60:初手柄
周は死角になる場所を探して身を潜めた、のだが……。
「周君、みーつけたっ!!」
和泉は遠慮なく待機所内に入ってくる。
「中に入ってくるなよ!!」
「いいじゃない、同業者なんだし」
和泉は笑いながら、「さっき、周君達がフジグランに入って行くのを見かけたんだけどさ。もしかして万引き犯でも捕まえた?」
「……黙秘します」
「え~、いいじゃない。周君の手柄話を聞かせてよ」
別に手柄でも何でもない。このままつーん、とそっぽを向いておこうかと思ったその時、先ほどの男子高校生が言ったことを思い出した。
「そうだ。あのさ……」
「どうしたの?」
「こないだ連れてってくれたカフェで、パパ活がどうのって話、してただろ?」
「ああ、そんなこともあったね」
「実は……」
言いかけてふと、そう言う案件は生活安全課に教えた方がいいのかと思い直す。
「やっぱりいい」
「言いかけたんだったら、ちゃんと最後まで言ってよ」
それもそうかと結局、周は先ほどの男子高校生から聞いた話を伝えた。和泉は専門外だから、などと言わずに、真剣に聞いてくれた。
それからしばらくいろいろ考えていた彼だったが、急に思い出したように、
「ところでね、周君。昨日どうしてあの店にいたの?」
どき。
周は目を逸らした。
「正直に言ってごらん? 怒らないから」
口調はいつも通りだが、目つきがちょっと怖い。意外と本気で怒っている様子が見て取れる。
どうにかごまかす方法はないかと必死で思案していると、
「まさか、何か事件の手がかりがないかと思ってもう一度現場に戻ってみたとか?」
新任者のくせに刑事の真似ごとをするなと言われるのだろうか。
「た、たまたま通りかかったら……急にあの女の人に呼び止められて、気がついたらあの店に連れていかれて……だから、和泉さんに助けを求めたんじゃないか」
「そうだよ。あの手の店はね、バックに必ずと言っていいほど怪しい団体がついてるんだから。危ないよ」
「うん……助けに来てくれて、ありがとう」
途端に和泉の表情が和らぐ。
「……周君、可愛い……」
はいはい。つくづく単純な男だ。
「そうだ。あの男の人、あれからどうなったの?」
つい調子に乗って周は訊ねたが、そう上手くはいかなかった。
「あの男の人って?」
「一昨日の……遺体発見現場で……」
「さて、と。いつまでも可愛い周君の顔を見ていたいけれど、そろそろ行くね?」
バイバイ、と和泉は外に出て行く。
ちっ、と周は秘かに舌打ちするのだった。
ところが。何を思ったのか、和泉が全速力で戻ってくる。
「……?」
「あ、周君。昨夜の店の名前、覚えてる?!」
「え? えーと確か……なんとかヴィーナス……だったと思う」
「もしかしてコンフォートヴィーナス、じゃなかった?」
たぶん、としか答えられない。
しかしそれでも和泉は満足だったのか、嬉しそうに出て行った。
※※※※※※※※※
今日は週末だからか、繁華街を歩く人がいつもより多い気がする。
今度こそ。
上村は気合いを入れ、パトカーの中から職質対象者を見定めていた。
「そう気負うな、上村」
交番長の逢沢が苦笑しながら言う。
確かに。気持ちばかりが焦ると失敗してしまう確率が高い。昨日、郁美から聞いた話を頭の中で反芻する。
そうだ、交番長の話し方を真似してみよう。
その時ちょうど、鍵の部分が壊れた新品の自転車に乗っている若い男を発見した。
「交番長、出ます」
上村は助手席のドアを開けた。
「こんばんは。お急ぎのところ、申し訳ないのですが……少しだけ、お時間をいただけませんか?」
自転車の若い男はぎくり、とした顔を見せる。当たりだ。
「今、自転車の盗難事件が多発していまして。念のため、防犯登録の確認を……」
すると若い男は突然、自転車を放り出して駆け出す。
「待てっ!!」
上村は後を追いかけた。幸い、すぐに追いつくことができ、若い男の上着の襟首をつかむことに成功した。それほど重量のない自分の身体を相手にぶつけ、地面の上に転倒させる。
罪状は何だろうか。
盗犯あるいは、公務執行妨害?
あれこれ考えた一瞬の間に、目の前を銀色に光るものが走った。手の甲に鋭い痛みが走る。自転車泥棒はナイフを持っていた。
目を血走らせ、やたらめったら上村に襲いかかってくる。後ろから交番長が応援に駆け付けてくれたのがわかった。
こんなことになるなんて!!
強い恐怖を感じた。しかし、まだ死ねない。
頭に浮かんだのは姉と、彼女によく似た郁美の顔だった。
上村は腰に提げた警棒を取りだして応戦した。学校の授業で習った逮捕術。理屈は覚えているが、身体が果たして上手く動いてくれるだろうか。
若い男が奇声をあげながらナイフを高く振り上げる。
「今だ、脇を狙え!!」
逢沢の声。
言われた通り上村は警棒を相手の脇腹めがけて、横薙ぎに振り払った。
ぐへぇっ、とか言う声を挙げて若い男はナイフを落とす。チャリンと音がした。痛みに蹲る男。
上村は腰に提げていた手錠を取り出し、その右手にはめた。
地面に何か赤いものが滴り落ちている。それが自分の血だと、言われるまで気がつかなかった。
「よくやったな、お前の手柄だ」
交番に戻って傷の手当てをしながら、交番長が微笑む。
どうせなら無傷で成績を残したかった。なんて言うのはぜいたくか。いずれにしても初めて手柄を挙げたというのに、思ったような快感がなく、疲労感の方が大きかった。
「名誉の負傷だ、よくやったぞ!!」
いつもならうっとおしいと思う、松山の言葉も今は素直に聞ける。
これぐらいではまだ差は縮まらないけれど……。
今頃、向こうも当務中だろう。
藤江周は今も何か手柄を挙げているのだろうか。
考えるのはよそう。
上村は首を横に振った。
※※※※※※※※※
昼食後、岩淵は「今日は午後休だから」と去って行った。
聞いていない。
一応、彼女がいないといろいろな仕事が郁美に回ってくるから、勤怠の連絡はしっかりしておいて欲しいのだが。
まぁいいや、と自席に戻った郁美はPCの電源を入れた。
新着メールが1件あります。
何気なくクリックしてみる。
無題なのが気になったが、本文を読んでみると。
『これ以上、上村皐月のことに首を突っ込むな』
咄嗟に郁美はスクリーンショットを撮った。
差出人は誰だ?
ネット上の遣り取りはしかるべき手続きをとれば、発信元を確定できる。
誰か皐月の件に関して、知られてはマズイ秘密を抱えている。そしてもしかすると彼女は、知ってはいけない何かを知ってしまったのかもしれない……。
そしてそのすぐ後だった。
郵便物が配達され、宛先を確認しながら仕分けをしていると。監察室宛てではあるが、郁美が名指しになっている封書を見つけたのは。
気持ちが悪いが思い切って開封してみた。
すると。ワープロで書かれた文字でただ一文のみ、
【地域課の小野田には気をつけろ。奴には大きな秘密がある】と書いてあった。
何これ。
郁美は慄然とし、部屋の中を見回す。
室長はいったいどこへ行ったのか姿が見えない。
スケジュールを確認したが、特に何の予定も書かれていない。突発事案があって外にでたのか、それとも……?
この奇妙な手紙のことをとりあえずは報告すべきだろう。その時、RINEが着信を知らせた。
《小野田です。先日の件、まだご返答をいただいていないので、ご迷惑かとは思いましたがこちらからご連絡させていただきました》
たった今、疑惑の渦中にある本人からの連絡に郁美は思わず、ひぇええっ!! と素っ頓狂な声をあげてしまった。
「どうしました?」
後ろから声が。
振り返ると室長がすぐ傍に立っていた。




