから……確認したいんだ」
するとなぜか、葉月の方が青ざめた。
「……なにを?」
真帆が挑むような目でこちらを見上げてくる。




