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65:落とし物は交番へ

 この頃、上手くいかないことが多いように思う。

 周は少なからず気落ちするのを感じていた。


「ま、ほら。もらった差し入れでモーニングといきましょう、交番長」

 桜井が机の上に置いてある、パン屋の娘からの差し入れを指差す。


 そうするか、と小橋は紙袋の中身を覗く。

「だから俺、キュウリはダメだって言ったのに……食えるもんが入ってないじゃないか」

「あ、それじゃあ、自分がコンビニで何か買ってきます」


 周は急いで着替えを済ませ、コートを羽織って外に出た。

 風が冷たい。

 帽子をかぶっていない頭が特に寒い。


 コンビニは交番を出て、歩いて5分ほどの場所にある。周が店に入ろうとした時だ。


 軒先で先ほどの女子高生、関谷真帆が立ったままスマホをいじっている。

 気まずいので気がつかなかったことにして、周は急いで中に入った。


 買い物を済ませて外に出ると、

「ねぇ、藤江君」と、真帆に声をかけられた。

 なんで名前を? と、思ったらさっきの、パン屋の娘のせいだ。


「……ほんとにリク、捕まっちゃったの?」

「……え?」

「リクはそんな人間じゃないよ。虫も殺せない、優しい人なんだからねっ!!」


 何を言っている?

 周の頭の中で情報処理能力がパニックを起こしている。


「もっと悪い奴がいるんだよ?! たぶん、そいつが……!!」

「ちょ、ちょっと待って!! 何、何の話をしているのかわからないんだけど」


 すると真帆は。カバンからペンとノートを取り出し、何やら書きつけた。それからビリっと破り取って折り畳むと、周のコートのポケットに突っ込んでくる。

 そして少女は無言で踵を返すと、どこかへと走り去ってしまった。


 どうしろって言うんだ……。


 周は女子高生から受け取った、というか無理矢理ねじ込まれたノートの切れ端を見つめながら、困惑していた。

 そこには彼女の名前と連絡先が記入されている。


 誰だよ【リク】って。

【もっと悪い奴】って言うのも気になる。


 とにかく、交番に戻ってから交番長に、和泉にも連絡しておこう。

 彼女の言う【リク】が、自分とよく似たあの男性のことだったのなら、間違いなく事件に何か関係があるだろうから。



 明け方、朝食を終えた後はバタバタであった。車上荒らしの通報があり、現場である駐車場に駆け付け、鑑識活動を行った。

 被害者の中年男性はまるでこちらが犯人でもあるかのように、延々とクレームを述べた末、置き土産のように警察批判を口にした挙げ句ようやく被害届に署名してくれた。


 交番に戻った後は立番。


 午前8時前にもなれば行き交う人々も段々と増えてくる。

 周が注意して歩く人々を見ていたら、不意に、膝にぴったりと温もりを感じた。


「お兄ちゃ!!」

 例の保育園児だ。

「瑛太君、おはよ」


「今日はね~、リクがお見送り~……」

「……え?」


 またその名前か。周が顔を上げると、少し離れた場所で、物陰からこそっとこちらを覗いている若い男性がいる。

 フードで頭を隠し、眼鏡とサングラスをしているので、顔は確認できない。怪しいことこの上ない人相風体である。周の視線を感じたのだろうか、さっと身を隠す。


 周はしゃがみこんで幼子と視線を合わせた。

「……ねぇ、瑛太君。リクってだぁれ?」

「ママの弟~」

「ママの弟? つまり叔父さんってことだね?」

「おじさん……? お兄ちゃんだよ」

 どうやら叔父の意味がわからないようだ。


「あのね、あのね。リクが言ってた。落し物を拾ったら交番の、おまわりさんに届けないといけないんだって」

「落し物?」

「うん、これ!!」

 瑛太は黄色い通園カバンのフタを開けると、中からアクセサリーのようなものを取り出す。だいぶ汚れているが、元は恐らく銀色だっただろう。


「どこで拾ったの?」

「うーんとね、道!!」

「どこを歩いていた時?」

 瑛太は困惑した様子で首を横に振る。

「わかんない……」

 そう言って泣きそうな顔をする。


「いいんだよ、無理しなくても。それより……リクさんをここに呼んでもらえる?」


 うん、と幼子は一目散へ叔父の元へ駆けて行く。拾得物扱いに関しては、拾った場所を特定し、記録に残さなければならない。その上で書類を作成する必要がある。


 近くに来れば顔が確認できるだろうか。

 昨日、遺体を発見したあの場所で周が【逮捕】したのと同一人物だと。


 確か証拠不十分とアリバイあり、で釈放されたと聞いている。一応、逮捕容疑は公務執行妨害ではあるが、きっといろいろ不愉快な思いをさせたに違いない。

 きちんと謝罪をしなければ。


 周がそんなことを考えている時だった。


「……問題のプールバーです」

 突然、声が聞こえた。

「え?」

「それじゃ!!」


 リクと呼ばれていた若い男性は瑛太を抱え上げると、急いで走り去っていく。


「待って、待ってください……!!」

 呼びかけも虚しく、彼らの姿はあっという間に見えなくなってしまった。

 そうして周の掌には銀色のチェーンだけが取り残されたのだった。


 ※※※※※※※※※


 翌朝、和泉はしらたまの前脚と、スマホの着信音に起こされた。

 発信元はなんと周からではないか。


「はいは~い、おはようマイハニー!!」

『あのさ……ちょっと、仕事行く前に交番寄ってくれない?』

「もちろん、言われなくてもそのつもりだったよ!! お土産は何がいい?!」

『なんでこんな朝っぱらから、そんなにテンション高いんだよ……何も要らないからとりあえず来て』


 なんだろう?

 目的はわからないが、普通に嬉しい。


 和泉は起き上がって服を着替えながら、

「ねぇ、しらたま、聞いてよ。周君の方から仕事前に寄って行ってって!!」

 茶トラは大欠伸をしている。

 それから和泉は水の用意と、餌皿にカリカリを投入してから家を出た。


「おはようございますっ!!」

 元気に挨拶をして交番の中に入ると、異様な空気が漂っていた。


「あ、ども。はよーっす!!」

 カウンター前には、茶髪のチャラい男が立っている。

「周君は中に?」

「ええ、まぁ。けど……」

「けど?」

「いや~……ヒロインのピンチにヒーローがあらわれるって、ホントなんすね」


 何の話だ。

 和泉が怪訝に思いながら奥の扉を開けると、

「バカ野郎!!」

 中からものすごい怒鳴り声が聞こえてきた。


 こちらに背を向け、怒鳴られている若い制服警官は……周だ。となると誰が彼に怒鳴りつけているのだろう。

 誰だろうと許せないが。


 和泉は一歩奥に踏み込んだ。

「お前は警察学校で何を学んできたんだ?! わかってるのか、もう一般人じゃないんだぞ!! お前が通報する側じゃなくて、される側なんだ!!」

 何があったのかはわからない。ただ。


 様子を見ていると、段々と怒鳴り声はただの罵りに変わって行く。成績優秀者だったからっていい気になっている、立て続けに手柄を上げて思い上がっている……この組織で働くということをわかっていない。


 そこまではまだ我慢できた。


 段々と発言がエスカレートしていき、周の尊厳を傷つけるような雑言が飛び出しそうになった時、和泉は思い切って間に割り込んだ。


「……何があったんです?」

 振り返った男には見覚えがある。


 忘れもしない、北署の地域課長で、副署長代理だと名乗った人物だ。濃い顔だったのでよく覚えている。確か名前は小野田といったはずだ。

 周にとってみれば直属の上司と言ったところか。


 振り返った地域課長は鼻を鳴らし、

「ふん、タイミングよく騎士様のご登場か」

 吐き捨てるように言う。


 こちらに気づいた周は驚き、困惑したような、泣き出しそうな顔でこちらを見ている。よく見たら右側の頬が赤く腫れている。和泉はすっと怒りを覚えた。


「ええ、そうですよ。彼にいったい何の落ち度があったって言うんです?」

「……あんたの責任もあるだろうな」

「だったら聞かせてもらいましょうか。ここじゃ何ですから、奥に行きましょう」

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