58:裏づけ
郁美はちらっと和泉の後ろ姿を見ながら、岩淵を追いかけた。
彼はあのバイオリニストに興味があるのだろうか。
それほどマジマジと顔を見た訳ではないが、相手が女性となるとそれだけで心穏やかでいられない。
「どうしたのよ?」
「いえ、なんでも……」
「今の人って、捜査1課の刑事でしょ?」
「岩淵さん、ご存知なんですか?」
「知ってるわよぉ。私だって人事部の端くれなんだから。かなりの有名人よ。問題警官ばかりを集めた捜査1課の吹き溜まり、その中でも一番扱いに困る名探偵だって」
「探偵……彼は刑事ですが?」
いろいろと引っかかることがあるが、今は抑えておこう。
ここよ、と到着した店は確かにまだオープンして間もないのであろう、綺麗な外観だった。
そして。
なんか高そう……。
店構えに圧倒され、郁美は少し不安を覚えつつ、暖簾をくぐった。
個室に通され、壁にメニュー表や値段が書いていない当たり、余計に恐ろしくなる。
「上村皐月なんだけどね」
いきなり岩淵が話し出し、郁美は我に帰った。
「過去の殉職事件を熱心に調べていたのよ」
「殉職事件……?」
「あれは15年前になるのかな。本通り商店街のとある宝石店に強盗が入ったの。警報音が鳴って、110番通報が入って、出動したのが新天地北口と基町南口から合計3名。その内の1人がね……強盗犯と揉み合ってるうちに、強盗に刺されちゃった訳」
その事件なら昨日、北署の資料室で内容は確認している。
『姉は恐らく、僕のために、父の事件の真相を探っていたのではないかと思います』
その点で彼女の弟の見解も一致しているし、郁美もそれが真相だと考えている。
「残念ながら犯人グループ3名のうち、2名しか確保できなかったわ。1名は、それも警官を刺した奴がまんまと逃走して……アレは県警の黒歴史に残る事件ね」
郁美が黙っていると、彼女はドンドンしゃべり続ける。
「その事件で殉職した警官って言うのがね、名前は広瀬なんとかって……すごくデキる人だったみたい。その事件さえなければ、昇進試験をパスして巡査部長に上がっていて、来季からは警備部に行く予定のエリートだったのよ。それがねぇ……」
広瀬なんとか、それは上村柚季の実の父親だ。
「上村皐月はその事件のことで、当時の担当者に話を訊きに行ったり、いろいろ熱心に動き回っていたわ。ちなみに……室長の同期でもあるのよ、その広瀬って人」
「室長……聖警部の、ですね?」
その話なら確か上村の父親からも聞いた。
彼を恨んだりするのは筋違いだ、と言っていた記憶がある。
「ちなみにもう1人……は……ううん、えっとね」
岩淵はしきりに瞬きをしながら、続く言葉を探している。「その殉職事件、ううん、強盗事件の方ね。誰かがその広瀬って人を始末したくて仕組んだヤラセなんじゃないかって、そう言う噂が流れたのよ。警察官人生として一番脂の乗った、これからエリートコースを進もうっていう輝かしい時期に起きた事件だもの。あんただってわかるでしょうけど、一生を交番で過ごす人もいれば、ドンドン出世して上まで上り詰める人もいる。特に同期同士はね、表に出さないまでも皆、競争相手だから。仲良くしてるようで、腹の中では何を考えているかわからないもんよ」
彼女は緑茶を啜る。
その【噂】に関しては息子の方も把握していた。裏を取ることができたと言えるだろう。父親が誰かをはめようとして逆に罠にかかったというふうに聞いたと彼は話していた。
「上村皐月が熱心に調べてたのは、事件そのものというよりは、その噂の真偽じゃないかしら?」
なるほど。
まさか皐月は聖を疑っていたのだろうか。
そのことで彼女は室長の逆鱗に触れ、噂通り、パワハラに遭い精神を病んだ……?
お互いに無言のまま、とにかく食べ進め。そして最後にデザートと緑茶が運ばれてくる。
「もしかしたら消されたのかもね」
突然、岩淵はぽつりと言って立ち上がる。
「……え?」
「だからさ。その噂が実は本当で、本当に悪い奴が誰なのか真相を知ってしまって……」
実は郁美も上村の前では決して口に出すつもりはないが、その可能性を考えている。
皐月の弟はそれでも、姉がどこかで生きていると信じているに違いないから、言えないけれど。
そうして彼女はさっさと店を出て行く。あっけにとられた郁美は、危うく会計を忘れて出てしまうところだった。
そうだ。あとで柚季にも情報を共有しておこう。
仕事帰り、交番に寄ろう。
※※※※※※※※※
和泉達はあれから大学の事務所を訪ねたが、窓口対応は最悪だった。学生の個人情報を教える訳にはいかないの一点張りで。
ここで争っていても時間の無駄だ。
被害者と親しかったという女性学生を探すため、キャンパス内を動き回り、そしてようやく有力情報をつかんだ。本通り商店街の脇、パルコの前でよく路上ライブをしていると。
無許可で、何度も警察に注意されているが、懲りずに続けていると。
平日の昼間、果たして見つかるだろうかと不安に思いながら現地に向かったところ、当たりだった。
聞いていた通りの外見だった。ベリーショート、身長160センチぐらい、いつもオレンジ色のダウンコートにダメージジーンズとコンバースを履いている。
「矢部霧歌さん?」
和泉が声をかけると、バイオリンを片付けていた女性はいきなり睨みつけてきた。
「工藤八重子さんのことで、話を伺いたいんだけど……少しいいかな?」
チラリと警察手帳を見せ、なるべく威圧的にならないよう話しかける。ところが。
無視。
女性はこちらに背を向けスタスタと反対方向へ歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って……!!」
人違いだっただろうか。そうだったとしても、その態度はない。
「おいコラ。下手なバイオリン聞かせておいて、迷惑料も支払わずに逃げるつもりか?」
友永が挑発すると、女性は足を止めて振り返る。
そうして身体の向きを変えて大股にこちらへと近付いてきた。
「あとは任せた」
「……はい?」
いきなり胸ぐらをつかまれた和泉は、驚きに少し声が出なかった。
「あの、先に断っておきますけど。悪口を言ったのは後ろにいるオジさんですよ」
「どっちだっていい!! そんなことより、下手ってどういう意味だ?!」
「ですから、僕じゃありません。僕は上手だと思いましたよ」
すると女性の表情が少し和らぐ。
まったく。
「工藤八重子さんのこと、ご存知ですよね?」
「……ストーカー男が捕まったんだろう? 早く死刑にすればいい」
女性なのに男のようなしゃべり方をする人だ。そして短絡的。
「実はその点に関してはいろいろと疑問がありましてね。ですから、工藤さんと親しかった人にお話を聞いているんです」
「私は……つい先週まで海外にいた。八重子が殺されたと聞いて、驚いて途中で切り上げて帰ってきたんだ」
「彼女がアルバイトをしていたことはご存知ですか?」
「ああ、知っている」
「なんて言う店です?」
「……知らない」
嘘だな、と和泉は直感的に思った。
「たとえ彼女がどんな店で働いていたとしても、見下げるような真似はしませんし、名誉を傷つけるようなことはしません。ただ我々はどうしても彼女の無念を晴らしたい。そのために必要な情報をお持ちなら、ぜひとも提供していただけないでしょうか」
ややあって、彼女はコートのポケットからスマホを取りだした。
「……これがその店の外観」
全体的に薄暗く、やや見づらい。和泉は画面に目を近づけた。微かに『C』と『V』の文字が見える。
「C、V……これはいったい?」
Sの文字がどこかにないか。和泉は必死に全体を見直した。
どこかで見た記憶があるように思う。
「たぶん、頭文字にCとVのつく店なんだろ。それ以上のことは知らない」
女性はパッとスマホを取り去り、再び背を向ける。
「あと1つだけ。工藤八重子さんがその、出会い系サイトのサクラをやっていたような話は……聞いたことありますか?」
すると。みるみる内に女性の顔が怒りに染まる。
「死者の名誉を傷つけるような真似はしないって、言ったクセに!! 本当ならこの写真だって見せたくはなかったんだ!!」
どうやら失敗してしまったようだ。
和泉は己のミスを悟った。




