67:聞いてよ~(。>д<)
「まぁ、そう凹むなって、な?」
和泉が去った後、指導部長である桜井はそう言ってくれたが、周はなかなか返事をできずにいた。
「課長の言うことももっともだよ。なんだかんだ、足の引っ張り合いがあるのは本当だからさ……理不尽だけどな」
「……和泉さん達は、問題警官なんかじゃ……」
「あ、そっちか。噂だけど……過去に何件も、もうムリかって思われた事件を解決した優秀なデカらしいな、あの人」
「和泉さんと、その仲間がいたから……」
「まぁな。友永も根はいい加減な人間だが、刑事としては一応ちゃんとやってるみたいだからな」と、交番長。
小橋は北署の方を見ながらぽつりと呟く。
それから、
「なんか、妙だったな……」
「え?」
「いや、なんでもない。いいからボチボチ帰署の準備をしろ。もうすぐ任務解除だ。今日は急いで寮に帰って寝ろ。いいな?」
言われるまま周は片付けと、次の係への引継ぎ準備を始めた。
今朝のことで始末書を書かされた周は、午前11時頃にようやく北署を出ることができた。
本当はすぐにでも寮へ戻りたかったのだが、そう言えばと思い出した。
受持ち区域を歩き回ってみなければ。
休んでいる場合ではない。
名実ともに和泉の相棒になるためには、今回のミスを挽回して、どんどん手柄を挙げないと。
そう言えば昨日、上村が自転車泥棒を逮捕したらしいと聞いた。同期が頑張っていると知ると俄然、やる気が湧いてくる。
周は署を出てからまず、基町団地方面へと向かった。ここは恐らく管内で一番世帯数の多い集合住宅である。
団地のすぐ南はこれまた広大な敷地の公園がある。ここでは年に何度か食の祭典のようなイベントが行われるため、その日になれば大勢の人が集まる。今はがらんとしているが。
イベントなど人が集まる場所では必ずと言っていいほどスリや、酒に酔って暴れる奴があらわれるから、どういう場所が最も犯罪者にとって隠れやすいか把握しておきなさい。
と、担当教官が言っていたことを思い出す。
自分達が卒業すると同時に、元いた部署に戻ったらしいが、元気にやっているのだろうか。あの低い声と微妙にマッチしないオネエ言葉を思い出すと、何だか急に会いたくなってきた。
すると周のスマホが着信を知らせる。
「……もしもし?」
『はぁい、アタシよ』
「え……まさか、北条教官?」
ついさっき、会いたいなと思っていた相手からだったことに驚いてしまう。
『残念でした、今はもう教官じゃないわよ。ねぇ、もしかして今中央公園にいる?』
「はい。なんでわかったんですか?」
『アタシ今、本部の7階にいるの。さっきなんとなく窓から外を見たら、あんたの姿が見えたから。ところでねぇ、もうお昼食べた?』
「いえ、まだ……」
『ちょっとそこで待ってて』
県警本部は確かにここからそう遠くない場所にある。が……窓から公園にいる自分の姿を確認できるなんて、いったいどんな視力だろう。
お疲れ、と爽やかに挨拶しながらやって来たのは捜査1課特殊捜査班HRTの隊長であり、周にとっては警察学校時代の担当教官でもある北条雪村警視である。
「何が食べたい? やっぱり若い子は焼き肉かしらね……」
「いえ、あの、もう少しさっぱりしたものが……」
この人と焼肉屋へ行ったら、きっと胸やけするに違いない。
「わかったわ。とっておきの店に連れて行ってあげる」
そう言って彼が連れて行ってくれたのは、見るからに高級そうな和食料理店、通称割烹と言われる店だ。
カウンターのみの狭い店。
周は北条と並んで座り、壁にかかっているおしながきを何気なく眺めた。伊勢海老とかアワビとか、きっと時価に違いない。
「……どう? 新しい職場は。仲間は親切にしてくれてる?」
おしぼりで手を拭きながらかつての担当教官は訊ねる。
「一緒に働く係の人達は皆さん、とても良くしてくれます。仕事の方はまだまだ、覚えることがいっぱいで、頭がパンクしそうです……」
ふふっ、と北条は笑う。
「そりゃそうよ。最初から何もかもテキパキできる子なんて、可愛げがないわ。いろいろ失敗して、叱られて……そこから学ぶものなのよ」
失敗して叱られて、というくだりで周の胸は痛んだ。
「どうしたの?」
「……つい今朝、やらかしちゃって……」
周は今朝、地域課長の小野田から叱られた件を、少しぼやかして北条に伝えた。すると彼は可笑しそうに腹を抱えて笑い出す。
「染みついてるわね、あんたの頭と心に。何かあったら即刻、彰ちゃんへ連絡……でしょ?」
周は憮然として緑茶を啜った。
「そうね、確かにそれは叱られても仕方ないわ。けど……まったくの間違いかって言えばそうでもないのよ」
「どういう意味ですか?」
「それこそ縦社会の弊害よ。情報共有がなされなかったばっかりに、未然に防ぐことができたはずの事件が防げなかった……同じ捜査1課の刑事でもね、例えば聡ちゃんの部下と自分の部下が親しく話しているのを見ると怒り出す、器の小さい人間がいるわけ。重要な情報を他所に漏らして手柄を横取りされたくないっていう理由でね」
小野田課長も方向性は違うけれど、同じようなことを言っていたように思う。
同じ警察官同士、刑事同士、一丸となって解決に向けて協力するなんていうのはもしかして、小説の中の話だけなのだろうか……。
「ま、あんたにはまだまだピンとこないかもしれないわね。けど、覚えておきなさい。この世の中には、組織の中には、嫌というほどの理不尽が横行してるってこと。あんたや上村みたいに、理論でものを考えられる人間には辛いかもしれないけど」
はい、とだけ返事をしておく。
「そう言えば……上村は大丈夫なのかしら? あの子、協調性って言う面ではとても心配だから」
北条は溜め息をつく。
「交番が違うので何とも……ただ、無線を聞いている限りでは、よく頑張ってるのがわかります」
「そう言えばあんた、初っ端から引ったくりやら自転車ドロやら、いろいろ【挙げた】んですって? やっぱり持ってる子なのねぇ……」
他の係の人間にも同じことを言われた。
「焦ってるかもしれないわね、あの子」
「あの子って……上村のことですか?」
そう、と北条は緑茶を啜る。
「上村がどうして警察に入ったのか……知ってる?」
「聞いたことはあります、一度だけ。確か『どうしても許せない奴がいる』とかなんとか」
かつての教官は溜め息をつく。
「何かしらの私怨で入って来られると、後々が面倒なんだけどね」
そうは言っても採用を担当する係員が、そこまで見抜けるかどうかと言われたらかなり微妙な気もするが。
「力が欲しい、って言ってたわ。誰にも何も文句を言われなくてすむほどの」
何を考えているのだろう?
許せない人間とはいったい。
ちなみに彼の言う【力】とは文字通りの腕力のことではないだろう。そうだったとしたら既に絶望的だ。
アタシね、と北条は器用に箸を動かしながらしゃべる。
「上村の卒配先は、何がなんでもあんたと同じ署にしてって散々言っておいたの」
「……どうしてです?」
「あんた以外にあの子をフォローできる人間、いる?」
確かに。
「あの子ってね、若い頃の彰ちゃんにそっくりなのよ……」
和泉の若い頃? 周は驚いて箸を止めた。
「想像つかない? でも、本当なのよ」
だとすると。上村も将来、あんな奇妙奇天烈な変人になってしまうのだろうか……? むしろそっちの方が想像つかない。
「とにかく。上村の様子が少しでも変だと思ったら、アタシに報せて」
はい、と返答をして周は食事を再開しかけた。




